命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全牧師(44)はばかり牧師
 凝りもせず、またこのシリーズであります。「はばかり牧師」とは誰か?「はばかり」だからと言って、遠慮ばかりしている牧師、障害になっている牧師ではございません。もちろん「はばかり」と言っても、トイレにこもって祈っている牧師でもありません。

 実は「はばかり」とは「葉ばかり」という意味。でも、「葉ばかりで実を結ばない牧師」という意味ではありません。そう、「はばかり牧師」とは「全身葉ばかりの牧師」のこと。何の葉かと言えば、いちじくの葉なのです。つまり、いちじくの葉で全身を隠しつつ交わりに生きている牧師のことであります。

 このネタを思いついたのは、知人牧師がメールで牧する教会の週報掲載の記事を送ってくださったから。大変優れた記事ですので、執筆者のご許可をいただき、ここに転載します。(太字は私の編集によるものです)


まだいちじくの葉が必要ですか?
 最近つくづく思うことがあります。それは私たちが見聞きすること、表に表れることはほんの一部であって、隠されていて見えないことが少なくないといういうことです。表向きには体面を保っていること、あるいは体裁を繕っていることがあっても、現実はまったく違うということはどこでも聞きます。政治の世界も、報道されるできごともしかり、私たちが接する人の中にも、「知らなかった」ということもしばしば。

 アダムとエバが神に逆らい、木の実を食べたとき、彼らは互いが裸であることを知り、いちじくの葉をつづり合わせて腰を覆いました。この出来事は非常に象徴的です。罪の結果、人と人との間にはができて、あなたには見せられない。あなたには見せたくない。という思いが互いに生じたということです。その裏にはどうせわかってくれない。受け止めてもらえないという相手に対する不信があるのです。

 私たちがそれを乗り越えていくために必要なことはどんなことでしょうか。
「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。」エペソ4:25

 それは、新しい人、新しいからだという理解が必要です。古い人、古いからだはいつまでもいちじくの葉を必要とします。罪を知られることへの恐れ、人から責められることへの恐れ、だから人を信じられないという思いをいつまでも持ち続けるのです。私たちは、恵みによって赦された者たちです。互いの交わりにおいて、赦された者でたちであるゆえに、互いを赦します。決して捨てません。そこから、真実な交わりを築くことができるのです。それを信じて歩む者とさせていただこうではありませんか。

 こちらの教会のサイトの7月3日のブログでもお読みいただけます。
http://matsumura.jpn.ch/church/

 
 この記述は、キリストの体であるすべてのキリスト者に当てはまることでしょう。しかし、「教会で最も多くいちじくの葉をまとっているのが牧師」という現象は珍しくないのでは?牧師が、自分の本当の姿を見せることを最も恐れ、不都合に思えるのは、信徒を躓かせないためには、ある意味、当然のことでしょう。また、自分が思い描く完璧な牧師像を演じようとするあまりに、隠れた罪、過ち、失敗、逸脱、弱さなどを悟られぬようにし、、それについて責められることを恐れます。

 ありもしない批判を恐れたりする予期不安に縛られている牧師も珍しくないようです。過去には信頼を裏切られたり小さな失敗を過大に非難されたトラウマもあるでしょう。そうした積み上げの末に、信徒に牧師独自の課題や葛藤や戦いを伝え、理解を求めることもせずに「信徒にはわからないから」「牧師は孤独なもの」と勝手に判断し、自己開示をしないことも。

 そうなると、教会の中で、牧師が「最多いちじくの葉所持者」となりかねません。つまり、牧師が最も不真実な交わりに生きているわけです。信徒に模範を示すために神様は牧師に権威を与えているというのに、これでは全く交わりの模範になっていませんね。

 牧師の側が、エペソ4:25に生きる意識変革や実践が求められるのは当然でしょう。牧師自身が、自らを信徒同様キリストの体の一部と位置づけて、偽りを棄て真実を語るのです。体の各機関が、別の器官に偽りを言ったら、体は機能しませんから。熱いのに冷たいと言えば火傷します。痛いのに心地よいと言えば、体のどこかが傷つきます。「牧師自らがキリストの体を傷つけてどうすんの?」ということになります。

 とは言え、交わりは相互の努力が大切。信徒の側も、牧師の本質的でない過ちや失敗には、寛容であっていただきたいもの。本質的なものについては、責めるのではなく、愛をもって真実を語り、訂正や謝罪や戒めを通じて、赦しや回復のプロセスを歩んでいくことかと思います。

「牧師のいちじくの葉、20%削減目標」などの自己目標スローガン
「先生、いちじくの葉、多すぎ!そんなに責めたりしませんから・・・」との信徒の優しい言葉
「そんなにいちじくの葉が多いと、信徒と真実な交わりができませんよ」との牧師夫人からのお叱り。

 そうしたことが、「はばかり牧師」に葉っぱを捨てさせる勇気を与えてくれるのでしょう。育てよう健全牧師、「はばかり牧師」に葉っぱを捨てさせる信徒でありたいものです。

〈追記〉
 このシリーズの記事は、特定の牧師あるいは教会について言及するものではありません。あくまで、一般論として記しております。また、批判材料としてではなく、健徳的に用いていただけるよう願います。


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