命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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聖書的リーダーシップについてもう一言
 昨日のリバジャパで紹介された教会の件とそれに関連した記事は大変な反響であったようで、猛烈にアクセスが来ました。多分、多くの牧師とクリスチャンにとって普段から感じていた課題なのでしょう。

昨日の記事はこちら。

http://blog.chiisana.org/?eid=1403890


 リーダーシップは単一ではない多様性のあるもの。しかし、聖書が示す原則はあると思うのです。また、福音理解によって指導者への従順がかなり強調されることがあるもの。それ自体を、私は決して否定はしませんが、それが聖書の原則に明らかに反したり、極端に逸脱をしていたら、修正訂正されるべきであり、放置されてはならないと考えています。


 以前、「簡単・便利、健全権威育成セミナー」と称して三回の記事を掲載したことがあります。

3回のアウトラインは以下の通り。
(1)権威、本質は、でなく(ローマ13:1)
(2)権威、動機は、でなく(ルカ22:26)
(3)権威、目的は、支配でなく模範(汽撻藤機В魁

簡単・便利、健全権威育成セミナー(1)
http://blog.chiisana.org/?eid=1166769

簡単・便利、健全権威育成セミナー(2)
http://blog.chiisana.org/?eid=1167978

簡単・便利、健全権威育成セミナー(3)
http://blog.chiisana.org/?eid=1168136

 リーダーが愛でなく欲の動機で、模範を示すことなく信徒を支配するために与えられた権威を行使するなら、その権威は悪以外の何物でもありません。そうならないために、リーダーは常に神の前に自己チェックが必要です。しかし、それは自己責任、自己申告であり、いくらでもごまかせます。教会や信徒を願う方向でコントロールしたいという誘惑は多くの牧師にあり、不当な権威行使の可能性は決して少なくはありません。だからこそ、役員会、教会の交わり、規則などによってチェックされる必要があると私は思いますし、だからこそ聖書は交わりの機能として「戒めあう」「罪を告白しあう」を明示していると思うのです。

 牧師が明確なヴィジョンを示しつつ、その説明や共有のプロセスを必ず通過する某牧師・某教会のあり方は、健全なリーダーシップを保証する一つのあり方だと私は評価しています。

 リバジャパの記事の最後、「役員や信徒との良好な関係」について尋ねられ、某牧師はこう返答しています。

「この教会には、私が間違ったときにはっきりと指摘してくれる信徒が何人かいます。それは本当にありがたいことです。(後略)

 イエスマンばかりになってしまう役員会ほど恐ろしいものはありません。いざという時、牧師の逸脱暴走を止められないからです。

 間違いを指摘する信徒を喜べる牧師が、健全なリーダーだと私は思います。同時に(愛の動機から)、牧師の過ちをはっきり指摘する信徒こそ、自己保身から解放された真に牧師と教会と神を愛し、牧師のリーダーシップを健全に保つ不可欠の存在でしょう。
 どうも健全なリーダーシップは牧師と信徒の両者で育てられるのではないかと思えるのです。
| ヤンキー牧師 | 権威・リーダーシップ、牧師と信徒 | 21:48 | - | - | - | - |
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