命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「肉吸」、「天抜き」、「牛皿」としての「結婚式場教会」
 大阪には「肉吸(にくすい)」というメニューがあります。これは肉うどんからうどんを抜いたもの。なんば花月近くの食堂のメニューで、吉本芸人はこれとご飯を出前に取るのだとか。何でも、故横山やすしさんが、「肉うどん、うどん抜きで」と注文したのが、始まりだと聞いたことがあります。「うどんのない肉うどん」それが「肉吸」

 大阪がうどんなら東京には蕎麦。実は東京にも同じく、「天抜き」というメニューがあるそうです。これは「天ぷら蕎麦の蕎麦抜き」。食通の中尾彬さんが、名古屋の蕎麦屋で、「ご主人、抜きできる?」と例の口調で注文していたのをテレビで見ました。

 そして、全国区なのが、吉野家の「牛皿」。これは「牛丼のご飯抜き」ではないかと思います。誰がどんなふうに食べるのか?不思議です。ダイエット目的?それとも、お酒のおつまみでしょうか?

 「うどんの抜きの肉うどん」、「蕎麦抜きの天ぷら蕎麦」、「ご飯抜きの牛丼」があるように、「信徒・礼拝抜きの教会」があります。それは、結婚式場教会。これはよく考えて見ると、かなり不思議な現象なのでは?

 肉吸がうどんでなく、天抜きが蕎麦でなく、牛皿が牛丼でないように、結婚式教会は、教会ではないのでしょう。神との民との交わりである礼拝もなければ、信徒相互の交わりもないのです。結婚式はあるのに、聖餐式も洗礼式もないのも、あまりに不自然。どう考えても、キリストの体ではないと考えるのが妥当のようです。

 実際に「キリスト教年鑑」にも「クリスチャン情報ブック」にも、あの豪華絢爛の会堂を有する教会風の建造物は掲載されていませんから、きっと教会ではないという判断は正解に違いありません。にもかかわらず、大抵は本物の教会より、立派な会堂を有しているわけです。これは、どう考えてもおかしいです。

 そこで考え付いたタイトルが「肉吸、天抜き、牛皿、結婚式場教会」というわけです。

 この「結婚式場教会」なる現象、日本独自のものなのかも?そしてそれは日本の宗教観をダイレクトに反映した現象と言えるのでは?

 そんなことを考えたのも、こちらのブログ記事を読み、結婚式教会を考察した書物があるのを知ったから。読んでみたら面白そうです。雑誌Ministryの記事にこの著者を登場させたら面白いのでは?とも思いました。感心のある方はご一読を。

ブログ「一キリスト者からのメッセージ」より「教会という建物について考えた
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=305

 
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