命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
夫を責めるなら、腹八分目で
 賢明な既婚者女性や人間的にもと成熟した妻たちから、よくお聞きする言葉にこんなのがあります。

「また、夫を責めてしまった。」
「夫を追い詰めてしまうのが自分の課題」
「いけないと思っていても夫をどうしても責めてしまう」

 そうおっしゃって、嘆いたり、反省したり、自己嫌悪に陥ったり、というわけです。こういう発言をお聞きするのは賢明、あるいは成熟した既婚者女性ばかりです。賢明で、成熟しており、男性理解と自己客観視能力があるから、そうなるのです。夫を責めたり、追い詰めたりすることで、自分が問題解決を妨げているという自覚があるのです。あるいはそれによって、夫婦関係が良くならないのを分かっていながら、してしまう自分の問題に向き合っているのです。夫の方が悪くても、自分の側の問題を自覚している点で、ある意味レベルの高い悩みというわけです。

 大変なのが、「夫が悪いのだから責めて当然」「追い詰めないと気がすまない」「それが悪いとは思わない」という妻たちであります。夫が同じ問題を繰り返し、改善しないことの一因が自分にあることを自覚したり、認めたりしないのですから、いよいよ問題は深刻化しかねません。

 一方的に責められたり、追い詰められたりすると、誠実な夫であっても、愛情や妻のため努力する意欲を失います。自分や事態を改善する気持ちが萎えるものです。女性から見れば、勝手な言い分でしょうが、これが多くの男性の現実です。なぜか、そうなるのです。

 不誠実な男性になってきますと、追い詰められると手負いの熊状態になりかねません。一発逆転勝利を狙って肉体的暴力に訴えたり、言ってはならぬ欠点の指摘、結婚を壊しかねない発言などの暴言を吐きます。こうなると夫婦喧嘩は破滅的方向へ。

 もっと困った男性はこうした妻に嫌気が差し、癒し系女性や自分を理解し受け止めてくれる女性対して、浮気心をいだいていくそうですよ。これを実行すれば結婚は事実上の破綻でしょう。

 ですから既婚者女性へのおすすめは、「夫を責めるなら腹八分目」ということ。

 夫を責める始めると、多くの妻たちは、夫や結婚関係の改善など、本来の目的を強い感情の故に忘れてしまいます。その結果、夫を責める言動は、「目的達成型」から「感情発散型」へと変質。感情発散が目的となれば、自分がスッキリするまで、あるいは相手がペシャンコになるまで、責め続けてしまいます。そして、追い詰めてしまう結果に。

 満腹になるまで責め続ければ、妻は一時的満腹感。しかし、夫の側は、改善するエネルギーを奪われてしまいます。それどころが逆に、逸脱行為への誘惑を産んでしまうことも。

 というわけで、賢明な妻の皆様は、どうか、夫を責める時には、腹八分目で、夫に改善の余力を残してやって下さい。感情に支配される前に、深呼吸でもされて、本来の目的を確認されてはどうでしょう?

 何?男の身勝手だって?その通りでしょうが、動かしがたい現実として受け止めていただければ幸いです。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 22:56 | - | - | - | - |
女性が結婚について信じている嘘
 最近「女性が信じる40の嘘」(いのちのことば社、2000円+税)を購読。大変、教えられました。そして、「これ、あるある!」「聖書と正反対のこの嘘、信じてるクリスチャン女性いるいる!」そんな心の声が連発。同時に「この嘘、男性クリスチャンも信じてる」という内容も。エデンの園で蛇の嘘を信じてしまったエバ以来、女性は嘘の言葉に騙されやすいという主張を前提にした書物。(私はアダムも五十歩百歩だと思いますが・・・)

 これはクリスチャン女性にはお勧めですね。めちゃめちゃ分かりやすくて読みやすいです。しかも、一つ一つの嘘の反論にがしっかりと記されています。

 女性が「神」「自分」「罪」「優先順位」「結婚」「子ども」「感情」「境遇」について信じている嘘を列挙し聖書の真理とそれを実証する証しで反論するという至ってシンプルにして力強いアプローチとコンセプト。

 本ブログ的に面白いのは「女性が結婚について信じている嘘」。その嘘の内容は以下の通り。
「幸せになるため夫が必要だ」
伴侶を変えることは私の責任だ」
「夫が私に仕えるのは当然だ」
「夫に従えば、私はみじめになる」
「夫が消極的なら、私が主導権を取らなければならない。そうしなければ何もできない」

 アメリカ的だなーと思う項目もありますが、どうでしょう?これらの嘘の幾つかを信じてませんか?既に嘘に騙されて、それを実行に移して結婚生活を継続してきた、これまでの女性としての人生を歩んできたなどということはないでしょうか?そうした方は、今からでも遅くありません。是非とも、嘘に騙されていたことに気がついて、聖書の真理を選び取り、本来の人生や祝福された結婚生活への軌道修正をしていただければと願います。

「夫に従えば、私はみじめになる」の項目にはさらに下位に次のような「服従についての嘘」が四つ記されており、聖書によって嘘であることが暴露されています。

「妻は夫より劣っている
「夫は妻のかしらとして、妻に厳しくしたり、独裁的にふるまうことをゆるされている」
「妻は夫にアドバイスしたり、意見を言ったりしてはならない」
「夫はいつも正しい

 どうも日本のクリスチャンの結婚理解の中には、封建的な男尊女卑を福音で接木したような要素があるのではないか?と常々危惧をしております。クリスチャン妻たちの結婚に対する満足度の低さの一因もそこにあるのではないかと時々思ってしまいます。 

 残念ながら、日本のクリスチャン妻の中にはこうした嘘を信じてしまっている方も少なくないのでは?男性にとっては都合のよいこうした嘘を巧みに利用している悪質なクリスチャン夫もいるとかいないとか・・・。この嘘の四つともを信じているクリスチャン夫婦がいたら、それは「クリスチャン夫婦のカルト化」と表現してよい程、反聖書的で不健全ではないか?とすら私は思います。

 個人的にはアメリカ的、保守的傾向が強いかな?とは思いますが、トータルとしては、大いに評価したいです。聖書の真理は女性を解放します。真の女性解放は聖書にあるのでしょう。

 是非、ご一読を!これを読んで、世にも悪魔にも男性にも騙されない「曲げられない女」「まっすぐな女」になりましょう。嘘に騙されていたことに気がつき、真理を選択し、女性としての主にある解放を体験されますよう願っています。

 同著の検索はこちらから。
http://www.wlpm.or.jp/pub/index.htm
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 09:12 | - | - | - | - |
愛されない妻か?愛されるお妾さんか?
 今年、生誕100周年だとかで、注目を浴びたのが太宰治。先日、車内のラジオから太田治子さんという方が父親にあたる太宰を語るのを聞きました。太田治子さんは、既婚者であった太宰治とその愛人太田静子の間に生を受けた方。

 没落貴族を描き最高傑作との評価を受ける「斜陽」は太田静子さんの日記を元にした作品。太田静子さんは、お金持ちのお嬢様で、クラッシク音楽と西洋の名画を見ながら育った方。

 その太田静子さんが中学生の時に語ったのがタイトルの内容。「私は、愛されない妻よりも、愛されるお妾さんになりたい」と中学生にして友人に語っていたというのです。娘の治子さんは「母は世間知らずでそんなことを」とおっしゃっていました。確かにその通りでしょう。文学や芸術にかぶれて観念の世界での生意気な発言には違いありません。

 しかし、どうでしょう?では、実社会に出たら、この見解は確実に変るのでしょうか?結婚したらこの選択は変ると言い切れるでしょうか?

 そう考えますと、愛されない結婚の現実を、観念的な知識に過ぎなくても、中学生にして悟っていたのは、当時としては、ある意味周囲の女子中学生よりは世間を知っていたと言えるのではないでしょうか?

 「愛されない妻たち」の中には、「愛されるお妾になりたい」という女性もいるのでは?どちらかを選ぶとしたら、後者を選ぶ妻たちも、圧倒的な少数派とは言い切れないでしょう。

 逆に、「愛されているお妾さんたち」の中には、「愛されなくてもよいから妻の座」に尽きたい方も、かなり存在するに違いありません。

 こんな問いをされたらどうでしょう?
「究極の選択!女性であるあなたは、生涯を愛されない妻で過ごすか?愛されるお妾さんで過ごすか?二つに一つ、どちらをとりますか?」

 これは私個人の推測に過ぎませんが、この問いについては、「クリスチャン女性でも、正直迷うのでは?」と思います。「クリスチャン女性なら愛されなくても妻の方だろ!不倫は罪だから」と断定的に考えるクリスチャン男性は、もしかしたら、女性理解が浅いのかもしれません。

 この究極の選択が意味しているのは、大げさに言えば「愛」と「義」の二者択一と言えるでしょう。「愛なき義」と「義なき愛」のどちらを選択しますか?という問いに置き換えられるのでしょう。

 結婚は神様の前に義なる関係ですが、そこにがなければ、残酷で乾き切った砂漠のような世界です。愛人関係の中で女性が愛情実感を得ることは可能でしょう。しかし、それは罪の関係であり、本物の喜びと幸福はありえません。

 今の日本社会には、その意味で「愛なき義」としての冷め切って形骸化した結婚か、「義なき愛」としての不倫関係、婚前関係があふれています。イエス様の十字架が「愛と義」の二律背反の奇跡的統合であるように、結婚もまた、愛と義の二律背反の奇跡的統合ではないか?と思いました。

 私たち罪人にとって、結婚がなぜ苦痛で重荷であるかは、ここに回答があるように思い至った次第。罪人が本当の幸福がそこにあることを認めず、そのための努力をせず、そこから逃避しようとするのが「結婚」。私たちどうしようもない罪人は、愛なき義か義なき愛、冷めた結婚か不倫・婚前関係に走りやすいのでしょう。

 自信をもって言えることは「愛されている妻が最も幸せ」ということです。愛と義が両立してしますから。少なくとも既婚者男性は、「愛されない妻」をさせてはならないはず。妻の側も「愛される妻」になるための聖書に立った具体的努力(その一つは夫に従うこと、その言葉を重んずること)ができるはずです。 
 
 罪人にとっては苦痛を伴う努力を要する「愛と義の二律背反の奇跡的統合」である結婚。これに聖書の教えに立って、ご聖霊の助けによって日々チャレンジすることこそが、御心、そして既婚者にとっての幸福への王道に違いありません。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 08:18 | - | - | - | - |
「癒し系妻」or「威圧系妻」
 いつの間にかシリーズになっていた「妻」シリーズも今回が最終回。

 最近の癒し系ブームを受けてある中学生男子が詠んだこんな川柳。

癒し系、うちのおふくろ 威圧系

これが親子バージョンだとすれば、夫婦バージョンはこなるでしょう。

癒し系、うちの嫁さん 威圧系

 ストレスの多い日本社会、傷つけあいながらの競争社会、働く既婚者男性たちが求めるのは「癒し」。わがままと言われようが多くの男性が求めているのは事実として「癒し系妻」でありましょう。しかし、そんな妻はまず存在しないのであります。ある程度「癒し系」の要素はあっても「威圧系」の傾向が強いのが現代の日本の妻たちなのでは?

 これは、あくまで私の仮説なのですが、以下のような悪循環があるかのように考えています。

 (育児において父親の協力が得られないため)母親が男児を自立に向けて育てない
自立不足でリーダーシップの取れない成人男性となる
→結婚してもリーダーシップの取れない夫にいらだつ妻
→夫のリーダーシップを育てようとせず、自分が主導権を握る
威圧系妻として家庭内に君臨
→威圧系母親が男児を育て、自立不足にしてしまう・・・・・

 高度経済成長期以来、男性の家庭での教育機能が失われ、こうした悪循環が世代を超えて継続しているのでは?と考えております。

 また、威圧系妻は大きな問題や危険をもたらします。以前もブログで特集したように、また聖書が描いている男性像の通り「男はスケベで幼稚で弱っちい」ですから、威圧系妻に君臨されると逸脱行為に走りかねません。家庭の外に「癒し系妻の代理」を求めます。それは職場の女性部下や飲み屋のお姉さんかもしれません。中には妻の威圧振りを愚痴ったり、それで同情を引くどうしようもない夫たちも。

 自分がリーダーシップを取れないから、妻に代わられて威圧系にしてしまったのに、威圧系になると逸脱する・・・・。本当にどうしようもないのですが、それが男性の現実なのも間違いなさそう。

 まあ、賢明な妻たちが「威圧系」になり君臨する前に、忍耐をもって夫がリーダーシップを取れるよう励ましたり、育てたりするのが最善策。「夫育てもかい!」「子育てだけで十分じゃ!」との声もあるでしょうが、夫も妻育てをするのですから、ご理解を。何とも不条理、不平等、理不尽かとは思いますが、世代を超えた悪循環を作り出さないためにも、また、それを自分の世代でストップさせるためにも、そうした努力を心がけてみてはどうでしょう? 

 「威圧系妻」の皆さん、「癒し系妻」にはなれなくても、夫を育てて活かす「活かし系妻」にはチャレンジなさってみては?
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 15:17 | - | - | - | - |
サディスティック・妻・バンド
 先日、お亡くなりになった加藤和彦さんがかつて結成していたのが、「サディスティック・ミカ・バンド」。どうもこのネーミングはあの「プラスティック・オノ・バンド」のパロディーらしいです。そして、さらなるパロディーがこの「サディスティック・妻・バンド」。

家族をバンドにたとえると妻がサディスティックなのです。家庭の中で夫と子どもから出てくるのは「ごめん」の言葉。子どもは母の、夫は妻の機嫌を見ながらの生活。このバンド、萎縮してしまい音楽表現が乏しいです。自由さもパワーもないバンドであります。


 結婚問題の悩みでよくお聞きするのが、「夫婦に問題があるとすぐに主人を責めてしまうのです」「夫を追い込みたくなってしまいます」「責めると逃げると分かっているのにやってしまう」「主人が改めようとしているのに、応援しないで責めてしまう」「問題解決より主人を苦しめたい思いが強い」などなど。

 いずれも、クリスチャンの妻たちからの訴えや嘆きです。どうも、日本の妻たちは、夫の非や欠点を責めたがる傾向があるようです。私がお聞きする結婚問題は圧倒的に夫の側に問題原因が多いケースです。では、そうした夫を持つ妻たちが夫の改善努力を認めて、応援するかと言えば、そうとは限りません。

夫が悔改めて早く帰宅すれば皮肉を言ってしまう。
夫が会話をする努力をするが、うまくいかずに妻が夫を責めて終わる。
夫が改善努力をしているのに「やっぱりだめ」「これからもだめ」と責める。

 既に夫婦関係で傷を受け続けて、怒りを溜め込んでいるのか?
夫からの愛情実感を得られずにそれが、欲求不満となり愛してくれない夫への攻撃性に転じているのか?
今までの事を赦して、夫の努力に期待するのが、不条理で損に思えるので、無意識のうちにも夫に復讐行為をしているのか?
夫がどこまで責めても、自分を愛し改善努力をするのかを測るテスト行為なのか?
妻が望みどおり家庭で主導権をとりながら、リーダーシップをとれない夫への不満を深めているという自己矛盾があるのか?
自分の側の問題を隠すために相手を先制攻撃しているのか?
そもそも現代日本社会では既婚者女性は孤立しやすく、攻撃性を持ちやすいのか?

 様々な仮説を考えるのですが、どうも一般化できず、夫婦それぞれのようです。いずれにせよ「夫を愛している、夫婦間の問題解決を望んでいる、でも夫を責めてしまう」という現象はクリスチャン夫妻にも時にお見受けするようです。

 こうした場合は、夫婦問題の原因が夫に90%で妻に10%であり、夫が真剣に自分の問題を認めて改善努力しても、このように夫を責めると妻の10%が、夫の努力を台無しにしかねません。

 私は結婚カウンセリングの専門家ではないので、そうした行為の原因を特定し、本当の問題に気がつかせ、むき合わせるだけの力量はありません。「問題を認めて、改善しようとする夫の味方をしてあげて下さい。それを自分の感情の処理より優先してみては?その努力が夫婦関係の改善になると思います。」程度の浅いお話しをしているレベルです。

 働きでの必要も覚えながら、現在は名古屋でもたれる丸屋先生の家族カウンセリングのセミナーを受講中。いつか「サディスティック・妻・バンド」を自由で力強いバンドにするお手伝いができたらと願っています。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 09:43 | - | - | - | - |
マジカル・ヒステリー・妻
 お分かりいただけないと面白さも半減なので、一応説明しておきましょう。タイトルはビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」のパロディー。世の夫たちにとって、妻が「マジカル」で「ヒステリー」で受け止めがたいものとしばしばなるとのお話し。

 最近、ある方からお聞きしたお話し。アメリカ人夫婦はよく話し合い、アメリカ人男性は女性との会話に努力するというのはどうも本当らしいです。では、日本人女性と結婚したアメリカ人男性はどうなのでしょう?夫婦の会話のために努力する姿勢を持つ、アメリカ人男性も、会話をしたがらない傾向にあるとか。

 日本人女性と結婚してそうなったしまったアメリカ人男性たちはその理由をこう語るのだとか。「あんなヒステリックな話し方は耐えられない」

 日本の夫婦の会話の不毛や心が通じ合わない原因の多くは男性にあると常々思っています。男性が会話の大切さを理解せず、心通じ合うことなど求めず機能的な関係で充足していしまうことに、最大の原因があるように私は考えています。

 しかし、こうした事例からは、妻の側の問題点も浮き彫りにされるのでは?特別、日本の女性が感情的でヒステリックだとは思えません。

 日本の女性たちは、アメリカ女性ほど個が確立しておらず、自己主張がしずらい日本の社会の中でヒステリーにつながる感情抑圧が多いのでしょうか?それとも、アメリカ人の女性は、夫婦の会話については日本の妻より成熟しており、夫の心情や受容度や準備状況を考慮して、感情を伝えているのしょうか?
 
 いずれにせよ自分の感情解消だけのための会話、それは、自己中心であり、むしろ、夫婦の関係を破壊するもの。どうも、日本の女性の場合、感情の伝達が相手への感情転移や攻撃になりやすいように思うのですが、どうでしょう?

感情伝達」と「感情転移」は違います。
感情を伝える」のと「感情をぶつける」のは違います。
「夫に感情の受容を求める」のと、「夫をストレス発散のゴミ箱にする」のとは違います。

 後者の現象が起こるとき、夫は心を閉ざします。夫にとって妻は「マジカル・ヒステリー・妻」となります。理解不能レベルで感情的状態になっており、もう対処不能。考えるのは嵐が過ぎ去るまでの忍耐か、逃避のみ。

 それは夫婦の会話ではないからです。後者が続くと、夫は会話を避けたがり、帰宅が遅くなったり、帰宅しても個室にこもったり。

 夫婦の会話や心の通い合いに課題を覚えておられる既婚者女性の皆さん、ご自分が「マジカル・ヒステリー・妻」になっていないか?まずは、自己チェックを。夫の側に責任が90%あったとしても妻の側の10%から手を付ける事をお勧めしますぞ。

 それができていないために、夫の改善意欲をそいだり、改善努力を減退させているケースもしばしば。「相手は変えられないが、自分は変えられる!」これは夫婦関係にもっとも当てはまる原則でしょう。まずは、自己チェックを。それから夫の問題の改善を考えましょう。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 14:04 | - | - | - | - |
妻へのチャンレジとしての「ごめんなさい」
 大津では公立の保育園で育児講演。三つのポイントは数式で「夫婦>親子」「子育て=子別れ」「男親≠女親」と表現して、聖書抜きでの講演。(実は聖書の創世記2:24から導き出される三つの公式)

 一つ目のポイントでは、子どもの健やかな成長の基本は安心。「この家にいていいんだ」「この家庭に生まれてきてよかった」という心からの深い実感。そのためには、夫婦が親密で信頼しあっていることが大切とお話し。

 当然のごとく出てくるのは、「信頼関係を作ろうにも夫と心通じ合う会話ができない。どうすればいいか?」との質問。私の答えは以下のようなものでした。

 日本社会で育った男性のほとんどは「心通わせる会話」や「感情交流」などできません。まあ、(女性の基準からすれば)人格欠損者くらいに思って下さい。また、夫たちは妻に軽蔑されることを恐れて、大切な感情を話すことができません。ですから、男性側から解決をすることは極めて困難です。

 ここは妻の側が大人になって、「どんなことでも話してちょうだい。決してあなたを見下したりしないから」と先に申し出ることをおすすめします。そうして「心の会話」ができるように夫を育てることも、(本当は夫婦相互の成長を願っていますが)妻の使命くらいに思ってみてはどうでしょう?

 そこで、さらに「どうしたら、夫は心を開いて話してくれるか?何から始めればいいでしょうか?」とのご質問。

 私の回答は、またも妻にばかり負担を強いるもの。

 基本中の基本は、「ありがとう」と「ごめんなさい」。これをちゃんと夫に言っていますか?特に「ごめんなさい」を素直に言わない妻は夫にとってはきついですよー。多くの夫たちは、とても、妻に心を開く気になれません。

 と、極めて男性本位のアドバイス。

 講演後には、保護者の代表である母親から、お礼の挨拶をいただいたのですが、その中の一つの言葉に教えられました。

 妻であるものにとって、「ごめんなさい」を言うことは大変なチャレンジではありますが・・・・。

 ああ、やっぱりそうだったんだー。妻から見れば、幼稚で未熟で勝手で卑怯と思えてしまう夫に素直に「ごめんなさい」を言うことはどんなに大きなチャレンジでしょう。

 でも、がんばりましょうよ。賢明な女性にはチャレンジしていただきたいのです。よい夫婦となるために。子どもを夫婦の犠牲としてしまわないためにも。

 妻である読者の皆さん、夫に心から素直に「ごめんなさい」言えていますか?

 夫である読者の皆さん、妻が素直に「ごめんなさい」を言えるような夫を目指しましょうよ。(何?「おまえもなー」だって?悔しいが、その通りじゃ!)
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 10:35 | - | - | - | - |
「ご主人と一緒に聞きましょうね」
私は時々、夫婦関係や子育て、家庭形成について教会などでお話しをさせていただきます。私が去った後に、教会の牧師が女性の信徒からよく聞く言葉、それは・・・・。

 「主人にも聞かせてやりたかった」

 つまり教会や集会の現場に夫がいなかったので、聞かせたかったということ。これは夫がクリスチャンであるなしにかかわらず、よくあることです。

 この夏、家族問題で講演をさせていただいた教会の牧師も「主人にも聞かせてやりたかった」と女性信徒から、言われたそうです。講演を録音したものを夫に手渡しで聞かせようとしている女性信徒に対して、賢明なその牧師はにこう応答したそうです。一言・・・。

 「ご主人と一緒に聞きましょうね

 この牧師、さすがです。何が問題か、何が大切かを深く理解しておられます。たった一言でそれを伝えておられます。その女性クリスチャンが牧師の真意を受け止めてくれた事を願うばかり。私なりにこの件で考えさせられたことを以下に記してみます。

(1)一緒に聞こうと思わないことが示すもの
 クリスチャンである妻が夫と共にみ言葉の前に問われる事から逃げているのかもしれません。
 既に、何かを共有したり共感したり、分かち合うことのできない夫婦関係になっているのかもしれません。
 自分が悔い改めて変る事より、夫が悔い改めて変ることによって、夫婦関係がよくなる事を願っているのかもしれません。それはどうかと思います。夫の側に99%の原因があっても妻の1%から改善すべきでは?

(2)夫一人に録音したものを聞かせるとどうなるか?
 予想するに、よほど謙虚な夫でない限り、大きな反発や抵抗を覚えて自分を変える事をより強固に拒むのでは
 こうした形では神様の前に自分が問われるのでなく、妻が牧師や御言葉を利用して普段自分に言えないことを伝えよう、自分の非を責めよう、変るように操作しようとしていると受け取られてしまいます。

 日本の家庭では夫の側に問題の原因が多いことがほとんどかと思います。「主人に聞かせてやりたい」と思ってしまう妻達の気持ちもわからないわけではありません。そう思われるのも無理はないこと。
 でも、その感情から一歩踏み出して、夫婦関係をよくするために、主からの知恵をいただいてチャレンジしてみませんか?私なりに一つの提案です。

(3)では、どうするか?
・「聞かせてやりたい」「聞いて欲しい」でなく「夫婦関係や家庭についてのいい講演があったの。一緒に聞いてくれたらうれしいわ」などでいきましょう。命令・強制でなく「お願い」です。ポイントは「うれしいわ」です。

・必ず他の事はやめて、じっくりと一緒に聞く。夫をさばく気持ちや夫が変ることを願うより、自分に対しての言葉として聞く。その真摯な姿勢に「み言葉を敬わぬ夫」であっても、影響を受けるでしょう。

・聞き終わったら、妻が先に教えられたことを話し、悔い改めたことを告げて、必要なら夫に謝り改善を約束する。

・それを受けて夫の側も、反省、謝罪、改善の約束が結果として出てくるのでは?

 大切なことは以上をテクニックやポーズでなく、よい夫婦になることを願い心を込めてすることでしょう。


 「愚かで頑なでプライドばかりの夫のために、どうして私がここまでいなくちゃいけないの!」との思いはごもっとも。でも、そう思ってしまうなら、そこで夫婦関係の改善はストップしてしまうかも。

 また、これは男尊女卑ではないと思います。「うちの奥さんにも聞かせてやりたかった」と男女が逆転する場合もあるでしょう。基本は先に御言葉の前に問われた者が、次のステップとして夫婦が共に御言葉の前に問われて、分かち合い、関係の改善をするということです。

 「主人に聞かせてやりたい

 そう心の中でつぶやいたり、言葉に出しておっしゃっているクリスチャン妻の皆さん。今回の記事が、夫婦関係の改善や夫の救いのために役に立てば感謝です。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 09:18 | - | - | - | - |
夫を変えた妻の決断(4)
 本気になった妻ほど、神に用いられるものもないかも。本気モードの妻の影響力は、殉教覚悟の伝道者並みのものだと私は思います。神様は夫の救いのためには、妻の本気を、有力伝道者並みに用いてくださるもの。今日はそうした事例を(以前にも紹介したもので恐縮ですが)三つほど紹介。

(1)ノンクリの彼と交際していた一人のクリスチャン女性。彼女の確信は「自分はクリスチャン男性としか結婚しない」というもの。当然、彼の救いが結婚の大前提。そんな彼女が彼氏の救いを熱心に神様に祈る中で、神様から問われた一つのこと。それは、

 「彼が救われるためなら、あなたは彼のために死ねますか?

 「死ねます」とすぐさま答えたれなかった彼女。自分の愛の乏しさを悲しみながら成長。やがて「彼が救われるためなら、私はいのちをとられても構いません」と神様に本気の宣言。神様は彼女の本気を通して働かれ、それからしばらくして彼は受洗。今はある教会を中心的献身的に支えるクリスチャン夫妻に。

(2)夫より先に救われたクリスチャンの妻。夫の救いを願うが、夫は実業家で大成功の大金持ち。お金が偶像。その妻はこう祈ったそうです。

「主人はお金が神様。会社が潰れなければ主人は救われないでしょうから、どうか、神様、会社を倒産させてください

 まもなく見事に会社は倒産。それを機に、夫は求道。当然、家族は大変な生活に。しかし、夫は救われ、このご夫妻は後に牧師夫妻に。「子どもの頃に債権者が家にやってきて家財道具を差し押さえた場面は今もトラウマ」と語る娘さんたちも、今は牧師夫人に。

(3)同じく夫より先に救われた妻。夫の救いを祈りながらも、一つだけつけていた条件が。それは「夫は職人気質で、これと決めたら一直線。夫は救われたら、きっと献身して伝道者になるでしょう。神様、それだけは困ります!私は伝道者夫人にだけはなりたくないのです」という祈り。

 しかし、その唯一の条件が夫の救いを妨げていていたと示されたその女性。祈りをシフトチェンジ。

 「主人が救われるためなら、私は伝道者夫人になっても構いません。どうか、主人を救って下さい!」

 この証しを聞いた数年後にこの方に出会いました。彼女は私に駆け寄り「主人が救われたんですよ!あんな頑固な人が!」と大喜びでした。それから10年たちますが、彼女は今も、一般信徒です。聖歌の歌詞「条件つけず、降伏せば、勝ち得べし勝利を」の通りですね。

 
 「いのちを捨てても構いません」
会社が倒産しますように」
絶対、嫌な伝道者夫人になってもいいですから」

 握っていたものを手放した時、神様がその空になった手に祝福を注いでくださいました。こんな本気を神様は用いて、愛する彼氏や夫を救いに導いてくださいます。そして、時にそんな妻や女性たちが、ここまで本気になるのを神様は待っておられます

 本気になる必要を覚えながら、それを先延ばしにしておられる読者がおられたら、今日の三つの実例が、背中を押すお手伝いになればと願ってやみません。

もう一度、私なりの見解を繰り返しておきます。

 「女性の本気は殉教覚悟の伝道者に匹敵する」
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 08:35 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
夫を変えた妻の決断(3)
 妻の本気は夫を変えます。時には劇的に変えます。今日は、先日、ある教会でお聞きした牧師先生の実例。

 あるクリスチャン夫婦、夫は社会的に地位もあり、高収入、子どもにも恵まれ、家族で教会に通っていたそうです。外側だけなら、誰もがうらやむクリスチャンホームだったのでしょう。しかし、教会以外での夫の生活は、世の中に妥協しすぎ、証しにならないようなものだったとか。このように夫は世的、妥協的でも妻は本物志向。いつまでも波風立てず、妥協的なあり方を続けることはできなかった妻は、ある時、「妻の本気」を夫に伝えたそうです。

 「あなたの生活はとてもクリスチャンとは思えません。クリスチャンとしての生活をしてください。そうでなければ、もう、あなたとはやっていけません!

 妻から「本気の三行半(みくだりはん)」を突きつけられたこの夫、次の朝、惰性で続けていたデボーションに本気で取り組みます。その朝のデボーションテキストの御言葉は「御言葉を宣べ伝えなさい。時がよくても悪くても」でした。御聖霊が強く聖書の言葉と共に、働きました。何と、その夫は、その御言葉によってフルタイム献身を決断したのです。

 社会的な地位と、年収1000万を捨て去り、神学校へ。彼は妻を愛し、家族を大切にし、命がけで主に仕えるクリスチャンに変えられました。私自身もその教会を訪ね、この牧師家族にお会いしたことがあります。その後にこのお話しをお聞きして、「なるほど」と納得です。

 高収入で安定した生活などに満足も妥協もせず、「あくまでも本物を目指した妻の本気」!神様がそれを用いてくださり、夫をそして夫婦を劇的に変えてくださいました。アッパレ、本気妻であります。

 夫婦関係に悩む妻の皆さん!皆さんは、神様が自分達夫婦を何とかしてくださることを待っているのかもしれません。でも、実際は、神様の方が、あなたが本気になるのを待っておられるのかも?待たされているのはでなく、妻の本気を用いようとしている神様なのかも?

 日本のクリスチャン夫婦を本物にして、クリスチャンホームと教会を建て上げるのは、本気妻たちです!

  クリスチャン妻たちよ、本気妻たれ!
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 09:00 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
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