命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 「猿の惑星に学ぶ」弱者犠牲による強者の富の享受構造 | main | 似て非なる救済者、水戸黄門とイエス・キリスト >>
「好き」の最上級は「愛している」ではない!

 先日、大学での私の講義に対しての感想に教えられました。恋愛と結婚、恋愛感情と結婚愛の違いをお話した箇所についての応答として、その学生は以前聞いたことのある「好きの最上級は愛しているではない」という言葉を思い起こしたと言うのです。

 アニメ「一休さん」のテーマソングは「好き、好き、好き、好き、好き、好き、愛してる」と歌いますが、これは、きっと仏教の教えにも反していると思います。「好き」が六つ集まっても「愛してる」には昇格しないのであります。

 聖書的には、サマリヤの女がその実例。彼女は「好き」の最上級者でありましたが、「愛」の失格者であったと思われます。五度の結婚に破れました。「好き、好き、好き、好き、好き」と五回結婚しても、「愛してる」には達しませんでした。キリストに出会うまで彼女は「愛する」世界を未体験だったのでしょう。

 そうです。「好き」をいくつ積み上げても「愛」にはなりません。恋愛感情を最上級まで高めても、結婚愛には至りません。基本的に両者は別物なのです。

 では、「好き」の最上級は何でしょう?「好き」を最上級まで極めるとどうなるでしょうか?時にそれは悲劇につながります。一例は、サマリヤの女のような結婚破綻の連続です。あるいは、不健全な人間の場合は「好き」が最上級に達するとストーカー行為に及ぶことも。旧約聖書でも、「好き」が高じて、異母姉妹であるタマルをレイプしたアムノンの例(競汽爛┘襭隠馨蓮砲あります。

 「愛」は相手中心、でも「好き」は自分中心。それ故に「好き」が最上級になれば、究極の自己中心となり、結婚を破壊したり、犯罪行為にさえ及ぶのは、ある意味、必然なのでは?

 そう、恋愛感情は結婚起爆剤。決して、保存料にも、防腐剤にもなりません。結婚を持続させ、よりよくするのは、結婚愛という名前の意志、結婚式で誓ったあの決意なのでしょう。

| ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 15:37 | - | - | - | - |
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE