命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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牧師と信徒、これが見本かも?(3)
連日のシリーズですが今回で最終回。

 普通は開拓教会の場合、ストレートに宣教的なヴィジョンを掲げそうなものですが、この教会のヴィジョンは「神の家族」。私の観察では、不思議なように中高生や教会員の家族が救われる要因の一つは、このヴィジョンを実現してきたことにあるのでは?と観察。

 「交わりの充実」→「宣教の力」(教会が愛し合うのをみれば、世はキリストを知る)という発想は聖書的な正論なのでしょうが、こうした成功例に出会えたことは大変な励まし。

 私がこの牧師を大変尊敬できる一つの要素は、信徒との関係に「恐れ」がないこと。かつては、信徒に「先生、お話しが・・・」と言われると何かを指摘されはしないかと恐れがあったとか。また、信徒の側も牧師と話すのに恐れがあっただろうとのこと。しかし、現在はそうした恐れはなく、信徒の側もそうであろうというお話。

 これはすごいです!メチャメチャすごいことです。

 気軽に本音で話し合える牧師と信徒の関係。それは、どんなに難しいことか?自分自身を振り返ってみても、信徒の時は牧師が大変崇高で迷いや弱さなどないかのように、美しい誤解をしており、近づきがたく、本音が話せない場合も。あるいは逆に牧師の欠けや欠点が見えてしまい、寛容という愛がないために過度に批判的になり、牧師のため祈り助ける思いが持てなかったり。
 今度は自分が牧師になれば、信徒はなぜ、もっと本音を話してくれないのかと残念に思ってしまいます。牧師にも迷いや弱さがあることを、どうして理解をしてくれないかと不満を持ったり。逆に、普通の意見や建設的な助言さえも、批判と受け止めてしまい過度に反応してしまったりと。

 私は決して権威主義的な方ではないと自己評価をしていますが、それでも多分、特定の地域教会を牧会していたら、私は一生、本音で話し合える信徒と牧師の関係を構築できないだろうと思います。そういう自己評価をすると自らの愛の乏しさを悔改めずにはおられません。

 その牧師は崇拝されず、依存もされもせず、また、軽視されたり、嫌われたりもせず、愛され親しまれ敬意を持たれている様子。

 「全き愛は恐れを締め出します」(汽茱錬粥В隠検砲箸△蠅泙后K匯佞反徒の関係も愛が完全になっていけば、恐れのない関係をきっと構築できるのだと思います。そして、その交わりは、聖書が示す「神の家族」となるでしょう。

 健全な家族は内向きのマイホーム主義でもありませんし、家庭エゴにも走りません。家庭の外に対して愛を注ぎます。それが宣教の方向性にもつながるのでは?そして、何より、言葉だけではない教会が「神の家族」としての実質を持つとき、地域の人々はそこにキリストを見ることでしょう。そして、それは、何と聖書的な宣教でしょう。

 「恐れのない愛の関係」、それは牧師と信徒の間にも、期待される関係ではないでしょうか?
 
| ヤンキー牧師 | 権威・リーダーシップ、牧師と信徒 | 14:02 | - | - | - | - |
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