命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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子の心親知らず(2)
 中高キャンプの奉仕をさせていただくと、生徒やスタッフから、普段はあまり聞けない中高生の本音を聞くことができます。その中には、まさに「子の心親知らず」なものも。

 団体や信仰理解によって事情は異なるでしょうが、中高生が信仰決心したり、信仰告白をしながら、洗礼決心には至らない場合がよくあります。キャンプなどの決心でも「イエス様信じる」の決心には手を挙げても「バプテスマ受けます」の決心に挙手しない生徒が多いのです。信仰決心と洗礼決心の間に必要以上に大きな隔たりや不自然なギャップがあるのです。

 生徒やスタッフから、この事に関しての中高生の本音を何度か、お聞きしたことがあります。

 「中高生たちは洗礼を受けてしまうと、親や周囲の大人から『洗礼を受けたのだから・・・』とますます束縛をされることが、見えているのです。イエス様のことは信じているのに、それが嫌で洗礼を受けない中高生たちも多いのです。」

 私はそれを聞いて、正直な思いを申し上げました。
悔い改めるべきは、中高生より親たち、大人たちですね」


 聖書的とは言いかねるハードルを中高生のバプテスマの前に置いてしまっているとしたら・・・・。

 もし、大人たちが「洗礼を受けなさい」と言い、それに従って洗礼を受けたら、次は「洗礼を受けたのだから・・・しなさい」と命じたり、強制するのであれば・・・・・。

 いつも、70点の子どもが90点とっても、「次もがんばれ」。滅びに至るはずの子どもがキリストを信じバプテスマを受けて永遠のいのちを得ても、次は「洗礼受けたのだから・・・しなさい」ばかりの親だとしたら・・・。

 これは中高生たちには残酷すぎませんか?親の愛も神様の愛も、安住の地とはならず、別の愛に居場所を求めてしまうのはある意味、必然でしょう。本来は親の愛が神の愛を一定体現するはず、教会の交わりが神の愛を体現するはずなのに・・・。

 信仰継承を困難にしている要因の一つはこうした「子の心、親知らず」なのかもしれません。
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