命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
親子心中から考える小さないのちの尊厳(3)

 これまた「アメリカ人親子心中クレイジー評価説」をお教えいただいた方よりの受け売り。ある書物に記されていた実話です。伝聞であり、記憶も曖昧なのですが、趣旨はお伝えできると思いますので、私なりに再現してみます。

 重度の障碍を持つ小学生男子の母親。子どもの将来を悲観して、親子心中を図ろうとしたその時のこと。子どもが母親に言います。

 「死ぬなら、かあちゃん一人で死んでな。ボク、まだ、やることいっぱいあるから。学校の生徒会が忙しいんや」

 この言葉を聞いた母親は、自分の間違いを悟り、心中を思いとどまったとのこと。


 この子には、この子の人生があること。存在意義も社会的使命もあること。道連れにしてそれを奪う権利は自分にはないこと。きっと、わが子の訴えを聞き、そんなことをこの母親は悟ったのでしょう。

 他者感覚に欠ける時、犠牲を惜しまぬ崇高なる母の愛でさえ、愛とは正反対の判断や行動へと結び付けてしまうのでしょう。

 この重度障碍児は、自らの思いを伝えることができました。実際には、それさえもできない児童、幼児、胎児が多くいることを私たちは忘れてはならないでしょう。

 胎児だけではなく、そうした小さないのちの代弁者となって、親とは別の独立したいのちの尊厳を訴えること、それは、いのちの所有者である神とであったキリスト者、および教会に委ねられた使命の一つでありましょう。

 

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 09:02 | - | - | - | - |
親子心中から考える小さないのちの尊厳(2)
 親子心中をアメリカ人はクレイジーと評価すると教えていただいた方によれば、日本人が母子心中に至るようなケースにおいて、アメリカ人なら、自分ひとりが死ぬか、子ども一人を殺すのだそうです。つまり、決して子どもを道連れにはしないのです。ここに他者感覚の強さ、子どもを個人として尊重する文化の根強さを思います。

 オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の現場では、坂本弁護士の妻は、子どもだけは殺さぬよう懇願したと伝えられています。自分は死しても、子のいのちを守りたいと願うのは、時代、宗教、文化を超えて、愛情深い親が持つ共通の思いでしょう。しかし、自分が追い詰められた状況では、親子心中に走ってしまう日本の母たち。その根源にあるのは、やはり他者感覚の欠如だと思うのです。

 ここでちょっと考えてみたいのです。読者の皆さんはどちらをひどい母親だと思いますか?

 子どものみを殺害した母親
 母子心中を図った母親

 私自身は、,諒貎討紡个靴討怒りを覚えますし、勝手に「鬼」であるかのような印象を持ってしまいます。△諒貎討砲呂覆爾、同情心を持ってしまい。不思議と非難する気持ちが起こりません。これは極めて日本的で心情的、主観的な判断でしょう。

 私は反省を持って、「そういう印象を持つのは仕方ないかもしれないが、その印象を基準に善悪の判断をしてはいけない」と考えています。つまり△諒が同情の余地があるから悪くないと安易に判断できないだろうということです。

 客観的に見るとどうでしょう?,両豺腓蓮⊆困錣譴燭い里舛蓮一人です。しかし、△両豺腓蓮⊆困錣譴燭い里舛二人です。奪われたいのちの数で罪の重さを計ることが必ずしも正しいわけではないでしょう。しかし、日本は「一人殺しても無期懲役まで、二人殺せば死刑もありうる」との相場を持つ社会です。

 神様の視点から見れば、一人子を与えたほどかけがえのないいのちが、,任楼貎諭↓△任脇鷽傭イ錣譴討い襪錣韻任后そう考えますと、人間側の同情心や主観的感覚によって、,諒が△茲蠅盧畤爾と判断することは、必ずしも正しいとは言えないでしょう。少なくとも、キリスト者は自分に信仰があるからといって、自分の主観的な印象や感覚で善悪を判断してはならないでしょう。むしろ、客観的事実をよく観察し、神の視点から判断すべきでしょう。

 「わが子を手にかける母親母子心中を図る母親、どちらがより残酷か?より罪深いか?」

 この問いは私たちの奥深くに潜むものを探り出す問い掛けではないでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 21:41 | - | - | - | - |
親子心中から考える小さないのちの尊厳(1)

 児童福祉に詳しい方の話しによれば、親子心中についてのアメリカ人の評価は「クレイジー」だそうです。「善悪」や「賛否」の問題ではなく、まず、「正常ー異常」の問題であるかのよう。それに対して日本の文化では、「善悪」において「」、「賛否」については「」であっても、心情的には一定の理解や共感、同情があるものです。

 東京神学大学の近藤勝彦師は、その著書中、聖書の生命観を「神の所有、人への委託」と簡潔に表現しておられます。つまり、自分であれ他者であれ、いのちは神のもので、その人、あるいは保護者に委託されているに過ぎません。近藤師はさらに、人工妊娠中絶の根本原因を「(親の胎児に対しての)他者感覚の欠如」と指摘します。

 日本文化や社会における諸問題の根源の一つは、この「親の子どもに対する他者感覚の欠如」でありましょう。子どもを自分とは他者、つまり別人格、別の独立した尊ぶべき人格として受け止めないことが、様々な問題につながっていると思うのです。

 子どもが胎児であれば、それは「自分のもの」「自分の一部」との感覚となり、安易な中絶となります。子どもが乳児であれば、遺棄に、幼児や児童あれば、虐待や育児放棄となるでしょう。近年は、中学生の息子と共に入浴する母親が多いの指摘をしばしば耳にする日本社会です。長時間労働に夫を取られた母親が、著しく他者感覚を失えば、過保護、過干渉、母子密着などによって息子の自立を妨げてしまうことでしょう。

 中絶、遺棄、虐待、育児放棄、男性の自立不足などは、元をたどれば、「親の子どもに対する他者感覚の欠如」にその一因がたどり着くのでは?そして、他者感覚の欠如がもたらす最悪の結果は、母子心中なのでしょう。

 きっとアメリカ人が母子心中を「クレイジー」と評価する感覚は、日本人が、「一人の母親が見知らぬ子どもを道連れにいのちを断った」という事件に対して抱く感覚に近いのでは?などと思ってしまいます。

 クリスチャンになったらかと言って、こうした根強い感覚の領域にまですぐに福音の光が届き、価値転換が行われるわけではないでしょう。中絶や虐待問題に限らず、クリスチャンの親や家庭の問題の原因が、こうした「子どもに対しての他者感覚の欠如」である事例は、少ないないようにお見受けします。

 また、こうした他者感覚の欠如を助長するのが、夫婦関係でもあります。心通じ合わぬ夫婦関係や夫への失望が母子密着を助長することを思えば、男性たちの責任は極めて重いと判断すべきでしょう。

 母子心中を「クレイジー」と感じる感性が絶対正しいとは申しません。しかし、日本社会に生きる者は、そこに学ぶべきではないかと思うのです。お互いの知的価値観のさらに心の奥深くにある感性の部分にまで、福音の光がとどき、造りかえられることの大切さを痛感します。

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:06 | - | - | - | - |
自己価値と人生の意味は、性といのちに直結

 昨日の永原郁子先生の講演会は大変、有意義なつどいとなりました。お祈りの応援を感謝します。会場前から、お出でくださる方も目立つなど、永原先生への期待を痛感。何と!どうしてもこの機会に永原先生の講演をということで、本当に沖縄から飛行機で名古屋まで、来られた会員の姉妹も!70名を超える来場があり、会場もほぼ満席状態。

 永原先生の素晴らしいところは、性といのち、人生、子育てをまとめて、一つのものとして語ってくださるところだと思います。昨日も、「自分に価値があると思うかどうか?」「人生に意味や目的を持っているか?」の二つが、その人物の性行動やいのちへの尊厳に直結することを教えていただきました。

 自己価値が認められず、人生の意味を実感できないと、人は二つの極端に走るそうで、一つは快楽に溺れること。性的快楽への没頭はその一つ。もう一つは、死を願い、いのちや自分を大切にできなくなるということ。

 お話しを伺い、深く納得。自分に価値が認められず、人生の意味も持ちぬなら、その空しさから一時的にも、逃避しようと人は快楽に身を委ねるでしょう。様々な依存症の背後にはそうした要因を持つ場合は少なくないだろうと思われます。男性に抱かれることで自己価値確認を行う少女もいれば、空しさを忘れようと性依存症になってしまった中高生男子の話を時にお聞きします。

 つくづく、若い世代が福音を必要としていることを覚えます。なぜなら、福音は自己価値と人生の意味を与えるからです。

「私の目にはあなたは高価で尊い」
「あなたは神が死なれたほど、価値がある」
「価値があるから愛されるのでなく、神がいのちががけ愛したあなただから価値がある」

福音は、神の愛を根拠に、すべての人に自己価値を与えるものです。

「君は愛されるために生まれ、人生は、その愛に応えるため」
「神様の素晴らしさを現すための人生」
「キリストにあってよい行いをするための人生」

福音は神との関係にあってすべての人の人生に意味を与えるものです。

 自己価値と人生の意味を持ちうることが、キリスト者の幸せであり、性の快楽に溺れ、自らのいのちを粗末にする危険から、信仰者を守るのでしょう。

 もちろん、悲惨な生育歴や心の病などによって、性的快楽に流れやすく、自らのいのちを大切に思えなくなるクリスチャンの存在も覚えなくてはならないでしょう。決して、信仰不足で片付けてはならない課題として、簡単なことではありませんが、苦しむ方々に寄り添えるような教会の交わりであればと願います。

 「自分に価値があるかどうか?」と「自分の人生に意味を実感できるかどうか?」

 それは、「自分の性といのちを大切にできるか?正しく用いられるか?」に直結することなのでしょう。

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:18 | - | - | - | - |
イエス様も通られた受胎から出産までを最新技術の動画で
  11月19日の記事で一人のクリスチャンの方からお知らせいただいた胎児の動画のご紹介しました。英語が十分聞き取れなくても感動しました。お知らせくださった方から、本日は朗報!何と日本語字幕で読めるのです。

Alexander Tsiaras: Conception to birth -- visualized 
 http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fKyljukBE70#

その方からのご説明。
「画面のすぐ下に、Subtitles available in とあり、右横のダイアログで 16 languages[off] とありますが、Japanese を選びますと、すべての内容が、日本語字幕で読めます。」

 さっそく日本語字幕で見るなら、この数学者のプレゼンの意図がよく伝わってきました。受胎から、出産までのプロセス、ありえないような正確な情報伝達、そこに感じる神秘、神の存在の想起。いのちの尊厳、さらには胎児の人権や中絶防止に有効な映像。ぜひ、日本語字幕入りで、多くの方にご紹介いただければ感謝です。

 クリスマスを前に、神が人となり、イエス様もこのプロセスを通過されたのだなーと思えば、感無量であります。この動画、胎児となられたイエス様のお姿と重ね合わせるなら、別の視点、新たな感動をもって、クリスマスを迎えられるのではないでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 10:24 | - | - | - | - |
出産までの胎児の成長、お勧め動画
 昨日、一人のクリスチャンの方から動画のご紹介。これは感動しました!
ご紹介いただいた方のお話では、動画を作成した人物は、学者の方のようです。特別、信仰や創造論の立場ではなく、客観的に人間の身体の素晴らしさを伝えていると思われます。これは信仰の有無に関係なく、いのちの尊さを伝える映像だと思いましたので、ご紹介申し上げます。2:00-6:00あたりが、胎児の映像です。

Alexander Tsiaras: Conception to birth -- visualized 

 http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fKyljukBE70#
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 10:14 | - | - | - | - |
朝食:昼食:夕食=5:4:1が良いというのは聖書的らしいぞ

 専門家によれば、一日三食におけるカロリー摂取のバランスは、朝食:昼食:夕食=5:4:1が理想的だそうです。午後8時以降のカロリー摂取は飛躍的に肥満に結びつく傾向が強いのだとか。それにしても夕食の1はキツイですね。

 この5:4:1という比率は、聖書的なのでは?と思うのです。「人間は食べるために働くのか?それとも働くために食べるのか?」という本質的な問いを考えたことありますか?どうも、聖書的には、「働くために食べる」というのが正解らしいです。

 なぜなら、創世記2章で、アダムが地を耕していた時、彼は園の木から食べ放題でしたから。糧を得るため働く必要はなかったのです。この時点での労働は糧を得るためでなく、神の栄光を表す業への参与としての労働でした。

 それが「食べるために働く」になったのは、創世記3章以降で、地が呪われ、労働も糧を得るための苦痛に転じたから。有名な「働くもの食うべからず」の真意は「働けるのに働こうとしない人間は、食べる必要がない。なぜなら、人は働くために食べるのだから」ということらしいですぞ。

 そう考えると、5:4:1は、かなり聖書的な食生活と言えるのでは?空腹で起床して午前の労働のために食べるから、朝は5なのです。午後の労働のために食べるので、昼食は4でしょう。そして、その後に労働がないのですから、夕食は1で十分

 きっと、早寝早起きで、農業に励み、5:4:1の食生活が、健康に一番よいのでしょう。そういう生活によって、心や体の病を治療する試みも多くあるようですね。

 創造主である神様は、「働くために食べる仕様」で、人体に体内時計脂肪蓄積遺伝子などをデザインされたのかもしれません。

 そう考えますと、仕事のストレス解消に、午後10時以降にラーメンを食べるなどは、気持ちが分かりますが、かなり考え物ですね。創造主のデザインに反する食生活であり、聖書的な食と労働の関係から逸脱し、なおかつ、肥満の元になり、体に悪いわけです。良い子の皆さんは素直に悔改めて、別のストレス解消法に変更しましょう。

 私自身も現行の1:3:6のような食生活バランスを反省しているところです。トホホ・・・。

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 22:12 | - | - | - | - |
44歳難病女性と19歳の少年に思う「偽りの純愛美学」
 19歳の少年が難病を患う女性を刺殺。少年は「彼女を病気から救ってあげたかった」と供述しているとか。

 こちらが最初のニュースでしょうか?
http://www.asahi.com/national/update/1018/TKY201110170730.html

 二人が恋愛関係であったように報道されています。
http://news24.jp/articles/2011/10/18/07192751.html

 ネット上では「出会い系で知り合った」との記述も。

 供述どおり、女性が刺殺を願ったとしても、女性自身の手で包丁を握り突き刺すのを少年が手伝ったわけではないので、これは「自殺ほう助」とはならないと思われます。多分、殺人罪になるでしょう。また、未成年なので、成人とは異なる刑となることも予想されます。

 19歳の少年が母親のような年齢の難病女性と恋愛関係になり、愛する女性を苦しみから解き放つため、自分が犯罪者になることを選ぶ・・・・。何か映画かテレビドラマのようです。
 
 「愛する人が難病に苦しむ」→「にしてあげるのが愛」→「殺人犯となる犠牲を惜しまぬのが愛」

 テレビ的恋愛至上主義的には、こういう思考になってしまうのでしょう。

 本当の愛は共に苦しみを担うことでしょう。少年は一生を共にすることを願い、大人の彼女は、それを拒否したのかもしれません。そもそも19歳の愛は、多くの場合、どんなに純粋でも、現実性も継続力もないのが、悲しい現実。

 もし、当人同士だけの世界なら、これも愛の一形態かも知れません。ドラマチックな「男女の究極の愛」と評されるかも。また、いのちが彼女の私物であるなら、正当な行為かもしれません。

 しかし、生命とは「神の所有」、「その人への委託」、同時に「私物」でなく、「家族やその人を愛する人たちの共有財産」。もちろん、難病の方に、「それでも生きるのが使命」などと、健康なものが安易に発言すべきではないでしょう。しかし、聖書的な視点で考えるなら、やはり残念に思う私です。

 恋愛が持つ魔力は二人だけの世界に入ってしまい、周囲とのつながりや絆を見失ってしまうことです。難病であった女性の家族、友人は彼女を失って悲しまないでしょうか?犯罪者となってしまった少年の家族や知人は、どうでしょう?「彼女を楽に」という愛の判断は純粋でも、未熟で視野狭窄的ではないかと思うのです。純愛は美しいです。しかし、どんな純愛も未熟であるなら、それは過ちを免れません。そして、19歳の男性の愛が、未熟でないはずがありません。

 この事件は、「愛する家族が難病で苦しむ時、その安らかな死を願うか?」という問いとは、本質を異にすると私は思います。
 
 19歳の少年の中にあったのは、もしかしたら純愛ドラマや純愛映画などでは?この少年の判断や行動の根底にあったのはメディアが発信する「純愛モノ」に刷り込まれた「純愛美学」だったのかもしれません。それらの愛の究極の姿は「」ですから。「本当の意味で異性を愛するとは、何を意味するのか?」そのような思索をする機会もなく人生を送ってきたのかも。二人の立場になれば、同情は禁じえませんが、一方でそうしたことも考えてしまいました。

 このことは、教会に集う若い世代も決して例外ではないでしょう。聖書的な愛や恋愛観より、メディアが刷り込む「純愛至上主義」と「その究極の姿は死である」との美学を優先している若きクリスチャン達は、決して少なくないように思います。一度、若いクリスチャンにこの事件の感想や評価を尋ねてみて下さい。意外にも、肯定的な評価をしたり、美学的賞賛をするクリスチャンも少なくないのでは?

 そう考えますと、この19歳の少年は、「偽りの純愛美学」の被害者であり、「純愛信仰者」としての破綻者と言えるのかもしれません。ある意味、憶測に基づく仮説に過ぎませんが、今回の事件を機に、こうした未熟で純粋な恋愛観について考えていただければうれしいです。

 なぜなら、こうした未熟で純粋な恋愛観が、結果として、小さないのちを奪うこととなるケースも、少なくないからです。
 
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 21:17 | - | - | - | - |
二歳女児行方不明に思うこと
 大分のスーパーで、ほんの数分の買い物の間に車にいたはずの二歳女児が行方不明とのこと。事故か誘拐事件か、それ以外のことなのか?まだ、真相は不明のようです。いずれにせよ、警察は夜を徹しての捜索。何でも500人体制だそうだとか。警察の皆さんのご労には感謝するばかり。そして何より、この女児の無事を願うばかりです。

 そこで、思うことは中絶されていく胎児のこと。

 生まれてきた子どものためには、警察という公権力がその命のため労してくれます。しかし、生まれる前の子どもは母親が守ろうとしなければ、多くの場合、公権力は守ってくれません。

 生まれた後の子どものためには、500人もの警察と、数え切れない方々がそのいのちを助けるために労してくれます。しかし、生まれる前となれば、いのちの危機にある子どものためには、ほとんど誰も労してはくれません

 生まれたいのちのためには、500人体制という莫大な税金が投じられます。生まれる前のいのちを救うために、国家や自治体ははどれだけの税金を投じているでしょう?

 たった一人のいのちが行方不明になれば、日本中に報道され、多く方が悲しみ、無事を祈ります。しかし、出産前なら、母親と家族と医療者数名以外には、誰にも、その存在すら知られずに、いのちを終えていくのです。

 一旦生まれた命には、金も人もつぎ込んでそのいのちを守り、生まれる前のいのちには、そのいのちを守るための金も人もいない・・・・。それなのに少子化問題。

 人工妊娠中絶は、人類、最後の差別問題あるいは人権問題だと言われます。生まれる前と後とでは、基本的人権の有無、生存権の有無、社会や周囲の人々のいのちへの思い・・・・。ここまで極端に異なっていいのでしょうか?


  ※サイト本体を経由せず読まれた方はこちらをクリックお願いします。
 「小さないのちを守る会」
〈ワンクリックが小さないのちを守るサポートになります〉
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 13:48 | - | - | - | - |
韓国の牧師が赤ちゃんポスト設置
 愛読するブログ記事で、この件を知りました。そこでは「毎日中国経済」の以下の記事が紹介されておりました。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/politics_economics_society/280617/

 検索すると韓国のテレビKBSの番組で、この春、著名女優のナレーションで、紹介されたことがわかりました。
http://www.asahi.com/showbiz/korea/AUT201104200044.html


 もう少し詳しい情報を知りたくて検索するとこの件についてのLos Angels Times の詳細な記事とその翻訳が見つかりました。これはありがたいです。ぜひ、本ブログのご愛読者の皆様にはお読みいただきたいです。その牧師ご自身が重度の障碍児を授かり、その子を通して、牧師への道を歩み、こうした働きに歩んでいったことが書かれています。これによれば「障碍の故に育てられないなら捨てないでここへ置いていってください」との趣旨であることがわかります。単に育てられないではなく、障碍に特化していることがわかります。実際に21名中、二名以外は全員障碍児であるようです。またこれまで、5名が養子縁組されていることも、興味深いです。これ以上の詳細は分かりませんので、安易な判断をすべきではないでしょうが、ご紹介する価値のある内容かと思います。

 赤ちゃんポストの起源は、教会の扉前に赤ちゃんを置けば、遺棄罪にならず、赤ちゃんも育ててもらえるという中世カトリック教会のシステムにあるようです。キリスト教の影響の強い韓国でも、中世ヨーロッパ教会のようにはいかないのでしょう。また、韓国文化が持つ障碍児に対する評価女性の自立や人権なども問われる問題なのかもしれません。他方で韓国には、キリスト教会が母胎となり行っている優れた児童福祉や弱い立場の女性を支援する働きは多くあるだろうとも思うわけです。

 また、この件についてよくご存知の方がいらっしゃいましたら、メール等にてご一報いただけれるとうれしいです。

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980361921.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980430185.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980446045.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980450996.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980455852.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980459687.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980463389.html#main

韓国、牧師の「赤ちゃんポスト」─
http://ameblo.jp/mathilde-en-france/entry-10980470522.html#main

 ※サイト本体を経由せず読まれた方はこちらをクリックお願いします。
 「小さないのちを守る会」
〈ワンクリックが小さないのちを守るサポートになります〉

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 08:44 | - | - | - | - |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE