2008.11.29 Saturday
クリスチャンホームから犯罪者
「クリスチャンホームから犯罪者」は決して「瓢箪から駒」と同義ではない・・・。今日はそことをつくづく思い知らされました。
本日の午後は奉仕前に少しのんびり。宿泊先近くの本屋へ。ショッキングな記事を見つけたので、掲載誌である「週刊新潮」を購入。その記事とは、元厚生次官殺傷事件の小泉容疑者が、クリスチャンホームの出身であるという内容の記事。
掲載誌はこちらです。
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
容疑者の両親はクリスチャン。両親とも地域に貢献し、福祉の働きもし、地域では尊敬される存在だったようです。おとなしく目立たないが優等生であった彼が、大学入学時から、変わり始めていった経緯が記事には記されています。
記事には教会とそれに隣接する福祉施設の写真が掲載されており、容疑者家族とその所属教会に不当な攻撃があるのでは?と心配です。
「クリスチャンホームから犯罪者」というタイトルは煽っているかのように受け取られるかもしれませんが、きわめて冷静に考えたものです。
今回の件はとても悲しむべきこと残念なことでしょう。しかし、「ありえないこと」「考えられないこと」ではありません。なぜなら、聖書にはそうした事例が山ほどあるからです。
ヤコブの息子たちは親族殺人未遂者です。祭司エリの息子たちは、犯罪者以上に罪深い、神の冒涜者です。ダビデやソロモンの息子たちは、犯罪、暴力、不道徳のオンパレード状態。そうです。聖書自身が、信仰者家庭から凶悪犯罪者が現れるという事例を幾多となく私たちに示しているではありませんか?
「熱心な信仰者、敬虔なクリスチャンである両親からどうして?」ではありません。それは、聖書をご存じない方々の感想です。むしろ、聖書はそうした可能性のあることを、とっくの昔に、私たちに教えています。
今回の事件に関しては専門家ではないので、責任ある考察はできません。しかし、今回の事件にしっかりと向き合いながら、もし、私たちが「クリスチャンホーム幻想」のようなものに生きているなら、それは悔い改めなくてはならないでしょう。聖書に反した非現実的な幻想をクリスチャンホームに対して描いているなら、お互いは、今回の記事を機に捨て去るべきでしょう。
聖書には、夫婦や親子が、家庭が祝福されるための原則が示され、命じられています。同時に幾多の失敗例も記されています。(もちろん容疑者の両親を失敗例と判断しているわけではありません。また、結果論で子育てを論ずるのは極めて危険でしょう)。いずれからも、私たちはしっかり学ぶべきでしょう。
クリスチャンホームも教会学校も、「子ども健全育成システム」でもなければ、「信仰継承のベルトコンベアー」でもありません。安易な楽観論に生きてはなりません。時にはクリスチャンホームが持つ独自の闇の部分も、子どもの視点に立って、向かい合い、考える必要があるのはないかと思います。
私自身も、今回の記事については、決して自分を安全地帯に置いて論ずるようなことがあってはならいと思わされています。
本日の午後は奉仕前に少しのんびり。宿泊先近くの本屋へ。ショッキングな記事を見つけたので、掲載誌である「週刊新潮」を購入。その記事とは、元厚生次官殺傷事件の小泉容疑者が、クリスチャンホームの出身であるという内容の記事。
掲載誌はこちらです。
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
容疑者の両親はクリスチャン。両親とも地域に貢献し、福祉の働きもし、地域では尊敬される存在だったようです。おとなしく目立たないが優等生であった彼が、大学入学時から、変わり始めていった経緯が記事には記されています。
記事には教会とそれに隣接する福祉施設の写真が掲載されており、容疑者家族とその所属教会に不当な攻撃があるのでは?と心配です。
「クリスチャンホームから犯罪者」というタイトルは煽っているかのように受け取られるかもしれませんが、きわめて冷静に考えたものです。
今回の件はとても悲しむべきこと残念なことでしょう。しかし、「ありえないこと」「考えられないこと」ではありません。なぜなら、聖書にはそうした事例が山ほどあるからです。
ヤコブの息子たちは親族殺人未遂者です。祭司エリの息子たちは、犯罪者以上に罪深い、神の冒涜者です。ダビデやソロモンの息子たちは、犯罪、暴力、不道徳のオンパレード状態。そうです。聖書自身が、信仰者家庭から凶悪犯罪者が現れるという事例を幾多となく私たちに示しているではありませんか?
「熱心な信仰者、敬虔なクリスチャンである両親からどうして?」ではありません。それは、聖書をご存じない方々の感想です。むしろ、聖書はそうした可能性のあることを、とっくの昔に、私たちに教えています。
今回の事件に関しては専門家ではないので、責任ある考察はできません。しかし、今回の事件にしっかりと向き合いながら、もし、私たちが「クリスチャンホーム幻想」のようなものに生きているなら、それは悔い改めなくてはならないでしょう。聖書に反した非現実的な幻想をクリスチャンホームに対して描いているなら、お互いは、今回の記事を機に捨て去るべきでしょう。
聖書には、夫婦や親子が、家庭が祝福されるための原則が示され、命じられています。同時に幾多の失敗例も記されています。(もちろん容疑者の両親を失敗例と判断しているわけではありません。また、結果論で子育てを論ずるのは極めて危険でしょう)。いずれからも、私たちはしっかり学ぶべきでしょう。
クリスチャンホームも教会学校も、「子ども健全育成システム」でもなければ、「信仰継承のベルトコンベアー」でもありません。安易な楽観論に生きてはなりません。時にはクリスチャンホームが持つ独自の闇の部分も、子どもの視点に立って、向かい合い、考える必要があるのはないかと思います。
私自身も、今回の記事については、決して自分を安全地帯に置いて論ずるようなことがあってはならいと思わされています。

