命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 育てよう健全牧師(41)「多言天牧師」 | main | 育てよう健全牧師(43)「原発牧師」 >>
育てよう健全牧師(42)「高学歴・低学力牧師」
 高校の教師であった頃、大変、考えさせられたケースがありました。ある男子生徒が、勉学の意欲を失い2生年で退学。一年後に聞こえてきた情報では、彼は、運送会社に勤務し、一年で社内業績トップでかなりの高給取り状態。若い高校教師に勝ってたりするわけです。しかも地元名門公立大学の彼女までいるというのです。

 片や、聞こえてくるのは、いわゆる優等生男子生徒にまつわる残念な情報。希望通りの大学に入りながらの不登校状態。有名大学に入りながらの人間関係での深刻な悩みなど。勉強はできても、現実の人間社会に適応できなかったりするわけです。

 一般的な学習塾なら、希望通りや有名大学に生徒を入れたら、成功です。勉強力、受験力、試験解答力をつけて、希望進路に進ませたら、塾の責任は果たしていると言えるでしょう。しかし、学校が生徒に与えたり、伸ばしてやるべきは、勉強力、受験力、試験回答力ではありません。「学力」です。

 本ブログでは繰り返し紹介しますが、国際的な定義では「学力」とは「市民社会に参与する力」であります。勉強力、受験力、試験解答力ではありません。学校などの準備期間を終えて、最終的に市民社会に参与する力を学校は育てるのです。

 そう考えますと、退学した前者の生徒は、高校を卒業せずとも十分な学力を既に持っていたと言えるのかもしれません。後者のような優等生は学校の成績は抜群でも、持つべき学力は乏しかったのではないかと心配になります。こうした現実があるので、真面目で意識の高い教師ほど、「自分は本当の教育をしているのか?」と自問しますし、「勉強だけさせて学力を与えていないような現実」があれば、それに疑問を持ち葛藤するものです。

 このことは、かなりの教育機関に起こりうることでしょう。そう、牧師養成を目指す神学校も例外ではないでしょう。私は「クリスチャンの学力」とは「神の民として生きる力」や「キリスト者として市民社会に参与する力」だと考えています。

 思うに、そういうわけで、多くの神学校は寮生活があったり、既婚者であれば家族寮などがあるのでしょう。独身は寮生活で、こうした学力を訓練されます。ルターが「結婚生活は修道院以上の訓練」との趣旨の発言をしている通り、既婚者には結婚生活が学力の向上の現場であります。

 しかし、どうしたわけか、宣教、牧会の現場には、「高学歴・低学力牧師」が存在します。牧師も「時代の子」だからです。時代の制約からは逃げられません。

 携帯やゲームだけではないでしょう。家庭生活や学校生活においても、人格と人格が真剣に向き合わず、表面的な関係だけで生きてしまう時代です。対人関係で錬られて、「学力」をつける機会がすくないのが現実。もちろん神学校生活で、学力を付ける者も多いでしょうが、それだけは、遣わされた現場によって厳しいことも多々あるでしょう。

 最もまずいと思うのは、そうしたことから逃げて、逃避的に勉強をして、自分の本当の課題に向き合わず、神学校を卒業してしまうことでしょう。そういう卒業者は、現場に出て破綻したり、教団の教職審査等で、他の道を勧められたりすることも。

 牧会・宣教現場に出る前に一定の学力をつけるのは、召された者として当然の責任だと思います。それを逃げてしまうようでは、お話しにならないと私は厳しい見解を持つ者です。しかし、ある程度、学力をつけていても、現場に対応できない若い教職も多くいます。私はこうした教職には同情的です。自分自身も程度は軽くてもそうした要素を持つと自覚しているからです。

 時代の子である若い牧師は、やはり濃密な人間関係に耐えられません。教会内で対立的な人間関係になってしまうと克服する気力や知恵がありません。信徒からの愛ゆえのアドバイスさえ、自分の人格否定へと自動翻訳して受け止めて、恐れに支配され、自己保身的になり、悪循環に陥ります。人間関係を構築し信頼を結ぶ学力に欠けています。先輩世代にすれば、こうしたことは、あまりに未熟で、お粗末に見えてしまうことでしょう。

 しかし、先輩牧師は「時代の子」のメンタリティーを理解して、励まし導いていただきたいですし、年上の信徒の皆さんには、世代の違いを受け止め、かなり忍耐が必要かとも思うのです。そして、そのシリーズのタイトルのように「信徒が牧師を育てる」あるいは「牧師と信徒が共に成長する」という視点のそれに立った実践があれば、30代教職の破綻や逸脱や残念な転任、どうかと思う留学などは、かなり防げるのではと考えています。もっとも、そうした成熟した信徒でないことが、多くの教会の問題なのでしょうが。
 
 日本の社会は勉強さえできれば、他の事柄はあまり注意されずに過ごせてしまいます。特に男性の場合はそうでしょう。ですから、「高学歴者に低学力者が多くなる」という皮肉な現象も珍しくありません。私がお聞きするクリスチャンの結婚問題に、夫がクリスチャンホーム育ちの大学院卒業男性というケースが多いのには驚いています。

 若い世代の牧師にも「のび太君よりのびしろ君」の原則は当てはまるように思います。「高学歴低学力」の現実に信徒が失望する心情は理解できます。しかし、あまりに完成品を望みすぎてはいけないと思うのです。特に牧師依存的な心情から、若い牧師に過度な要求や期待をすることは、最終的に牧師の成長の芽を摘んでしまうことになりかねません。やはり、のびしろを期待して、「信徒と牧師が共に成長する」という聖書的あり方が求めれると思ったりします。

 ちょうど、クリスチャン新聞の最新号(5月29日号)のオピニオンは、この件を扱っています。「若い伝道者を育てる温かい眼差し」と題して、同盟教団の嵐時雄先生が、聖書的な視点から、貴重な提言をしてくださっています。

 若い伝道者の課題は十分認識しつつも、上の世代から苦言として聞かれる「スピリット」や「ハングリー精神」については吟味の必要を訴えておられます。21世紀の伝道者に備えられたよきものにも目を向けさせて下さっています。ある課題を持ったテモテにパウロが接したあの姿勢を模範として「パウロのような暖かな眼差し」と必要性を提案しておられます。読者にとっては、若い伝道者に対しての自らの態度が聖書的かどうかのよき検証にもなるかと思います。この件に関心と重荷のある方にはぜひ、ご一読いただきたい優れた論説だと感じています。

〈追記〉
 このシリーズの記事は、特定の牧師あるいは教会について言及するものではありません。あくまで、一般論として記しております。また、批判材料としてではなく、健徳的に用いていただけるよう願います。
 

 ※サイト本体を経由せず読まれた方はこちらをクリックお願いします。
 「小さないのちを守る会」
〈ワンクリックが小さないのちを守るサポートになります〉
| ヤンキー牧師 | 「育てよう健全牧師」シリーズ | 09:41 | - | - | - | - |
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE