あっぱれ!ユース宣教バカ一代
今日は仙台からアップ。3月には三年ぶりの大雪だそうで、危うく飛行機が決行になりそうでしたが、無事到着です。
私が所属している教会には、二十歳の社会人クリスチャンがいます。彼はユース(中高生クラス)のスタッフであり、いわば「ユース宣教バカ一代」であります。この場合の「バカ」とは、パウロが「キリストのために狂っている」と他者に言わしめたような熱心と献身を意味します。「空手バカ一代」ならぬ「キリストバカ一代」「福音バカ一代」同様、最高の褒め言葉なのであります。
今週の主日礼拝の後のこと。この「ユース宣教バカ一代」青年が、持ち前のおばかぶりを思いっきり発揮してくれました。礼拝後の昼食を終えた後、中一である我が娘を連れてミスタードーナッツへ。そこで、彼はドーナッツが並んでいる棚を指して店員にこうオーダーしたのです。
「端から端まで全部下さい」
「全種類一つずつですか?」と尋ねられうなずくユース宣教バカ一代青年。
彼の故郷である函館の友人(クリスチャンかも?)は、お祝い事があると、マックへ行きメニューを指差して「全部下さい」とオーダーするのだとか。どうも、このユース宣教バカ一代青年、受験生達の合格発表が待ちきれずに衝動的に実行してしまったようです。
5箱もの量のドーナッツ。信じられないほど長いレシート。5880円の出費。若さゆえに低賃金労働者である彼・・・。バカです。思いっきりバカです。でも、娘にはバカ受け。教会に戻るとユースは大盛り上がり。わが娘は昼食後にもかかわらずドーナツ四個を完食。
ユースのメンバーを愛し、キリストのためにここまでバカをやってくれる青年には感謝するばかり。娘はこんなユースが大好きです。こういうバカは伝染性があり、いわば「うつるんです」であります。大いに感染させて、お行儀のよい小さくまとまったクリスチャンではなく、聖書の登場人物たちのようなダイナミックな信仰者に娘が育ってくれたらと願っています。また、こうした荒削りでおバカな青年クリスチャンに対して寛容な教会であることにも感謝しております。そうした教会の体質があってこそ、ダイヤモンドの原石がダイヤモンドに育つのでしょう。
映画「ウォーター・ボーイズ」が大ヒットした時のこと。大学受験も犠牲にして男子シンクロに打ち込む男子高校の姿を見て、最も多かった感想は次のようなこと。
「大人になり、バカができなくなってしまった自分が恥ずかしい」
「そんな自分がつまらなく思える」
このユース宣教ばか一代青年を見ていたら、大人のクリスチャンはこう思うかも知れません。
「大人になり、キリストのためにバカができなくなってしまった自分が恥ずかしい」
「そんなクリスチャンである自分がつまらなく思える」
私は思います。キリスト者の成熟とは、ばかができなくなることではないと。パウロのように福音の愚かさに生き、キリストのために損得勘定を放棄して他者からキリストばか呼ばわりされることが、キリスト者の成熟の一面ではないかとさえ思えてしまいます。
そうした聖書的愚かさに相当するのかどうか?については怪しいのでしょうが、率先してバカをできる先輩クリスチャン、中高生といっしょにバカできる青年スタッフが教会の宝物であるのは間違いないでしょう。
私が所属している教会には、二十歳の社会人クリスチャンがいます。彼はユース(中高生クラス)のスタッフであり、いわば「ユース宣教バカ一代」であります。この場合の「バカ」とは、パウロが「キリストのために狂っている」と他者に言わしめたような熱心と献身を意味します。「空手バカ一代」ならぬ「キリストバカ一代」「福音バカ一代」同様、最高の褒め言葉なのであります。
今週の主日礼拝の後のこと。この「ユース宣教バカ一代」青年が、持ち前のおばかぶりを思いっきり発揮してくれました。礼拝後の昼食を終えた後、中一である我が娘を連れてミスタードーナッツへ。そこで、彼はドーナッツが並んでいる棚を指して店員にこうオーダーしたのです。
「端から端まで全部下さい」
「全種類一つずつですか?」と尋ねられうなずくユース宣教バカ一代青年。
彼の故郷である函館の友人(クリスチャンかも?)は、お祝い事があると、マックへ行きメニューを指差して「全部下さい」とオーダーするのだとか。どうも、このユース宣教バカ一代青年、受験生達の合格発表が待ちきれずに衝動的に実行してしまったようです。
5箱もの量のドーナッツ。信じられないほど長いレシート。5880円の出費。若さゆえに低賃金労働者である彼・・・。バカです。思いっきりバカです。でも、娘にはバカ受け。教会に戻るとユースは大盛り上がり。わが娘は昼食後にもかかわらずドーナツ四個を完食。
ユースのメンバーを愛し、キリストのためにここまでバカをやってくれる青年には感謝するばかり。娘はこんなユースが大好きです。こういうバカは伝染性があり、いわば「うつるんです」であります。大いに感染させて、お行儀のよい小さくまとまったクリスチャンではなく、聖書の登場人物たちのようなダイナミックな信仰者に娘が育ってくれたらと願っています。また、こうした荒削りでおバカな青年クリスチャンに対して寛容な教会であることにも感謝しております。そうした教会の体質があってこそ、ダイヤモンドの原石がダイヤモンドに育つのでしょう。
映画「ウォーター・ボーイズ」が大ヒットした時のこと。大学受験も犠牲にして男子シンクロに打ち込む男子高校の姿を見て、最も多かった感想は次のようなこと。
「大人になり、バカができなくなってしまった自分が恥ずかしい」
「そんな自分がつまらなく思える」
このユース宣教ばか一代青年を見ていたら、大人のクリスチャンはこう思うかも知れません。
「大人になり、キリストのためにバカができなくなってしまった自分が恥ずかしい」
「そんなクリスチャンである自分がつまらなく思える」
私は思います。キリスト者の成熟とは、ばかができなくなることではないと。パウロのように福音の愚かさに生き、キリストのために損得勘定を放棄して他者からキリストばか呼ばわりされることが、キリスト者の成熟の一面ではないかとさえ思えてしまいます。
そうした聖書的愚かさに相当するのかどうか?については怪しいのでしょうが、率先してバカをできる先輩クリスチャン、中高生といっしょにバカできる青年スタッフが教会の宝物であるのは間違いないでしょう。


