命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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林真理子のエッセイに聖書の真理を再確認?
 先週土曜日は、名古屋から石川県までバスで3時間半の移動。車内で週刊文春を読みました。文春にしたのは、エロの要素が少なく、思想的にもあまり偏りがなく、エッセイの執筆人が興味深いからであります。特に田中真理子と中村うさぎのエッセイには、一男性としていろいろ教えられます。

 林真理子さんのエッセイは、なでしこJAPANを率いた佐々木監督を評しながら、「日本のおじさんの女性観」を論じたもの。林さんは、女性を理解し、尊重しようとする佐々木監督のあり方を高く評価。「黙って俺について来い」と指導をしたと伝えられる50年前の東京オリンピック女子バレーの監督を「男性の女性への支配」「家長主義の延長」と評価し、それとの対比で佐々木監督のあり方を「日本のおじさんもここまで進化」と賞賛しております。

 私も夫婦関係は、夫が頭(代表)にして対等なパートナーシップだと考えるので、結婚における夫のリーダーシップは「黙って俺について来い」ではなく「黙らず俺について来い」だと考えています。夫婦は交わりですから、対話というプロセスを経ずに、妻が夫に機械的自動的についていくのは、聖書的ではないし、対等なパートナーシップではないと思っています。その点で、佐々木監督のあり方はフェミニズム的には進化であり、聖書的には、正常化なのかもしれませんね。
 
 田中さんはこのエッセーにおいて結論として「日本のおじさん」を二つに大別します。それは「本当に女性を同士と思える人」と「どうしても思えない人」という二分化であります。さらに「後者のおじさんは、女性をすぐに性的対象と見るため、これまたばっさりと二つに切る。若いカワイコちゃんと、どうてもいいおばさんの二種類にしか女を分けないのである。そして、それ以外、おじさんはまるっきり女性がわからない」。(でも、これは日本のおじさんだけでなく、おにいさんも同様なのでは?)

 この「日本のおじさん」についての観察と評価について私はずばり当たっていると思います。「本当に思える」と「どうしても思えない」という表現などは、実に鋭い男性観察ではないでしょうか?神様は農業を通じて神の業に参与するアダムをご覧になり「人がひとりでいるのはよくない」と判断されました。神様は(結婚関係にに限らず)男性と女性を共に神の業に参与するパートナーとして位置づけておられるはず。

 ところが神を離れ、自己中心になった男性たちは、女性を神にあってのパートナーとして見ることが困難になり、自らの性的欲求を満たす対象として見るようになりました。そのように堕落した男性たちが、聖書によって女性存在の意味を知り、悔い改めることから、本来の男女関係の回復があるのだろうと私は考えます。

 たとえば「情欲を抱いて女を見るものは・・・」という山上の説教は、直接的には内心的姦淫を戒めるものでしょうが、その意図の中には、女性の人格を尊重し、神の業に参与するパートナーとして女性を見ることを願う神の思いが込められているのだろうと私は受け止めています。林真理子さんのエッセイを通じて、私自身「日本のおじさん」の一人として、大いに考えさせられ、聖書に立ち返り、何が本来のあり方か?を再確認させていただきました。


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