命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
親と暮せない子どもたち、新たな傾向?

 以前、ある方からお聞きしたお話し。その方が地元の児童福祉施設を訪問。親と暮らせない子どもたちが生活をしているのですが、子どもたちを見るとある傾向が明らかだったそうです。

 まず、三分の一は、黒人系民族とのハーフ、次の三分の一は双子、最後の三分の一はそれ以外。これは外見で判明することですから、間違いないでしょう。

 児童福祉に一定かかわるこの方によれば、こうした傾向は、この施設だけのものではないそうです。それ程でなくても同様の傾向があるのでは?というのが、その方の見解。

 黒人系の男性との間で妊娠し、その後、シングルマザーで育てることになるのですが、予想や覚悟より厳しい現実に、家庭での育児を諦めるそうです。黄色人種や白人とのハーフであれば、乗り越えられたであろうに、黒人とのハーフの子どもの場合はそうはいかないというのが現実のようです。日本社会の一員としては、相手男性や母親だけを責めてはならない要素を覚えます。(海外養子には多様な評価がありますが、私はこうした場合は、欧米社会で子どもが生活する道が、ベストとの考え方もあるかと思います。)

 また、驚いたのは双子の場合に、育児放棄をする夫婦や母親がいるということ。これは既にカナダやアメリカでは問題となっている現象だそうです。未成熟な母親が、赤ちゃん一人なら育てるが、双子なら育てたくないと責任放棄するケースが増加中なのだとか。それが、日本でも既に起こってきているということらしいです。

 多民族社会化し、経済格差が生まれ、母子家庭への支援が乏しい日本社会には、こうしたケースを増加させる要素があるのは確か。でも、芽生えたいのちには責任も落ち度もありません。性がいのちを芽生えさせる可能性があるのだから、芽生えるいのちへの責任がとれない相手や関係や環境の中での性行為が、最終的には、中絶や育児放棄などに結びつくことを忘れてはならないでしょう。

 こうした場合、「無責任な母親」、「未熟なシングルマザー」として、表面に出てくる女性たちばかりが、問題視されます。しかし、それ以上に問題視されるべきは、男性の側でありましょう。なぜなら、自らが芽生えた命に対して責任を放棄しているだけでなく、女性が責任放棄せざるをえない環境を作り出しているからです。これは、二重の意味での無責任身勝手と言わざるをえないでしょう。 

 大人の無責任や身勝手な行動が、子どもを傷つけていく、新たな傾向、何ともやりきれない思いです。

| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 21:31 | - | - | - | - |
野田聖子議員のいのちに対する責任意識

 野田聖子議員の代理母出産についての本ブログの記事は、かつて朝日新聞系のネットで、「注目のブログ記事」に選定される過分なご評価をいただきました。未だに、注目のブログとして掲載されており、感謝感激であります。それがこちら。

 注目のブログリンク一覧(朝日新聞・webronza)「野田聖子議員、養子縁組を断念しての代理母出産」
http://webronza.asahi.com/blog/

 該当する記事がこちら。
「野田聖子議員、養子縁組を断念しての代理母出産」
http://blog.chiisana.org/?eid=1402381

 代理母(卵子は代理母である白人女性のもの)による出産について、批判的に記した記事であります。しかし、最近報道されている野田聖子議員のあり方は評価すべきかと思っています。

 最新号の「女性自身」には、野田聖子議員の手記が。タイトルは「野田聖子11ヶ月長男の闘病告白〜7回の手術で右半身マヒに」というもの。

 記事の概要はこちら。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111213-00000305-jisin-ent

 野田議員は、長男が代理母の胎内にいる時点で既に、複数の重い障碍を持っていることを知っていて、受け止めました。(事実婚の夫の精子と代理母の卵子の受精によるものなので、50歳の卵子であることと障碍の因果関係はないでしょう。)野田議員について一貫しているのは、血縁関係のない養子も、障碍を持つ子どもも、「わが子」として受け止め愛し育てていこうという思いと姿勢です。代理母には個人的に大反対ですが、この点については部分的に評価したいと考える私です。

 なぜなら、残念なことに、不妊治療に励みながら、ようやく授かったいのちに障碍発覚となれば、中絶してしまうケースは少なくないからです。私の知り合いで、不妊治療で高い評価を持つ未信者の産科医は、不妊治療に成功したのに障碍を理由に中絶するケースが一番辛いとお話しくださったことがあります。

 それは、「注文どおりでないから」「規格外品」とまるで、いのちを商品化しているようです。

「子どもは親を選べないのに、親は子どもを選んでよいのか?」
「障碍をもった胎児は生まれてくる資格がないのか?」
「その資格は親が認めたり、認めなかったりするものなのか?」

 そんなことも思います。

 自由に面会もできない息子、共に家庭で暮せないわが子、生まれてきたいのちをそのままで受け止め、愛し、育てようと願うその姿は、真実だと思います。

 代理母や夫以外の精子による不妊治療については、私は批判的です。しかし、どのような方法であっても生まれてきたいのちは、かけがえのないものです。一旦芽生えた人命は、無条件で尊厳があるのです。障碍の有無に関係なくそうなのです。苦闘や葛藤はあるでしょうが、そのままで、受け止め、愛し、育てるのが、親の責任であり使命のはず。

 不妊治療を重ねながら授かったいのちに障碍があれば、中絶・・・・。そんなやりきれない事例を念に数件ほど、扱っているので、よけいに、野田議員のこうしたあり方が、不妊治療にチャレンジしている女性のよきモデルになればと願っております。

| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 17:10 | - | - | - | - |
男性への究極の選択!「出産するか?ドラのキャンプ参加か?」
 少し前のお話。二試合連続サヨナラホームランの平田選手。「狙ってました」「打った瞬間歩きました」などの名コメントともに残した言葉。

 「出産で頑張る嫁に比べたら、どんなつらい練習にも耐えられるようになった」

 妻の出産に立ち会ったことで、厳しい練習に耐え抜いての大活躍ということか!女性の出産の苦しみは、12球団一厳しいと言われるキャンプ以上なのか?どちらも生みの苦しみにはかわりないでしょうが。

 そこで考えた男性への究極の選択、「女性になって出産するか?それともプロ野球選手になってドラのキャンプに参加するか?

 うーん、どちらも壮絶な苦しみ、しかし、それを通じて生み出されるものは最高に価値あるもの。



 ※サイト本体を経由せず読まれた方はこちらをクリックお願いします。
 「小さないのちを守る会」
〈ワンクリックが小さないのちを守るサポートになります〉

| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 23:19 | - | - | - | - |
WEBRONZA編集部が「注目のブログ記事」として本ブログ記事を選出
 ブログのリンク元を調べていたら、驚くべき事を発見。朝日新聞系のWEBRONZAが、現在、「注目のブログ記事」として本ブログの野田聖子議員の記事を掲載して下さっていたのです。な、なんと!本日の時点でトップページではありませんか!こちらのサイトの下の方「注目のブログ」をご覧あれ。「WEBRONZAトップページ」
 http://webronza.asahi.com/

 あるいはトップページから、右の「注目のブログ」をクリックしてもいいですよ。こちらに入ります。「WEBRONZA注目のブログ」
  http://webronza.asahi.com/blog/


今、読んでおくべき」良質なブログ記事として、WEBRONZA編集部が選び出して下さったのだとか。上から5番目に本ブログの記事が。

野田聖子議員、養子縁組を断念しての、代理母出産
http://blog.chiisana.org/?eid=1402381

  野田聖子議員の代理母出産については他にも有識者や専門家の優れた記事は山ほどあるでしょうに、拙ブログの記事を選出していただき、光栄の至りであります。きっと生まれ来るいのち、弱者の側の視点から論じたことが、ご評価いただけたのでしょうが、これは信仰と使命の故の視点ですから、「栄光は主に」であります。

 また、キリスト教界の外にまで、養子縁組と言う選択肢や、「子どもにとっての自分たち親」という視点を提示できたことは、大きな意義があると思っています。微力であっても社会に影響を与えられたらうれしいです。でも、正直、恥ずかしいやら、うれしいやら、怖いやらであります。

 というわけで調子に乗ってお願いです。読者の皆さん、ツイートしたり、フェイスブックで紹介したりで、クリスチャンの価値観の証し本会の働きの紹介に用いて下されば感謝です。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 16:15 | - | - | - | - |
浅学は人を少子化に傾かせ、深学は人を出産育児に持ち来たらす?

 先日、国際助産師の資格を持ち、大学でも教鞭をとる助産師の方(クリスチャンでない方)とお話しをする機会がありました。貴重な機会なので、質問させていただきました。

 「最近の女性たちは、出産育児に対してポジティヴですか?ネガティブですか?」

 その返答は、私にとっては意外なもの、驚きでした。

よく学んでいる女性は、ポジティヴです。しかし、あまり学んでいない女性ほど、ネガティヴです。」

 その助産師さんの評価では、あまり学んでいない女性ほど、出産に際して痛くないこと育児についても苦労をしないことばかりを考えてしまいやすいとのこと。つまり、妊娠出産育児についてマイナスイメージを持ち、その結果、苦痛回避指向が強くなってしまうのだとか。逆に、学ぶ女性たちは、出産や育児が喜びであるという情報まで到達するのだそうです。


 イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンの言葉にこんな名言があります。

浅学は人を無神論に傾かせ、深学は人を宗教に持ち来たらす

 「学がないから、おめでたくて、神などという存在確認のできないものを信じている」と、思う方こそ、実は学がないのかも?ある結婚式で、東大の名誉教授と同席しました。何でも理論物理の教授だそうで、当然、ご専門のお話しはパス。元教員なので、ひたすら、日本の教育行政への批判で意気投合しておりました。その名誉教授は、自分は特定の宗教を信仰こそしていないが、宗教には敬意を抱いており、本来、科学と矛盾するものではないと明言しておられました。ご自分の専門だけではなく広く深い見識を持つように感じられるこの名誉教授は、きっと「深学」をされてきたのでしょう。

 それと同様に、妊娠出産育児を幸福や喜びと考えているのは、あまりお勉強してないおめでたい女性たちと思ったら大間違い!むしろ、向上心をもって、妊娠出産育児について学べば学ぶほど、肯定的な思いになるのでしょう。出産育児に伴う大変さや苦痛、出産育児環境の課題などを知った上で、それをも上回る喜びや幸せを期待するのでしょう。それは、学び続けていく中で、良心的で正しい意見や見解や事実に出会うからだと思います。

 片や、向上心もなく、受身でいれば、耳に入ってくるのは、マスコミから流れてくる否定的な情報、周囲の結婚や子育ての苦労話ばかり。これでは、出産子育てを肯定的に考えられるはずはなく、とにかく、苦痛回避、リスク回避を願うばかりで、実りある豊かな出産子育て生活など、思いも及ばないでしょう。この情報化社会(特に日本のような商業主義的で否定的な情報が支配的な環境)では、あふれるような情報に対して、受身でいると、情報に支配されたり、流されたりして、事実も正しい評価も失いがちなもの。

 私なりにこのことを三つのレベルにまとめてみました。
 レベル1 妊娠出産育児について、現実を知らない →おめでたく妊娠出産育児を幸せと信じる
 レベル2 妊娠出産育児について、受身的に苦痛、リスク等の情報を得る→不当に妊娠出産育児を苦痛、負担と信じる
 レベル3 妊娠出産育児について、積極的に学び、肯定的な情報に出会う→課題は受け止めつつも、正しく妊娠出産育児を幸福、喜びと認識する

 こうした専門家の声を聞いて、私自身も学びが足りなくて、神様が与えらた出産育児の恵みや喜びよりも、罪の侵入の故に与えられたそれに伴う罪や過ちそして苦痛の方に目が行っていたかも?とチョット反省。妊娠・出産・育児に対して、否定的な思いや評価の強い女性の皆さんは、(深い諸事情をお持ちの方を除いては)、一度、この助産師の言葉で自己チェックをされてみてはどうでしょう。

| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 10:16 | - | - | - | - |
連日の大量アクセスは野田聖子議員、出産関連と判明
 昨日までの三日間で3977,3107,4263と異常なまでのアクセス集中。その原因が判明しました。リンク先を見ると、朝日新聞系のサイトWEBRONZAに掲載された野田聖子議員出産の記事が。何とその参考ブログの筆頭に本ブログの記事が!

野田氏出産で考える女性を活かす道
 http://webronza.asahi.com/business/2011011400005.html?ref=left

そこで紹介されている本ブログの記事はこちら。

野田聖子議員、養子縁組を断念しての、代理母出産
http://blog.chiisana.org/?eid=1402381

 
 本ブログの記事が、一般のメディア人の目に触れ、評価をいただき、広く紹介していただいた事は、何とも光栄で感謝なこと。宗教色を前面に出さず、正論で論じたことも今になってみれば、活かされたようです。「生まれ来る命の側からの視点」が、女性の願いや不妊克服を絶対視し、実現しようとう流れに、客観的で全体性のある評価をもたらしてくれる事を願っています。

 ちょっとした権威付けにもなるでしょうから、この記事や本ブログをご紹介いただき、証しのために用いていただくのもよいのでは?

 思いがけない今回のチャンスも日頃からの皆さんのご愛読、お祈りやご支援の賜物であることを覚えて改めて感謝申し上げます。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 11:06 | - | - | - | - |
胎内記憶についての証しを紹介
 一人の牧師夫人から、息子さんの胎内記憶について記した証しをいただきました。本来はある集会での証しのために記してくださったものですが、大変意義深いもので、一人でも多くの方にお読みいただきたく願い以下にご紹介申しあげます。長い文章ですが、一気にお読みいただきたいので、分割せず一度に掲載します。胎内において胎児が神様とも、また人とも人格的交わりを持っていることを伺わせる証しとして受け止めていただければ感謝です。

「創造主の眼差し」


 多くの方にとって自分の子どもを授かるというのは特別な祝福であると思います。私にも息子が一人いまして、この子を通して親としての喜びとまわりの方々との出会いや交わりの機会をいただいてきました。実はもう一つ、息子が運んできた恵みがありまして、それは「創造主の愛のまなざしがどのようなものか」を知らせてくれたことです。

 妊娠がわかったとき私は36才でした。高齢出産のリスクを考えると無事元気に生まれてきてくれるだろうかという不安もありました。しかし、そのために母親としてお腹の子にしてあげられることは何もないなあと思いました。そんなときに、次のみ言葉が心に留まり大変励まされました。

 詩篇
139:1316
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

 造り主なるお方は、生まれ出る前の小さな存在を愛し慈しみ、守り育ててくださり、さらにその子の将来を描いて送り出してくださるのだと教えられ、あとは神様に信頼してお任せすればいいのだと思って平安をいただきました。

 そののち、息子が3才の頃に一冊の本と出会いました。いのちのことば社から出版された「幼子に導かれて‐ターミナルケアに見た神の恵み‐」という本です。著者ダイアン・コンブはアメリカ人の小児科医で、長年多くの子どもたちの死を看取ってきた人です。彼女は無心論者でしたが、子どもたちとの関わりの中で信仰を持つに至ったそうです。
本文の中から少し紹介します。

 「子どもは神に造られたばかりの存在で、神から送られたかわいい伝道師。子どもに耳を傾けるとき、信仰への道を捜すことができる。…小さすぎるのは私
(著者)の神。彼(6才の小児ガンの男の子)と彼のすごい神は、平和な国の秘密をともにしていた。彼はこの世が決して彼の本当のおうちではないことを知っていた。…霊的起源の感覚は非常に小さいときの本能によるものだ。ときたま、死が近づくと、ヴェールが一部あげられ、その向こうの天使やイエスの姿、天国の光景を垣間見るように思われる。…子どもの霊的感性に通じておられるイエスこそ、理想的な小児科医。…もし、これらの死に行く子どもを知るという特別なことがなかったら、私の人生はどうなっていただろうか。その後の人生で最も重要な神の国への窓を見出すことができただろうか。…」
また、本の中には子どもたち自身が語った言葉も紹介されていました。
「私は神様の一番小さな声(普通の人には忙しくて聞こえないほどの声)が好き」
(10代のダウン症の女の子)
「神様のことを話してちょうだいよ。ぼくは忘れそうなんだもの。」
3才の男の子が生まれたばかりの弟に)
「ママ、ぼくは神様の次にママが好き。神様はママよりもうちょっと好き」5才の男の子)

 この本を読んで、私の中にいくつかの疑問が湧いてきました。
「神様はこのような子どもたちには、特別にご自身を表わされるのだろうか?
世の中には胎内記憶を持つ子もいるというが、そのこととの関連はどうなのだろうか?
果たして私の息子はどんなふうに神様を認識するのだろうか?…」
息子がちょうど4才の誕生日を迎えた頃にこんな質問をしてみました。「お母さんのおなかの中にいたとき、どんなふうだった?」そこから息子は折に触れていろいろと話してくれるようになりました。

 「お母さんのおなかの中は、明るかったり暗かったりしたよ。
(昼と夜がわかるらしい) お風呂の中にはいってるみたいで、気持ち良かった。おなかの中では揺れていた。お母さんが寝ているときと階段を上るとき、わかったよ。お母さんの声ははっきり聞こえたけど、お父さんの声は聞こえにくかった。お母さんが聖書を読んだり賛美歌を歌ってるのが聞こえたよ。」 なるほど、胎内環境というのはそういうものなのだろうと思いました。

 また、このようにも言っていました。「早くお母さんに会いたいなって思ってた。お母さんがぼくのことを呼んでいるのがわかったよ。お返事したけどお母さんには聞こえなかったでしょ。」不思議なことに、胎児は自分が母親の胎内にいることを知っており、まだ見ぬ母を慕っているのです。誰がそれを教えたのでしょうか?

 そして、一番びっくりしたのはイエスさまについて話し出したときです。「イエスさまがいっしょだったから、さびしくなかったよ。ずっとイエスさまがいてくれたから、安心だった。イエスさまがお世話してくれたから、とってもとってもうれしかった。イエスさまはいつだってぼくにわかるようにお話してくれたよ。おなかの中はよかったなぁ。イエスさまが一緒だったから。最後に、イエスさまが『もうすぐバイバイになるけど、天国でまた会おうね』って言ってた。」

 それから、生まれてくるときの記憶も持っていました。「おなかから出るとき、狭くて出にくかった。ギューッと押されて苦しかった。もうあんなのはイヤだよ。おなかから出てきたら、本当にイエスさまとバイバイになっちゃったんだよ。びっくりして、不安だった。『お母さんはどこだろう』って捜したの。声でおかあさんだってわかったよ。」
そしてこんなことも言っていました。「一番好きなのは神様。その次に好きなのは人間の中ではお母さんだよ。ぼくを生んだのはお母さん。でも、ぼくを造ったのは神様だよ。」

 赤ちゃんは誕生して初めて人間として認識されることが多いのですが、胎内にいるときから五感をいっぱいに働かせて力強く生きており、生まれ出る日を心待ちにしているのですね。一番驚いたのは、胎児は自分がどなたによって形造られているかわかっているし、イエスさまと過ごす時間をとても楽しみ喜んでいるということです。

 息子の話を聞くときに私はいつも最初は驚くのですが、「なるほどそういうことだったのか」と納得できることが多く、しかも話の内容に一貫性があり確信を持って語るので、単なる想像の世界のこととは思えません。
これらの言葉は息子がおもに4〜6才の頃に話してくれたものです。13才になった今でも胎内記憶がわずかに残っており、一番大切で大好きなのは神様、二番目が母親であることに変わりはありません。

 私は息子の胎内記憶について話をするとき、少し躊躇する気持ちがあります。なぜなら、赤ちゃんを生みたくても流産してしまったり、事情があって生むことができず人口妊娠中絶を余儀なくされたことで人知れず苦しんでいるという方が意外と多いと聞くからです。そういった方への配慮をもって語ることが私の課題だと思っています。また、人によっては「はじめくんってスゴイね」と言われるのですが、私はそれで終わってしまっては困ると思っています。確かに、胎内記憶をはっきり持っていて私に話してくれたという点では、特別な使命を持って生まれてきたと言えかもしれません。

 しかし、ヨハネ
1:3には、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」 と書いてあります。私たちすべてがこの神様の愛情深いみ手によって形造られたのです。
 
 また、箴言
8:30,31には、「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」と書いてあります。イエスさまは生まれる前の小さな私たちと共にいることを喜ばれ、その時間を楽しまれたのです。
神様はそのことを皆さんに伝えたくて、私と息子に使命を与えられたのだと理解しています。

 ほかにもみ言葉は、生まれ出る前の存在についていろいろと語っています。
ヨブ31:15「私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。
私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。」
詩篇22:9.10「あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、
私はあなたに、ゆだねられました。母の胎にいた時から、あなたは私の神です。」

 詩篇
119:73「あなたの御手が私を造り、私を形造りました。」
イザヤ46:34「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっ
てもわたしは同じようにする。…」

 イザヤ
49:1「主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。」

 ルカ
1:41「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満
たされた。」

 ローマ
9:20「形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたの
ですか』と言えるでしょうか。」

さて、ここで新たな疑問が私の中に浮かんできました。
「果たして胎児及び新生児の能力とはどのようなものなのだろうか?
胎内記憶についてはこれまで客観的な調査.研究がなされてきたのだろうか?」
私はそれを知りたくて何冊かの本を読んでみました。内容を抜粋してご紹介します。

1.「誕生を記憶する子どもたち」 心理学者のデーヴィッド・チェンバレン著
多くの能力が出生の時点からおとな同様にそなわっていることが証明された。赤ちゃんは生まれるずっと前から個人として行動している。彼らは生まれたそのときから親密な人間関係を結び、力強く自己を主張し、好き嫌いを言い、他人に影響を与えはじめる。出生の記憶を口にする人たちの話によると、「赤ん坊」の思考は思いもよらないほど成熟しており皆個性豊かであった。親を愛し気づかっていた。人格や性格に未発達で幼稚な感じは微塵もなく、最初からそのままのかたちでそなわっているように見えた。

2.「ヒトの意識が生まれるとき」 鹿児島大学教授の大坪治彦著
人間の一生は外界に出る「誕生」とともにはじまると考えられていた。しかし「誕生」は通過点であって、「受胎」が出発点である。誕生直後の新生児が示す多くの能力はそのスタートが誕生にあるのではなく、母親の胎内ですでに活動していると考えるべきである。胎児のときに、すでに他者との「交流」が行える能力が存在している。胎児は音を聞くことができ、母胎の揺れを感じることができ、さらに、自分自身の「運動」によって「応答」する手段も明らかに備えている。赤ちゃんは、母親のお腹のなかにいるときから、他者からの働きかけを待っている。

3.「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」「赤ちゃんと話そう!生まれる前からの子
育て」 産科医の池川 明著
3601組の親子にアンケートを取りその結果を本にまとめた。それによると、回答があった人々のうち、胎内記憶がある子は33%、誕生記憶がある子は20.7%であった。
記憶は6才を過ぎると急激に消えてしまうようだ。(息子が「その通り」とうなずいていた。) おなかの中にいるときから、お母さんと赤ちゃんの絆づくりは始まっている。おなかの中で赤ちゃんは意識があり、すでにいろいろ見たり考えたりしている。おなかの中からすでに人生は始まっている。

4.「かみさま どこにいるの」「かみさま おねがいがあるの
ダニエル.アンジュ司祭が子どもたちから聞き取った言葉
かみさまは そらになんか いないよ。ぼくの こころのなかに いるんだ。
かみさまを しんじるってことは かみさまの きている シャツを しっかり にぎって、ぜったい はなさないことさ。
かみさまは ひかりをきてるんだよ。
かみさまの しごとは あいするっていうこと。
あかちゃんはね、かみさまのことばを しゃべってる。だから ぼくはね、かみさまと もっと はなしができるように あかちゃんと はなしをしてるんだ。
おいのりするっていうことは、かみさまを めでみなくても すきになることだと ぼくは おもいます。

 私は息子の話を聞いたりこれらの本を読むまでは、生まれたばかりの赤ちゃんというのは真っ白なキャンパスのような存在で、親がお世話をしたり生き方を教えたりして手助けする中で、子どもが自分の人生を描いていくものだと思っていましたが、すでに神様が備えてくださった個性と生きる使命を持って生まれて来るのだと思うようになりました。

 また、胎内にいるときから人との関わりを持つ能力が備わっているというのは大変興味深いことです。母親との関わり以前に、神様とのうるわしい心の通い合い、愛の流れる関係があったからだと考えるほうが自然ではないか、と私は思います。

 創造主であるお方のもとからやって来た赤ちゃんが、創造主との記憶
(思い出)を鮮明に覚えていて私たち大人に教えてくれるとしたら、私たちは小さな子どものつたない言葉であったとしても、へりくだり恐れをもって聞くべきではないかと思います。そういう謙遜さをなくしてはいけないと、私は自分自身に言い聞かせています。

 さて、日本では「自分を愛せない子ども」が増えていると言います。彼らは自己肯定感に乏しく、自分の存在意義がわからないので、他者を信頼し大切にすることもできません。

 最近の新聞記事によると、3人に2人の高校生が「自分はダメな人間だ」と感じているそうです。歪んだ自己評価のために、能力は持っていてもそれを発揮できないというのはとても悲しいことです。
どうしたら正しい自己評価ができるのでしょうか?「自分の存在価値は能力にあるのではなく、私を愛し大切に形造ってくださったお方が、あなたは尊い存在なのだよと言ってくださり、私の人生を描き、目的を持ってこの世に送り出してくださった。そして、今も見守り私の存在を喜び、行く手を導いてくださるのだ。また、どんなに私がまわりの人から理解されなくても、神様だけはいつも私の良き理解者としてかたわらにいてくださり、悲しみも喜びも一緒に受け止めてくださるのだ。」ということを知っていただけたらと思います。

 若者だけでなく、皆さん一人一人に向けられている「神様の愛のまなざし」が感じられるようにと願いながら、私は今日のお話をさせていただきました。
私の息子は先天的に左目の視力がほとんどありません。そのことは本人もよくわかっています。

 彼が小学2年生のとき、私にこんな質問をしてきました。 「神様はどうしてぼくをこんなふうに創ったんだろうね。」 私はここでいい加減な返事をしてはいけないと思いましたので、しばらく考えてから答えました。「お母さんにもその理由はわからない。でも、神様があなたを愛していることは知ってるよね。」息子は「うん」と返事をすると、あとは二度と同じ質問をしませんでした。

 人間の価値は能力や健康や持っているものにはよらないのです。

 また、今は人の命が過小評価されている時代でもあります。自死も殺人も増えています。幼児虐待も大きな問題です。人工妊娠中絶についてのデータによると、日本での件数は届出のあるものだけで年間40万前後ですが、実数は1日約1万人と言われています。これは、赤ちゃんが1人生まれるたびに、3〜4人が胎内で殺されていることを意味するのだそうです。人の誕生は、人間の意志を越えた神様のご計画という厳粛なものであるのに、創造主を無視するとき人間の都合で何でも出来てしまうような錯覚に陥るのかもしれません。臓器移植や体外受精、クローン技術が話題になるときもありますが、私たちが「神様によって神様のかたちに創造された」ということの重みと祝福を覚えながら、これらのことについても慎重に考えていく必要があると思います。

 最後に、長年音楽伝道に従事している私の友人が作詩作曲した賛美を紹介します。

「なんとも不思議なことですね 世界を造られた神が私を造られたとは
なんとも不思議なことですね すべての上にたつ神が私の中にいるとは
あなたは私を見つめている 愛する自分の子供として
私があなたに献げる全てを あなたは喜び受け取って下さる
…あなたのまなざしに見つめられて 私は喜び踊っている…
この曲を聴きながら、5才の息子に質問したことがあります。 「赤ちゃんにとって、神様に見つめられているっていうのはこんな感じなの?」すると息子は、「うん、100%びっくりなこと、感動なこと」と言いました。「それってうれしいって言うこと?」と聞くと、「うん、そうだよ」という確信に満ちた答えが返ってきました。

 皆さん、私たちは神様の愛のまなざしの中に憩うことができるのです。やがて神様の御前に立つときが来たら、「ああ、神様は私をこんなにも大きな愛で愛していてくださったんだ!」と感動をもって受け止めることになるだろうと、私は楽しみにしています。その希望を胸に、今は与えられている所において神様にお仕えすることを喜びとして進んで行きたいと思っています。

| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 06:50 | - | - | - | - |
乳児死体遺棄関連ブログの紹介

 先日の本ブログの記事「高3女子の乳児遺体遺棄事件を受けての切なるお願い」に応答して、「コメント大王」K死が優れた考察を記しておられます。キリスト者としての社会正義について、現実的でしっかりとした考察を記して下さっています。どうも、感覚、印象あるいは杓子定規な聖書の適用、極めて個人倫理的で偏狭な判断によって、こうした事件が論じられやすいように思います。私はこうしたブログ記事はクリスチャンがこうした社会事象を自己責任としてただしく考察するよい助けになると思いますので、ここに紹介申し上げます。

ブログ「一キリスト者からのメッセージ」〜高校生の乳児死体放棄事件について思うこと

http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=196


 特に記事の中、以下の文章は、適切な言葉によって「本来実現すべき公正からの逸脱」という本質が指摘されていると思うのです。

「今回、一番やりきれないと思ってしまう原因は、組織のルールや通常の社会通念や学校という社会の規範のみから問題視されうる高校生の妊娠という問題が死体遺棄という重大な事件につながったところである。学校という枠組みを外れてもう一度問題をとらえなおす余裕のなさと、容疑者となってしまった女子高校生を支える支援組織があったにもかかわらずそれが利用されなかった点である。知識の不足でかたずけるには、結末があまりに悲しすぎる。

 とはいえ、当事者であるからこそ、余裕がなかったのだろうし、当事者であるからこそ、支援組織へのアプローチする余裕すらなかったのかもしれない。

 どういったところで、あまりにやるせない事件だと思う。考えれば考えるほど、公正を社会においてどう実現するのかの問題と、間違った思い込みが、本来実現すべき公正からどんどんずれていってしまい、人間を本来の目的から違うところへ追い込んでしまう可能性があるという問題を考えさせた事件であるように思う。

 以上です。小さないのちを守るためにも、是非ともご一読いただき、深く考察いただきたいと願います。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 12:23 | - | - | - | - |
「もし、妊娠したら・・・」事前指導の大切さ
 昨日の記事に応答して、一読者からメールをいただきました。教育現場での対生徒へのものではなりませんが、「もし、妊娠したら」という事前指導の大切さを実感した証しです。その事前指導が周囲の犠牲に支えられ、どんなに大きな実を結んだか?その背後にあったものは何であったか?大変、有意義な実例だと思いますので、ご紹介申し上げます。(太字はこちらでの編集です)

 こんばんは。
いつもブログを拝読しております。〇〇(地域名)で保育の仕事をしている、「いのちを守る会」会員のクリスチャンです。今日のブログを読み、思い出した出来事があり思わずメールいたしました。
以前勤めていた保育園でのことです。

 飲み会の席で、主任保育士(50代女性)が若い保育士達(大半は独身)を集めて一言「もし子どもができたらすぐに言いなさい、悪いようにはしないから」と言ったのです。当時社会人1年目だった私は、なぜ主任がそんなことを言うのかわかりませんでした。

 しかしそれから1年後、この言葉の深い意味を知ることとなりました。1人の臨時雇用の保育士(既婚者)が、契約期間半ばで妊娠していることがわかったのです。既婚者とは言え、「1年」と期間の決まっている臨時契約の立場で妊娠など有り得ない、ましてや心身共にハードな保育園の仕事では周囲に迷惑をかけると考えたこの保育士は、涙ながらに退職を申し出たそうです。

 しかし、園長と主任は続けて雇用すると決めました。数か月間、つわりや検診での早退や欠勤は職員皆でフォローし、園児たちには「○○先生のお腹には赤ちゃんがいるから、乱暴にしちゃいけないよ」と伝えていきました。

 すると、普段は乱暴な行動の多い子も、この保育士の側では落ち着いた動きをし「ここに赤ちゃんがいる」という事実が子どもたちを優しくさせていきました。自分たちよりも小さく弱い胎児の存在を感じることや、自分もこうして生まれてきたのだと知ることは、園児たちにとってとても貴重な「いのちの教育」でした。

 もしも、この時の主任が「悪いようにはしないから」と言ってくれるような人でなければ、雇用は切られ、この「いのちの教育」は起こりませんでした。あるいは、雇用とお腹のいのちが天秤にかけられるようなことも起こりかねなかったのではないかと思います。

 後に、この主任保育士がクリスチャンホームで育ったクリスチャンであると知りました。お酒もタバコもやり、化粧は派手、「今は教会にはクリスマスにしか行かない」と言う「敬虔」なイメージからは遠いクリスチャンでしたが、この「悪いようにしないから」に含まれた、いのちを守る深い意味を思う時にクリスチャンの社会でのあるべき姿を考えさせられます。「あなたにも、赤ちゃんにも、悪いようにはならないように力になりましょう」と言ってくれる人がいることが、予期しない妊娠をした方には大切なように思います。

 
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 08:48 | - | - | - | - |
高3女子の乳児遺体遺棄事件を受けての切なるお願い
 今日のヤフーのトップページに悲しい記事が。

「死体遺棄容疑で女子高生逮捕=ごみ袋に乳児遺体―警視庁」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100921-00000042-jij-soci

 「届くことができたら」、「本会のことを知っていてくれたら・・」、正直、そうした思いがします。働きの中で、親や家族が発見、あるいはクリスチャンである友人や教会が妊娠を知ったから、本会がお力になれて、助かったいのちがあります。そうでなければ、同様のことになりかねないケースにいくつか遭遇してきました。決して多くはありませんが、家庭の事情やお腹の大きさなどで、本当に家族が気が付かず、出産にいたるケースはあるのです。「捨てるなら」「死に至らしめてしまうくらいなら」と私たちは思いますが、孤立してしまった歳若い妊婦は、そうした冷静で客観的な判断を失うものです。そして、誰にも告げられず、芽生えたいのちと自らにとって最悪の結果をもたらすのです。

 いのちを落とした子どもの父親に当たる人物は出頭もせず、指名手配もされず、女子高生とその家族だけが様々な面での制裁を受け、人生において不利益を被るのでしょう。これも、不条理です。この女子高生は犯罪の加害者であると同時に、身勝手な性の被害者でもあります。しかし、きっと男性は無責任な加害者に過ぎないでしょう。

 将来ある女子高生を、守ることができず(多分)身勝手な性の犠牲者にし、芽生えたいのちさえ犠牲にすることについては、私たち日本の大人たち全体の責任を認めざるを得ません。そこで、私から土下座する思いでお願いがございます。

(1)どうか、日本のキリスト教会の責任の一部として受け止めて下さい。
 教会が、散らされた教会であるクリスチャン個々が、地の塩世の光として機能していれば、こうした事件は、避けられた可能性があるのです。クリスチャンである私たちは、まるで自分の責任と関係ないかのような思いでなく、「教会の力不足」「私たちの証しの至らなさ」として、こうした事件を受け止めていただきたいのです。そして、今の立場できる事を考えていただきたいのです。

(2)教会とクリスチャンホームは性のテーマから逃げるのは止めて下さい。
 どうか、当事者感を持って下さい。教会に集う青年や学生、中高生の中には、こうした事件に発展してもおかしくない事例が既に起こっています。この事実から目を背けず、聖書が明確に記している性について指導者や親は教えていただきたいのです。ご自分ができないなら、できるように学ぶか、できる方に依頼して下さい。それは、子どもに対しての大人として最低限の責任だと思います。

(3)本会の働きと存在をお知らせください。
 周囲の方々に機会があれば、本会の働きと存在をあらかじめ知らせておいて下さい。もし、その方や知人・家族が、妊娠した場合、本会の介入によって今回のような事件に発展することが避けられるのです。メール一通、電話一本で最悪の事態を回避できるのです。残念ながら、クリスチャンホームの子どもたちや教会に集う若者も例外ではありません。その現実を認めて、むしろ教会の中からお知らせいただきたいのです。

(4)学校関係者の皆さんへ
 女子高生の妊娠が発覚すると、学校は生徒と親の敵になってしまいます。なぜでしょうか?妊娠したり、出産すると、事実上、退学をせざるを得ないからです。逆に隠れて中絶すれば、学校を続けられるのです。
 これは、決して学校が悪いわけではありませんが、結果的に、「学校を続けたいなら中絶」という選択を誘導していることになります。もちろん、教育現場とすれば、妊娠出産した生徒を指導対象とするのか?という意見もあるでしょう。しかし、そうした方針のままでは、これからも学校の体質がこうした事件を起こす背景にある原因の一つになっていくのではないか?ということだけは考えていただきたいのです。
 母親クラスが高校にあるアメリカは異常だと多くの方は思うでしょうが、学業継続のために中絶する女子高生やそうさせる親が大多数の日本社会はもっと異常です

 「もし、妊娠したら、学校に申し出るのですよ。希望すれば出産しても卒業まで学校続けていいですよ。」「高校生が妊娠出産するのは、無責任です。でも芽生えたいのちに対して責任をとる事を応援し、高校卒業までは、あなたの力になります」、きれい事の正論と言われても、私はこれが本来の教育だと思います。少なくとも他の教育機関と連携して高校卒業まで学業を継続できる道を与えてやって欲しいのです。教育現場で生徒に「正直者はバカを見る」と教えることがあってはならないでしょう。

 妊娠出産した女子生徒を卒業まで応援する学校、母親教室のある女子高校、そうした方針を打ち出せば、きっと、学校の評価は下がるでしょう。ですから、暴論を覚悟で書くのですが、学校継続のための女子高生の中絶や新生児遺棄を防止できる決定打の一つは、間違いなく学校側の方針転換です。

(5)女子高生がセックスしていいかどうか?考えさせてください。
 今、一般の性教育も、「いのちの教育」あっての「性教育」という流れにあります。性にはいのちに対する責任があります。セックスすれば妊娠の可能性はあるのです。
 だから出産育児できない状況や年齢でのセックスは、とんでもない無責任であることを、大人たちは子どもたちに知らせて欲しいのです。

 「愛し合っているならいいのでは?」は間違いです。「芽生える可能性のあるいのちに対して責任がもてないから、してはいけない!」 それは宗教道徳に関係なく、常識です。セックスは愛の行為であるだけでなく命を生み出す行為なのですから。
 「愛し合っていたら当然」という風潮や声に勇気をもってNO!を言える大人たちが増えることが、こうした事件を減らしていくのでしょう。私たちの勇気の欠如が、子ども達を犠牲にすることがあってはなりません。

(6)親としての責任を果たしてして下さい。
 母親である皆さん、どうか、女性の先輩として、娘さんが無責任な男性たちの性の犠牲にならないよう指導をお願いします。誠意ある男性の見分け方、自分を守る事の大切さ、交際の仕方など先輩として教えて下さい。「あれはだめ」「これはだめ」でなく「こうしましょう」「こうするといいよ」と具体的に示してください。いいえ、ご自分の失敗例を紹介してでも、娘さんを守って欲しいのです。

 父親は娘さんが愛情実感するように、親として接し、愛情を注いで下さい。女子中高生が無責任な男性に魅力を感じ、性を与えてしまう原因の第一は、「父親からの愛情実感の欠如」です。信頼できない男性、自分を大切にしてくれない男性をわざわざ選び、性関係を持つのは、幼児期から児童期にかけて受けられなかった父からの愛の補償行為であります。これは心理学の世界では定説のようです。
 もちろん、息子さんへの「愛するとはどういういことか?」「男性としての女性といのちへの責任」の教育もお願いします。親として、家庭教育の一部として、どうかこうした責任を果たしていただければと願ってやみません。

 改めて、読者の皆様には、失礼な表現や内容も含まれている事を承知の上で、どうしても、お願いしたいのです。このことは、子どもを不幸な性や無責任な性情報から守ろうとしない日本の大人たちの責任が重いのです。どうか、当事者感をもって、同じことがこれ以上起こらないためにも、ご検討いただきたいのです。

 この失礼で拙い記事を、誰か(特に親、教会指導者、学校関係者)に紹介することも、今できることの一つなのかもしれません。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 14:02 | - | - | - | - |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE