小さないのちを守る会

命と性の日記〜日々是命、日々是性

小さないのちを守る会代表 水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象を論じます。
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ポップミュージックが描く性の世界(15)
ユニコーン「時には服のない子のように
がんばる女、力になる男〜高尚な理由のこじつけによるやましい行為の正当化。

 昨日に続いて、また、ユニコーン。ネット上に歌詞がないのが残念!題名は明らかにカルメン・マキによる大ヒット曲「時には母のない子のように」のパロディー。この曲は「服のない子」つまり、風俗譲と彼女に足しげく通うリピーターという男女双方の思いがつづられていて、これがなかなか深いのです。

 いかにもというロックのリフに乗って曲は開始。まずは風俗嬢の思い。

♪金が欲しいからがんばるー 体を使ってかんばるー
 とてもいやだけど、がんばるー ・・・・・・愛する彼のためにする

 風俗嬢はがんばっています。なぜならがんばるための崇高な理由があるからです。それは「愛する彼のため」。

 その風俗嬢の気持ちにリピーターの男性客が応答
♪オレにはあなたの気持ちがよく分かる
 力になるから、灯りを消して・・・・
 ランデブー、 がんばるー♪

 彼にも彼女のもとに通うための高尚な理由があります。それは「そんながんばっている彼女の力になるため」なのです。

 さらに2コーラス目には彼は風俗嬢の社会貢献さえ、高らかに歌いあげ、リピーターであり続けることを決意します。

 ♪♪オレにはあなたの気持ちがよく分かる
   輝くみんなの明日のために、明日のために、明日のために・・・・
   ランデブー、 がんばるー、また来るー

 このリピーター男は風俗産業の存在意義を「みんなの明日のため」と崇高な社会貢献にまで強引に高めてしまって、「また来る」と言ってしまうわけです。

 何と見事、そして強引な正当化でしょう。通常の感性の持ち主なら、風俗産業で働くこ女性にも、そこに通い詰める男性にも、一定の「やましさ」はあるもの。そして、人間はその行為自体が持つ「やましさ」をなくすために「高尚な理由」をこじつけます

 これが今回のテーマ。「高尚な理由のこじつけによるやましい行為の正当化」。この曲の場合、「愛する彼のために」「がんばる彼女の力になる」「輝くみんなの明日のため」という三つの高尚な理由が風俗産業を正当化しています。「愛」、「援助」、「社会貢献」など本来、風俗産業と結びつきにくいものが結びつくところがまさに「こじつけ」。「愛」、「援助」、「社会貢献」ならボランティアや社会奉仕、福祉活動をすればいいのです。何も風俗関連である必要はありません。

 しかし、「高尚な理由のこじつけによるやましい行為の正当化」は性の世界では常套手段。「援助交際」などはまさに、その言葉自体が「不当な正当化」だと思えます。貧しい母子家庭を助けるための愛人、女性が自立できない社会での一夫多妻などもそうかもしれません。日本人男性が貧しいアジアの国の女性を買うのを「国際援助のひとつ」と発言し大ヒンシュクをかった人もいましたっけ。

 もう一つ思い出しました。「一日一善」「世界は一家、人類は兄弟」などと日本船舶振興会が頻繁にテレビCMを流していたころ。ある競艇ファンのおじさんはこう言っていたとか。

「競艇はええで!勝てば儲かるし、負けたらそのお金は笹川さんが世のため人のために使ってくれはるから・・」

 人間とはどうもやましい行為から、やましさを取り除くためには、かなり強引な理由付けを平気でできてしまうようですね。私たち人間はあきれるほどの罪人。罪を犯すためなら、自分の欲望を果たすためなら、どんな高尚ものさえ、その理由にしてしまいます。「愛しているから・・・・」とやましい欲望を愛に見せかけ、「助けてあげたいんだ・・・」と下心を親切心で隠し、「それも世のために人のため・・・」と不正行為を社会貢献に置き換えてしまいかねない私たち。

 それに騙されてはいけません。また、それで自分を騙してはなりません。
ポップミュージックが描く性の世界(14)
ユニコーンの「ペケペケ」
とりあえず愛している〜愛と尊敬心の強制分離


 日本のロックなど全く無関心な私も奥田民生くらいは知っています。しかし、最近まで知らなかったことがあります。奥田民生って、あの玄人好みのロックバンド「ユニコーン」のメンバーだったのですね。

 このバンド、洋画ロックを見事に消化し、自らの表現方法として獲得しつくしています。なおかつ、ユニークでディープな世界観を持つ歌詞を伴う優れたバンド。TSUTAYAでレンタルしたベスト版の歌詞カードを一読しただけで受けまくり。現代人の性愛を描く歌詞が多いのですが、実に鋭く深い考察に満ちていて、しかも、それが笑えるやら怖いやら。

 今回取り上げるのは「ペケペケ」。作曲は奥田民生で作詞は川西幸一。登場するのは夫に愛想を尽かしながらも愛し合おうとしている?妻と独りよがりで何も分かっていない幼稚で愚かな夫という夫婦。一番リアルで怖い歌詞は妻のせりふに相当するこちら。サビで繰り返される歌詞です。

 好きなこと言ってなさい いつも
 あたいがいなけりゃ 何も
 出来やしない あんたはテディー・ベア
 とりあえず愛している
 お墓までいっしょに ペケペケ男



 昔は夫が妻を対等な人格として扱わず、見下げたり軽蔑しながら、結婚生活を送ることも多かったようです。しかし、最近は賢くしっかり者の女性が未熟で自立不足で依存的な男性に愛想を尽かしながら、交際や結婚生活を継続したり。

 ここに描かれているのは愛と尊敬心の分離状態。幸せな恋愛や結婚は、相手に対する愛に尊敬心が含まれていること。その意味でこの歌は典型的な不幸な結婚の姿を描いています。

 しかし、そこには矛盾が。尊敬できぬ夫を軽蔑しきって捨てるわけではなく、愛していく妻。「ペケペケ」と不正解だらけの夫に不満一杯の反面、生涯のパートナーとして生きるつもりではいる妻。出てくる言葉は「とりあえず愛している」

 「とりあえず愛している」ってどんな愛?それって中途半端すぎない?でも、そんな夫婦やカップルいるよねー、実際。

 これは、夫を生涯のキープ君にする形態の「夫キープ型結婚」か?はたまた、ダメ男に依存されることで自己価値確認をしてしまう「共依存型結婚」か?いずれにせよ、現代日本ではこうしたカップルは増加中なのでは。

 尊敬と愛の両立、あるいは一致!「愛と尊敬に値する相手」という発想に走るなら、とたんに関係悪化か、「いい人いない」の不満連発に。まずは「愛と尊敬に値する自分(夫、妻、男性、女性)」という発想からスタートすることかと思いますよ。「自己改善や自己成長なき、他者への要求」ほど、空しく効果のない態度はありませんから。
 
 愛と尊敬で結ばれたカップル。読者の皆さんには、そんな関係を目指したり、そんな関係であり続けていただきたいと願うばかり。
ポップミュージックが描く性の世界(13)
 羞恥心の「羞恥心」
知性なき愛こそ、純愛?〜愛と知性の強制分離


 今回取り上げるのは「羞恥心」なる男性トリオが歌う「羞恥心」。ポップミュージックの世界は、音楽産業としての側面が強すぎる世界。ですから音楽表現としての優劣と売れる売れないが、ほとんど別になってしまうことも。

 近年まれに見る音楽表現の乏しさと商業的大成功を両立したのがこの「羞恥心」なる楽曲。音楽的には完全に少年隊などのパロディー。特にAメロの三連符フレーズは見事ですが、仮面舞踏会のパクリそのもの。その他もすべて、男性アイドルグループのおいしいところを集めて固めたような曲作り。単調にならぬようおしいしいフレーズを有機的に組み合わせ一つの曲として成立させているという意味では抜群の作業をしています。高原兄、恐るべし。

 辛口批評をすれば、人気番組とタイアップして、紳助さんの後押しで、人気キャラが歌えば、音楽表現とはほぼ無関係で売れてしまうという「音楽という名前のヒット商品」。

 作詞は島田紳助さんだそうですが、クイズ番組で人気の三名のキャラそのもの歌詞。いわゆる「おバカ」キャラ丸出しで、知識はなくても、生き方ベタでも、プライドを平気で捨てれば、道が開けると信じ、一途に愛するというもの。名づけて「おバカ流、純愛ソング」。

 プライドを捨て恥を恥とも思わず、ひたすらに一人の女性を愛する姿勢はご立派。打算や損得勘定がないという意味では、「おバカ」は「純愛」に通ずるのかもしれません。でも、「知性なき愛こそ、純愛」というのは行き過ぎでしょう。

 この曲の結論は多分「人生、夢で生きてる」という歌詞に集約されているのでしょう。いかに純粋で夢にあふれていても、中高生ではなく、大人なのだから、そこには一定の「責任」もあるはず。夢だけで生涯貫徹できるほど愛の世界は甘くないのでは?学歴や知識は乏しくても大丈夫でしょうが、ただの「純粋一途なおバカ」では、愛する女性を幸福にすることも、幸せな恋愛をすることも難しいのでは?

 愛とは相手を観察し、理解し、相手の最善を考え、願い、実現していくこと。そこには一定の知的な能力が要求され、知的な作業も必要です。決して「気持ち一発」ではないはず。

 聖書は「知性を尽くして愛しなさい」と愛を命じています。一途に愛すること、全身全霊で誰かを愛することは、当然、知性を用いて愛することを含んでいるはず。

 私が思うに「羞恥心」なる男性三名、いずれも低学歴・高学力。低知識で高生活力だと推察しています。本当の意味で「おバカ」なら、バラエティー番組であれだけ製作側の意図通りの回答やリアクションはできないでしょうから。クイズの珍回答は天然で本物でも、彼らは決して本物の「おバカ」ではなさそうです。おバカも演出、芸のうちなのでしょう。

 ですから、賢明なリスナーや視聴者の皆さんが、本気で「おバカのままで、一途に女性を愛するのが純愛」「知性なき愛こそ純愛!」などと信じてしまわぬようにと願うばかり。むしろ、恋愛における知性の大切さをこの記事から知っていただけたら感謝。

 相手の必要は何か?何が最善か?どうすればそれができるか?いかに実現するか?それを考える「知的な愛」の側面。大切な人を愛するためにも、知性を磨き活用するお互いでありたいですね。この曲の大ヒットの中で、「愛における知性の復権」を叫びたい私です。
定例学び会延期のお知らせ
 定例学び会にご出席予定の皆様へ

 大変、申し訳ありませんが、5月9日(金)に予定しておりました定例学び会を急遽、延期させていただくこととなりました。こちらの一方的な都合で恐縮で恐縮ですが、どうか御赦し下さい。開催は未定ながら、6月前半の金曜夜を予定しています。
ポップミュージックが描く性の世界(12)
Bonnie PinkのLove is Bubble
「性と愛とのアパルタヘイト(強制隔離政策)」


 一年以上のブランクを経ての復活企画です。はい。ご存じない方は2007年3月まで連載していたのでご参照を。

 今回取り上げるのはBonnie PinkのLove is Bubble。ある方からご紹介をいただいたのですが、「誰それ?洋楽?日本人?」と思ってしまうほど、JーPOP音痴の自分が怖いです。

愛はbubble,愛はtrouble」と歌いだす歌詞。韻を踏んでキャッチーでよくできた歌詞。「おおっ、恋愛の空しさと面倒くささを実感させてくれる歌詞だろうな」と期待していると、「あなたを泡立てよう」「二時間だけお相手」「本気になるのはご法度、本気にさせるの」などの歌詞が登場。

 「ええっ、これって!そんなのあり?放送禁止にならないの?」と思ってしまった私です。これは映画「嫌われ松子」の主題歌にもなり、Bonnie Pink自身がソープ嬢の役で映画初出演だったとか・・・・。

 うーん、日本では売春を歌うと放送禁止や発売禁止になるはずなのに、どうしてならないのか?日本の社会では「ソープランドでは売買春は行われていない」という建前があるからなのでしょう。日本は売買春については驚くほど建前社会です。

 歌詞の詳細は「うたまっぷ」をご覧下さい。さて、この歌詞のすごいのは、ソープ嬢の「性と愛の分離発想」を見事に描いているところだと思うのです。私なりに表現するなら「性と愛とのアパルタヘイト(強制隔離政策)」女性にとっては、本来、性は人格的な愛と分離不可能なもののはず。しかし、「性と愛の分離」。それができなければ職業上不都合なわけです。あるいは、それを決意した上で就業しなくてはいけません。そのように愛をバブルと割り切らなければ、職業上、まさに愛はトラブル

 主人公はバブルのような愛を売り、代価として金銭を得るわけです。こうした売買春の末に、彼女が手にするものを彼女自身がどう評価しているかと言えば、歌詞の最後にあるとおり。「お金という恋人を手にしよう、お手軽な幸せを手にしよう」。泡のような愛と交換に得たものはやはり泡のような金銭という幸せ。男女の愛もお金も時がたてば、あるいは使えばなくなる泡のような消費財。男性との恋愛に深く継続的な幸せを期待できなくなった主人公の過去を想起させる優れた歌詞です。

 「売買春とは何なのか?」それが「愛と金銭の等価交換」でないことだけは明らかなようです。あえて言うなら、「愛という名前の泡とお金という名前の泡の等価交換」となるでしょうか?「男女がお互いのニーズの一致と合意の上で、性質の異なる泡を交換すること」それが売買春というシステムでしょう。

 男女とも大きな犠牲を払ったとしても最終的に得るのは泡に過ぎません。ようは「泡でもいいから」と割り切る男女の契約関係とも表現できるのでは?(売春せざるを得ない貧しさなどがある場合を別とすれば)売買春に関わる男女は、やがては消える空しさ、深まりも発展も望み得ない空しさから逃げることはできないでしょう。

 love is bubble というタイトルと歌詞は、性と愛の強制分離がもたらす底なしの空しさを表現しているように思うのです。「空しくたって、当人たちがよければいいじゃないか?」そんな反論が聞こえてきそうです。

あの河合隼雄は言いました。「援助交際は魂に悪い」と。売買春の当事者たちには、笑われあざけられる言葉に過ぎないかもしれません。それは自分の価値観を無理やり他者に当てははめる横暴な態度と批判されるかもしれません。

 しかし、それは深い人間洞察をしてきた心理学者として「あなた自身もわかっていないかもしれないけれど、それはあなた自身も根底からゆがめ不幸にするのよ!それはあなたを本当の性と愛の喜びから、いよいよ遠ざけるものなのだよ!」という愛の言葉に違いないでしょう。

 
クリスチャンホームの家訓
 今日は結婚式に出席。その後の披露宴にも家族でご招待いただきました。祝辞の中では、新婦の上司(クリスチャン医師)がご自身の代々伝わる?家訓をご披露くださいました。

 一つ、キリストが我が家の主人なり
 一つ、キリストが食事の時の見えざる客なり
 一つ、キリストが談話の時の沈黙の聞き手なり


 英語バージョンもあるそうで、きっとそちらがオリジナルなのでしょう。神の主権と臨在こそ、クリスチャン家庭の本質と実感。


 そう言えば、こんな話も以前の記事に書きましたっけ。

仏教には、仏壇がある
神道には、神棚がある
キリスト教には、食卓がある


こちらもクリスチャン家庭の本質を言い表しているのでは?

 
勇ましく歌え!♪男はスケベで幼稚で弱っちい♪
 最近は、いろいろなところで、ある特定のリズムパターンに出会います。音響がよい部屋で床が板張りだったりすると、誰からともなく、いきなりこのリズムパターンが始まることがありますな。

 まずは、「ドン・ドン」と脚で床を八分音符二回分踏み鳴らします。次に、「チャ」と八分音符一回分、手を叩きます。次は、「ウン」と八分音符一回分の休符。これを二度繰り返して、一小節のパターン。

 つまり、ドン・ドン・チャ・(ウン)、ドン・ドン・チャ・(ウン)

 シンプルながら、男気あふれるこのリズムパターン!これにあわせて唱和するのは・・・・・あの言葉

 先月はアエラ報道がなければ、アクセスナンバーワンになっていたのは「男はスケベで幼稚で弱っちい」シリーズだったはず。この真理を男達が開き直るのでなく、かと言って、プライドを捨て去るのではなく、男性のあるがままの現状を認めて、女性たちに知らしめるためにこのリズムは、方法論として抜群だと気が付いたのです。

 ですから、このリズムをバックに、男達が、野太い声で唱和するのです。
あのフレーズを!

♪ ドン・ドン・チャ・(ウン)、ドン・ドン・チャ・(ウン)
  ドン・ドン・チャ・(ウン)、ドン・ドン・チャ・(ウン)♪

♪ スケベで幼稚で弱っちーい!
      スケベで幼稚で弱っちーい!

      We will,We will Rock You! ♪



 これこそ究極の男性解放ソング?はたまた聖書的男性応援歌・・・・・・。んなわけないか。

(テレビで世界のナベアツが、このリズムで「僕らはみんな生きている」を歌って笑いをとっていたので、真似してみました)
性教育、最低限のお仕事
 野球の世界では「最低限の仕事」という表現があるそうです。たとえば、相手投手に追い込まれてしまった打者が、ヒットは打てず、アウトになっても走者を進塁させる、とても打てそうもない投手からは四球を選び、次の打者につなくとか、そういうお仕事です。つまり、試合に出ている限りは活躍でできなくても、最低限の責任を果たそうとする姿勢が、選手には求められずはず。

 それは子どもの性教育の世界でも同様。「子どもの性教育で一番大切なことは?」と問われると、私は親としての最低限の仕事をもって、回答としています。それは「両親である夫婦が愛し合い信頼しあっていること

 両親が愛し合い、信頼し合い、共に生きる姿から、子どもたちは性を学ぶものです。「ママとパパは愛し合っている」「父さんと母さんはお互いを大切にして生きている」と子どもが実感できれば、それは性教育、最強の基盤だと言えるでしょう。

 両親夫婦という見本に触ながら、子どもたちは性がと結びつくこと、性が相手を大切にすることや共に生きる絆であることを、教えられなくても、理解し、受け止めていくでしょう。私は性教育は知識の伝達ではなく、本来、家庭生活の場で両親から教えられずして身に付ける部分があるのだと思うのです。

 離婚の増加や長時間労働などで、子どもが両親夫婦に触れないで生活してしまう現代は、そうした性教育における家庭の教育力も著しく低下してしまっているのでしょう。そこにマスコミの快楽主義、商業主義的な性情報が襲ってくるのですから、子どもの性意識がゆがんでしまうのはある意味当然でしょう。

 愛より快楽や欲望と結びついた性、相手を大切にすることより自分を楽しませることを優先した性、共に生きることを願わぬ刹那的な関係の中での性、そうした性のあり方の背後には両親夫婦のあり方やそうさせてきた時代や社会的な要因も見逃せないでしょう。

 親である限りは親として最低限の仕事はしましょう。性を通じていのちを継承した親は、子どもにも正しく性を用いるよう見本となり、伝えていく責任があると思うのですが、どうでしょう。
火災報知器は電源ONかな?
 札幌はススキノの風俗店で火災があり、三人もの尊いいのちが犠牲となりました。犠牲者が火災に気づかず、犠牲になった大きな原因は火災報知器の電源が常時切ってあったこと。この風俗店はいわゆるソープランドで高温の湯気に報知器が作動するのを嫌って、常時電源を切っていたのだとか。店側の管理責任が厳しく問われているようです。

 そこで考えたいこと。それは「お互いの火災報知器は電源ONになっているか?」ということ。火災ならぬ罪や汚れに、お互いの報知器は反応しているでしょうか?思い、言葉、行い、怠りにおいて、神と人に罪を犯したとき、それをきちんと罪と感知して、報知する機能が、自らの内で働いているだろうか?ということ。

 正常に作動してサイレンやブザーがなれば、罪を自覚し、悔い改めがあり、祝福の回復に向かっていくでしょう。しかし、報知器の電源がOFFになっていれば、それは「報知器」ではなく「放置器」。罪が放置されるなら、それは祝福からの断絶を意味します。ちょうど火災のように、罪は私たちの霊的呼吸を困難にし、最終的には霊的ないのちを奪います。

 電源をONにしておいたら、良心が痛んで、生活上不都合だからと電源OFFにしてしまうというのは、焼け落ちたススキノの風俗店と同じ動機であり、それは同じ結末を招くでしょう。

 そうならないためにもお互いの火災報知器の電源は常にONに。ONにするとは、言い換えるなら、神と主にある兄弟姉妹との交わりに生きることなのでは?聖書を読み、祈る、共に礼拝し、教会の交わりに加わる、それで電源はONの状態に。

 時には、電源OFF状態を持続するために、これら神と兄弟姉妹との交わりを意図的にあるいは無意識に避けてしまう場合も。いいえ、極端な場合には電源OFFのままで、聖書を読み、祈りをささげ、礼拝出席し、教会の交わりを楽しむという不健全な状態もありえるでしょう。

 電源OFFのまま、熱心で忠実なクリスチャンを演ずることもできます。アエラ報道を読むなら、電源OFFのまま、霊的指導者として活躍することさえできてしまうのです。外側を保つことは可能でしょう。しかし、それには限界があり、必ず最後は内側から崩壊するもの。

 まずは、各自わきましょうよ。自分の火災報知器は電源ONなのかOFFなのか?報知器として機能しているか?放置器になっていないか?
 
発表!4月のベストテン
 今月の総アクセス数は37571で、一日の平均は1252となりました。ご愛読に感謝。夢の月間平均1000アクセスを超えたとは言え、正直あまりうれしくありません。それは恒例の月間ベストテンをご覧いただけば、一目瞭然。

1.週刊アエラに「キリスト教会の性犯罪」掲載
2.アエラ報道に応答して(1)
3.アエラ報道に応答して(4)
4.アエラ報道に応答して(9)
5.アエラ報道に応答して(5)

6.アエラ報道に応答して(7)
7.「スケベで幼稚で弱っちい」のカミングアウト(1)
8.アエラ報道に応答して(12)パンフレット到着!!
9.アエラ報道に応答して(2)
10.アエラ報道に応答して(11)

 7位以外はすべてアエラ報道関連。勇気と配慮をもって、不十分ながら発信できたことは意味があったかもしれませんが、内容が内容だけに充実感よりは、複雑な思いが。

 友人の宣教師の話では、世界中のブログで、最も多い使用言語は日本語だとか!僅差ながらも英語を上回っているという事実は驚き。英語ブロガーは多国籍でしょうが、日本語ブロガーはほとんど日本国籍か日本在住者でしょう。そう考えると日本はブログ大国なのでしょうね。

 クリスチャンブロガーも多いのでしょうが、アエラ報道を正面から扱ったものが極めて少なかったのは意外でした。もちろん、目的やコンセプトは多様でしょうが、クリスチャンブロガーは何を記し、何を発信すべきかを改めて今回は考えさせられました。

 5月はアエラ報道時のような「非常時対処」ではなく「平常営業」として、楽しく有意義で啓発的な記事を書いていけたらと願っています。どうか、今月もご愛読をよろしくお願いいたします。

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