命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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結婚愛とは「こだわりを捨てること」と見つけたり!
 先日ある結婚式に出席。その式辞が聖書的で同時に大変具体的で、感銘を受けました。私なりに受け止めた現実的真理は「結婚愛の実践は、こだわりを捨てること」。

 つまり「愛は寛容です」と愛の一番手に「寛容」が来るわけですが、実際の結婚生活の中では、その寛容とは自分と相手についての「こだわり」を捨てるという形をとるということです。

 司式をされた牧師自身がユニークな証しをされました。その牧師ご自分が、結婚した時に経験した「こだわり」についての葛藤が、笑えるやらリアルやら・・・・。何と。

 「コロッケにきくらげが入っていない!

 「おい、県民ショーかい?」と突っ込みたくなるようなこだわり。どこの地方のご出身かは存じ上げませんが、これはスゴイです。でも、同様の「こだわり」との葛藤は、現実の結婚生活にはつきもの。特に男性は料理を通じて、妻からの愛情を実感するもの。「食べ物についてのこだわり」が、結婚当初はかなり夫のストレスになったり、それを理解できない妻の側の問題もあって、夫婦間バトルに発展することも。

 司式の中、牧師は「自分についてのこだわり」と「相手へのこだわり」を捨てることが、寛容という愛の実践であり、結婚をよりよく成長させる秘訣とお話し。自分が思う「これはこうでなくては」、自分が信じている「これはこうでなくてはならない」などは信仰に関することも含めて、結婚の最初の段階で再検討が必要です。

 また「相手はこうあって欲しい」「こうでなくてはならない」とのこだわりも、多くの場合は寛容という愛に反するもの。「相手への期待、希望」と「相手についてのこだわり」とは異なると思うのです。前者は寛容と同時進行可能ですが、後者は寛容という愛に反して結婚生活を貧しいものにしてしまうでしょう。

 20年以上にわたる自らの結婚生活を振り返ってみても、非聖書的で独りよがりな「こだわり」は常に夫婦関係にマイナス作用してきました。逆に、よりよい結婚生活を願って、かなりの苦渋の決断をして「こだわり」を捨てた時に、結婚生活が飛躍的に向上してきたように思います。

 多くの場合、結婚式で夫に勧められること。それは「キリストが教会を愛し、ご自身をささげられたように妻を愛すべきこと」。キリストは愛する対象のためにいのちを捨てました。自らのいのちを捨てることに比べれば、独りよがりの「こだわり」などは、本来「喜んでポイポイ」のはず。ところが、自己中で愛の乏しい罪人はそこで葛藤するわけです。

 でも、「いくら妻のためでも、自分はこういう人、変れない」って、聖書的にはありなんでしょうかね?「主に喜ばれる結婚のためでも、このことだけは譲れない」とか、クリスチャンの夫にあっていいんでしょうか?是非ともクリスチャンである既婚者男性の皆様にはご検討いただきたいもの。

 婚活系クリスチャン女性の皆さん、愛する女性のためにこだわりを捨てる男性を選びましょう。そういう男性が「のびしろ男」、「ツチノコ男」ですよ。

 うーん、確かに結婚の質的向上を分けるのは「こだわりを捨てるか?捨てないか?」の決断に依存しているようです。「愛は寛容です」の結婚生活におけるアウトプットのイメージってこういうことだったのですね。納得。
| ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 13:02 | - | - | - | - |
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