命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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婚前性行為よ、オマエは既にいのちを粗末にしている?

 タイトルは、「北斗の拳」におけるケンシロウの名フレーズのパロディーです。念のため。

 中絶問題に取り組んでいる時によく触れる見解の一つが、「キリスト教会が中絶防止を主張するのは良いとしても、性の尊厳の教育がなければ、本当の意味でいのちの尊厳を実現していると言えるのか?」という厳しくもごもっともなご意見。

 分かり易い例を、二つご紹介します。フィリピン人女性の支援をされる方々から聞こえてくるのはこんなケース。カトリックの教えが浸透しているフィリピン社会では、「中絶は大罪」との価値観があり、予期せぬ妊娠であっても出産を願う傾向が強いのです。しかし、一方で、それ程、貞操観念は強くなく、結婚前の性行為に関しては、緩やかだというのです。つまり、中絶に関しては、キリスト教的価値観が強く、性行為に関しては弱いのです。そして、その差が極端なのです。その結果、妊娠しては困る状態で、安易に性関係を持しまい、妊娠し、中絶せず、出産するというわけです。

 同じことが、アメリカの10代クリスチャン女性にも、一部見られるとの指摘があります。クリスチャン女子高生が、あまり罪悪感もなく、性関係を持ち、その結果、妊娠。すると、中絶はせず、出産し、シングルマザーで育児高校には母子クラス有りというわけです。

 もちろん、予期せぬ妊娠をしても、中絶をせず、いのちを生み出し、育てる選択は、生命尊重であります。素晴らしいことです。しかし、そうなるまでの性のあり方は大問題でしょう。また、中絶によって決定的にいのちを断つのではなくても、結果的に、不十分な環境で子どもを育てるようになることは、ある意味、いのちを軽視することでありましょう。

 そこで、出てくるのが、「中絶さえしなければ、それでいいのか?不十分な生育環境で育てるのも生命軽視だろうが!」とのご意見。まったく、ごもっともです。だからこそ、十分な生育環境を与えるために、養子縁組が必要だと思うのです。

 もちろん、10代のシングルマザーが周囲にも支えられ、立派な育児をするケースはいくらでもあります。しかし、一般的な傾向としては、未熟な母親で父親不在であれば、子どもにとってはより厳しい生育環境となるのは事実と言えそう。

 いのちの尊厳とは、「いのちを断たなければよい」というものではないはず。いのちを傷つけてはならないのです。いいえ、むしろ、いのちが豊かに健全に育つことを願い、実現することです。

 その意味で、「婚前性行為は、今どきはクリスチャンでも許される軽い罪、一方、中絶はクリスチャンにはありえない大罪」のような罪意識や価値観であってはならないでしょう。それでは、いのちが断たれることは防止できても、いのちが豊かな健やかに育つ方向には、向かうことはないわけです。

 「結婚前のセックスは罪らしいけど、今どき、仕方ないよね。でも、妊娠したからって、中絶するなんて、とんでもない罪だよねー」

 「婚前の性行為は事実上のOK中絶はNG」。日本のキリスト教会において、本音では、そんな価値観で歩んでいる若きクリスチャンは少なくないようです。

 セックスが、いのちを生み出す行為であり、いのちに対しての厳粛な責任を持つことを、お知らせし、「婚前のセックスの段階から、既にいのちを粗末にしているのだよ」とお伝えしたいものです。

| ヤンキー牧師 | 今どきの恋愛と性を考える | 17:43 | - | - | - | - |
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