命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 最後のアピール!キャンパスクルセードのクリスマスCD−ROM | main | これから出る執筆物の紹介 >>
よき夫よき父よき人>世界一の○○
 タイガーウッズが、来年度のツアーについて無期限の出場自粛だとか発表された声明によれば理由は「よき夫、よき父、よき人になるため」とか。日本のメディアやゴルフ関係者からは「残念」「そこまでする必要はない」「ゴルフをしないウッズなんて」などの声も。きっと本国アメリカ市民の声は大きく異なることでしょう。

 もちろん、「子どもを失いたくないから」、「離婚して多額の慰謝料を払いたくないから」などの理由も予想されますから、冒頭の発言を真に受けてはならないのでしょう。

 しかし、発言自体は正しいかな?と思う私です。たとえ、ある分野で世界一になっても、よき家庭人でなければ、神様はそれを喜ばれるでしょうか?「世界一のゴルファーで愛人二桁夫」と「生活も厳しい三流プロゴルファーでよき家庭人」のどちらを神様は喜ばれるでしょうか?

 日本の文化は家庭を犠牲にしてでも職業や使命で一流を極めることを美徳とするところがあります。その文化が聖書の教理や優先順位を超えて、教会の文化、クリスチャンのあり方になりやすいのも事実。家庭を犠牲にすることが献身度の指標や自己満足度向上になったりすることも。

 逆に言えば、一流の政治家、芸能人、スポーツ選手であれば、愛人の存在や不倫程度は許容されかねないのが日本の社会。これは「滅私奉公」の拡大代解釈か?それとも間違った適用か?「」である家庭を「滅ぼし」てでも、「公の世界」で「奉仕し」貢献することをよしとする価値観は、日本社会の根底に歴史的を通じて今も流れているのでは?

 「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう」と第一テモテ3章は、監督職の適正基準として明確に家庭人としての実績を挙げています。直接的には監督であり今日の牧師等のリーダーを対象としているのでしょうが、同じ優先順位はすべての男性クリスチャンに当てはまると解釈できるでしょう。

よき夫、よき父、よき人>世界一の○○」

 ○○の箇所が、プロゴルファーであろうが、政治家であろうが、実業家であろうが、はたまた牧師、宣教師、クリスチャン男性であろうが、これは「公式」ですから、神様の前には、この不等号は不変逆転することはないと思うのですが、どうでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 08:52 | - | - | - | - |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE