命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 9月のご愛読感謝と、入会のおすすめ | main | 「万人祭司」ならぬ「万人リーダー」?の効用 >>
マル暴のカタギの皆さんのおかげです(1)
 このシリーズ、キリスト者として「暴力団排除条例」をどうか考えるか?というもの。元ネタ不明の読者のために一応説明しておきましょう。これは「とんねるずの皆さんのおかげです」というテレビ番組名のパロディーであります。島田伸助氏の電撃引退以来、暴力団の問題がクローズアップされております。暴力団が悪いのは当たり前。では、暴力団の問題で悪いのは、暴力団だけか?と言えば、とんでもありません。暴力団が存続できるのは「カタギのみなさんのおかげです」という面があるわけです。

 10月より東京でも試行され、話題となっている「暴力団排除条例」は、カタギの皆様にもペナルティーを科すことが特徴です。つまり、「暴力団が存続しうるのはカタギのみなさんのおかげです。」という現実と発想に立って暴力団を弱体化しようという狙いかと思います。

 私自身もそういう傾向があるのですが、クリスチャンはどうも、社会の悪について、「自分たちは善である」と安全地帯に自らをおいてしまう傾向があるように思うのです。自分たちも罪人であり、特に社会における構造的悪については、好まずとも、その当事者や加害者たりうるとの自覚に欠けるように思うわけです。そして、あたかも自分はであるかのように、社会悪を嫌悪し、聖書からの正論で斬るような態度をとりかねません。私自身も、ふと気づくとそういうことをしている自分がいて、悔改めることもしばしば。

 そこで、屈折した視点からの社会評論であります。クリスチャン市民も含めての「カタギ」や「シロウト」と皆さんの側の責任を考えてみようと言うのがこのシリーズの趣旨。

 芸能と暴力団の関係
は古くは江戸時代からだそうです。旅をして芝居をする人たちと、その土地の用心棒はある意味のセットとなり、それが、現在でも芸能と暴力団の関係につながっているというのが歴史的見解のようです。かつては、特に演歌系とプロレスの興行が、暴力団と密接な関係があったのは、有名なお話。

 ですから、江戸時代は、旅芸人の芝居を見る事は、ある意味、暴力団への利益供与であります。かつては、演歌のコンサートに行くことも、プロレスを会場で観戦するなら、その料金の一部は、暴力団の活動資金になっていたわけです。


 「必要悪」という概念があります。「暴力団は必要悪ではないか?」という議論はよくされます。たとえば、旅芸人が安心して公演するために用心棒は必要です。江戸時代の旅芸人は被差別階級の人々が担いましたから、公権力が守ってくれることは期待できません。まさに、用心棒は必要だったのです。でも、それは暴力を行使する悪であったわけですから、まさに必要悪です。

 開拓の歴史を持つアメリカ社会は、十分な警察組織などは持ちえず、自らを守るために銃が必要とされました。言うまでもなく銃は、凶器であり、殺人可能な道具であり、「」の機能を持ちうるもの。これも必要悪の一つといえるかも知れません。

 信仰共同体とされるイスラエル社会にも売買春があったことを聖書は示しています。いいえ、その社会には、犯罪者集団もあったようです。

 また、いつの時代、どの社会にも社会秩序やルールに従って生きられない人々はいるもの。そうした人々の居場所や社会的立場も必要となります。どうも聖書の描く羊飼いはそうした職業だったようです。安息日を守れない職業ですから、一種のはずれもので、実際に無法者や前科者もいたようです。どのような社会であっても、反社会的組織や、犯罪者集団はあります。その中には、「受け皿としての社会悪」と考えられるものもあるのでは?

 かつてある暴力団の組長は、「ゴミは一箇所に集めた方が社会のためによいでしょう?」という趣旨の発言をしたそうです。これは暴力団のもつ必要悪という面を、前面に出した一種の自己弁護あるいは、開き直りでしょう。でも、「くやしいけど一理あるなー」と感じる方も多いのでは?

 私個人は安易に必要悪を是認してはならないとは思っています。しかし、人間が罪人である限り、必要悪は生じます。これが現実です。では、聖書はそれについて、何を示し、どう評価しているのでしょうか?即時全面否定をしているのでしょうか?究極的否定も向かいつつも、経過措置として一定の容認をしているのでしょうか?そんな単純ではない深い考察が聖書からは導き出されるのでしょうか?

 そうした視点で聖書を読むと、今回の「暴力団排除条例」について聖書的な評価ができるのかもしれません。「日本社会において、暴力団はある意味での必要悪ではないか?キリスト者市民であっても、間接的にはその恩恵にあずかっているのではないか?」そんなことを考えてしまいました。


 ※サイト本体を経由せず読まれた方はこちらをクリックお願いします。
 「小さないのちを守る会」
〈ワンクリックが小さないのちを守るサポートになります〉

| ヤンキー牧師 | キリスト者として考える社会事象 | 16:54 | - | - | - | - |
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE