命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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夫を変えた妻の決断(4)
 本気になった妻ほど、神に用いられるものもないかも。本気モードの妻の影響力は、殉教覚悟の伝道者並みのものだと私は思います。神様は夫の救いのためには、妻の本気を、有力伝道者並みに用いてくださるもの。今日はそうした事例を(以前にも紹介したもので恐縮ですが)三つほど紹介。

(1)ノンクリの彼と交際していた一人のクリスチャン女性。彼女の確信は「自分はクリスチャン男性としか結婚しない」というもの。当然、彼の救いが結婚の大前提。そんな彼女が彼氏の救いを熱心に神様に祈る中で、神様から問われた一つのこと。それは、

 「彼が救われるためなら、あなたは彼のために死ねますか?

 「死ねます」とすぐさま答えたれなかった彼女。自分の愛の乏しさを悲しみながら成長。やがて「彼が救われるためなら、私はいのちをとられても構いません」と神様に本気の宣言。神様は彼女の本気を通して働かれ、それからしばらくして彼は受洗。今はある教会を中心的献身的に支えるクリスチャン夫妻に。

(2)夫より先に救われたクリスチャンの妻。夫の救いを願うが、夫は実業家で大成功の大金持ち。お金が偶像。その妻はこう祈ったそうです。

「主人はお金が神様。会社が潰れなければ主人は救われないでしょうから、どうか、神様、会社を倒産させてください

 まもなく見事に会社は倒産。それを機に、夫は求道。当然、家族は大変な生活に。しかし、夫は救われ、このご夫妻は後に牧師夫妻に。「子どもの頃に債権者が家にやってきて家財道具を差し押さえた場面は今もトラウマ」と語る娘さんたちも、今は牧師夫人に。

(3)同じく夫より先に救われた妻。夫の救いを祈りながらも、一つだけつけていた条件が。それは「夫は職人気質で、これと決めたら一直線。夫は救われたら、きっと献身して伝道者になるでしょう。神様、それだけは困ります!私は伝道者夫人にだけはなりたくないのです」という祈り。

 しかし、その唯一の条件が夫の救いを妨げていていたと示されたその女性。祈りをシフトチェンジ。

 「主人が救われるためなら、私は伝道者夫人になっても構いません。どうか、主人を救って下さい!」

 この証しを聞いた数年後にこの方に出会いました。彼女は私に駆け寄り「主人が救われたんですよ!あんな頑固な人が!」と大喜びでした。それから10年たちますが、彼女は今も、一般信徒です。聖歌の歌詞「条件つけず、降伏せば、勝ち得べし勝利を」の通りですね。

 
 「いのちを捨てても構いません」
会社が倒産しますように」
絶対、嫌な伝道者夫人になってもいいですから」

 握っていたものを手放した時、神様がその空になった手に祝福を注いでくださいました。こんな本気を神様は用いて、愛する彼氏や夫を救いに導いてくださいます。そして、時にそんな妻や女性たちが、ここまで本気になるのを神様は待っておられます

 本気になる必要を覚えながら、それを先延ばしにしておられる読者がおられたら、今日の三つの実例が、背中を押すお手伝いになればと願ってやみません。

もう一度、私なりの見解を繰り返しておきます。

 「女性の本気は殉教覚悟の伝道者に匹敵する」
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 08:35 | comments(9) | trackbacks(0) | - | - |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2018/04/18 5:40 AM |
二つ前の私のコメントは誤字が多くあり失礼しました。「配慮不足」は「排除不足」、「祈った情勢」は「祈った女性」の間違いです。お詫びと共に訂正いたします。
| ヤンキー牧師 | 2009/01/19 4:42 PM |
 自分の記事に自信がない(限られた視点と知識と経験からに過ぎない)ので、コメントを受け付けています。読者と私自身が読者のコメントから学ぶ必要もあるからです。長年の読者の多くはご存知の通り、正当な反対意見や批判や訂正はこれまでも受け止めてきたつもりです。これからもそれは変りません。

 これまでは、批判や反対意見の多くは記事の趣旨をご理解いただいた上でのもので反論する必要がなく、むしろ私の側が、教えていただき自らを修正すべきものが多かったように思います。こうした状況が変りつつあるように実感しているので、今回のお願いをしました。いわば従来の「暗黙の紳士協定」を守っていただけない読者からのコメントに少し苦慮をしています。

 もちろん、すべての読者に守ることを強制できませ
ん。しかし、一部の方のために従来のコメントを通じての対話や啓発の道を閉じることはしたくないので、あえてお願いをしているのです。

 「コメント閉鎖か?すべてのコメントに対応か?」という二者択一ではなく、ブロガーと読者の信頼関係でよい内容を目指す大人の関係を願っています。発信側には当然責任は生じます。しかし、読者側にどう受け止めるかの自由はあるとしても、誤解や誤読や主観的な感情の上でのコメントをする自由については、管理者側には一定の制限をする権利があると理解しています。
 その中でお互いがよいものを創造していくという建徳的な意識でのブログへの参与をお願いしています。

 以上、私なりの説明でした。
 
 
| ヤンキ牧師 | 2009/01/19 4:24 PM |
>最近は多くの読者から、「コメントの対応が大変ですね」と慰められています。あくまで記事の目的と意図をご理解の上でコメントをお願いします。中心的ではない枝葉の部分でのご批判をいただき応答する時間的な余裕がありませんので、大きな必要のない限りはそうしたコメントは控えてください。

>本ブログのポリシーは「大量アクセスと少数精鋭コメント」、そして原則的に議論はしないことです。

先生はご多忙でいらっしゃいますし、このような文章を書かざるを得ない状況は
とてもよく理解できます。
しかしながら、ブログを書き、コメント欄を開放している以上、あきらかな誹謗中傷や
先生、イエス様、クリスチャンを貶めるようなコメントをしている人以外とは正面から向き合う必要があると
思います。ブログ上でなくても、公にされているメールアドレスでやりとりする方法もあります。
「たくさんの人に読んでほしい。でも議論はしない」というのは、裏を返せば「自分の記事に賛同する人のコメントしかいらない」とも受け取れます。
議論をしたくないのなら、コメント欄を閉じればいいのでは?

あと、すべての読者が先生の意図したように記事を理解するとは限りません(よくお分かりだと思いますが)。
ですので、「あくまで記事の目的と意図をご理解の上でコメントをお願いします」と書いて
読者に「守って下さい」と強制はできませんよ。
人によって受け取り方はさまざまなのですから。

先生が書かれた記事に、主にある絶対的な自信をお持ちなら
どのようなコメントが書かれたとしても、それに反論できるだけの
材料があるのではないのですか?人に「それは違うと思います」と言われて
「ここでは議論しませんから」とコメントを返すのは
逃げていることと同じだと思いますが。

ブログに文章を書くにしろ、新聞に寄稿するにしろ、
一度文字にして公にした文章には責任が伴います。
特に、先生のような多くの人に名前が知られている方は
責任が強くなると思います。自分の書かれた文章に
責任をお持ちいただきたいと思います。
| ぽん | 2009/01/19 3:42 PM |
「会社倒産」の祈りの件で、新たに別の方から、排除不足のご指摘をいただきました。それ自体は感謝して受け止めますが、事実はどうであるかわからない前提で、祈った情勢への誹謗中傷に相当する表現がありましたので、削除させていただきました。とても残念なことです。

 最近は多くの読者から、「コメントの対応が大変ですね」と慰められています。あくまで記事の目的と意図をご理解の上でコメントをお願いします。中心的ではない枝葉の部分でのご批判をいただき応答する時間的な余裕がありませんので、大きな必要のない限りはそうしたコメントは控えてください。

 本ブログのポリシーは「大量アクセスと少数精鋭コメント」、そして原則的に議論はしないことです。

 当然のことながら、誹謗中傷が含まれているコメントは削除させていただきます。

 どうかご理解と御協力をお願いいたします。
 
| ヤンキー牧師 | 2009/01/19 2:19 PM |
ローマ8:28、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」という聖句を思い起こさせられますね。
| とある学生 | 2009/01/19 12:01 AM |
記事の意図を誤解をしておられないことを感謝します。中心的な意図は、記事中にあるように本気になることを先延ばしにしている方への励ましでありチャレンジです。既に本気の方には全く言及をしていません。

 神津先生の著書は特に男性牧師には必読の書ですね。「夫が救われないのは妻が本気になっていないから」というのも「妻が本気になれば夫は必ず救われる」というどちらも聖書的に間違いです。当然、本気でありながら、夫が長年救われぬままということはありえるわけです。そうしたことをご理解の上での心情的な葛藤を覚えられたことを素直に伝えていただいたとして受け止めさせていただきます。

 その感情を対象化して言語化してくだされば、より適切な応答ができそうです。また、そうしたコメントは読者にとってより有益なものとなると思います。

 会社倒産の件ですが、確かに配慮があればよりよいのでしょうが、三つとも極端な事例であることをご理解下さい。倒産を願うことを肯定しているのでなく、その犠牲を厭わぬ本気を伝えているのです。
| ヤンキー牧師 | 2009/01/18 8:51 PM |
水谷先生、こんにちは、いつも感謝して読ませて頂いています。

さて、今回のblog記事ですが
読みながら「だから、お前はだめなんだ」と責めれているようで正直たまりませんでした・・
「夫が救われていない妻は、本気じゃ無いんですかね・・」なんてボソッとつぶやきたくなったり(^^;

まぁ、こんなわたしはともかくとして、本当にそれこそ何十年も祈って献身的に尽くし「どうして、この方のご主人がすくわれないのだろう」と周りの誰もが感じずにはいられないというご夫人(信仰的にも素晴らしい)もおられるのではないかと思います。

例えば神津喜代子先生は教職者ですが、ご主人は救われていません。
(ご存知だと思いますが『クリスチャンでない夫をもつ女性たちへ』という書籍を書いておられます)

私はこういった方々が「本気妻ではない」とは、どうしても思えないのです。
主の下さる最善のときを、どんなお気持ちで待っておられるのかと思うと、胸が痛みますし、執りなし続けたいと思わせられます。

もちろん、水谷先生もこういう方々を「本気妻ではない」といいたいのではないと思いますが、なんだか、もやもやとやるせない気持ちがわき上がってきたことは否定できません。

また、この記事中に書かれている「妻の祈り」も、特に「会社が倒産しますように」は、他の社員の方やそのご家族のこともあるのですからもう少し配慮してお書き頂けたら・・とも思いました。
| 谷川鹿子 | 2009/01/18 5:48 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2009/01/18 2:11 PM |









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