命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 神なき者に与えられたのは臆病と臆病と臆病の霊? | main | 簡単・便利!健全権威育成セミナー(2) >>
簡単・便利!健全権威育成セミナー(1)
 木曜日はチャプレンを務めるゴスペルクワイヤーVOVでショートメッセージの予定。10周年を向かえ、メンバーの新陳代謝もありで、100人以上が一つになって歌うためにはリーダシップについての共通理解は不可欠。

 そこでリーダーシップの根拠となる「健全な権威」についてお話ししようと思っています。ノンクリスチャンが多数派を占めるクワイヤーに分かりやすく聖書の示す「権威観」をお知らせできたらよいと願っています。VOVの総会で立てられ、承認され、祈られたリーダーと同じく総会で、リーダーを承認したメンバーが、リーダーに与えら得ている権威を正しく理解し、それに基づいて双方が「正しい権威の行使」と「正しい権威への応答」をとってくれたらと期待しているわけです。

 聖書が示す「権威」の理念が如何に健全で、よき家庭や地域や社会を形成するのに有用であるか?また、それを実現するには、どのような課題があるか?などを知っていただければと願うのです。

 さらにメンバー達がクワイヤー以外の組織(職場、家庭、地域、所属の趣味団体や教会など)でも、権威に対して健全なあり方をしたり、よいリーダーシップを取る為のお役に立てればとも考えています。

 メッセージを考えていたら、本ブログに転用できそうなので、今回は三回にわたり連載。本ブログでは、教会における健全な権威行使と健全な権威への応答を願って記してみます。神学的には「浅い!」とのお叱りは承知の上で、あくまでクリスチャンでない方々にも届くようにと「簡単・便利」を優先して、三回ほど記していきます。

3回のアウトラインは以下の通り。
(1)権威、本質は、悪でなく善(ローマ13:1)
(2)権威、動機は、欲でなく愛(ルカ22:26)
(3)権威、目的は、支配でなく模範(汽撻藤機В魁


 それではさっそく第一回です。一回目のテーマは「権威、本質は悪でなく善」ということです。私たちは「権威」と言えば「」と結び付けやすいもの。世の中には権威を用いた悪が多く、日々報道され耳にしてしますから。

 また、そもそも「権威」などというのは、人類の歴史の中で、強者が弱者を支配・管理・搾取するために必要悪として形成されてきた理念、「支配・管理・搾取」システムをサポートする理念と歴史的にも見てしまいます。

 しかし、ローマ13:1は「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」と教えます。びっくりですね。聖書によれば権威は、強者である人間が自分の都合で作り上げた理念ではなく、神が人間世界に与えたものなのです。なぜなら、究極の権威は神にあるからです。権威の所有者は神だからです。

 では、なぜ、神様が人間に権威を与えたかと言えば、悪を罰したり抑制して、秩序ある社会、安全安心の社会を作るためです。そして、支配者とは、市民にそうした益を与える神の僕だと教えます。だから、税金を納めるべきだというリアルなお勧めまでも。2−7節にはそうしたことが記されています。

 そうです。国家権力、警察権力もそれ自体が悪いわけではありません。税金は強制的に徴収されますし、犯罪者は強制的に逮捕されたり刑を受けたりと、強制的であり、選択の余地も自由もありません。大変、強い権威ですが、これがないと国家財政は破綻、犯罪は多発で、国民は自分の安全防犯、子どもの教育から医療、老後の保障などを全部自分でしなくてはなりません。

 本来、善であるはずの「権威」がまるで悪のように語られたり、受け止められたりの現代日本。歴史的には間違った権威に騙されたり、操られてきたり、裏切られてきた経緯があります。その失敗の上に現在の日本社会は築き上げられてきました。当然、健全で正当で必要とされる権威まで、認めることに抵抗や反発を覚えてしまうのでしょう

 しかし、権威自体は善。その御用、乱用、悪用が悪なのです。神様から与えられた善を不当な目的や方法で行使することが時に巨悪を生み出すのです。

 クリスチャンの中にも世俗の権威自体を悪魔視することがありますが、それは間違いでしょう。もちろん悪魔が用いることは多々あります。教会はそれを監視し、チェックし、誤っていたら抗議し、正す責任はあるでしょう。しかし、世俗の権威自体を悪魔視、罪悪視、軽視、無視するのは聖書的ではないはず。

 各教会も同様です。神が立てたと会衆が承認した教職、長老、役員、教会学校教師などの権威は尊重され、原則、その指導に従うべきでしょう。同時に、与えられた権威が正しく用いられることを願い祈り、助け支えるべきです。しかし、逸脱や過ちがあった場合は、それを修正したり、場合によっては戒める責任もあることを忘れてはなりません。

 そうした意識がないこと、あっても怠ること、あるいはそれができないような権力構造やコントロールがなされると権威の行使が不健全になるのでしょう。そして、それがエスカレートすれば教会は権威主義に陥り、会衆は権威がもたらす安全や益ではなく、危険と害にさらされ、教会組織全体も自浄作用を喪失するのでしょう。

 「権威」という言葉が悪い文脈や悪い意味で使われてばかりの日本社会です。しかし、権威がよい意味で使われる典型的な例があります。これは、ある牧師が指摘していたのですが。「がん治療の権威」などの表現で使われるときの「権威」です。正当で人々の安全と益をもたらす権威については、私たちは、やはり素直に信頼し、従っていくものです。

 日本社会ではタブーと言われる「原発」や「君が代」さえ、メッセージソングとして扱った忌野清志郎さんがお亡くなりになりました。スタイルだけの反体制・反権力でなかった真のロック・スピリットの持ち主を惜しむ声が多くあります。

 しかし、その清志郎さんも、癌になれば、権威者にお世話になっていたののかもしれません。音楽ではその道の権威、趣味の自転車では、その世界の権威を尊敬していたでしょう。税金や年金は支払っていたでしょうし、もし、大きな犯罪行為を起こしていたら、逮捕処罰は免れません。きっと正当な権威は、尊重し、従っていたことでしょう。

 詳しいことは分かりませんが、彼が正当な権威も認めないような幼稚な反権力ではないからこそ、あの年齢まで、ロックスピリットに生きてこれたのだと思います。正しい権威を認めつつ、不当と思われる権威には遠慮がなかったからこそ、また、そうした権威の正当性の識別力があったことも、彼が大人のロッカーとして認められた一因ではないかと知識不足ながらも推測しています。

 というわけで、「権威=悪」と思っていた読者の方は、その価値観をチェンジ!!聖書は権威をその本質において悪ではなく善であること。本来、悪を罰し、私たちに益をもたらす善なのです。それは究極の権威である神が、人間に与えた恵みなのです。

 「でも、そんなこと言っても、現実は・・・」「権力による悪事ばかり・・・」「教会でも権威主義による問題が・・・」などの声は御もっとも。現実に問われる課題、「健全な権威の行使」、「健全な権威への応答」については次回以降に記します。
| ヤンキー牧師 | 権威・リーダーシップ、牧師と信徒 | 11:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









http://blog.chiisana.org/trackback/1166769
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE