命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
満たされない高学歴妻と夫の責任

 昨日は久しぶりに「さんまのホンマでっか?TV」を視聴。相変わらず人間理解の勉強となりました。最も驚いたのは、高学歴の母親がママ友に対してのイジメをするケースが多いとの見解。「ママ友評論家」とかいう不思議な肩書きのコメンテーターによれば、こういう論理のようです。

 々盂慘鬚僚性が高学歴の男性と結婚
 △靴し、結婚後の生活が満たされていないと感じている
 Kたされない思いを夫に伝えても聴いてもらえない
 ぜ分の優位性ママ友イジメによって示すという行為に至る

 高学歴の女性には、結婚までは、常に他の女性に対しての優越感を意識のどこかにもっていることが多いのでしょう。しかし、勉強・お仕事の世界と結婚の世界は違います。自分ひとりの努力では、結婚は向上しません。自分だけでなく、相手の努力も必要。勉強・お仕事とは違った相手とのコミュニケーション能力、信頼関係構築力などが問われます。

 こうしてこれまでの「勉強・お仕事」とは違う競技種目をしており、これまでとは異なる努力や意識が必要であると認めて、自分を変えなければ、結婚生活の質は向上しません。とりわけ、専業主婦ともなれば、これまでのように社会で評価を受けず、金銭による報酬もありません。かくして真面目で努力家の妻の結婚生活は不満へ。

 しかし、女性の多くはここで、夫と心が通じ合い、夫の愛を実感できれば、不満はかなり解消されるもの。それどころか、それさえあれば、結婚生活が満ち足りてしまうことも。ここが男性一般とは大きく異なるのであります。

 男性はパフォーマンス志向、女性はコミュニケーション志向。アダムが農夫であったように、男性は仕事を成し遂げることが喜び。しかし、エバが交わりの相手であったように、女性は心通じ合う交わりが喜び。ですから、女性は社会において達成感がなくても、夫との心通じ合う会話によって夫の愛を実感できればかなりの満足。

 しかし、結婚当初の夫はそうした女性の本質が理解できません。高学歴・高収入・長時間労働の男性が、妻の話を傾聴し、思いをしっかり受け止められるか?と言えば、なかなかそうはいきません。少なくとも妻が満ち足りた思いをするまで、実行可能な男性、あるいは聞き上手な男性は少ないことでしょう。

 かくして、結婚生活のどこでも満たされぬ一部の高学歴妻は、自己の優位性を示すため、ママ友イジメに走るのでしょう。ある母親は子どもの名門学校に行かせる、スポーツで活躍させるなど、子どもを通じて、自己の優位性を示そうとします。さらに別の母親は、夫の出世で優位性を示すわけです。時には、夫の以外の男性からの愛を得ることで自己価値確認をしてしまう場合も。

 ママ友イジメ、子どもを通じての自己実現、その結果としての子どもの歪み、不倫・・・。そうした既婚者女性の問題は、真面目で努力家である高学歴女性も例外ではないでしょう。いいえ、むしろ、そうしたあり方しかできない幅の狭さ自分を変える必要を認めないことが、逸脱や問題につながりかねないのでしょう。高学歴の女性には、とことん「結婚」は「勉強・お仕事」とは異なる種目であり、従来の個人的努力の方法やあり方では通用しない世界であることを知っていただきたいもの。結婚という新種目の自覚、ここが一つ目の分岐点。

 同時に、妻の逸脱行為を防ぎうるのは夫の度量や愛であります。論理や内容を欠き、感情の羅列としか思えぬ妻の話を、問題解決目的でなく、心を通じ合わせる目的でしっかり傾聴することでしょう。気持ちを受け止めてもらえたと実感できれば、多くの女性は満ち足りて、頑張っていけるようです。夫婦の会話!多分、ここが二つ目の分岐点なのでしょう。男性には結婚1,2年以内に、このことに気がついて実行していただきたいもの。3年を過ぎると夫婦関係が硬直してしまい変えがたいものですから。

 残念ながら、教会に集う高学歴の女性にも、時々、同様の傾向を見ることがあります。それが、当人の人格的ひずみ、向き合わぬ夫婦関係子どもの心理的、信仰的歪み、教会内の女性同士の人間関係トラブルなどにつながってしまうように観察しています。問題の本質はクリスチャンであるかなしかに無関係なのでしょう。

 本ブログで繰り返し訴えておりますように、「学力」の国際的定義は「市民社会に参加する力」です。「お勉強ができること」「点数がとれること」が「学力」ではないのです。むしろ、学力の本質の一つは人間関係の構築力、コミュニケーション力でありましょう。そして、それが市民社会への参加だけでなく充実した結婚生活にも結びつくもの。

 逆に言えば、高学歴であることは仮想優越感当人と周囲に与えかねません。つまり、高学歴であっても高学力とは限らないという事実があるからです。日本の社会では、高い学歴はその人の人格的欠点を隠します。その人のある分野における欠落を見えなくします。その結果、高学歴クリスチャンの結婚破綻や結婚後の逸脱行為を、当人も周囲も予想できずに、いざ、ことが起こると衝撃を受けてしまうという事例も。

 真面目で忠実な高学歴クリスチャンカップルですと、指導者や周囲も、課題を指摘しづらいもの。実際に愛をもって指摘しても、硬直したあり方以外に想像もできず、理解してもらえなかったり、逆切れされことも。その結果、放置されてしまうと、結婚関係は悪くなりがちで、最終的には、ひきこもり、情緒不安など子どもが犠牲者にもなりかねません。

 真面目で努力家で信仰的にも忠実な高学歴の女性の結婚生活、その落とし穴を教えられた気がしました。ポイントは妻の意識改革と夫の会話努力。そうした事例の理解、対処の一助としてこの記事が用いられたら感謝です。 

  

| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 15:01 | - | - | - | - |
夫の栄養源は妻の褒め言葉、妻の栄養源は夫の愛(下)
 夫の栄養源が妻の褒め言葉なら、妻の栄養源は夫の愛情であります。妻が夫から愛情実感をできないと男性とは別の問題が生じます。妻たちは夫に向けるべき愛情や関心子どもに向けてしまいます、するとその愛は過保護や過干渉になり、子どもの成長と自立を妨げてしまうわけです。また、夫が自分の母である姑より、自分を優先していないと思う妻は、必要以上に嫁姑問題で苦しみます。そのことは夫婦関係や母子関係にも、悪影響を及ぼすでしょう。

 逆に夫からの愛情実感を得ている妻たちは、夫に愛情と関心を注ぎ、子どもには適量の愛と関心を持つでしょう。「子どもは夫婦愛のおこぼれで育つ」などと言われる通り、それは子どもの成長と自立を妨げず促進させる適度の愛情量。また、夫からの愛を勝ち取っている自覚があれば、姑に対しても、かなり精神的な余裕をもって対することができるでしょう。

 妻が過保護過干渉で、よい母親でない、嫁姑関係をうまく対処できないのは、何も妻だけの責任ではありません。いいえ、むしろ、夫である男性側の問題が母子問題と嫁姑問題に現われていることが多いよいうに思います。そう、夫の愛を妻が実感していないこと、換言すれば、夫が妻に実感できるように愛を伝達できていないことが、結果的に妻を「悪い母」や「困った嫁」にしているケースも少なくないようにお見受けします。それなのに、妻を責める夫というのは、かなり残酷なものでありましょう。

 ほとんどの一定真面目な男性は、妻を愛していないのではなく、愛情を伝えていないか、実感できるように伝えていないことが問題のようです。私自身も嫌というほど、反省してきたことでもあります。

 妻のために働く、寄り道せず帰宅する、家事を手伝う、プレゼントする、どこかに連れて行く、妻の嫌な習慣は止めるなどで、夫は妻に愛情が伝わっていると思いがち。もちろん、伝わっているのでしょうが、多くの妻たちが夫からの愛を深く実感するのは、そうした夫の「パフォーマンス」ではないようです。

 多くの妻たちが、夫の愛を深く実感するのは、会話などの「コミュニケーション」。感情を受け止めてもらえたり、気持ちを理解してもらえたり、思いを共有できる時、女性たちは、最も深く愛情を実感するのだとか。

 でも、男性からすると、愛したという実感がないのですね。パフォーマンスのような達成感がないのです。だから、「愛した達成感を持つ夫と愛された実感のない妻」という現象が起こるのでしょう。妻に栄養を供給しているつもりなのですが、供給するパイプが機能していないということです。

 愛は自分中心でなく、他者中心、そして相手の正しいニーズを満たすこと、また、愛は想像力を要します。妻のニーズを想像し、最善の満たし方を女性の立場で想像するわけです。男性はこれはなかなか大変なことであります。正直、痛い目に合いながら、先輩や先人に学び、訓練されないと、上達しない分野かと思います。


 自分たち夫婦は「愛した達成感を持つ夫と愛された実感のない妻」状態だと思える夫の皆さん。あるいは「妻に栄養を供給しているつもりだが、どうも供給用パイプが機能していないらしい」と感じている夫の皆さん、私としては以下の二つの書物が有益だと思うので、ご紹介申し上げます。どちらも夫婦関係についてのベストセラーであります。

ゲーリー・チャップマン著「愛を伝える五つの方法」(いのちのことば社)
http://www.gospelshop.jp/catalog/product_info.php?products_id=52480

エマソン・エグリッジ著「愛されたい妻と尊敬されたい夫」(ファミリー・フォーラム・ジャパン)
http://www.ffj.gr.jp/new/books.htm


この書物については過去にこちらの記事で絶賛しております。
愛されたい妻と尊敬されたい夫はホントにスゴイ」
http://blog.chiisana.org/?eid=1368627

また、そのことの関連での記事「マジカルヒステリー妻」も参考になるかも。
http://blog.chiisana.org/?eid=1299516
| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 21:18 | - | - | - | - |
夫の栄養源は妻の褒め言葉、妻の栄養源は夫の愛(上)

 先日、ラジオの人生相談で深刻な夫婦の危機の問題を扱う中で、回答者が、おっしゃた名言がこのタイトルの言葉。正確な引用かどうかは自信ありませんが、大意においては大丈夫かと思います。

 今日、扱いたいのは、「夫の栄養源は妻の褒め言葉」ということ。既婚者女性の皆さん!夫を褒めておられますか?褒めなきゃ損ですよ。一言二言、褒めるのに税金は取られないし、大して時間もエネルギーも必要ありません。それで、夫が自信を持ったり、成長するのですから、こんなにコストパフォーマンスの高い努力はありませんぞ。

 何?してないって?あらあら、もったいない。褒めると付け上がるって?いい気になるって?いいじゃん、付け上がらせていい気にしておけば。欠点が補正されなくても、他の面では自信をつけて成長するから。何?妙に自信を付けられて今のまま成長すると心配だって?そこまで、夫を信頼していないのですか?まあ、その気持ちは分からんでもないですが・・・。

 いえいえ、男性は女性とは違うと思いますぞ。何より、褒められると夫は、妻との会話や妻と向き合うことが苦痛でなくなります。それは夫婦の心の通い合いを深めるでしょうし、妻にとってもプラスなのでは?多くの男性は褒めてくれる女性に、心が向かうものです。ですから、多少付け上がって、欠点そのままでも、夫を褒めた方がいいですよ。

 逆に、全く褒めずに、欠点の指摘と不満の伝達ばかりですと、不思議なように夫は、欠点が改善されずに、萎縮するばかり。さらに夫への発言が、不満と愚痴ばかりですと、夫は自信を失い、妻との対話や向き合うことを避けたくなるもの。そもそもそうした女性と顔を付き合わせて生活したいと思わなくなるのが、男の情けない本音。

 そして虫が光におびき寄せられるように、夫たちは、褒めてくれる女性に、心が向かうものです。妻が褒めてくれず、不満と愚痴ばかりですと、男性の浮気心は揺すぶられます。夫を全く褒めることなく、感謝やねぎらいの言葉もなく、欠点指摘と不満の伝達に終始することは、妻がわざわざ夫が浮気をする土壌を作っているようなものであります。

 男性と女性は違います。女性が夫から愛情実感をしたら、素直で優しくなれるように、夫は妻から褒められるとしっかりして、妻を愛しやすくなるものです。多分、女性は夫がどれだけ妻の評価に左右されているか、実感をもって理解できないでしょう。世界中からの絶賛を受けても妻からダメ出しされたらペッチャンコの男は決して少なくないと思います。

