命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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クリスマス後の嬰児虐殺に考える中絶問題とアドベント

 東の博士によるクリスマス礼拝の後に来るのが、マタイ2章16節以降に記されているベツレヘム男子嬰児大量虐殺事件。博士から居場所を聞き出し「ユダヤ人の王」を抹殺しようと願っていたヘロデ王は、博士に騙されたと知り、ベツレヘムばかりかその近辺の二歳以下の男児を皆殺しにするという暴挙に。ある牧師がこのことを癌を取り除くための広域切除手術に喩えているのを書物で読んだことがあります。

 自分の王座を脅かす存在の抹殺。この聖書箇所からは時に中絶問題が論じられることがあります。男性あるいは女性が、自らの人生の王となりそれを願い通りにコントロールしようとします。芽生えたいのちは、小さく最も弱い存在でありながらも、自らの王座を脅かす不都合ないのち。そのいのちを断つことで、今後の人生も自分の人生の王として君臨しようとする・・・・。多くの中絶には、ヘロデ王に共通する要素があるのでは?

 もちろん、中絶を考えざるを得ない状況に追い込まれた弱者である女性を、権力者であり、自らの意志で虐殺を命じたヘロデ王と全く同列にする意図はありません。ただ、「自らが王であろうとし、弱いいのちを断つ」ということにおいて共通かと思うのです。

 では、ヘロデ王や中絶に関わる男女が特別罪深いかと言えばそうではないでしょう。キリスト者であっても、自分が自らの人生の王であろうとすれば、それを脅かす存在の拒否や社会的抹殺を願うことはないでしょうか?

 「汝殺すなかれ」との律法の真意は、殺人行為の禁止に留まらず、内的殺人の禁止までが守備範囲。「ばか」と誰かの存在価値を否定すれば「殺すなかれ」違反。自らの人生の王であろうとし、その妨害者の存在否定をし、社会的抹殺を願うなら、それも「殺すなかれ」違反でしょうし、ヘロデの大量虐殺とモチベーションは同様のはず。

 いいえ、クリスチャンが、自らを人生の王、主権者として、自らが運転席にすわり、人生のすべてをコントロールするなら、それは真の王の存在価値否定なのでは?イエス様の誕生を拒み、家畜同様の出生に追い込んだ当時の神の民と同様なのでは?そして、自らを王として、自らの人生に共にいてくださる真の王を心理的に抹殺しているなら、それは、ヘロデ王と大差ないでしょう。

 クリスマスは聖なる神の愛に満ちた恵み。人間の側は、大量虐殺や中絶だけではありません。そこにあるのは王として来られた方を除外し、抹殺しかねない罪深さ

 「イエス様を王としてお迎えしましょう。

 それは掛け声やスローガンで終わってはならないもの。むしろ、自らの内側に潜むヘロデ王や救い主を拒絶した民に向き合い、「自分は本気でイエスを王として迎える気があるのか?」を問うのも、アドベントの一つのあり方ではないかと思わされています。

| ヤンキー牧師 | 人工妊娠中絶関連 | 12:25 | - | - | - | - |
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