命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
ユンソナ婚支持者の多さにビックリ!
 金城学院大学での三回の講義も今日で終了。自分としては手応えもあり、学生さんの応答もよいかと思います。何より聖書を基準として、中絶問題から、生命と性の尊厳、神から委託された性と体を責任もって管理できる自立した女性にというメッセージを伝えることができたのは感謝。

 今日は冒頭で、いわゆる「つかみ」としてユンソナ婚をご紹介。古くからの読者は、ご存知でしょうが、ご存じない方はこちらを参照ください。

元祖ユンソナ婚の記事
 http://blog.chiisana.org/?eid=438223

男性版ユンソナ婚のユンソナ男はこちら
http://blog.chiisana.org/?eid=1371282

ユンソナ婚に関連したエコ婚は以下の三つ
http://blog.chiisana.org/?eid=1371289

http://blog.chiisana.org/?eid=1371290

http://blog.chiisana.org/?eid=1372310

 90分の講義の最後の10分は、講義の感想や応答を学生に書いて頂き、提出することになっております。毎回、その感想用紙に、教えられてばかり。今回驚いたのは、ユンソナ婚支持者の多さ

 約90人の学生のうち、6人がユンソナ婚支持。これには正直驚きました。ユンソナの恋愛観は、聖書的な一つのあり方とは思いますが、私自身はチョット極端かな?安易に真似すべきでないと考えていたので、これは驚きでした。

 学生の中には「ユンソナのような結婚が理想」とか「ユンソナのように結婚相手とだけ交際できれば自分は満足」などの声が。これは最近の若い男女の「恋愛離れ傾向」や「絆志向」などがあるのかも。

 いずれにせよ今回、初めて三回にわたる講義で、実感した事は、聖書の生命観、性倫理、恋愛観などをきちんと理解できる言葉で伝えれば、予想以上に関心を示し、かなり正しく受け止めてくれるということ。ユンソナ婚への評価は予想外の収穫でした。

 クリスチャンが聖書の恋愛観や性倫理を証しすることは、大きなチャレンジで勇気を必要とすることでしょう。しかし、真面目な場で、真面目な相手なら、恐れてしまう程でもない場合も多いのでは?ある時は、機会をとらえて、大胆に証しをしてみては?それは、最もインパクトある証しの一つでしょう。
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 16:52 | - | - | - | - |
娘の彼氏から「テスト同棲」の申し込みに激怒の父親
 ヤフーのトップページに、掲載に知恵袋にそんなタイトルの相談が。これはとても興味深いです。「結婚を前提に同棲」でなく「テスト同棲」であることに父の怒りはなお増すのでしょう。回答者の同棲についての賛否両論の意見、それとは別に育児方針、両親の夫婦関係にまで踏み込んでの言及が興味深いです。

 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1073374480?fr=top_mantenna

 ちなみに私も激怒となるでしょう。DV失敗を恐れる気持ちから、同棲というプロセスを願うのはわかるのですが、圧倒的に女性に不利なシステムですよ、同棲は。以前にも、同棲神話崩壊同棲はお試しにならないという趣旨で記事を書いておりますので、ご参照を。

同棲神話崩壊
http://blog.chiisana.org/?eid=1407678

同棲はお試し婚にならない
http://blog.chiisana.org/?eid=538091
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 10:16 | - | - | - | - |
拓郎の「結婚しようよ」VS福山の「家族になろうよ」

 福山はさすがであります。どういう歌をリスナーが求めているか、的確にニーズを捉えて、マーケットを調査しているのでしょう。震災後に、人々が絆の大切さに気がつき、家族という本質に回帰していく心を見透かしたように、この歌かい!というベタさ

 そう、ベタだから「家族になろうよ」は売れるのです。何と言ってもフランス婚を提唱し、実践までした夏木マリでさえ、震災後は絆の大切さを認識しての入籍。「欧米か!」と突っ込まれかねない「フランス婚」も一転、「日本婚」へ。ちなみに夏木マリは、現代音楽のファンであります。まさに「バッハに帰れ」の音楽的表現ならぬ、原点回帰の結婚における表現になっているようです。

 「歌は世につれ、世は歌に連れ」の法則を逆利用したかのような、見事な作品であります。しかも、女性の立場に立っての作詞ですから、婚活系女子のハートはワシづかみ。さらには、結婚企業のCFソングになるというベタさ。「結婚すること=家族になること」という保守回帰的結婚観を、この歌は歌い、震災後の不安な国民の心の精神安定剤として機能したのでしょう。この楽曲が売れた最大の理由は日本社会に立派に精神安定剤として機能したからだと、またまた屈折した音楽評論をしてしまいました。

 そう考えながら、思ったのです。もしかすると、この「家族になろうよ」はあの「結婚しようよ」のアンチテーゼ、あるいは、「3・11以降バージョン」かもと。

 吉田拓郎はかつて歌いました。「僕の髪が肩まで伸びて君と同じなったら、約束どおり、町の教会で結婚しようよ」

 この歌に保守的な大人たちは怒りました。
「おい、男の方が髪が長いんかい!」(そういう男性が現われた時代)
「クリスチャンでもないのに、教会で結婚式かい!」(当時は結構反社会的だったかも)

 いずれにせよ、旧来の日本文化や価値観、結婚観に対する否定や批判、反抗があったわけです。結婚が「家制度」とか「家庭形成」とか「子孫繁栄」より、純粋に、両者の恋愛感情によるものとなっていった時代の歌。まあ、青いと言えばそれまでですが、まさに若者文化でありましょう。旧来の価値観を否定する「先鋭的な不道徳ソング」であります。

 それに比して、福山の「家族になろうよ」は、結婚が純粋な男女の恋愛感情を超えて、家族の絆をつくるものとして描かれています。保守政治家が聴いたら泣いて喜びそうな「保守的道徳ソング」であります。

 屈折している私にはこの歌、ツッコミどころ満載です。

選んでくれてありとう」だって!いまどき、そんな謙虚な女おらんわ!女が男を選ぶ時代だろ!

「いつか、父さんみたい、母さんみたい、おじいちゃん、おばあちゃん」だって?アンタの両親夫婦や祖父母夫婦は、ほんとに結婚のモデルになっとるんかい?今どき、そんなこと、そうそうないやろ?

あなたとなら、生きてゆける」だって?みんな最初はそう思うんじゃ!そう思ってスタートした結婚がどれだけ、破綻していることか!

 もう、ここまで来ると因縁つけてますね。この「家族になろうよ」は、震災後の不安感から、絆を求める社会に精神安定剤としての機能を果たす見事な歌です。ヒットするのも売れるのも当然です。しかし、この歌詞は、現実認識や展望性において著しく甘い、一種のユートピアイズムとも考えられます。これは一部の幸せな家庭に育った素直で甘い婚活系女子のおめでたい歌にすぎないのかも。

 拓郎の「結婚しようよ」VS福山の「家族になろうよ」は、ある意味「先鋭」VS「保守」であり「不道徳」VS「道徳」と言えるかと思います。しかし、両者とも、若さゆえの甘さとリアリティーのなさは免れないのでは?

 でも、それでいいのです。現実をリアリティーをもって正しく歌った歌など、大衆が聴きたいと思うわけがありませんから。どちらの曲も当時の「時代の精神」を描き、そのニーズに応答し、大衆の支持を得たということでしょう。福山も偉い!拓郎もさすがです。でも、アーチストとしての優秀さと歌詞の現実性は全くの

 婚活系女子の皆さんは、一見深く見えるようで実はベタなこの大甘な歌詞福山個人の魅力に騙されて、くれぐれも安易な結婚に走られませんように。この記事が頭と心を冷ます嫌味な機能を果たせたら、それもまた感謝かも。


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| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 21:54 | - | - | - | - |
恋愛は金魚、結婚はドジョウ
 どうも、最近は「金魚」より「ドジョウ」だそうです。これからは、見栄えの良い華やかさより、泥臭くても汗をかいて仕事をするのが好まれるのかもしれません。

 まさに異性関係はそうだろうと思うのです。恋愛対象なら、金魚のように華やかな外面的要素でかなりの部分と期間はOKでしょう。金魚鉢という限られた美しい空間で、きれいな金魚が、戯れているのが恋愛でありましょう。

 しかし、結婚となるとそうは行きません。「恋愛生活」となる言葉はありませんね。あるのは結婚生活です。なんと言っても結婚とは現実生活ですから。社会に出て行って、働くのですから、これは結構泥臭いことです。家事労働や育児も、実に泥臭いことであります。金魚鉢ではなく、池や田んぼで泥にまみれて働くのが、結婚生活。愛するパートナーのために、その伴侶と共に、泥臭い働きをするのが、結婚であります。

 ですから、恋愛対象は金魚でもよいでしょうが、結婚対象については金魚を選ぶのはリスク高いわけです。特に男性については、「金魚男」は困ります。職業生活を送り、家事分担をし、オムツ替えのような泥臭い働きをしてくれるのは、「ドジョウ男」です。如何にルックスや学歴が大切でないかが分かります。

 女性についても可憐な金魚より、たくましく泥にもぐれる「ドジョウ女」の方が、現実の結婚生活には適正が高いわけです。聖書が勧めるとおり、やはり「優しくて可愛いい女性」より「賢くてしっかりした女性」がいいのです。「金魚女」より「ドジョウ女」であります。これまた外見など、本質的でないことは明らかであります。

 特に、婚活系クリスチャン男女の皆様におかれましては、ご自身が、ドジョウ男やドジョウ女に成長されますように、また、伴侶に「ドジョウ系」を願うような成熟したクリスチャンであっていただきたいと願うばかりです。

 
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| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 14:11 | - | - | - | - |
「愛妻家、なりたい時には認知症」〜故長門裕之さんに学ぶ

 長門裕之さんがお亡くなりになり、葬儀がされたようです。葬儀の場でも下ネタ系弔辞やら、女性関係をうらやましがる声など、異例の様子。長門・南田夫妻は、ずっと芸能界を代表する「おしどり夫婦」として知られていました。

 しかし、長門さん自の女性関係暴露的内容の著書が、出版され、「おしどり夫婦」が虚偽、つまり演技に過ぎなかったことが判明。晩年は奥様を苦労させた償いの気持ちもあってか、認知症となられた洋子さんを約四年間介護。その様子のドキュメントタリー番組化は賛否を両論で話題となりました。

 芸能人としての価値を除外して、「一人の男性」として、こうした長門さんの生き様をどう評価すべきでしょう?女性たちの中からは、「散々奥様を泣かせてきて、晩年の四年間の介護でチャラになったと思うなよー!」との声も多いのでは。

 「親孝行したい時には親はなし」と言います。自らが親となり親の心を理解し、恩返しをしたいと願いながらも、多忙で実行ないままで過ごし、ようやく親孝行の時間がとれそうになれば、親はこの世にはもういないことも。

 同じように「愛妻家、なりたい時には認知症」なのでしょう。ようやく人間として成熟し、浮気心も卒業し、最終的に人生のパートナーであり、苦労をかけた妻を大切にしようと思う頃には、既に妻は認知症ということも。

 真実なお詫びや妻への愛も、妻の意識は不明瞭で応答してもらえません。「もっと、早くしておけば、妻の笑顔が見れたのに、赦してもらえて心安らかになれたのに・・・・」、そう悔いる男性もいるのでは。

 もちろん、認知症になるのは、男性も同じこと。いいえ、女性の方が、平均寿命が長いこともあり、多くの場合、夫の方が妻より先に認知症になるのでしょう。「苦労をかけた妻にいつかお詫び、和解、恩返し」と思いながらも、実行できぬまま認知症進み、妻の介護を受ける男性たちも。

 中高年の夫たるもの、妻に悪いと思っているなら、今、お詫びして赦してもらいましょう。妻に対して償うべきことがあるなら、今日から、その償いを実行しましょう。妻に苦労をかけたと思っているなら、今晩にでも、その気持ちを告げて感謝を伝えましょう。

 多くの妻たちが、それを先延ばしにしている夫の不誠実に、苦しんでいます。「本物の夫婦ではない」との不満を持っていたりします。ごまかしや建前など取っ払って、一日も早く、妻が満足し、本物といえる夫婦になれば、いいでは、ありませんか!それを先延ばしにする程、男のプライドとやらは価値があるのでしょうか?

 「いつか」「そのうち」と言っているうちに、夫婦は老いてゆき、どちらかが認知症状になるかもしれませんから。

 自分も含めて、既婚者男性は、故人となられた長門裕之さんの生き様から、学ぶべきでしょう。

愛妻家、なりたい時には認知症

 

| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 08:38 | - | - | - | - |
「一攫千金的婚」より「成長婚」!成長女はのびしろ君を呼ぶ?
  不幸な親子関係などがあると、女性が、少しずつ幸せになることができず、インスタントな幸福実現に走る傾向となる事を記しました。それは時に、10代には「男と金とクスリ」というインスタント幸福として表れ、結婚時には「一攫千金婚」という形で表れるようです。

 これは男女に関係ないでしょうが、未熟な人間ほど、為すべき努力や自己成長を放棄して、一攫千金を狙います。しかし、現実の世の中はそう甘くなくて、そうした幸福実現の試みはほとんどが破綻に終わります。

 ところが、稀に成功するケースがあり、その代表が結婚であります。美貌や性的魅力や恋愛テクニックなどに物を言わせ、人格や能力においては平凡な女性が、財産や地位のある男性を結婚よって所有することがあります。後は、夫をうまくコントロールして、贅沢したり、見栄を張ったり、自己実現したりです。

 これは夫や結婚を自己実現の手段化しており、結婚の本質を大きく逸脱しております。そこあるのは結婚がもたらす本来の喜びではなく、際限なき自己充足と周囲の迷惑にすぎません。

 世の中では「いい男ゲット」などと、言います。未熟な人間ほど「ゲット」「獲得」によるインスタントな幸福実現を指向するもの。いわば「一攫千金婚狙い」であります。しかし、一方、成熟した人間は、自分を成長させ、為すべき努力を継続することで幸福実現を願います。その向こうに共に成長しながら生きるパートナーシップとしての結婚を思い描くもの。

 どうもクリスチャン女性の中にも「主にある一攫千金婚狙い」の方がちらほら。「そんなクリスチャン男性いねーよ」と呆れられそうな理想像を思い描き、その出会いを本気で待ち続けている女性たち。それを信仰的だなどと妙な確信をしている熱心党の方々も。では、そうした女性たちがクリスチャンとして正しく成熟に向かって努力しているかと言えば、そういう女性に限って心配なケースが多いようにお見受けします。

 ファッションやメイクなど表面的な努力に終始しているタイプか、教会で熱心に奉仕していたら神様が報いてステキな伴侶を与えてくださると信じてがんばるタイプのどちらが多いようです。軽薄すぎと偏狭に霊的のどちらも的外れの努力と言ってしまうと、厳しすぎるでしょうか?

 要は、教会奉仕の場面だけでなく、クリスチャン女性としてトータルに努力し、成長し、賢明に生きることだろうと思うのです。バランスよく健全に成長している女性には、それに魅力を感じて、共に成長して人生を歩みたいと願う「のびしろ君」がやってくるものです。逆に「一攫千金婚」を狙っていると「のびた君」ゲットで終わってしまいやすいのでは?

 結婚とはいい男ゲットで一発幸せになる世界ではありません。そういう結婚観を持っていたり、本気でそうした結婚を願っている女性は、まずは、ご自分の成熟度チェックを。結婚とは共に正しい努力をして、相互成長によって、少しずつ幸せになる世界

 要は「一攫千金婚」より「成長婚」、 「のびた君ゲット」より「のびしろ君と共に成長路線」であります。そして、多分、クリスチャン女性として成長するとは、「何かを獲得すること」以上に「捨てるべきものを捨てること」だろうと思います。捨てるべきものの中には、きっと結婚についての非聖書的価値観、結婚にまつわる肉的プライド偶像化された理想男性像などもあるのでしょう。植木先生の「少しずつ幸せになれない女」発言から、いろいろ考えさせられたことを三回にわたって記してみました。
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 14:13 | - | - | - | - |
一攫千金指向の幸福観による結婚のあやうさ
 妻から教えてもらったお話し。「世界を揺るがした100人の女たち」なる番組で故ケネディー大統領夫人など、特別な女性たちを扱ったのだとか。基本的に「悪女タイプ」でそこに潜む欲望や心の闇を描いた内容。

 裕福な家庭に育ち母からは優れた男性との結婚することが成功と教えられ、同時にその両親夫婦は父の浮気が原因で不仲でやがて離婚。そうした家庭に育った一人の女性は独身時代のケネディーを大統領の器と見抜き、巧みな策略によって、妻の座に就き、その後、見事にファースレディーとなっての度の過ぎる贅沢三昧。その後も、ケネディーの弟の不倫、地位や財産のある男性たちとの結婚と死別を繰り返すわけです。

 このケネディー夫人の最近、人気の女性心理学者、植木理恵先生が鋭い指摘をします。不正確な引用ですが、こうした趣旨のもの。

 「両親夫婦が不仲など不幸な家庭に育つと少しずつ幸せになることができなくなります。王子様が目の前に現れるなど、一発で幸せになる事を考えてしまうようになります」。

 両親の不仲・不幸な家庭→一攫千金指向の幸福観形成

 うーん、テレビのコメントは5−10秒で結論を言わなければならない世界。戦場カメラマン渡部陽一さんはその秩序を崩壊させたから面白いのでしょう。当然、上木先生のコメントは原因と結果だけで、プロセスや根拠が抜け落ちています。

 そこで、妻と、中間部をどう思うか語り合いました。

 「両親夫婦が日常的な努力や成長によって、幸せを築き上げていく姿を身近で見ることができなかったので、結婚が努力を積み上げて幸せになるという学習をできなかったのではないか?」というのが、私の見解。モデルの不在、模倣学習の欠落ということです。

 それに対して妻は、家庭で愛情実感を得られなかったため、未成熟で幼稚な考え方しかできずインスタントな幸福実現に走ってしまうのではないかと考察。「結婚したら幸せになれる」と妄信する多くの女性も成熟していれば、結婚後にその間違いに気がつき、継続的な努力や成長を通じて幸せな結婚生活を築き上げていくように軌道修正するだろうかというもの。

 両親夫婦がモデルを示せなかったのが原因にせよ、愛情実感不足で未成熟な思考しかできないように育ててしまったにせよ、両親夫婦の責任や影響の大きさを覚えます。親の立場からは子どもを犠牲者にしてはならないと肝に銘じたいですし、被害者となった子どもの側をどう援助するかも、考えなくてはなりません。

 まだまだ社会的には不利な立場にある普通の女性にとって、最もインスタントな幸福達成の方法は地位や財産のある男性と結婚することであります。実際に不幸な家庭に育ったり、親子関係が悪い女性ほど「自己成長」や「将来のための努力」よりもインスタントな「金と男」に走る事は、よく知られています。

 しかし、もし、そうした安易な幸福達成方法、一攫千金指向の幸福観による結婚に向かおうとしている方がおられたら要注意です。夫も結婚もすべて手段にして、自分が願うとおりの間違った幸福を実現して、周囲を苦しめてしまうでしょうから。

 ここに信仰が絡むとさらに厄介になります。好ましいクリスチャン男性と結婚して、自分の努力や成長は考えず、夫や結婚を手段化して、「神なき自己実現」という「間違った幸福像」を「信仰の名において」築き上げようとするクリスチャン女性。これは、危険です。周囲を振り回し、犠牲者を多数出します。時に教会全体を混乱させることも。

 しかし、現実の結婚は、結婚後の努力と相互の成長によって少しずつ幸せになっていく世界。まずは、親離れ、自立をして、「少しずつ幸せになる」ことを願い、そのための努力や成長をできる大人になることかと思うのです。それができない女性は結婚の準備不足でありましょう。

 逆に言えば、結婚ほど、両者が努力を続け成長を願っていくなら、確実に幸せになってく世界はないだろうとさえ、私は思います。最もやりがいがあり、報いが明らかな世界だと思うのです。結婚の専門家の多くは、結婚破綻の本当の原因の筆頭は結婚前の準備不足だと指摘するそうです。私は専門家ではないですが、同意見です。

 親が子どもを自立や成熟に向けて育てることを忘れがちなこの日本の社会です。その犠牲者となる子どもたちは、「少しずつ幸せになる道」を歩みえず、結婚を破綻させたり、結婚を自己実現の手段化してしまいます。そのことはクリスチャン夫婦やクリスチャンホームも聖書の教えに従って歩まなければ同じことです。

 教会教育や交わりの中で、どれだけ福音の光を、夫婦関係、子育てなどに当てていくかが問われます。幸せな結婚や健全な家庭形成ほど、今の日本社会で証しになるものはないでしょう。教会は決して、「礼拝を守り、熱心に奉仕をし、よく献金する未信者同様の結婚生活と家庭形成に終始する信徒たち」を作り上げてはならないでしょう。

 植木先生の10秒にも満たぬ優れたコメントから教えられました。
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 15:49 | - | - | - | - |
雨宮神父が結婚を語るNHK「心の時代」再放送のお知らせ
  コメント大王から、貴重な情報をいただきながら、紹介し忘れておりました。明日の月曜はタイトルの内容の番組が再放送。

福音書のことば〜旧約聖書から読み解く〜(7)
神の結びを、人は離してはならない

午後 2:00〜3:00
    10月25日(月)教育テレビ

 コメント大王の関連記事はこちら、以下の二つ。ご参照下さい。

http://voiceofwind.jugem.jp/?day=20101017

http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=207
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 22:48 | - | - | - | - |
現代クリスチャン女性に「ゲゲゲ婚」は可能か?
 実は昨日の「リスペクト婚」「エコ婚」「ユンソナ婚」の記事は、今日の記事の伏線であったのです。

 一昨日の主日のこと。奉仕先の教会で「クリスチャン女性たちが恋愛偏重で困る」と愚痴ると、一人のクリスチャン女性が素晴らしい応答。

 「今は、ゲゲゲの女房のようなあり方も素敵だと思う人も増えているのでは?」

 そう言われても分からないので、質問すると、応えて下さいました。NHK朝の連続テレビドラマ小説のヒロインは、あの水木しげるさんと結婚した方。お見合いをして5日目に結婚。むしろ、結婚後に愛情が芽生えて、豊かな結婚生活を築き上げていったとのこと。

 つまり、「ゲゲゲの女房」はいわゆる「恋愛結婚」や「恋愛感情で踏み出した結婚」のような「恋愛→結婚」という順番ではなく、「結婚→恋愛感情」ではないか?というのがそのクリスチャン女性のご意見。

 親が相手を決めたり、お見合いによって結婚していた時代の女性にはそうしたことは珍しくなかったと思われます。決して、それは惨めなものではなく、女性側の決断や努力によって、(男性側も当然ですが)豊かで幸せな結婚になることをゲゲゲの女房は見せてくれているのかもしれません。

 安定志向、女性の専業主婦志向が強い時代にあっては、ゲゲゲの女房のようなあり方も評価されたり、女性に支持されていく可能性もあるのでは?

 というわけで、ここに、以上のような結婚のスタイルを「ゲゲゲ婚」と命名いたします!


 ネットで検索したら出てきたのですが、原作本「ゲゲゲの女房」には著者の次のような「あとがき」があるそうです。

 「最初に盛り上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません。伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてがかかっていると思うのです。(中略) どんな生き方をしても、最初から最後まで順風満帆の人生なんてあり得ないのではないでしょうか。人生は入口で決まるのではなく、選んだ道で「どう生きていくか」なんだろうと、私は思います」


 なんと本質をついた結婚観でしょう!「盛り上がった恋愛、その後の結婚」、それは一つの入り口からの一パターンに過ぎません。しかも、あてにならないパターンです。

 百の幸せな恋愛をしても、一つの不幸な結婚で、人生は敗北になりかねません。逆に一つも恋愛をしなくても、幸せな結婚生活ができれば、それは豊かな人生でしょう。

 そう、大切なのは入り口ではないのです。結婚後の関係構築です!そのために聖書が命じる努力をすることです!

 恋愛という特定の入り口にこだわるあまりに、入り口から入ることもできないクリスチャン女性も少なくないように思います。入り口も大切ですが、勝負は「むしろ選んだ道で歩むか」、つまり結婚後に聖書に従って結婚生活を送るか否かの選択によるのです。入り口を間違えてなりません。でも、入り口が正解なら後は、その後の姿勢次第。

 「ゲゲゲ婚」とは「下下下」婚、つまり「下→下→下」ではありません。それどころか、結婚してからの選択、努力によって「上→上→上」となっていくタイプの結婚。むしろ「盛り上がった恋愛に続く結婚」が、「下→下→下」という「下下下婚」になりがちなのは周知の事実でしょう。

 余計なお世話でしょうが、30歳を過ぎたら「自分で見つける」「恋愛結婚したい」などの狭い入り口はさっさと捨てて、入り口にはこだわらず、入った後にこだわりを持ってみてはどうでしょうか?婚活系クリスチャン女子の皆さん!入り口にこだわらず、「ゲゲゲ婚」も検討してみてはいかがでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 12:23 | - | - | - | - |
「リスペクト婚」「エコ婚」「ユンソナ婚」のススメ
本ブログでは昨今の恋愛至上主義の風潮に影響されることなく、婚活系クリスチャン女子の皆さんが、奮闘されるようにと願い様々な結婚のあり方を提案してきました。特に恋愛結婚を強く志向すること、恋愛感情に大きく依存することについては、聖書的だろうか?とウザい警告をしてきました。

その一つは「リスペクト婚」!
以前のこの記事を参照して下さい。
http://blog.chiisana.org/?eid=955386

 放送作家の鈴木おさむさんは、どんな魅力的な女性でもやがて飽きてしまうことを実体験。しかし、「面白い女性なら自分は生涯その人を尊敬できる」と悟りました。モデルの彼女と別れて、森三中の大島美幸さんと結婚。当時は「ブス婚」などと呼ばれましたが、私は言いたい、これは「リスペクト婚」であると。

 そう、恋愛感情より、尊敬心の方が、結婚後の二人を継続的に確実に結びつけることが多いようですぞ。というわけで「リスペクト婚」のススメ。恋愛感情は抱けなくても、尊敬できる男性なら、よい結婚ができるのでは?

 続いては「エコ婚」であります。
以前、こんな記事を書きました。
http://blog.chiisana.org/?eid=1347166

http://blog.chiisana.org/?eid=1371289

 恋愛は結婚の準備体操。結婚に結びつきそうにない恋愛、結婚の備えにならない恋愛はしないのが賢明かも?恋愛もエコの時代。必要最小限の恋愛で結婚に至ることが、かえってよい結婚につながるのでは?

 というわけで、恋愛の大量生産、大量消費、大量廃棄を避けて、将来の結婚生活に優しい恋愛を。というわけで「エコ婚」のススメであります。

 究極の「エコ婚」は名づけて「ユンソナ婚」。「結婚する人以外とは交際しなかった」「初めて付き合った異性と結婚」というまさに一撃必殺であります。

 元祖「ユンソナ婚」はこちらの記事をご参照。 
http://blog.chiisana.org/?eid=438223

 それに倣った「ユンソナフォロアー婚」をしたユンソナ男の記事はこちら。

http://blog.chiisana.org/?eid=1371282

 聖書に登場する女性には、今日のような恋愛結婚をした人物はほとんどいなかったことを覚えましょう。いわゆる「恋愛結婚」や「恋愛感情を伴う結婚」を絶対視したり、それに固執することは、私は聖書的だとは思いません。また、そうしたこだわりが多くのクリスチャン女性が結婚のチャンス(相手と時期)を逃している原因だとさえ私は観察しています。
 
 婚活系クリスチャン女子の皆さん!「リスペクト婚」「エコ婚」「ユンソナ婚」なども、神様の導き、結婚へのプロセスの一つのあり方として、ご検討されてはどうでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 21:14 | - | - | - | - |
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