命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「ラブ注入なき、マニュアル注入」(3)
 以前、コンビニでネギトロ丼を購入。レジで会計をしようとすると、「暖めますか?」と問いかける学生風アルバイト店員。これには思わず「これ、ネギトロ丼でしょ!暖めてどうすんの?」と心の中でツッコミ。言葉にはするのは大人げないので、「いえ、いいです」とだけ返答して、店を出ました。

 マニュアル教育の持つ欠点とはこういうことだと思います。マニュアルは、一定のレベルのことを画一的に教育するのにはとても効率がよいものです。なぜなら、「何も考えなくてもいいから」です。マニュアル通り、書かれた通り、指示されたとおりにして、疑問を持ったり、考えたりしない方が、うまくいくのです。

 極めて管理的で効率主義的な日本の社会では、教育や労働もそうなりがちなもの。そうしたことへの反省に立っての改善も近年は行われている様子。その事は家庭や教会での信仰教育も同様なのでは?そこで、今回考えたいのは「ラブ注入なきマニュアル注入」は思考停止型クリスチャンを生み出しやすいのでは?ということ。

 「疑問を持ったり、考えたりしない方が、うまくいく」

 これは、教会学校に通い続ける子どもの多くが、どこかの時点で悟ること。あるいはうまく立ち回るために、思いつく知恵。「へたに疑問をもって教師や親に質問すると、納得できない説得が始まり、いつまでも続いて苦痛」、「へたに考えると疑問がわく、それを質問するとめんどくさいことに・・・・だから、考えない方が楽

 その結果、「ラブ注入なきマニュアル注入」が長年続けば、子どもは、疑問を持たず、考えず、思考停止型の信仰になりやすいもの。疑問を持ったり、よく考える子どもは教会学校を離れてしまい、疑問を持たず考えない子どもが大人になるまで信仰生活を続けるという皮肉な現象が起こっているとの指摘も、時に牧師先生からお聞きします。

 そうなると、「聖書はこのことについてどう教えているか?」より「教会でこう教えられた」が「聖書は何と言っているか?」より「〇〇先生がこうおっしゃった」が先行するようになります。これでは、聖書に立って思索するクリスチャンになれないように幼児期から逆英才教育をしていようなものでは?

 そうした逆英才教育を受けて残ってきたクリスチャンが、やがて役員や有力信徒となり、「教会ではこう決まっている」、「〇〇先生がこうおっしゃた」と主張されるのでしょうか?それを牧師や問題意識のある信徒が聖書から検証したり、改革の余地を論じることに対して「冒涜的」「不敬罪」かのように感情的反応をしてしまうのでしょうか?そうしたことで困惑し、苦悩する牧師先生や信徒リーダーたちの声も時にお聞きします。

 上から下へのマニュアル伝授は、効率よく機能しても思考停止型信仰者の大量生産になりかねません。それでは、よく機能する教会員の数は増やせても、本当の意味での教会形成にはつながらないのでは?

 しかし、「神様からの愛→その愛への応答→礼拝、聖書、祈り、奉仕、献金」という論理の流れは、人格交流であります。そこからは「ネギトロ丼暖めましょうか」のような思考停止は起こりません。教会教育にしろ、信仰継承にしろ、それは一方通行でなく、対話的なものであるべきでしょう。そもそも礼拝、聖書、祈り、奉仕、献金のすべては、マニュアルとしての義務ではなく、人格的応答なのですから。

 「疑問があったら遠慮なく質問してね。大人だって分からないことがあるから、その時は、一緒に考えよう。」
 「信じてたって、迷うし、悩むもの。それでいいから、一緒に考えようね」
 「疑いが起こるのが当然。それを認めて、克服して、いよいよ信じられるようになっていくのだから。」
 教会学校の教師から生徒には、こうした語りかけができるのが健全かと思います。

「ねぇ、パパ、どうして礼拝をささげるの?」「それは神様を愛しているからだよ」
「ねぇ、ママ、神様はお金いらないのに、どうして献金するの?」「すべては神様のものだから、感謝して一部をお返しするんだよ」

 たとえば、こうした会話ができるのが、健全なクリスチャン親子かと思うのです。「聖書にそう書いてあるから」「そう決まっているから」はマニュアルであり、時には、自分の言葉で応えられない親のごまかしであることも。親自身の言葉で、意味や目的を伝えられないのは親自身の信仰生活がマニュアル化しているからかも。対話的であることは、子どもだけでなく、親自身の信仰教育にもなるのでは?

 マニュアルに先んじて親が子に無条件の愛を伝えることは、疑問や葛藤や反発を経由しつつも、大切な子ともが、やがて、聖書に立って思索できる成熟したクリスチャンに成長するための大きなポイントのように思えてなりません。
| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説シリーズ) | 14:43 | - | - | - | - |
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