命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「拒食症」ならぬ「拒礼症」を考える
 これまた、先日、ラジオの人生相談から学んだこと。高校生の娘が拒食症になったと父親が相談。お話を聞けば、育児嫌いの母は自分たち夫婦から引き離し、姉夫婦に育てさせたのだとか。幼児期に母親からの愛情実感がなかったことが、中学時代の不登校や最近の拒食症の原因では?と考える父親に対して、精神科医の回答者は、それとは異なるものでした。

 「この事例では、子どもにとって両親ともがモデルとして内在化しないことが原因。」
 「親を見ていて安心できないから、親のように生きれば幸せになれると思えないから。」
 「親へのメッセージを言語化できない場合、食行動において表現するは思春期の特徴

 こんな趣旨の回答でありました。

 このケースに限れば、拒食症状は、どうも娘さんの両親に対しての「あなたたちは二人とも大人のモデルとして失格、おかげで私はこんなにも不安」とのメッセージのようです。つまり、病んでいるのは両親夫婦であって、娘さんはその症状だけを引き受けている犠牲者だろうと思われます。

 そこで、考えたのは、「拒食症」ならぬ「拒礼症」であります。クリスチャンホームの思春期の子どもたちが、礼拝出席を拒否する症状です。もっともこれは、病気ではありませんから、症状というより現象かもしれません。

 思春期に礼拝出席を拒否するのは、部活動や友達関係、遊び、恋愛などを優先したい、あるいは、礼拝の意味を実感できない、出席してもつまらないという単純な要因の場合もあります。精神的に親から自立するプロセス、あるいは親からの自立的信仰を獲得するためにそうしたプロセスが必要となる場合もあるかもしれません。近視眼的には残念でしょうが、長期展望に立つなら、これはむしろ、肯定的理由かとも思います。

 しかし、もしかすると礼拝拒否が「拒礼症」であるか可能性も。クリスチャンカウンセラーに相談するとこうした回答が来るかも。

 「この事例では、子どもにとって親がクリスチャンのモデルとして内在化しないことが原因。」
 「クリスチャンである親を見ていて安心できないから、親のように信仰を持ち福音に生きれば幸せになれると思えないから。」
 「親へのメッセージを言語化できない場合、礼拝行動において表現するは思春期の特徴

 あまりに痛いのであえて、記しませんが、言語化されざる子どもからクリスチャンの親へのメッセージは推して知るべしでしょう。

 思春期の子どもが礼拝出席を拒否するのには多様な要因が想像されます。ただ、親としては「拒礼症」の可能性も検討してみる謙虚さは必要ではないでしょうか?「自分は、あるいは自分たち夫婦は、クリスチャンの親として子どものモデルとなりえているか?」これは神様の前にも子どもの前にも親として常に問い続けることでありましょう。

 昨日の記事との関連で考えるなら、それは「決して避けてはならない問い」でありましょう。その避けてはならないものを避け続けるなら、それが親の生涯を支配するばかりか、次の世代までも支配しかねません。 

 思春期における拒食症の多くが家庭病理に起因するように、もし、思春期のクリスチャンホーム子弟に「拒礼症」というものがあるなら、それはある意味、「クリスチャン家庭の病理」と表現しうる問題に起因しているのかもしれません。「拒礼症」について一度考えてみませんか?
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