命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 昨日の集会報告 | main | 天使の代理人ウォッチャー(4) 3000人と600人 >>
胎内記憶についての証しを紹介
 一人の牧師夫人から、息子さんの胎内記憶について記した証しをいただきました。本来はある集会での証しのために記してくださったものですが、大変意義深いもので、一人でも多くの方にお読みいただきたく願い以下にご紹介申しあげます。長い文章ですが、一気にお読みいただきたいので、分割せず一度に掲載します。胎内において胎児が神様とも、また人とも人格的交わりを持っていることを伺わせる証しとして受け止めていただければ感謝です。

「創造主の眼差し」


 多くの方にとって自分の子どもを授かるというのは特別な祝福であると思います。私にも息子が一人いまして、この子を通して親としての喜びとまわりの方々との出会いや交わりの機会をいただいてきました。実はもう一つ、息子が運んできた恵みがありまして、それは「創造主の愛のまなざしがどのようなものか」を知らせてくれたことです。

 妊娠がわかったとき私は36才でした。高齢出産のリスクを考えると無事元気に生まれてきてくれるだろうかという不安もありました。しかし、そのために母親としてお腹の子にしてあげられることは何もないなあと思いました。そんなときに、次のみ言葉が心に留まり大変励まされました。

 詩篇
139:1316
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

 造り主なるお方は、生まれ出る前の小さな存在を愛し慈しみ、守り育ててくださり、さらにその子の将来を描いて送り出してくださるのだと教えられ、あとは神様に信頼してお任せすればいいのだと思って平安をいただきました。

 そののち、息子が3才の頃に一冊の本と出会いました。いのちのことば社から出版された「幼子に導かれて‐ターミナルケアに見た神の恵み‐」という本です。著者ダイアン・コンブはアメリカ人の小児科医で、長年多くの子どもたちの死を看取ってきた人です。彼女は無心論者でしたが、子どもたちとの関わりの中で信仰を持つに至ったそうです。
本文の中から少し紹介します。

 「子どもは神に造られたばかりの存在で、神から送られたかわいい伝道師。子どもに耳を傾けるとき、信仰への道を捜すことができる。…小さすぎるのは私
(著者)の神。彼(6才の小児ガンの男の子)と彼のすごい神は、平和な国の秘密をともにしていた。彼はこの世が決して彼の本当のおうちではないことを知っていた。…霊的起源の感覚は非常に小さいときの本能によるものだ。ときたま、死が近づくと、ヴェールが一部あげられ、その向こうの天使やイエスの姿、天国の光景を垣間見るように思われる。…子どもの霊的感性に通じておられるイエスこそ、理想的な小児科医。…もし、これらの死に行く子どもを知るという特別なことがなかったら、私の人生はどうなっていただろうか。その後の人生で最も重要な神の国への窓を見出すことができただろうか。…」
また、本の中には子どもたち自身が語った言葉も紹介されていました。
「私は神様の一番小さな声(普通の人には忙しくて聞こえないほどの声)が好き」
(10代のダウン症の女の子)
「神様のことを話してちょうだいよ。ぼくは忘れそうなんだもの。」
3才の男の子が生まれたばかりの弟に)
「ママ、ぼくは神様の次にママが好き。神様はママよりもうちょっと好き」5才の男の子)

 この本を読んで、私の中にいくつかの疑問が湧いてきました。
「神様はこのような子どもたちには、特別にご自身を表わされるのだろうか?
世の中には胎内記憶を持つ子もいるというが、そのこととの関連はどうなのだろうか?
果たして私の息子はどんなふうに神様を認識するのだろうか?…」
息子がちょうど4才の誕生日を迎えた頃にこんな質問をしてみました。「お母さんのおなかの中にいたとき、どんなふうだった?」そこから息子は折に触れていろいろと話してくれるようになりました。

