命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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君は「みこころ症候群」治療対象者ではないか?
 先日の記事に対して、ペンギンさんから、充実のコメントをいただきました。丁寧な文体、無駄のない文章、鋭い視点や深い考察など、どうも、先輩牧師のようなのでビビルのですが、今回は記事に取り上げたく以下に転載。


 脱!「みこころの人」伝説 有り難う御座いました。人生の伴侶と出会う、あるういは決定することへの私たちの基本的な心構えをご教示戴いたと理解しております。
 さて、ふと思ったのですが、この(不適切な)「みこころの●●」は仕事とか他の人生の重大事でも当てはまる症状なのではないでしょうか?

「みこころ症候群」とでも言いましょうか・・・。

 自信を持って人生のすべての局面を「聖書的」に乗り越えてゆく指導が必要なのではないか?と思わされました。

 以上がいただいたコメントです。
「みこころの人」「みこころの仕事」「みこころの教会」・・・・。確かに今回長々と論じてきたような問題点は共通。確かにペンギンさんのご指摘の通り「みこころ症候群」は蔓延しており、多くのクリスチャンが自覚症状もないまま、その「みこころ」を追求していたり、祈って待っていたり。自覚症状がないので、治療の必要性も覚えないわけです。また、みこころを求めているように見えるので、むしろ信仰的と評価されてしまい、周囲のクリスチャンも指導者たちも、その人が治療対象であるとは考えないのでは?

 ペンギンさんの提唱される治療法は、「自信を持って人生のすべての局面を「聖書的」に乗り越えてゆく指導」。なるほど、その通りです。でも、それって難しそう。とは言え、私なりに以前の記事を引用して、治療方針にしたいと思います。以下は、昨年の3月23日掲載の「みこころは普遍先行・個別後続」というタイトルの記事です。

J+Passion Tokyoは、学ぶことばかりでした。永井先生と安藤主事からは教えられることも、ブログネタもてんこ盛り状態。本ブログ的には、性についても語ってくださった安藤主事の奉仕から教えられたことを、おわかち。

 神様の御心ということで、語られた内容の一部を私なりに要約すると以下のようになります。

 クリスチャンはよく「誰と結婚」「どこに就職」「何をするか」「いつするか」などについてばかり、御心を求めます。しかし、まず、求めるべき御心は「誰」「どこ」「なに」「いつ」ではなく、もっと普遍的な御心のはず。 

 聖書には誰と結婚するか、どんな職業に付くべきかについては具体的に書いてありません。しかし、どう生きるべきか何を大切にすべきか、祝福されるライフスタイルなどは、明確に書いてあります。ですから「どのように神様を喜ばせるべきか」「何を第一にするか」などの御心を知って、それに生きていればいいのです。その中で、自由に結婚相手や職業を選べば、それが御心になるのです。

 かなり脚色も入っていますが、こうした趣旨のお話が一部ありまして、私も深く納得。

 確かルターが「神を愛せよ、あとはあなたのしたいことをしなさい」と一見極論とも思える発言をしていたように記憶します。確かに神様を愛して、聖書が示す人生の目的、優先順位、ライフスタイルに生きているなら、その人は正しい動機で正しい結婚相手や職業を願い、結果的には御心にかなってそれを見つけるでしょう。

 前著「チョット聞けない・・・」のコントでも記しましたが、神様を除外したライフスタイルを送っているクリスチャンに具体的な御心など分かりません。ヤンキー牧師が「あの人が御心の結婚相手」だと主張するクリスチャン男性に「おまえの信仰生活を見ていたら、とても御心が分かるとは思えんぞ」とズバリ語ったとおりです。少なくとも私は(特別な理由もない)礼拝遅刻常習者や礼拝に来たり来なかったりのクリスチャンが結婚相手や就職など具体的なことについての「御心だと思います」とか「御言葉に示されました」などは全く信用しません。聖書が明らかに示す普遍的な御心を知らなかったり、知っていて従おうとしないのですから。

 結婚や就職で「御心は?」と悩む読者の皆さん。人生の目標や優先順位、ライフスタイルなどについてもっと「御心」を求めましょう。そして聖書に明らかに示されている御心に従って生きる決断と努力をしましょう。そうした歩みの中で、願い求める時、個別的具体的な一つ一つに御心が為されるのでは?

 御心については、以下のような公式を思いつきました。

 聖書が明示する普遍的御心 > 聖書が明示しない個別的御心

 普遍的御心への従順 → 個別的な御心の実現


 「御心の人は誰?」「御心の職場は?」と悩む前に、聖書をしっかり読んで、神様の御心を知り、それに、つまり聖書の言葉に従う人生の決断と実行を!その中で自由に選択すれば、それは決して自分中心でも肉でもなく、御心の相手や職業は付いてくるはず。

 これが、名づけて「普遍先行、個別後続」の原則。

 以上が、昨年の記事。これが私なりの「みこころ症候群」の患者さんへの治療方針であります。

 イエス様が来られた時、律法は形式化されその本質を失っていました。律法を守ろうとするあまり、その表面上の言葉や形式に固執して、かえってその本質や律法を与えた方のみこころを失っていました。そこでイエス様は、山上の説教の中でその病状を指摘し、治療をされました。(マタイ5:17−37)。イエス様が来られた時と同じ状況が、「みこころの○○」という言葉について今、私たちの周囲にもあるのでは?
 
 そこで最後に私なりに「山上の説教」ならぬ、「ネット上の説教」を。

 「いまどきの人々に『みこころの人と結婚すべき』『みこころの仕事に就きましょう』『みこころの道を歩みなさい』と言われたのをあなたがたは聞いています。

 しかし、わたしはあなたがたに言います。『あなたがみこころの人になりなさい』『あなたが神の御心を知って行う者になりなさい』と。あなたが聖書の示す普遍的みこころに生きるなら、あなたは個別的な事例や場面にあって、みこころにかなった判断と選択をできるものへと成長するのです。」

 自覚症状の芽生えた方は、「良薬は口に苦し」と逃げないで、病気?に向き合い、治療を始めてみては?
| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 09:55 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
みこころシリーズ、楽しくうなずきながら拝読しています。「普遍的御心>個別的御心」に全面的に同意します。
ここ数日のシリーズ記事を読みながら、かつては私も「みこころ症候群」だったということに気付きました。進路や就職や結婚やイロイロなことに「これは御心なのか、、、」と悩みながら祈りました。
夫は結婚当時まだ信仰を持っておらず、かといって「信仰者じゃないから別れる」というのも彼を躓かせるだけ。御心がまるで分からず、「御心でないならば別れさせてください」という、今から考えると笑えるような祈りをしていました。ちなみに性的な関係は彼との大げんかを何度も経て、神様の見守りと彼の忍耐のお陰で、結婚まで待つことができました。その彼を祝福してくださったのか、結婚後数年して彼はキリストを信じて同じ信仰を持つようになりました。
その後も転職、転居など「どうすればいいのか?」と迷うことが多々ありましたし、その時も「これが御心だ!」と全面的に自信を持って決められたことは一度もありません。でも振り返ってきて、神に従おうと願う者には全てのことを益としてくださる神が、欠く物がないように守ってきてくださったということがわかります。
「(個別的)御心はこれ!」と思いたくなる気持ちは、占いにすがる心理に似ている気がします。
| ティムの母 | 2009/07/01 2:20 PM |
はじめまして!
「小さないのちを守る会」のサイトを見て、
水谷先生のブログを知りました。
今回の、「脱!『みこころの人』伝説」シリーズは、
とても面白く読ませていただきました。
私のブログでも紹介させていただきましたので、
ご連絡いたしました。
今後とも、よろしくお願いします。
| てんしちゃん | 2009/07/01 12:25 PM |









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