 ラジオの人生相談では言っています。

は変えられないが、自分は変えられる。過去は変えられないが、未来は変えられる」

 これって、聖書的なのでは?これの結婚バージョンを考えてみました。

夫は変えられないが、自分は変えられる。過去の結婚生活は変えられないが未来の結婚生活は変えられる」

 これに同意なさる妻の皆さん!夫への言葉における「褒め言葉占有率0%の妻は、「はじめの一褒め」にチャレンジしましょう。占有率数%の方は、「一日一褒め」を心がけてみては?それ以上の方は、「褒め言葉:不満愚痴」の比率を自己検証してみて、前者の比率を高める努力をしてみてはどうでしょう?

 「夫の栄養源は妻の褒め言葉

 これが、本当かどうかは、実行してみてからのご検討をと願います。まずはチャレンジあるのみ!

| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 17:55 | - | - | - | - |
妻から夫への信頼と夫から妻への責任感
 聖書は「妻は夫に従うべき」と教えますが、これは決して「妻は夫の言いなりになりなさい」ではありません。従うとは機械的、自動的な従順ではないわけです。大前提として夫婦は交わり。妻が夫を愛し、信頼し、その上での人格的従順。ですから、夫の側は「黙ってオレについて来い」でなく「黙らずオレについて来い」が聖書的だと思うのです。

 クリスチャン夫妻の場合、問われるのは、妻の従順の土台となる夫への信頼。それは「神様に従おうと願う夫、だから、私は夫に従う」というもの。前提は、「(少なくても重大な決定については)夫は必ず神に従って決断する」との信頼であります。逆に言えば、「夫は自分のしたいことを御心、導きと言い換えて、自分をの思い通りにするような人ではない」という信頼であります。

 成熟した既婚者クリスチャン女性から聞く言葉は「夫が神様の御心と受け止め決めことは、私は喜んで従う。」というもの。そこで、夫に問われるのは重大な決断について、自分の願いや都合や利害や好みより、神様のみこころや導きを優先できるか?であります。

 私自身もそうした経験があります。夫である自分を御心にしたがって決断すると信じてくれる妻の信頼がある時、夫は重大な責任をゆだねられるわけです。もし、自分の願いや思いを優先し、御心を外れた歩みとなるなら、妻も家族も共にその刈り取りをするわけです。これは何と重大な責任でしょう。絶対に自分の好みや都合、利害や願いを「みこころ」に優先してはならないと徹底しました。

 妻の夫への「あなたは御心を求め従う人、だから最終的にはあなたに従う」がどんなに夫の信仰者として成長させるか分かりません。逆に「あなたなは御心という言葉を用いて自分の思い通りにする人」と妻から評価されたら、妻の従順は困難でしょう。夫が重大な決断の場面で、神に従うか自分の思い通りにするか?賢い妻は見抜きます。

 夫たる者、妻の従順を云々言う前に自分が神に従っているか?特に重大な決断にそうか、まず自問したいものです。また、妻の側も、多少残念な実績があっても、「あなたが神様のみこころに従って決めてくれる」との期待が、夫を大きく成長させることを覚えて、勇気と信仰のチャレンジをされてはどうでしょう。

 妻から夫への信頼と夫から妻への責任感、それは、ダイナミックな関係。妻が夫を信頼しなければ、夫の責任感は生じず、それがますます夫の妻に対する信頼を失わせる悪循環に。妻が夫を信頼し、それを告げていくなら、夫はその信頼に応答して、責任もって御心を求めていくでしょう。その夫に妻はさらに信頼を増し加えることができるのでは?どうでしょう。現実的には甘いかな?
| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
断テレ生活のススメ?
 地デジ化を機にテレビを観ない決断をしたと何名かのクリスチャンから、お聞きしております。ある独身女性クリスチャンは「断食」ならぬ「断テレ」と称しておりました。プラス面として、時間を無駄に過ごさぬようになり、有意義な使い方をし、聖書と祈りにも時間を取るようになったとのこと。

 そうした中、先日、本会の会員の方からこうしたお便りが・・・・。当人の許可を得て以下に転載します。

 私は今年の2月に結婚をさせて頂きました。相手の方とは、お付き合いしている時から先生のブログを共に拝見し、分かち合ったりしてきました。以前のブログの記事の中で、少なくとも新婚時代はテレビを持たない方がいい、というお勧めがあったように思いますが、僕らはどうせならと結婚前に テレビを手放し、今に至っています。

 テレビが無い新婚生活、お勧めですね。必要な情報は、ネットと新聞で得ていますので、浦島太郎になることはないです。何もしゃべることがなくても、テレビに逃げられない。今日あったことや、最近考えていることや、とにかく取り留めもなく話題を出しては話して。疲れているときは、口数が少ないからすぐわかるし。テレビが無いから、夫婦でスタジアムにサッカー観戦に行ったりするきっかけに
もなったりするし。

 我が家では少なくとも、次回のワールドカップまではテレビ無し生活をしようと話しています。先生のお勧めに感謝です。また、他の方々にも推奨したいです。

 以上が引用です。なるほど、テレビを観ないことは、とりわけ新婚家庭にはこれだけ多方面にプラスがあるのだと改めて感動であります。

 しかし、諸事情から「完全な断テレはちょっと」という方には、期間限定あるいは場面限定の断テレがお勧め。

 わが家庭もそうなのですが、食事時限定断テレはどうでしょう。家族がそろう貴重な時間こそ、家族で話すか、顔をみて交わりを持ちたいもの。食事時間までテレビをみてしまうと家族の会話は、皆無に近くなることもあるのでは?

 そして、独身の方々、特に一人暮らしの方には、独身期間限定断テレはどうでしょう?テレビは悪く言えば、孤独をごまかし、自分や現状と向き合わぬようにするには最適の道具であります。孤独とはごまかすものではなく、向き合うべきもの。そのために断テレは最適に環境。孤独の苦痛が、独身の快適さに勝った時、本気で結婚を願い努力をするというパターンもあるかなと思うのです。テレビをやめて、「人が一人でいるのがよくない」とみこころにかなった実感をする必要がある独身の方もおられるのでは?もちろん、そのまま新婚期も断テレでいけば、これまた、いいわけです。

 というわけで、断テレ生活の勧めでありました。「地デジ化前にこの記事書けよ!」とのご批判派はごもっともであります。


 多分、転載したお便りは以下の記事への応答だと思います。この記事については、記事以上に寄せられた読者のコメントが非常に優れておりますので、是非、ご一読を。「テレビ=下水道」や実践例には教えられます。

「テレビ反対、食洗機賛成」
http://blog.chiisana.org/?eid=531012


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| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 20:24 | - | - | - | - |
嫁と姑(3)嫁姑問題と夫婦問題と子どもの自立不足の密接な関係
 この三者は極めて密な関係にあると思います。嫁姑の間で永世中立国となるスイス夫に妻は失望します。当然です。日本の場合は、女性が家を捨て、故郷を離れ、母教会も離れて夫の家に入るという形が多いのに、唯一の味方と期待する夫が、自分の味方か母親の味方か不明では、あんまりです。それに、心理的に母親から自立していない夫を尊敬するというのもかなりきつい話です。 

 夫への期待や信頼、尊敬を失った妻は、夫に注ぐべき愛を子どもに注ぎます。例によってその愛は過保護か過干渉へと変質し、子どもの自立を妨げたり、健全な成長を歪めたりです。そうでなくても、向き合わない夫婦関係は、様々な問題を生み出しかねません。夫婦で向き合えないと、多くの場合、男性は仕事、使命、趣味などに妻に注ぐべき愛を転化してしまいます。女性の場合は、夫に向ける愛を子ども、特に男の子に注ぎ、過保護や過干渉によって子どもの自立を妨げます。そして、母子密着を起こし、子離れができず、結婚後の息子夫婦にまで干渉し、深刻な嫁姑問題を引き起こすことも。

 実は、深刻な嫁姑問題の背景には、親離れできない夫、子離れできないその母親だけでなく、夫の両親夫婦の関係があるケースが多いように観察するのですが、どうでしょう?

 つまり、嫁姑で苦労した女性が、息子と子離れできず、次の世代には嫁を苦労させる姑になってしまうという悪循環は、よくあることですし、ある意味必然かもしれないと思うのです。

 「嫁姑問題」→「向き合えない夫婦」→「子離れしない母と親離れしない息子」→「子離れできず息子夫婦に干渉する姑と結婚しても妻を優先できない息子」

 こうした悪循環が世代を超えて繰返されているのが、家庭内における人間の罪の現われであろうと思うのです。「クリスチャンこそが聖書のみことばに従うことで、この悪循環を断ち切れるのに・・・・」と残念でなりません。

 創世記2:24によれば、親子は離れるべき関係、夫婦は一体となるべき関係。ただ、この原則を守るだけで、こうした悪循環は断ち切れるはずですのに・・・・。
 
 ある牧師が言いました。「アブラハム、イサク、ヤコブの家庭は三代続いて機能不全家庭です」

 20代でこれを聞いた時は、「とんでもない決め付け」「そうかもしれないが言いすぎ」と思いました。30代で思い出した時は、「なるほど、そうだなー」とかなり同意するようになりました。40代前半ではこうした家庭を祝福の基としてくださった神の恵みに眼が行くようになりました。40代後半には、「よくぞ、聖書はこうした信仰者家庭における闇の次世代継承の事例を描いてくださった。実に牧会現場で役立つなー」と感謝するようになりました。 

 現代日本の家庭(クリスチャンホームも例外でなく)の問題の本質は、聖書が描く問題家庭と大いに共通しているはずです。しかし、残念ながら、そうした問題意識で読まなければ、あるいは聖書読者が家庭問題に福音の光を入れる意志がなければ、家庭に関しての聖書の真理は開かれないままなのでしょう。

 このシリーズが現実の家庭問題に、福音の光を歓迎するきっかけとなったり、今まで避けてきた家庭の問題に向き合う勇気を持つ一助になれば感謝なことです。
| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 09:57 | - | - | - | - |
嫁と姑(2)〜息子は最初から母のものではない!
 これまで何度か息子さんが結婚したというクリスチャン女性からお聞きしてきた感想。それは・・・

 「嫁にとられた!」というもの。

 あるクリスチャン女性からお聞きした時などは、「そんなように思われるんですね」と笑顔で共感を示しながら、内心では「最初からあんたのものとちゃうでしょー」と聖書的正論で裁いてしまったことも。我ながら、つくづく性格が悪いと思います。「名古屋出身で、血液型がB型ですから、お許しを」というのは、どこかの大臣のように、きっと責任転嫁なのでしょう。

 人間の深い罪深さに由来するのでしょうか?それとも神様が与えた自然の摂理なのでしょうか?どうしても母親と嫁はライバルになりやすいもの。ただ、現実は明らかであります。繰り返し申し上げますが、母親たちがどんなに男の子をかわいがって大切に育てても、大抵、最後は「他の女のものになりますからー、残念!」という懐かしのギター侍的結末が待っているのです。

 子どもは神様のもの、そして社会全体に与えられたもの、神様から担当者として、責任を委ねられたのが親に過ぎません。親は委ねられたいのちを自立まで育てて、神様にお返しし、社会に送り出すのが使命でありましょう。

 あるクリスチャン女性は妊娠で大きくなったお腹を愛を込めてなぜながら、「別人格、別人格」と胎児と自分に言い聞かせていました。私はこれなどは、聖書的育児観の体現であろうと賞賛するわけです。

 男の子などは、もともと母親のものでないし、どうせ若い女のものになるのですから、自立に至るまで育てるだけの愛情を注ぎ責任を果たせばいいのです。そんなに息子に注ぐ愛があるなら、夫に回しておいたほうが正解ですよ。息子など離れていくのですから、ずっと死ぬまで一緒なのは夫。息子より夫へ愛は注ぎましょう。夫に注ぐべき愛まで息子に注ぐとそれは「過干渉」や「過保護」という名の愛とは別のものへと変質しかねませんから。

 「嫁にとられた」との感情は正直で受け止めてさしあげるべきだとは思います。しかし、その背後に「子どもは母親のもの」という意識が少しでもあるなら、それは子育てにおける「世と調子を合わせる」(ローマ12:2)姿勢に相当するのではないでしょうか?ちょっと厳しいかもしれませんが、日本のクリスチャンの母親の皆様にはその点において「心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)なる命令に従うことの大切さを思います。

 「そもそも息子は、私のものではないのです。息子は嫁にとられたのではなく、母である私が夫と共に、嫁のものとなるのにふさわしく自立させ、送り出したのです。」

 私はこれなどが、聖書的模範解答かな?と思うのですが、どうでしょう?
| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 20:52 | - | - | - | - |
嫁と姑(1)〜夫は中立国でなく同一国!
 嫁姑問題克服の秘訣は、大抵誰に聞いてもポイントは夫であります。男性側が軸となり、柱となり、対処することが何よりの秘訣。女性が何とかしようすると、より深刻化するのは周知の事実であります。

 聖書の創世記2:24によれば、夫は既に母を離れているのです。そして、妻と結び合い一心同体となっているのです。結婚した男性は、このことをはっきり、母親に言葉か態度で示せばいいだけの話であります。

 「かあちゃん、聖書によれば、オレはかあちゃんを離れて嫁さんと一つになったんだ。だから、かあちゃん取るか、嫁さん取るかと聞かれたら、嫁さん取るのが神様の御心なんだ。それが、かあちゃんも含めて家族みんなの祝福なんだよ。」

 このように伝えられたら、嫁姑問題は半分解決したようなものであります。これが言えれば姑も、子離れできて、老夫婦としてあるいは女性としての幸せを追求してくれるでしょう。妻もその言葉や態度によってどれだけ愛情実感をして夫を尊敬することでしょうか?

 嫁姑の問題が解決に向かわない最大の理由は、夫が母親と妻の間でどちらにもいい顔をしようとするからです。クリスチャン夫でも、優先順位の分かっていない方は少なくありません。聖書は親も妻も両方とも大切にするように命じていると考えているからでしょう。確かにその通りでしょうが、大切にする方法と言うかあり方が違うでしょうが!親は、離れた上で愛し、尊ぶのです。妻は一つになって愛し尊ぶのです!

 そうです。夫は「スイス」ではありません。「永世中立国」ではないのです。母と妻の間に立って、意見調整をして両者を和解させようとの態度は、聖書的ではないと私は思います。たとえ妻が間違っていても妻の側に立つべきです。そして、間違いを妻と一緒に謝ればいいのです。夫は妻と「同盟国」、いいえ、「同一国」ですから!母親とは離れたのですから既に「他国」なのです。既婚者男性とって母親は「友好国」ではあっても「他国」なのです。自国と利害が対立すれば「敵国」にもなるのです。

 スイス夫の皆さん、考え違いをしてはなりません。母親から独立したのですから、「独立国」として、妻と一つになったのですから妻と「同一国」として歩みましょう。それが創世記2:24が示す神様の御心であります。「永世中立国」は決して御心ではありません。ましては結婚していながら「母国の属国状態」ではお話しになりませんぞ。このあたりを、明確に聖書的価値転換をしていただき、嫁姑問題という「外交努力」をしていただきたいもの。

 姑側は言うまでもなく、結婚した息子を属国扱い、植民地扱いしてはなりません。クリスチャンである母は、結婚する息子さんには、創世記2:24を根拠として、はっきり「独立宣言」をさせて、「妻と同一国であれ」と神様の御心を伝えてみてはどうでしょう?


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| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 11:30 | - | - | - | - |
全米普及率第一位 結婚心理テストのご紹介! 
 しっかりアピールしたいので、本日25日と明日26日は、新たな記事を更新しても、この記事をトップにしますので、ご了解を。

 以前、本ブログで紹介しました全米普及率No.1結婚心理テストの日本語版がネット・バージョンで遂に登場!

 以前の記事はこちら。
「全米普及率No.1結婚心理テストのご紹介」

http://blog.chiisana.org/?eid=1405904
 


 私たち夫妻も、さっそく今週中にチェックをする予定です。主催者側から、紹介文をいただきましたので、掲載申し上げます。


全米普及率第一位 結婚準備プログラム 

プリペアー・エンリッチ」が

最新ネットバージョンを発表!!

      「カップル・チェックアップ」日本語訳完成

 

いつでも、どこでも

あなたの大切な人との関係を診断(チェック)します。

ホームページからアクセスし、質問に答えると、

お二人の関係が分析されてレポートとなり返ってきます。

二人の強い絆と、これからの課題、お互いの性格の傾向性をお伝えします。

幸せな生活への入口を、幸多き毎日となるヒントを覗いて見ませんか?

 

アクセスは、臨床牧会ホームページより

 

http://rinshobokukai.main.jp/couplecheckup.html

 

費用 1カップル3990円(前売り券・カード使えます)   

問い合わせ rbmarriagecounseling@yahoo.co.jp

   (臨床牧会研究会 結婚カウンセリング部門)

| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 14:43 | - | - | - | - |
結婚愛とは「こだわりを捨てること」と見つけたり!
 先日ある結婚式に出席。その式辞が聖書的で同時に大変具体的で、感銘を受けました。私なりに受け止めた現実的真理は「結婚愛の実践は、こだわりを捨てること」。

 つまり「愛は寛容です」と愛の一番手に「寛容」が来るわけですが、実際の結婚生活の中では、その寛容とは自分と相手についての「こだわり」を捨てるという形をとるということです。

 司式をされた牧師自身がユニークな証しをされました。その牧師ご自分が、結婚した時に経験した「こだわり」についての葛藤が、笑えるやらリアルやら・・・・。何と。

 「コロッケにきくらげが入っていない!

 「おい、県民ショーかい?」と突っ込みたくなるようなこだわり。どこの地方のご出身かは存じ上げませんが、これはスゴイです。でも、同様の「こだわり」との葛藤は、現実の結婚生活にはつきもの。特に男性は料理を通じて、妻からの愛情を実感するもの。「食べ物についてのこだわり」が、結婚当初はかなり夫のストレスになったり、それを理解できない妻の側の問題もあって、夫婦間バトルに発展することも。

 司式の中、牧師は「自分についてのこだわり」と「相手へのこだわり」を捨てることが、寛容という愛の実践であり、結婚をよりよく成長させる秘訣とお話し。自分が思う「これはこうでなくては」、自分が信じている「これはこうでなくてはならない」などは信仰に関することも含めて、結婚の最初の段階で再検討が必要です。

 また「相手はこうあって欲しい」「こうでなくてはならない」とのこだわりも、多くの場合は寛容という愛に反するもの。「相手への期待、希望」と「相手についてのこだわり」とは異なると思うのです。前者は寛容と同時進行可能ですが、後者は寛容という愛に反して結婚生活を貧しいものにしてしまうでしょう。

 20年以上にわたる自らの結婚生活を振り返ってみても、非聖書的で独りよがりな「こだわり」は常に夫婦関係にマイナス作用してきました。逆に、よりよい結婚生活を願って、かなりの苦渋の決断をして「こだわり」を捨てた時に、結婚生活が飛躍的に向上してきたように思います。

 多くの場合、結婚式で夫に勧められること。それは「キリストが教会を愛し、ご自身をささげられたように妻を愛すべきこと」。キリストは愛する対象のためにいのちを捨てました。自らのいのちを捨てることに比べれば、独りよがりの「こだわり」などは、本来「喜んでポイポイ」のはず。ところが、自己中で愛の乏しい罪人はそこで葛藤するわけです。

 でも、「いくら妻のためでも、自分はこういう人、変れない」って、聖書的にはありなんでしょうかね?「主に喜ばれる結婚のためでも、このことだけは譲れない」とか、クリスチャンの夫にあっていいんでしょうか?是非ともクリスチャンである既婚者男性の皆様にはご検討いただきたいもの。

 婚活系クリスチャン女性の皆さん、愛する女性のためにこだわりを捨てる男性を選びましょう。そういう男性が「のびしろ男」、「ツチノコ男」ですよ。

 うーん、確かに結婚の質的向上を分けるのは「こだわりを捨てるか?捨てないか?」の決断に依存しているようです。「愛は寛容です」の結婚生活におけるアウトプットのイメージってこういうことだったのですね。納得。
| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 13:02 | - | - | - | - |
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