命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
秋元のサジ加減〜女にかわいく、男にエロく
 先週の新潟での中高生キャンプ時のこと。ある食事の時は、「AKBの誰が好きか?」でテーブルを分けました。「大島」の席には、男子中高生、「前田」の席には女子中高生が集中。その二人以外の主要メンバー三名を一枚の紙に記して貼ったテーブルにはAKBをよく知らないスタッフが集中。

 そのスタッフ達の間で、始まったのが、AKBの話であります。メンバーの名前は知らなくても、AKBの人気は知っている方々が大多数。そのテーブルの一人はいわば「芸能界有識者」。その男性クリスチャンは、なんでも、この方、地方民放局でADの経験があるのだとか。

 その方が「AKBは秋元の操り人形」という趣旨の評価。それには全員が賛成の様子。

 ある女性、スタッフは「AKBは男性以上に女性の支持を得ている」とのご見解。

 純情一途の青年クリスチャン男性からは、「自分は10秒以上静止できない」との発言。

 その発言を受けて、私が「AKBは女子にはかわいくても、男性の目からは十分エロいんだよ」と女性クリスチャンに向けて主張。

 「ええーっそうなの?」と青年女性クリスチャンが驚き。

 そこで、発言したのが芸能界有識者男性クリスチャン。その方が、「秋元はそのグレーゾーン意図的に狙っている。」とのご指摘。

 「おお、やはりそうだったのか!」と心で相槌を打ったのでありました。これまでAKBを、いや秋元氏を批判し続けてきた本ブログ記事が、はずれてはいなかったと、お墨付きをいただいた気分。

 従来の記事はこちら。
「AKBの正体見たり!プラトニック風俗」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407873

見せるな、危険?「過激な等身大」の標準化・・・
http://blog.chiisana.org/?eid=1407692

「有害情報から子どもを守るアメリカ社会」
http://blog.chiisana.org/?eid=1408238


 というわけで、思いついたタイトルが、「秋元のサジ加減〜女にかわいく、男にエロく」であります。女性に「エロい」「不潔」「ふしだら」と感じさせたら、まずいわけです。家庭のあり方を決定し、子どもへの具体的指導をしているのは、ほとんどの場合、母親なのが現実。母親が、娘に「あんな格好するんじゃないわよ」「あんなしぐさ真似しちゃいけません」と指導し、息子に「あんないやらしいのお母さんは嫌い」と言われていますと、AKBの人気も音源や関連商品売り上げにも陰りが。

 逆にエロさのないかわいいだけのアイドルなら、男性にも女性も魅力半減、あんなには売れません。「エロをオブラートに包んで商品化」しているというより「女性向け可愛い系商品と男性向けエロ商品の一石二鳥で一攫千金」が、AKBでありましょう。

 「たかがAKBごとに目くじら立て過ぎ」とのご意見もあるでしょうが、「たかがAKB、されどAKB」だと思います。それは「自分はかわいくなろうとする女性とそれを性的対象として好ましく見る男性」という異性間のズレをこれまで以上に広げるのでは?あるいは、「男性を通じて自己価値確認をする女性と女性の人格より容姿や性的魅力を評価する男性」という刷り込みや洗脳機能があるのかも。

 それは結果として、残念な恋愛や不幸な結婚を、さらには不安な未来社会を招くのでは?と危惧をしております。AKBという社会現象は次の世代と社会に、侮れない程の影響を与えかねないように思います。従来の形を変えていつの時代にもある女性アイドル、大して実害のないアイドルとは、似ているようで大きく異なるのでは?大衆社会の価値観に大きな影響を与える「実害大」のアイドルユニットと評価するのは行き過ぎなのでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 21:30 | - | - | - | - |
恋愛弱者に優しい?韓国社会

 昨日はホワイトデーでありました。こんな「なぞかけ」をラジオで聞きました。

 ホワイトデーとかけて、
 白夜の花火と解く 
 その心は・・・・
 暮れないので上げられません

 あまりに美しくも情けない傑作に感動。


 キリスト教文化圏には、バレンタインデーはあってもホワイトデーはないらしいです。バレンタインデーがすっかり日本社会に根付いたのも、近年ホワイトデーまで当然となったのも、ひたすら商業主義の故。しかし、それに乗ってしまう国民性も問われるでしょう。

 午前中、移動中の車中、ラジオで聞いて驚いたのは、韓国人の国民性。パーソナリティーのつボイノリオ氏によれば、韓国人は、記念日が大好きだから、バレンタインデーに始まり、次から次へと各月の14日を恋愛関連の記念日にしたのだと解説。

 韓国では3月14日のホワイトデーどころか、4月14日はブラックデーだそうです。この日はバレンタインデーもホワイトデーも失敗に終わった男女が、黒い服を着て、黒いソースのかかった韓国麺を食するそうです。この日のこの行事が、カップル誕生のきっかけになることもあるとのこと。

 さらにブラックデーでも残念な男女のためにあるのが、5月14日のイエローデー黄色い服を着て、黄色いカレーを食するのだとか。これも出会いのチャンスになるそうです。ブラックだのイエローだのつボイノリオ氏は「風水か!」と突っ込んでおりました。

 つボイ氏の解説を聞きながら、思ったのです。これは単に韓国の国民性だけが要因とは言えないのでは?と。さらに別の大きな要因があるのでは?と。そして、考えたこと。それは、もしかしたら、この二つの記念日は、韓国社会における「恋愛弱者救済システム」として機能し、社会的ニーズに応答しているのでは?ということ。単に国民気質だけで、ここまで強烈な記念日が定着するとは思えません。きっと社会に潜在していたニーズとこの記念日が与える恩恵が、マッチしたのだろうと、社会学的考察。

 恋愛という世界は良くも悪しくも「競争社会」。特に韓国社会は外見の美醜が強く評価されると聞きます。だとしたら、いよいよ競争社会は厳しいもの、必ず、弱者や敗者が生まれます。そこで必要になるのは、競争社会と共生社会の両立。弱者と敗者も共に恋愛の世界に生き、そこで恩恵を被るためには、救済システムが必要とされます。その意味でブラックデーとイエローデーは恋愛敗者にとっては二度の敗者復活戦であります。そして、恋愛弱者にとっては、二度のボーナスチャンスとなるわけです。

 これは「恋愛弱者にやさしい韓国社会」と評価できるのかもしれません。少なくとも「日本でも」と願う男女は少なくないでしょう。もしかすると、昨今の韓流ブームに乗って、日本でもブラックデーやイエローデーが普及するかも。きっと、普及の先頭に立つのは、味噌煮込みの山本屋、ジャージャー麺やイカ墨スパの日清製粉、そしてカレーでおなじみのS&Bかハウスとなるでありましょう。

 でも、きっと、既に会社の企画会議で没になっているんでしょうね。
 

| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 17:02 | - | - | - | - |
婚前性行為よ、オマエは既にいのちを粗末にしている?

 タイトルは、「北斗の拳」におけるケンシロウの名フレーズのパロディーです。念のため。

 中絶問題に取り組んでいる時によく触れる見解の一つが、「キリスト教会が中絶防止を主張するのは良いとしても、性の尊厳の教育がなければ、本当の意味でいのちの尊厳を実現していると言えるのか?」という厳しくもごもっともなご意見。

 分かり易い例を、二つご紹介します。フィリピン人女性の支援をされる方々から聞こえてくるのはこんなケース。カトリックの教えが浸透しているフィリピン社会では、「中絶は大罪」との価値観があり、予期せぬ妊娠であっても出産を願う傾向が強いのです。しかし、一方で、それ程、貞操観念は強くなく、結婚前の性行為に関しては、緩やかだというのです。つまり、中絶に関しては、キリスト教的価値観が強く、性行為に関しては弱いのです。そして、その差が極端なのです。その結果、妊娠しては困る状態で、安易に性関係を持しまい、妊娠し、中絶せず、出産するというわけです。

 同じことが、アメリカの10代クリスチャン女性にも、一部見られるとの指摘があります。クリスチャン女子高生が、あまり罪悪感もなく、性関係を持ち、その結果、妊娠。すると、中絶はせず、出産し、シングルマザーで育児高校には母子クラス有りというわけです。

 もちろん、予期せぬ妊娠をしても、中絶をせず、いのちを生み出し、育てる選択は、生命尊重であります。素晴らしいことです。しかし、そうなるまでの性のあり方は大問題でしょう。また、中絶によって決定的にいのちを断つのではなくても、結果的に、不十分な環境で子どもを育てるようになることは、ある意味、いのちを軽視することでありましょう。

 そこで、出てくるのが、「中絶さえしなければ、それでいいのか?不十分な生育環境で育てるのも生命軽視だろうが!」とのご意見。まったく、ごもっともです。だからこそ、十分な生育環境を与えるために、養子縁組が必要だと思うのです。

 もちろん、10代のシングルマザーが周囲にも支えられ、立派な育児をするケースはいくらでもあります。しかし、一般的な傾向としては、未熟な母親で父親不在であれば、子どもにとってはより厳しい生育環境となるのは事実と言えそう。

 いのちの尊厳とは、「いのちを断たなければよい」というものではないはず。いのちを傷つけてはならないのです。いいえ、むしろ、いのちが豊かに健全に育つことを願い、実現することです。

 その意味で、「婚前性行為は、今どきはクリスチャンでも許される軽い罪、一方、中絶はクリスチャンにはありえない大罪」のような罪意識や価値観であってはならないでしょう。それでは、いのちが断たれることは防止できても、いのちが豊かな健やかに育つ方向には、向かうことはないわけです。

 「結婚前のセックスは罪らしいけど、今どき、仕方ないよね。でも、妊娠したからって、中絶するなんて、とんでもない罪だよねー」

 「婚前の性行為は事実上のOK中絶はNG」。日本のキリスト教会において、本音では、そんな価値観で歩んでいる若きクリスチャンは少なくないようです。

 セックスが、いのちを生み出す行為であり、いのちに対しての厳粛な責任を持つことを、お知らせし、「婚前のセックスの段階から、既にいのちを粗末にしているのだよ」とお伝えしたいものです。

| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 17:43 | - | - | - | - |
さだまさしの「恋愛症候群」に学ぶ(2)恋愛必消の理(ことわり)
 昨日に続いてさだまさしの「恋愛症候群」から。

歌詞はこちら。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND4873/index.html


youtubeでの画像はこちら。
 http://www.youtube.com/watch?v=iq-hYqkq68E

 この歌の主要な主張は「恋は必ず消えて終わる」ということです。「盛者必衰の理」ならぬ「恋愛必消の理」であります。ケンシロウなら「恋愛よ、おまえは既に死んでいる」なのです。杏里なら「出合った頃はこんな日が来るとは思わずにいた」でオフコースなら「こんなことは今までなかった、ボクがあなたから離れていく」、故加藤和彦さんなら「命懸けてと誓った日から→心と心が今はもう通わない」なのであります。恋愛を歌う楽曲の多くはこうしたパターンですね。

 そうです。恋は必ず消えていくのです。古今東西の文学や歌がそう言っているではありませんか。これはよく言われていることで、何度も紹介しておりますが、恋愛に伴うときめきやどきどきはある脳内物質の分泌によるもの。その分泌量は次第に減り続け、通常2−3年で分泌は終了するのです。ですから、恋愛の寿命は通常2,3年。実際に多くの交際や同棲などは2,3年で終わりますよね。

 恋のこうした一過性や短命性を知らずに、恋愛に没頭するのはかなり危険でありように思うのです。ましてやその勢いで妊娠するようなことをするのは無謀この上ありません。また、深く考えもせず、恋の勢いだけで結婚するのもかなり無謀でありましょう。あのサマリヤの女は、きっと恋のノリだけで結婚して、2,3年ごとに相手を変えていたのでしょう。イエス様に出会ったときには、恋の寿命を悟っての同棲生活だったと勝手に想像しています。


おごれる恋愛者は久しからず、おごらぬ恋愛者もまた久しからず

 恋愛者の皆様は、この「恋愛必消の理」を、心においていただきたいもの。さだまさしの名曲から、恋愛の本質兼限界を教えていただきました。


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 09:15 | - | - | - | - |
オープン・ザ・エロ or サイレント・エロ?
 中高生や青年クリスチャンとの交わりでは教えられることばかりであります。最近、学んだ事は「オープン・ザ・エロ」という表現。この発案者によれば、次のような主張であります。

 男性は全員基本的にエロである。
そうでない男性がいるように見える。
しかし、現実は、それを明らかにしているか、隠しているかだけの違いだけである。

 つまり、男性の本質を明らかにしているのが「オープン・ザ・エロ」というわけです。彼は、自分は健全なレベル?で、男友達とそうした話をして発散していて、それはある意味よいことだろうと主張するのです。逆に、そういうことをしないで、隠れてアダルトサイトなどにはまっていくのは、友だちもできないし、人間として不健全だという見解なのです。

 男性が集まれば猥雑な話題になることは、世の常でもあります。男性のクリスチャンはこうしたことで戦いや葛藤があるもの。クリスチャンが下品な猥談をするのは聖書が明確に戒めていることでしょう。ですから、こうした論理でエロ話するのを正当化するのはどうかとは思います。クリスチャンとして健全なレベルの性についての話しというのはあるとは思うのですが・・・。

 これを聞いて、考え付いたのが、「サイレント・エロ」であります。古語で言えば「むっつりすけべ」に相当するでしょうか?また、「オープン・ザ・エロ」は、「連帯性のエロ」で、「サイレント・エロ」は「孤立性エロ」と表現できるのかも。

 どうでしょう?猥談中に沈黙したり、そうした交わりを避けながらも、「サイレントエロ」の不健全な世界に陥りかねないのも、クリスチャン男性たちが持つの弱さなのでは?そう考えると彼の無謀な論理も、サイレントエロの不健全性についてだけは、部分的な真理はあるのではないかと思えます。オープンな方が健全だというのは、開き直りになってしまうのでしょうが、半面、サイレントな側の陰湿さや偽善性を言い当てているようには思うのです。

 男性たちの交わりで猥談が始まったら、正直な思いを話しながら、クリスチャンとして「清く正しく健全なエロ」をオープンにできたら、健全かつよい証しになるのでしょう。おかしな表現ですが、それは精神面における性欲の健全な発散なのかもしれません。とは言えそれは、あまりにも狭き門ですよね。それができないなら、「勇気ある沈黙」や「聖さを守るための離脱」なども、一つの選択肢かと考えます。

 どうも、現われが「オープン」か「サイレント」かよりも、聖書が命じる性的聖さを追求するかどうかの心や決断の方が、大切なのは間違いなさそうです。若きクリスチャンから刺激されたこうしたおかしな考察が、男性間の交わりの中で、苦闘しているクリスチャン男性たちの参考になれば、感謝。


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 09:56 | - | - | - | - |
林真理子のエッセイに聖書の真理を再確認?
 先週土曜日は、名古屋から石川県までバスで3時間半の移動。車内で週刊文春を読みました。文春にしたのは、エロの要素が少なく、思想的にもあまり偏りがなく、エッセイの執筆人が興味深いからであります。特に田中真理子と中村うさぎのエッセイには、一男性としていろいろ教えられます。

 林真理子さんのエッセイは、なでしこJAPANを率いた佐々木監督を評しながら、「日本のおじさんの女性観」を論じたもの。林さんは、女性を理解し、尊重しようとする佐々木監督のあり方を高く評価。「黙って俺について来い」と指導をしたと伝えられる50年前の東京オリンピック女子バレーの監督を「男性の女性への支配」「家長主義の延長」と評価し、それとの対比で佐々木監督のあり方を「日本のおじさんもここまで進化」と賞賛しております。

 私も夫婦関係は、夫が頭(代表)にして対等なパートナーシップだと考えるので、結婚における夫のリーダーシップは「黙って俺について来い」ではなく「黙らず俺について来い」だと考えています。夫婦は交わりですから、対話というプロセスを経ずに、妻が夫に機械的自動的についていくのは、聖書的ではないし、対等なパートナーシップではないと思っています。その点で、佐々木監督のあり方はフェミニズム的には進化であり、聖書的には、正常化なのかもしれませんね。
 
 田中さんはこのエッセーにおいて結論として「日本のおじさん」を二つに大別します。それは「本当に女性を同士と思える人」と「どうしても思えない人」という二分化であります。さらに「後者のおじさんは、女性をすぐに性的対象と見るため、これまたばっさりと二つに切る。若いカワイコちゃんと、どうてもいいおばさんの二種類にしか女を分けないのである。そして、それ以外、おじさんはまるっきり女性がわからない」。(でも、これは日本のおじさんだけでなく、おにいさんも同様なのでは?)

 この「日本のおじさん」についての観察と評価について私はずばり当たっていると思います。「本当に思える」と「どうしても思えない」という表現などは、実に鋭い男性観察ではないでしょうか?神様は農業を通じて神の業に参与するアダムをご覧になり「人がひとりでいるのはよくない」と判断されました。神様は(結婚関係にに限らず)男性と女性を共に神の業に参与するパートナーとして位置づけておられるはず。

 ところが神を離れ、自己中心になった男性たちは、女性を神にあってのパートナーとして見ることが困難になり、自らの性的欲求を満たす対象として見るようになりました。そのように堕落した男性たちが、聖書によって女性存在の意味を知り、悔い改めることから、本来の男女関係の回復があるのだろうと私は考えます。

 たとえば「情欲を抱いて女を見るものは・・・」という山上の説教は、直接的には内心的姦淫を戒めるものでしょうが、その意図の中には、女性の人格を尊重し、神の業に参与するパートナーとして女性を見ることを願う神の思いが込められているのだろうと私は受け止めています。林真理子さんのエッセイを通じて、私自身「日本のおじさん」の一人として、大いに考えさせられ、聖書に立ち返り、何が本来のあり方か?を再確認させていただきました。


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 14:55 | - | - | - | - |
君はZoeGirlを知っているか?(3)
 クリスチャンにチャレンジを与えるようなコンセプトの女性アイドルユニット!是非、つくろうということで、佐々木さんとPBAスタッフと私で盛り上がってしまいました。「OCC48」なる実に安直なユニット名が出てきたり、「会いたかった、会いたかった、会いたかった イエスにー」と歌いだす女子アナなど。異様な発展をしてしまいました。私も「お祈り、聖書に讃美歌がヘビーローテーション」という歌詞の「ヘビー・デボーション」なる替え歌を思いつく始末。

 結局、佐々木さんとの間では私が秋元役となり、コンセプトをつくり、佐々木さんが作詞、作曲して、若い女性ユニットに楽曲提供という案でまとまりました。はてさて、この計画、どう発展し、どう実現していくことやら?


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 16:48 | - | - | - | - |
君はZoeGirlを知っているか(2)
 一昨日の記事をお読みくださった佐々木潤さんから、さっそくFBでメッセージをいただきました。それによれば、歌詞を紹介した曲は”Give Me One Reason”だそうです。歌詞が読めるyoutubeをご紹介。

 http://www.youtube.com/watch?v=mQB1qcF3xcQ&feature=related

 「イエス様を知ったから、前のように付き合えない」と葛藤しながらも神様に従う者としての交際のあり方や彼氏との関係を伝えているようです。若きクリスチャン女性たち、とりわけ未信者男性と交際中のクリスチャン女性には、大きなチャレンジとなる内容。確かにこうしたコンセプトや歌詞が日本にもあったらと切望します。


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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 12:51 | - | - | - | - |
大学のコンビニと生協に小さなツッコミ、大きなお世話
 今週の月曜のこと、母子室を提供していただき宿泊していた教会から歩いて三分にある山梨大学を訪問。大学構内のコンビニが面白そうなので入ってみました。そこで、コンビニでコンドームを販売すべきか?結構真面目に論じたのを思い出しました。しつこく5回も論じたり、読者からの応答をお伝えしました。

「コンビニでのコンドーム販売ってどうよ?(1)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407652

「コンビニでのコンドーム販売ってどうよ?(2)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407653

「コンビニでのコンドーム販売ってどうよ?(3)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407656

「コンビニでのコンドーム販売ってどうよ?(4)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407654

「コンビニでのコンドーム販売ってどうよ?(5)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407663

 そこで、妙な使命感に駆られてのフィールドワークが開始。まずは雑誌売り場をチェック!
「おお、成人向け図書が皆無ではないか!」 

 次に向かうのは保健衛生関係の棚。そこで見つけてしまいました。置かれていたコンドームは小さめの箱で一銘柄のみの販売でありました。

「うーん、やはりあったかー」と考えてしまいます。

 そして、その右上をふと見れば、医薬品らしき小さな袋に入った商品。「芯からみなぎる・・」とか書いてあります。これはまったく意味不明。しかし、さらに読めば、成分に「すっぽんエキス」など・・・もしかして・・・・精力増強剤?。恥ずかしいやら、笑えるやら、でも、よく考えるとツッコミたくなりました。

「大学生にそんなものいるんかい?草食系男子はそんなのたよらないかんのか?!」と別の面で文句が言いたくなりました。

 大学のコンビニとしては、性行為を描いたものは教育的配慮から商品として置かず、当人が性行為に使用する商品とそれを支援する商品は販売しているのでしょう。これは教育的期間に設置されたコンビニとして、正しいのやら正しくないのやら?

 以前の読者からのレポートによれば、大学構内のコンビニはコンドームを販売しているが、大学の購買部では扱っていないとのこと。

「そうだ!確かめに行こう」
 
 というわけで、生協の購買部を訪ねて調査。成人向け図書、コンドーム、精力増強剤の三つとも扱っておりませんでした。これは教育的配慮か、それとも大学生協としての良心か?

 「コンビニでの控え目なコンドーム販売と精力増強剤の販売は、山梨大学の男子学生の純朴さや草食系傾向を示しているのだろうか?」

 などと、あやしげな考察をして、生協の購買部を出ました。

 調査を終了した私は、生協の購買部の二階にある学食へ。カレー並み盛り250円ととんかつ150円の食券を購入してのカツカレー。合計は400円。味はそれなりの美味で、学食ならではのコストパフォーマンスの高さに感激。

 食べ終わって大学を去ろうとした時、ようやく妙な使命感から解放され、ふと自分を客観して思いました。

 「人から見たら、完全にヘンなオジサンあぶない人になってたよなー」

 でも、コンビニや大学でのコンドーム販売を考えると、大切なことが見えてくるのでは?



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| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 17:11 | - | - | - | - |
AKBの正体見たり!「プラトニック・フーゾク」?

 危機的状態にある日本社会、政局が注目されている中で、これだけAKB総選挙が話題になるのだから、日本社会は異常だと思う私です。これは日本が平和なのでなく、国民とメディアがおかしいに違いないのです。国民的アイドルが注目されるのはよいのですが、総選挙という政治をモデルにした形で、注目を集めさらに金儲けもしようというのですから、ちょっとどうかと思います。

 結局、AKBとか秋元康ってなんだろうと思ったとき、浮かんだ言葉は「プラトニック風俗」であります。もちろん本物の性風俗ではありません。ストレートな性表現もないし、社会の許容範囲にとどまっています。だからプラトニックなのです。きっとAKBの魅力は「プラトニックなエロ」「草食系エロ」「暗示的エロ」ではないかと考えたりしてしまいます。

 女性アイドルグループは昔から性的な要素を持っていました。その時代に適応した性的魅力のあるアイドルグループが人気者になるとか売れるのは、常に繰返されてきたこと。それをある程度、産業化して多角経営によってメンバーを露骨に大量消費材にしたのは、あの「つんく」でありましょう。

 しかし、世の批判を受けぬように、そうした産業化を徹底したのが秋元率いるAKBなのでは?と思うのです。投票をして、露骨に序列化するなどは、キャバクラや性風俗の指名ランキングのごとき下品さを感じるのは私だけでしょうか?CD購入枚数に応じて、投票数与えられるシステムなどは、お気に入りを指名するために、多額を投じる風俗お客の如しであります。

 また、プラトニックに性を売り物にして、少女たちの憧れやモデルとなっているAKBは、少女たちに「将来、キャバ穣になりたーい」と言わせているカリスマキャバ穣の如しであります。

 まあ、少年少女の両方が、若き男性も女性もが、こうして、やられてしまっているというのが私なりの分析。

 秋元氏のコセプトやシステムには、性風俗産業との類似点を多く感じます。要は、そうした性風俗のコンセプトやシステムを、可愛いさというオブラートに包み、社会が容認する範囲で、しかし、スリルを含ませながら、提供しているのが秋元氏であろうというのが、今のところの私なりの考察。名づけて・・・・。

 「AKBプラトニック風俗説」であります。

 果たしてこの見解の真偽やいかに?



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