 「お母さんのおなかの中は、明るかったり暗かったりしたよ。
(昼と夜がわかるらしい) お風呂の中にはいってるみたいで、気持ち良かった。おなかの中では揺れていた。お母さんが寝ているときと階段を上るとき、わかったよ。お母さんの声ははっきり聞こえたけど、お父さんの声は聞こえにくかった。お母さんが聖書を読んだり賛美歌を歌ってるのが聞こえたよ。」 なるほど、胎内環境というのはそういうものなのだろうと思いました。

 また、このようにも言っていました。「早くお母さんに会いたいなって思ってた。お母さんがぼくのことを呼んでいるのがわかったよ。お返事したけどお母さんには聞こえなかったでしょ。」不思議なことに、胎児は自分が母親の胎内にいることを知っており、まだ見ぬ母を慕っているのです。誰がそれを教えたのでしょうか?

 そして、一番びっくりしたのはイエスさまについて話し出したときです。「イエスさまがいっしょだったから、さびしくなかったよ。ずっとイエスさまがいてくれたから、安心だった。イエスさまがお世話してくれたから、とってもとってもうれしかった。イエスさまはいつだってぼくにわかるようにお話してくれたよ。おなかの中はよかったなぁ。イエスさまが一緒だったから。最後に、イエスさまが『もうすぐバイバイになるけど、天国でまた会おうね』って言ってた。」

 それから、生まれてくるときの記憶も持っていました。「おなかから出るとき、狭くて出にくかった。ギューッと押されて苦しかった。もうあんなのはイヤだよ。おなかから出てきたら、本当にイエスさまとバイバイになっちゃったんだよ。びっくりして、不安だった。『お母さんはどこだろう』って捜したの。声でおかあさんだってわかったよ。」
そしてこんなことも言っていました。「一番好きなのは神様。その次に好きなのは人間の中ではお母さんだよ。ぼくを生んだのはお母さん。でも、ぼくを造ったのは神様だよ。」

 赤ちゃんは誕生して初めて人間として認識されることが多いのですが、胎内にいるときから五感をいっぱいに働かせて力強く生きており、生まれ出る日を心待ちにしているのですね。一番驚いたのは、胎児は自分がどなたによって形造られているかわかっているし、イエスさまと過ごす時間をとても楽しみ喜んでいるということです。

 息子の話を聞くときに私はいつも最初は驚くのですが、「なるほどそういうことだったのか」と納得できることが多く、しかも話の内容に一貫性があり確信を持って語るので、単なる想像の世界のこととは思えません。
これらの言葉は息子がおもに4〜6才の頃に話してくれたものです。13才になった今でも胎内記憶がわずかに残っており、一番大切で大好きなのは神様、二番目が母親であることに変わりはありません。

 私は息子の胎内記憶について話をするとき、少し躊躇する気持ちがあります。なぜなら、赤ちゃんを生みたくても流産してしまったり、事情があって生むことができず人口妊娠中絶を余儀なくされたことで人知れず苦しんでいるという方が意外と多いと聞くからです。そういった方への配慮をもって語ることが私の課題だと思っています。また、人によっては「はじめくんってスゴイね」と言われるのですが、私はそれで終わってしまっては困ると思っています。確かに、胎内記憶をはっきり持っていて私に話してくれたという点では、特別な使命を持って生まれてきたと言えかもしれません。

 しかし、ヨハネ
1:3には、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」 と書いてあります。私たちすべてがこの神様の愛情深いみ手によって形造られたのです。
 
 また、箴言
8:30,31には、「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」と書いてあります。イエスさまは生まれる前の小さな私たちと共にいることを喜ばれ、その時間を楽しまれたのです。
神様はそのことを皆さんに伝えたくて、私と息子に使命を与えられたのだと理解しています。

 ほかにもみ言葉は、生まれ出る前の存在についていろいろと語っています。
ヨブ31:15「私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。
私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。」
詩篇22:9.10「あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、
私はあなたに、ゆだねられました。母の胎にいた時から、あなたは私の神です。」

 詩篇
119:73「あなたの御手が私を造り、私を形造りました。」
イザヤ46:34「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっ
てもわたしは同じようにする。…」

 イザヤ
49:1「主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。」

 ルカ
1:41「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満
たされた。」

 ローマ
9:20「形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたの
ですか』と言えるでしょうか。」

さて、ここで新たな疑問が私の中に浮かんできました。
「果たして胎児及び新生児の能力とはどのようなものなのだろうか?
胎内記憶についてはこれまで客観的な調査.研究がなされてきたのだろうか?」
私はそれを知りたくて何冊かの本を読んでみました。内容を抜粋してご紹介します。

1.「誕生を記憶する子どもたち」 心理学者のデーヴィッド・チェンバレン著
多くの能力が出生の時点からおとな同様にそなわっていることが証明された。赤ちゃんは生まれるずっと前から個人として行動している。彼らは生まれたそのときから親密な人間関係を結び、力強く自己を主張し、好き嫌いを言い、他人に影響を与えはじめる。出生の記憶を口にする人たちの話によると、「赤ん坊」の思考は思いもよらないほど成熟しており皆個性豊かであった。親を愛し気づかっていた。人格や性格に未発達で幼稚な感じは微塵もなく、最初からそのままのかたちでそなわっているように見えた。

2.「ヒトの意識が生まれるとき」 鹿児島大学教授の大坪治彦著
人間の一生は外界に出る「誕生」とともにはじまると考えられていた。しかし「誕生」は通過点であって、「受胎」が出発点である。誕生直後の新生児が示す多くの能力はそのスタートが誕生にあるのではなく、母親の胎内ですでに活動していると考えるべきである。胎児のときに、すでに他者との「交流」が行える能力が存在している。胎児は音を聞くことができ、母胎の揺れを感じることができ、さらに、自分自身の「運動」によって「応答」する手段も明らかに備えている。赤ちゃんは、母親のお腹のなかにいるときから、他者からの働きかけを待っている。

3.「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」「赤ちゃんと話そう!生まれる前からの子
育て」 産科医の池川 明著
3601組の親子にアンケートを取りその結果を本にまとめた。それによると、回答があった人々のうち、胎内記憶がある子は33%、誕生記憶がある子は20.7%であった。
記憶は6才を過ぎると急激に消えてしまうようだ。(息子が「その通り」とうなずいていた。) おなかの中にいるときから、お母さんと赤ちゃんの絆づくりは始まっている。おなかの中で赤ちゃんは意識があり、すでにいろいろ見たり考えたりしている。おなかの中からすでに人生は始まっている。

4.「かみさま どこにいるの」「かみさま おねがいがあるの
ダニエル.アンジュ司祭が子どもたちから聞き取った言葉
かみさまは そらになんか いないよ。ぼくの こころのなかに いるんだ。
かみさまを しんじるってことは かみさまの きている シャツを しっかり にぎって、ぜったい はなさないことさ。
かみさまは ひかりをきてるんだよ。
かみさまの しごとは あいするっていうこと。
あかちゃんはね、かみさまのことばを しゃべってる。だから ぼくはね、かみさまと もっと はなしができるように あかちゃんと はなしをしてるんだ。
おいのりするっていうことは、かみさまを めでみなくても すきになることだと ぼくは おもいます。

 私は息子の話を聞いたりこれらの本を読むまでは、生まれたばかりの赤ちゃんというのは真っ白なキャンパスのような存在で、親がお世話をしたり生き方を教えたりして手助けする中で、子どもが自分の人生を描いていくものだと思っていましたが、すでに神様が備えてくださった個性と生きる使命を持って生まれて来るのだと思うようになりました。

 また、胎内にいるときから人との関わりを持つ能力が備わっているというのは大変興味深いことです。母親との関わり以前に、神様とのうるわしい心の通い合い、愛の流れる関係があったからだと考えるほうが自然ではないか、と私は思います。

 創造主であるお方のもとからやって来た赤ちゃんが、創造主との記憶
(思い出)を鮮明に覚えていて私たち大人に教えてくれるとしたら、私たちは小さな子どものつたない言葉であったとしても、へりくだり恐れをもって聞くべきではないかと思います。そういう謙遜さをなくしてはいけないと、私は自分自身に言い聞かせています。

 さて、日本では「自分を愛せない子ども」が増えていると言います。彼らは自己肯定感に乏しく、自分の存在意義がわからないので、他者を信頼し大切にすることもできません。

 最近の新聞記事によると、3人に2人の高校生が「自分はダメな人間だ」と感じているそうです。歪んだ自己評価のために、能力は持っていてもそれを発揮できないというのはとても悲しいことです。
どうしたら正しい自己評価ができるのでしょうか?「自分の存在価値は能力にあるのではなく、私を愛し大切に形造ってくださったお方が、あなたは尊い存在なのだよと言ってくださり、私の人生を描き、目的を持ってこの世に送り出してくださった。そして、今も見守り私の存在を喜び、行く手を導いてくださるのだ。また、どんなに私がまわりの人から理解されなくても、神様だけはいつも私の良き理解者としてかたわらにいてくださり、悲しみも喜びも一緒に受け止めてくださるのだ。」ということを知っていただけたらと思います。

 若者だけでなく、皆さん一人一人に向けられている「神様の愛のまなざし」が感じられるようにと願いながら、私は今日のお話をさせていただきました。
私の息子は先天的に左目の視力がほとんどありません。そのことは本人もよくわかっています。

 彼が小学2年生のとき、私にこんな質問をしてきました。 「神様はどうしてぼくをこんなふうに創ったんだろうね。」 私はここでいい加減な返事をしてはいけないと思いましたので、しばらく考えてから答えました。「お母さんにもその理由はわからない。でも、神様があなたを愛していることは知ってるよね。」息子は「うん」と返事をすると、あとは二度と同じ質問をしませんでした。

 人間の価値は能力や健康や持っているものにはよらないのです。

 また、今は人の命が過小評価されている時代でもあります。自死も殺人も増えています。幼児虐待も大きな問題です。人工妊娠中絶についてのデータによると、日本での件数は届出のあるものだけで年間40万前後ですが、実数は1日約1万人と言われています。これは、赤ちゃんが1人生まれるたびに、3〜4人が胎内で殺されていることを意味するのだそうです。人の誕生は、人間の意志を越えた神様のご計画という厳粛なものであるのに、創造主を無視するとき人間の都合で何でも出来てしまうような錯覚に陥るのかもしれません。臓器移植や体外受精、クローン技術が話題になるときもありますが、私たちが「神様によって神様のかたちに創造された」ということの重みと祝福を覚えながら、これらのことについても慎重に考えていく必要があると思います。

 最後に、長年音楽伝道に従事している私の友人が作詩作曲した賛美を紹介します。

「なんとも不思議なことですね 世界を造られた神が私を造られたとは
なんとも不思議なことですね すべての上にたつ神が私の中にいるとは
あなたは私を見つめている 愛する自分の子供として
私があなたに献げる全てを あなたは喜び受け取って下さる
…あなたのまなざしに見つめられて 私は喜び踊っている…
この曲を聴きながら、5才の息子に質問したことがあります。 「赤ちゃんにとって、神様に見つめられているっていうのはこんな感じなの?」すると息子は、「うん、100%びっくりなこと、感動なこと」と言いました。「それってうれしいって言うこと?」と聞くと、「うん、そうだよ」という確信に満ちた答えが返ってきました。

 皆さん、私たちは神様の愛のまなざしの中に憩うことができるのです。やがて神様の御前に立つときが来たら、「ああ、神様は私をこんなにも大きな愛で愛していてくださったんだ!」と感動をもって受け止めることになるだろうと、私は楽しみにしています。その希望を胸に、今は与えられている所において神様にお仕えすることを喜びとして進んで行きたいと思っています。

| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 06:50 | - | - | - | - |
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE