命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「子はかすがい、孫はちょうつがい」でいいのか?

 昨日、ラジオを聴いておりましたら、一人の方からの投書がよまれておりました。それによれば、「子はかすがい、孫はちょうつがい」とはその通りとのこと。かすがい(鎹)とは、梁など二つの木材を離れないようにする釘のようなもの。つまり、子どもによって夫婦は離れられず不自由になるということ。それに対して、ちょうつがい(蝶番)とは扉を柱に固定し、扉などを開閉させるための金具。開いたり閉じたいと自由度は高いが、こき使われるとのこと。なるほど、現実の両親夫婦や孫と祖父母の関係を言い当てていると感心。

 でも、聖書によれば、神が結婚する二人を結びつけるのですから、それは無媒介的。子どもの有無に関係なく、二人は一体になるわけです。むしろ、子どもにかすがいをさせてはならないでしょう。子どもが夫婦間で身を裂かれるような思いをさせてはいけません。「お母さんは、あなたがいるからお父さんと別れないのよ」と言われ、「自分がいなければ、お母さんはお父さんと別れられるのに」と自分を責めたり、自己存在価値を失う子どもいれば、稀に「自分さえいなければ、お母さんは自由になれる」と判断し、自らいのちを断つ子どもさえいます。

 「子はかすがい」とは、事実を言い当ててはいても、実は悲しい言葉なのでは?かすがいいらずの夫婦になることこそ、子どもが安心して健全に育つ大前提でありましょう。

 「孫はちょうつがい」についても、ちょっとツッコミ。別居であれば、一緒に暮さなければ自由さはあるもの、しかし、会えばこき使われるもの。「孫は一度で二度楽しい、やってきてうれしい、帰ってくれてうれしい」というのはその通りでしょう。

 継続的ではない一時的な関係だけに、その場限りの無責任な愛情の注ぎ方をしてしまうのが、子どもにとっては、マイナス要因。娘や息子、嫁や婿に叱られながら、孫をスポイルしないかかわり方をするのも、高齢者の課題でありましょう。多分、理想としては、直接孫にかかわるよりも、子育ての先輩として、子どもの孫育てを見守りながら、「介入せずとも、支援する」という成熟した態度をとることなのでしょう。でも、自分が孫を持ったと想像すると、これが超難題なんだろうなと思います。

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