命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全牧師(40)
 今回取り上げたいのは、「祭司おひとり様牧師」であります。「牧師とは何か?」と問われる時、「預言者的役割を持つ」とか「祭司的役割」とか説明されます。私も基本的にこれには賛成します。しかし、あくまで「」ですから、旧約そのままではないわけです。神の言葉を取り次ぐ意味では預言者的職務でしょうし、神と民の間を仲介する意味では、祭司的職務でしょう。

 そこで、考えたいのが、「牧師は祭司職とは具体的に何の職務を意味するのか?」であります。牧師は祭司職だから、神と人との間を執り成すのは牧師の職務というのは分かります。でも、祭司職を特権化してしまうとどうかと思うのです。祝祷は牧師の職務。聖礼典は牧師の職務。ここまでは多くの教会で認められているでしょう。しかし賛美の選曲は牧師の職務、礼拝形式の決定は牧師の職務、牧会に関することは牧師の職務・・・・・。これは多様でありましょう。逆に「牧師は祭司だから伝道は牧師の職務」と牧師こそ伝道の先頭に立つべきとお考えの信徒も。

 でも、よく考えてみると、プロテスタント教会は「万人祭司」ですよね。牧師の「牧師は祭司職だから・・・・」は正当でしょうが、「信徒も祭司なのですが・・・・」も正しいのです。ですから、祭司職の特権化はどうかと思うのです。間違っても、牧師一人が祭司職なのではありません。もし、そうなら、そのプロテスタント教会は、教会を宗教改革前にタイムスリップさせる「バック・トゥ・ザ・カトリック教会」でありましょう。「どこがプロテスタント教会やねん!」と神様が関西人なら突っ込みが入るかも。

 万人祭司とは「牧師も信徒も祭司」ということ。でも、この意識って、意外と牧師と信徒に入っていないのでは?自分だけが祭司であるかのような「祭司おひとり様牧師」や牧師だけが祭司と考える「祭司他人事信徒」という状態に、日本の教会は陥りやすいのでは?などと余計な心配をしてしまうわけです。

 そこで、「同じ祭司なら、牧師と信徒は何が違うんじゃ?!」という問いかけが起こるわけです。榎本保郎先生は「万人祭司だが、万人牧師ではない」と「一日一章」に記しておられます。「信徒でなく、牧師だけが召されているある職務」が存在するわけです。

 さらにまた、「では、それは具体的に何か?」となれば、いよいよ難しいわけです。牧師独自の職務、その線引きが不明瞭であるために、牧師と信徒の両者が、困惑したり、越権行為疑惑をおこしたりすることも。私自身は、教会政治に応じて、杓子定規ではなく一定柔軟な線引きをして、明文化し、牧師と信徒で共有するのがよいかと考える一人です。でも、その一方でそうした合意と共有の困難さも一定理解しているつもりです。

 改めて考えてみると、「祭司おひとり様牧師」と「祭司他人事信徒」では、プロテスタント教会の実質を失っていると言われかねないと思ったりしてしまいます。「万人祭司意識の信徒」と「万人祭司主義だけど万人牧師でない意識の牧師」というのが基本中の基本のように思うのですが、これが、そう簡単に実現化できないのが、日本のキリスト教界の課題なのでしょうか?

 もちろん、牧師が「祭司おひとり様」状態でない健全牧師として歩む最高の方法は、信徒が「万人祭司」意識をもって宣教に励んだり、教会を建て上げることでしょう。そこで信徒の皆様には、大切な牧師を「祭司おひとり様」にしないためにも、どうか「祭司お連れ様」レベルにはなっていただければと願うばかりであります。

〈追記〉
 このシリーズの記事は、特定の牧師あるいは教会について言及するものではありません。あくまで、一般論として記しております。また、批判材料としてではなく、健徳的に用いていただけるよう願います。


 

 
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