命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
再度、ブログ移転のお知らせ
  12年6月1日をもって本ブログは以下に移転しました。

「命と性の日記」
http://blog.kiyoshimizutani.com/

お気に入り」等にご登録を!また、リンクをしていただいている方は、リンク先の変更をお願いします。今後の更新は新たなブログにて行います。

 6月1日は旧ブログに2100、新ブログに900アクセスでした。お手数とは思いますが、新ブログの方へ直接お訪ねされるよう切り替えをお願い致します。
| ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 21:35 | - | - | - | - |
本ブログは移転しました!
 12年6月1日をもって本ブログは以下に移転しました。

「命と性の日記」
http://blog.kiyoshimizutani.com/

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| ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 08:54 | - | - | - | - |
明日よりブログが引越しします!
 明日より、新たに契約したドメインとプロバイダーの方に、ブログを移転します。新しいURLは以下の通りです。どうか、「お気に入り」等にご登録を!また、リンクをしていただいている方は、リンク先の変更をお願いします。既に、本ブログと同内容の記事を掲載しております。

http://blog.kiyoshimizutani.com/

 明日からは新規オープン記念企画?として婚活系連続小説「ヨナ子3D」を連載します。乞うご期待。新しいブログの方でのみ連載となりますので、読者の皆様もお引越しをお願いします。

 明日以降も一定期間は本ブログは残しますが、更新は新ブログの方でします。お手数をお掛けしますが、今後もご愛読をよろしくお願いします。
| ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 17:39 | - | - | - | - |
結婚市場には「赤と青」がある!

 昨日は、テーマが「結婚」ということで、久しぶりに「さんまのホンマでっか?TV」を視聴。

 初登場の婚活評論家の辛辣発言には、レギュラー人も唖然。彼女によれば、最近は「加藤茶病」の男性が増加中とか。60歳過ぎで年金暮らしの男性が「良妻賢母で働いてくれる30代女性をお願い」とのケースが多くなったそうです。加藤茶のご自分の決定的な違いが自覚できていないようです。

 また、辛辣を極めたのが、「勘違い女」。とにかく勘違い女が多い、まず、彼女たちのマインドを変えなくてはならない」と切り出します。具体例としてあげたのが「希望を聞くと、身長175センチ以上で、国立大か六大学長男でないことと返答する女性」。この婚活評論家は、「身の程を知れ」と一喝。身の程知らずの希望をしながら、その自覚もなく自らの首を絞めるのは、就職市場も結婚市場も同じようです。

 興味深かったのは、マーケッティングの専門家である牛窪先生からのアドバイス。結婚市場は今や、「レッド・オーシャン市場」。これは、血で血を洗うような激しい競争で海が赤く染まるような市場を意味します。生涯未婚率が男性20%で女性が10%、しかも晩婚化の現状では、結婚に適当と思える少数の男性を多くの女性が競争して奪い合う現実があります。

 しかし、結婚市場には、「ブルー・オーシャン市場」があることを指摘。これは競争相手が少ない市場です。牛窪先生が婚活のブルーオーシャンとしてあげたのは二つ。一つは「年の差婚」。40代や50代表の未婚男性を選択肢に入れること。

 もう一つは何と「オタク狙い」であります。オタクはコミュニケーション力、社会的自立度に欠け、結婚不適応者と思われがちですが、実際はそうでもないようです。趣味への傾倒がハードではない「ユルオタ」なども多く、「オタク=結婚不適応」との考え方は古いのだとか。また、統計によれば、アイドルオタクは、女性へのリスペクトを持ち、働く女性を応援しようとする気持ちが強く、働く女性のパートナーとしては好ましい面も持っているそうです。

 信仰的でない考え方でしょうが、男女比が1:3と言われる日本キリスト教界における婚活系クリスチャン女性にとっては、結婚市場は、いわば「ブラッド・オーシャン市場」。赤いどころか、血の海状態であります。

 「みこころの人」と言いながら、自分の狭いストライクゾーンを死守して、血の海で苦戦する婚活クリスチャン女子も少なくありません。そこで、提案。「ブルー・オーシャン市場」まで、ストライクゾーンを広げるなら、善戦の展望が開けるかも。

 牛窪先生のお勧め通り、「年の差婚」「オタククリスチャン狙い」というのも、無理のない程度でお考えになってみてはどうでしょう?また、市場をグローバル化するという手もあります。つまり、国際結婚という選択肢です。国際結婚には文化や原語の違いなどかなり調整困難な要素がありますから、決して安易に考えてはなりません。

 しかし、クリスチャン人口の多い他国のクリスチャン男性を候補にすれば、可能性も広がるでしょう。実際に日本人女性は、好まれますし、よき国際結婚をしているクリスチャン夫妻は多いです。私の観察では、ただし、どちらかが、かなり適応力があることと、両者が人間として、クリスチャンとして一定成熟していることが前提だろうなと思っています。

 ここで、「レッドオーシャン市場」を見ながら、失望や不信仰に陥っておられる婚活クリスチャン女子の皆さんへの励ましのメッセージです。


「目を上げて、青い畑を見なさい、
 色づいて刈り入れるばかりになっています。
 この青い畑、収穫は多いのですが、
 刈り取るクリスチャン女子は少ないのです。」

| ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 13:54 | - | - | - | - |
育てよう、健全信徒(22)〜手間取り姉妹
 今日のテーマは「手間取り姉妹」。えっ!何のパロディーか分からないって?そんなの「こまどり姉妹」に決まってるでしょー。何?「こまどり姉妹って誰?」だって?

 「こまどり姉妹」っていうのは、「ザ・ピーナッツ」の演歌版だと思えば、いいでしょう。えっ!「ザ・ピーナッツが分からない」って?じゃあ、あの「リリーズ」の浅草版ですがな。「リリーズって誰?」だって?「好きよ、キャプテン」は定番でしょう。じゃあ、「リンリンランラン」の日本人版だと言えば分かるかな?「よけいに分からんって?」、「インディアン人形」は社会常識でしょう。

 もう、いいわ。とにかく、双子姉妹の演歌歌手ですがな。分からない読者は、お父さんやお母さん、いいえ、おじいちゃんやおばあちゃんに聞いて下さいな。聞くのが面倒だという方は以下のwikiphediaをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%82%8A%E5%A7%89%E5%A6%B9

 というわけで、「手間取り姉妹」であります。それは、特に教会奉仕などで手間取る女性クリスチャンのことであります。言い換えれば、要領が悪い、手際が悪い、作業効率が低いなどの理由で、他の姉妹より時間がかかり、自分を責めがちな姉妹のこと。

 誰でも得意と苦手はあるもの。ですから、苦手は避けて、得意分野で教会奉仕をすればよいです。でも、そうは行かない現実もありがち。そもそも教会奉仕の担い手が限られてしまう場合も。事の良し悪しは別として、食事作り、キッチンワーカーなどの奉仕は女性が期待されてしまうもの。そうなれば、料理苦手手際が悪いと自覚する姉妹も参加せざるを得ないことも。その結果、自分の「手間取り」で周囲に迷惑をかけて、他の姉妹からきつい言葉や態度を取られて傷つくなどの事例も耳にします。

 手間取り姉妹には、ご無理をいただかなくても、賜物に応じて、適切なご奉仕をしていただければいいのです。そこで、主に仕え、用いられ、実を結ぶ経験をされたらと願うのです。「適材適所の奉仕」は、聖書的で、教会形成上大切な原則であるはず。

 また、こうした手間取り姉妹が、安心して喜んで教会に仕えておられる姿こそが、教会の交わりにおけるキリストの愛を証しするのでしょう。生産性や貢献度で自分も他者も評価せず、キリストの命の代償で、自他の存在価値を確認するのが、教会の交わりのあるべき姿。

 現実と乖離した理想論なのでしょうが、私は思います。手間取り姉妹が平安な心で喜んで過ごせる交わりが、より本物であると。要領の悪さや作業効率の低さが問題とならない交わりこそ、教会本来の交わりであると。

 教会奉仕が、教会の交わりより、著しく優先してしまうとき、教会奉仕は、「活動」、「作業」となり、作業効率、貢献度、競争原理による評価が教会の交わりに侵入してしまうのでしょう。

 「手間取り姉妹が、教会内で、どう過ごしているか?」

 それは、教会の奉仕と交わりの健全度を示す指標になるのでは?成長すべき、自己変革を必要とするのは、手間取り姉妹自身でないでしょう。もし、そういうことがあるなら、成長すべき変るべきは彼女の心から平安を奪っている周囲の兄弟姉妹、指導者なのかも知れません。

| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 12:19 | - | - | - | - |
育てよう、健全信徒(21)〜不可能姉妹
 日本人離れした美貌とプロポーション、財産とファッション芸能界での地位もあるのでしょうか?美と富と地位を兼ね備えたゴージャスな姉妹。それは「可能姉妹」ならぬ「叶姉妹」であります。

 一方、教会で時にお会いするのが、「美」や「富」や「地位」などの有無と無関係に、「私はだめ」「私はできない」「私は変らない」と確信してしまっている「不可能姉妹」であります。「主にあっても不可能」「祈っても不可能」「聖書にそう書いてあっても自分だけはダメ」と聖書以上に自分に対しての思い込み信仰の基盤を置いておられる姉妹であります。

 日本人女性のセルフイメージは、国際的に見ても極めて低いと言われます。自己価値について中高生に質問すると「自分には価値がない」と答える数は、日本の中高生がダントツの一位だそうです。どうも、日本の社会には、子どもに自己肯定感を与えない言葉、自己価値を否定するような言葉ばかりが、氾濫しているようです。とりわけ女性は今でも、「他者の意に沿うことが女性の自己価値」との価値観が根強くあるようです。

 周囲が、健全な聖書的セルフイメージを持つように助けて差し上げること、聖書的な言葉で、正しい自己肯定感が持てるよう語りかけていく交わりが大切かと思います。とりわけ、クリスチャンの親が、子どもの言動を基準に、その子の価値を判定し告げることなく、「生まれてきてよかった」「いてくれるだけで感謝」と伝えることかと思うのです。

 また、私見ですが、「不可能姉妹」には、二通りあるように思います。一つは「可能姉妹になりたいと願う不可能姉妹」であります。この場合は上記のような愛の支援が不可欠かつ有効でありましょう。しかし、もう一つは「可能姉妹にはならないと決めている不可能姉妹」であります。不可能状態にある意味の心地よさや都合の良さを覚え、この不健全・不信仰状態の継続を願っているのです。

 この場合はかなり手ごわいことを覚悟しなくてはならないでしょう。しかし、あのベテスダの男を立ち上がらせ、歩ませたキリストは今日も、不可能の寝床から、不可能姉妹を起き上がらせると期待すべきでしょう。

 日本の多く姉妹たちが、可能姉妹になるために必要なのは、美でも、富でも、地位でも、能力でもないでしょう。「あの姉妹のようならいいのに」と願う他の姉妹のようになっても、そこには問題解決はありません。必要なのは、自己肯定感を与える愛の語りかけ、そして正しい自己像形成を助ける聖書のみことばに違いありません。
| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 16:13 | - | - | - | - |
育てよう、健全信徒(20)〜宇宙兄弟
 「宇宙兄弟」という映画が話題のようであります。原作は漫画で、子どもの頃兄弟で夢見た兄弟一緒の宇宙飛行を実現するという感動のストーリーらしいです。

 一方、教会でもその生息が時に確認されておりますのが、「宇宙兄弟」。この男性クリスチャン、もちろんNASA所属ではありませんし、宇宙規模の大志を抱き、大きな働きをするわけでもございません。

 この男性クリスチャンまず、目つきが宇宙です。視線が宙に浮いております。表情も宇宙的で、浮遊感に満ちています。足どりも宇宙的で、無重力状態であるかのようです。「人の顔見て話せ」「ふらふらせずしっかり立て」と言いたくなることも。

 それで、考えや実生活が堅実なら別に問題はないのですが、「宇宙兄弟」は、考え方も浮遊感いっぱい生活も無重力状態なので、どうかと思うのです。出てくる言葉は、聖書的正論で、信仰的。でも、現実感がありません。その価値観や信仰的姿勢をもって「実社会でどう生きるか?」についての言及はありません。あっても理想論であって、具体論は当然のこと、体験談は皆無。どうも脳内の観念宇宙信仰生活が完結している様子。

 実際の信仰生活も、教会には集いますが、教会外の世界でキリスト者市民として、堅実な社会参加をしているか言えば、これが、どうも怪しいわけです。どうも、地に足の着いた職業生活を目指すことなく、地に足の着かない実生活なのであります。

 「あなたの考えを体現する実生活を社会に出て行き、証ししては?」と勧めれば、理屈をつけて、現状の信仰生活スタイルを変えようとはしません。たぶん、自分が語るように実際に生きることや、その生きかたを社会に証しする必然性や責任などは、宇宙空間にはないのでしょう。あるいは、無意識にも、社会でキリスト者として生きることから逃避して、頭脳内の宇宙空間から出ようとしないのかも。

 パウロは「上にあるものを求めなさい」とか「上に召してくださる方の栄冠」など、ゴールを天上に見ていました。しかし、現実の地上の歩みは、殺されかけたり、犯罪被害者になったり、生々しく壮絶なものでした。つまり、パウロは非地上的ゴールを想定しながら、超地上的歩みをしていたわけです。目は天に向けながら、その脚は地にしっかりと着いていたのです。 

 教会内で、時に生存確認される「宇宙兄弟」には、パウロを模範として、歩まれるよう、徐々に社会参加や具体的歩みを勧められることかと思います。断固、そうした変化を拒否するようなら、そこには恐れや劣等感のような根深い要因があるのでしょうから、別のアプローチが必要となるのでしょう。

 また、当人や周囲が何を勘違いしたか、稀にこうした宇宙兄弟が、神学校入学を願い、教職の道を目指すことがあるようです。教会と学校組織に中では、優れた学業成績を残すこともあり、教職の道に入ることが、あるとかないとか・・・。こういうのだけは、送り出す側の教会と受け入れ神学校のと送り出される就任団体の方でトリプルチェックしていただき、ご勘弁をと願います。

 宇宙兄弟が生じやすい時代と社会だと思います。クリスチャンホームにも宇宙兄弟を生み出しやすい土壌があるように観察します。いかに教えの世界、観念論に終始しない信仰を、家庭や教会学校の中で、植え付けていくか?個人的には「教理の伝達」「道徳教育」に終始しない「生活を伴う信仰教育」の大切さを思います。
| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 14:35 | - | - | - | - |
育てよう、健全信徒(19)〜河本兄弟
 夜遅くに、ジャニーズの二人組みが中心となり、ミュージシャン系のタレントを集めて、トークあり、音楽ありのバラエティー番組があるそうです。その番組名は「堂本兄弟」であります。

 そんな楽しく笑って歌っている場合でないのが、河本兄弟。では、河本兄弟とは、どのようなクリスチャン男性でありましょうか?それは 「年収5千万で、母親が生活保護」との見出しで、週刊誌にスクープされ、問題視され始め、過剰と思われるバッシングを受けながら、謝罪会見まで開き、結果的には生活保護不正受給問題の深刻さを国民に啓発することとなったお笑いタレントのごとく、親の扶養義務を軽んじる兄弟(男性クリスチャン)のことであります。

 クリスチャンたるもの、親の扶養義務を怠るなど、もっての他であります。十戒の「父と母を敬え」とは、単に親への敬愛を命ずる精神論にとどまりません。また、エペソの6章1節で、引用されているように未成年の子どもが、主にあって親に従うことのみを意味しているのでもはありません。あの出エジプトの旅の中で、命じられた十戒の「父と母を敬え」の意味は、大人である者が年老いた両親の扶養義務を果たすことでした。もっとリアルに言えば、荒野に捨て去らないことだったようです。

 イエス様ご自身も、あの十字架の苦しみの中で、年老いた母マリヤの扶養義務を、弟子ヨハネに託し、果たされました。父母を敬い、扶養義務を果たすことは、それ程、重要で本質的な神様のみこころなのでしょう。

 聖書が明確に示し、イエス様も模範を示されたのですから、高齢化社会にあってクリスチャン達が親の扶養義務を果たすことは神様の御心であります。そして、それはこの時代と社会にあって大きな証しともなるでしょう。

 というわけで、話題となってしまった某お笑いタレントのごとく、クリスチャンでありながら、親の扶養義務を軽んじたり、扶養可能なのに義務を怠るような「河本兄弟」には、十戒の真意とイエス様の模範を示し、悔改めていただきたいものであります。

 今回の事件を期に、教会では、生活保護不正受給だけでなく、クリスチャンとしての両親扶養義務も確認され、「河本兄弟」がもし、いたなら、悔改めの結実をと願います。やはり、クリスチャンたる者、次長や課長レベルでなく、社長レベルの忠実さで、親の扶養義務を果たしたいものです。
| ヤンキー牧師 | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 21:44 | - | - | - | - |
君もフェイスブックで、大島優子と友だちになれる!・・・・かも?
 フェイスブックを始めて、1年と少しでしょうか?適当にリクエストを承認していたら、友だちが900人を超えました。ただし、フェイスブックについては全くやる気なしで放置状態です。

 フェイスブックについては、6,7人先までいくと、オバマ大統領やハリウッドスターと知り合いになれると御聞きしておりましたが、そんなのは理論上のことに過ぎないと思っておりました。しかし、以前、仏教の僧侶の方から、友だちリクエストをいただき、承認。すると、友だちとして、某有名ベテラン女優が紹介され、驚きました。

 つい先日も、ある方から、フェイスブックに友だちリクエストをいただき、承認。この方、特別な地位の方ですが、私は、クリスチャンだとは知りませんでした。すると、友だち紹介として登場したのが、何と「大島優子」であります。

 これは、「なりすまし」に違いないと思ったのです。もしかすると新手の「会いたかった、会いたかった詐欺」かもしれないと危惧。大島優子になりすまし、友だちリクエストを承認し、連絡を取るたびに高額の手数料を請求されるとか・・・・・。

 しかし、本物のようなのです。つまり、この男性クリスチャンは、大島優子とフェイスブック上で、お友達だということでしょう。お立場からしてありうる方ですから、納得。アンチAKBの私は当然、友だちリクエストもせずのまま(しても承認されるはずがありません)。

 というわけで、大島優子の友だちと友だちになれたわけです。大げさに言えば、大島優子と友だちになる一歩手前?まで来たのですから、フェイスブックというのは、恐ろしいシステムであります。

 君もフェイスブックで、大島優子と友だちになれる!・・・・かも?実際は、せいぜい、私同様、友だちの一歩手前まででしょう。
| ヤンキー牧師 | お笑い・ジョーク | 17:42 | - | - | - | - |
「老害」転じて、「老益」と為す聖句、ヘブル13:7
 戦後のキリスト教界をリードしてこられ、多くの信徒や後輩牧師夫妻の尊敬を受けてきた主の器が、その生涯の最後に残念なことに・・・・・。そうした事例は少なくありません。そうした事例について、以前、一人の牧師が私にヘブル13:7を示してくださいました。

 「神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」

 これは直接には、指導される側に語られた言葉です。しかし、指導者の側から読めば、指導者は、その「生活の結末」を「その信仰にならいなさい」と神様から、後輩に向けておっしゃていただけるようにするのが責任でしょう。「生活の結末」という言葉は、新共同訳では、「生涯の終わり」と訳されております。

 信徒に模範を示すという面から、神様は指導者の「生活の結末」「生涯の終わり」を極めて重大な評価基準としているのではないかと思うのです。

 目を見張る働きをされながら、晩年に不祥事や逸脱行為、真の悔改めも和解もなく終わる伝道者生涯。

 団体を代表するような大規模教会を建て上げながらの教会私物化とその後の衰退。
 優れた教会形成をされながらも、後継の準備をすることなく過ごし、後継牧師の代には、礼拝出席者半減

 団体のリーダーとして活躍し続けながら、退くタイミングを逸し、老害によって団体を苦しめ、衰退させる大御所牧師。
 
 こうした残念な現実から目を背け、群れの功労者を賞賛する文化がキリスト教会にはあるように思います。あるいは残念な「生活の結末」については「皆知っているけど、口に出さない」のが大人の態度ということも。公の場では、ちょっと本音を漏らして、「素晴らしい先生でしたね、最期はちょっと残念でしたけど」程度の会話となるでしょうか。

 私はこれまで、「たとえ、最期は残念でも、それまでの功績まで否定してしまっては、いけないだろう。一応分けて考えるべき」と世間の常識、あるいは、キリスト教会の文化に立っていました。しかし、一人の牧師からヘブル13:7を示していただき「本当にそれでいいのか?」「神様の視点は違うのでは?」と悩んでしまいました。

 恐ろしいことですが、「最後はチョット残念だったけど、偉大な伝道者生涯だった」との全体評価は神様の目からありうるのか?と考えてしまったのです。聖書は指導者は模範を示すべきであり、付与される権威も、群れの模範となるための権威であると明記しております。

 その上で、この聖句を神様の評価基準とするなら、信徒の模範を示す、倣うべき信仰を示すという点においては、「最後は残念」は「全体的に残念」とまではいかなくても、、その指導者の生涯の全体の評価をかなり低くするのではないでしょうか?

 「終わりよければすべてよし」というのは極論でしょう。しかし、どうもヘブル13:7によれば、「終わりよくなければ、かなり悪し」のように私は読めるのですが、どうなんでしょうね?

 「老害」という言葉はキリスト教界でも、けっこう囁かれている言葉です。その信仰にならえないような生活の結末を送るなら、それは霊的世界における老害に他ならないでしょう。

「神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」

 しかし、このみことばを生涯の最終ステージで、自らに適用できる指導者は、「老害転じて労益となす」となること間違いなし。「老害」という言葉はあっても「老益」という言葉はありませんね。でも、思うのです。後進にとって信仰の模範となるような生活の結末を送れたら、それが指導者として、まさに「老益」。伝道者生涯の完走と言えるでしょう。

 伝道者生涯、最後のミッションは、「自分の信仰にならってもらえるような生涯の終わり方」をすることでしょう。私自身、みことばの前にビビリながら、晩年はいよいよ妻や周囲のクリスチャンの声に聞き従わなくては!痛感しております。

 と言うわけで、このヘブル13:7が日本のキリスト教界において、「老害」転じて、「老益」と為す聖句として用いられるように願っております。
| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 18:20 | - | - | - | - |
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