命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全クリスチャン(8)〜旗本退屈クリスチャン
 久しぶりのこのシリーズ、過去を振り返れば、こんなクリスチャンたちの課題を扱ってきました。

(1)押尾クリスチャン
http://blog.chiisana.org/?day=20090820

(2)ゴミ屋敷クリスチャン
http://blog.chiisana.org/?day=20090821

(3)子泣き爺クリスチャン
http://blog.chiisana.org/?day=20090822

(4)ゆっていクリスチャン
http://blog.chiisana.org/?eid=1322767

(5)ムーディークリスチャン
http://blog.chiisana.org/?eid=1322839

(6)ニンニク醤油だれクリスチャン
http://blog.chiisana.org/?eid=1322840

(7)結論先行型クリスチャン
http://blog.chiisana.org/?eid=1325103

 そして、今回、第8回目として扱いますのが、「旗本退屈クリスチャン」であります。古過ぎて、元ネタ不明の方はこちらをご参照ください。

wikiphedia「旗本退屈男」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%9C%AC%E9%80%80%E5%B1%88%E7%94%B7

 別にネーミングは「早乙女主水之介クリスチャン」でもよかったのですが、まあ、インパクトの強い方で。では、「旗本退屈クリスチャン」とは誰か?それは「天下御免のクリスチャン」なのであります。つまり「御免と謝罪すれば全てのクリスチャンは赦すのが当然」という前提でいるクリスチャンであります。言い換えるなら、相手が赦すのが当然、場合によっては赦さなかったら責める予定で、謝罪をするクリスチャンであります。

 こうした天下御免連発の旗本退屈クリスチャンに周囲では、極めて非聖書的な現象が、起こりながらも、周囲は、そのおかしさを指摘できない異常な状況になることが。

 それは「罪を犯して赦しを乞う者」が「罪の被害を受けた者が自分を赦さないこと」を「罪と断罪し、その罪を赦さないぞ」とういこと。言い換えるなら、「自分がこうして謝ったのに赦さないのはクリスチャンとして間違っている」というわけのわからない理論を自信満々で主張するクリスチャンであります。

 つまり、この「天下御免ワールド」に入ってしまうと、加害者クリスチャンは謝りさえすれば、絶対優位に立てるのです。加害者クリスチャンの赦しを受け入れない被害者クリスチャンの態度を「罪を赦さない罪」として指摘し、断罪できるからです。しかも、本人は赦さない相手が悪いと本気で信じているのですから、怖いです。一種の詐欺師のようなものですから。実は、こうした詐欺的展開にはめられて、「クリスチャンなのに赦さない自分が悪いのでは?」と悩む被害者クリスチャンは少なくありません。真面目で謙虚なだけにかわいそうすぎます。

 要は、「赦しましょう」との聖書の言葉を自分でなく、相手に適用して、相手が聖書に従わないと、聖書を盾に、加害者と被害者の関係を一発逆転するという実に卑劣な手段であります。これは、罪を犯した側び聖書悪用による逆切れ、開き直りパターンでもあるのでしょう。

 自分が罪を犯して、他者を傷つけながら、それを自分に指摘してくるクリスチャンに対して、「あなたは裁いている」と逆に相手を断罪するのも、同様。これも「聖書悪用型逆襲・自己保身」でありましょう。

 そもそも罪について「謝れば赦してもらえるのは当然」とするその前提が異常です。神様は罪を言い表せば赦してくださると約束されています。しかし、これは本来ありえない恵みなのです。なぜなら、「罪は赦してはならないもの」だからです。確かアウグスティヌスだったと思います。彼は罪をこう定義しています。

 「罪とは赦してはならないもののことである

 罪とは「本来、絶対赦してもらえない」とするのが当然の前提なのです。神様は不正ができません。ですから、無代価では、赦すことができません。そこで、赦しの代価として神の一人子のいのちが犠牲にされたのです。神がご自身の一人子を十字架につけてまでして達成された罪の赦しを「赦されて当然」と前提にするとは、・・・

 もう十字架をなめていますね。これは!

 そうです。罪を赦されるなどは、本来、「ありえない恵み」なのです。本来、クリスチャン達は一つ一つの罪を告白し、赦されるごとに、「ありえない恵み」として、涙流して感謝すべきなのでしょう。

 神からも人からも、「謝ったのだから赦されて当然」と思っている旗本退屈クリスチャンの皆さんは、どうか、ご自身の十字架をなめたその態度を、悔改められ、まず、ご自身の罪を神様に御赦しいただくことを、お勧めします。そして、その「天下御免体質」を主の助けにより改められますよう切に願います。そうでないと、罪赦されている恵み自体が分からず、罪を犯して他者を傷つけても、相手を責めて、自分は悔改めもなく最後は完全に自分を見失った「裸の王様クリスチャン」になってしまいますから。

 聖書によれば、「教会は赦しの共同体」というのは正解でしょう。しかし、聖書は「罪を告白しあうこと」と「戒めあうこと」を命じています。明らかに教会の交わりは「戒めと悔改めの交わり」であるはず。こうした「天下御免」がまかりとおれば、教会は戒めと悔改めの交わりを失い、罪の放置、許容の交わりと変質し、コリント教会のように聖さを喪失してしまうことでしょう。

 ですから、旗本退屈クリスチャンの周囲のクリスチャンの皆さんには、どうか危機感を持っていただき、「天下御免の不思議ワールド」に巻き込まれず、冷静に聖書的視点をもって、退屈クリスチャンの自分を客観視され、対処されますようにと。指導的立場、あるいは親しい関係にある読者の方々には、大変なご苦労かと思いますが、旗本退屈教会員に対しては、忍耐をもって、罪の自覚と悔改めに導いていただければと願います。


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