命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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親子心中から考える小さないのちの尊厳(1)

 児童福祉に詳しい方の話しによれば、親子心中についてのアメリカ人の評価は「クレイジー」だそうです。「善悪」や「賛否」の問題ではなく、まず、「正常ー異常」の問題であるかのよう。それに対して日本の文化では、「善悪」において「」、「賛否」については「」であっても、心情的には一定の理解や共感、同情があるものです。

 東京神学大学の近藤勝彦師は、その著書中、聖書の生命観を「神の所有、人への委託」と簡潔に表現しておられます。つまり、自分であれ他者であれ、いのちは神のもので、その人、あるいは保護者に委託されているに過ぎません。近藤師はさらに、人工妊娠中絶の根本原因を「(親の胎児に対しての)他者感覚の欠如」と指摘します。

 日本文化や社会における諸問題の根源の一つは、この「親の子どもに対する他者感覚の欠如」でありましょう。子どもを自分とは他者、つまり別人格、別の独立した尊ぶべき人格として受け止めないことが、様々な問題につながっていると思うのです。

 子どもが胎児であれば、それは「自分のもの」「自分の一部」との感覚となり、安易な中絶となります。子どもが乳児であれば、遺棄に、幼児や児童あれば、虐待や育児放棄となるでしょう。近年は、中学生の息子と共に入浴する母親が多いの指摘をしばしば耳にする日本社会です。長時間労働に夫を取られた母親が、著しく他者感覚を失えば、過保護、過干渉、母子密着などによって息子の自立を妨げてしまうことでしょう。

 中絶、遺棄、虐待、育児放棄、男性の自立不足などは、元をたどれば、「親の子どもに対する他者感覚の欠如」にその一因がたどり着くのでは?そして、他者感覚の欠如がもたらす最悪の結果は、母子心中なのでしょう。

 きっとアメリカ人が母子心中を「クレイジー」と評価する感覚は、日本人が、「一人の母親が見知らぬ子どもを道連れにいのちを断った」という事件に対して抱く感覚に近いのでは?などと思ってしまいます。

 クリスチャンになったらかと言って、こうした根強い感覚の領域にまですぐに福音の光が届き、価値転換が行われるわけではないでしょう。中絶や虐待問題に限らず、クリスチャンの親や家庭の問題の原因が、こうした「子どもに対しての他者感覚の欠如」である事例は、少ないないようにお見受けします。

 また、こうした他者感覚の欠如を助長するのが、夫婦関係でもあります。心通じ合わぬ夫婦関係や夫への失望が母子密着を助長することを思えば、男性たちの責任は極めて重いと判断すべきでしょう。

 母子心中を「クレイジー」と感じる感性が絶対正しいとは申しません。しかし、日本社会に生きる者は、そこに学ぶべきではないかと思うのです。お互いの知的価値観のさらに心の奥深くにある感性の部分にまで、福音の光がとどき、造りかえられることの大切さを痛感します。

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:06 | - | - | - | - |
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