命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「自称牧師」問題を考える(4)〜「身内の恥」か?「公同の教会の公益」か?

 「不祥事牧師については、除名して自称牧師状態にすれば、教団や団体の恥ではなくなる」という発想は意図的ではないでしょうが、潜在的には起こりやすいことだと思います。つまり、「身内の恥」という聖書とは異なる日本的価値観を優先すると、除名して、その後は「関係なし」という対処をとりかねません。そうなると「オピニオン」が示すような「団体に留めて矯正」という対処は困難でしょう。

 そこで今回考えたい事は「身内の恥か?公同の教会の公益か?」ということ。自らの団体に所属する牧師が、不祥事などを起こし、除名せざるを得ない状況ともなれば、「我が教団の恥」などと感じる気持ちはあるでしょう。

 ただ、その自称牧師が地域の諸教会や一般市民にまで、害を及ぼす可能性があるとしたら、「身内の恥」としての対処だけであってはならないでしょう。そこで、必要となってくるのが、「公同の教会への公益通報」であります。

 多くの教会は、「我は公同の教会を信ず」と信仰告白をしていることでしょう。「我は我が教団(団体、群れ)を信ず」とは告白していないはず。日本のプロテスタント諸団体は、長くても60年から100年の歴史、数百年後に存続している保証はありません。しかし、公同の教会は存続し続けます。そう考えますと、諸団体の崇高な働きも、地理と歴史の一コマの中でのこと。

 多様な教会論があるでしょうが、多くの教会では、公同の教会が地上で具現化したのが、各個教会と考えていることでしょう。こうした「永遠と一時」、「全体と部分」、「普遍と個別」という関係を考えると教会や団体にとって恥と思われる情報でも、公同の教会に益するなら、公益通報すべきなのでは?と思うわけです。

 たとえば、自らの教団の一牧師が異端の教えに傾倒してしまい、それを教会で布教し、教会が分裂するか異端に乗っ取られたとしましょう。それは、「わが教団の恥」でしょうが、それを知らせることで、次の被害を防ぎえます。つまり公同の教会の公益につながります。

 「オピニオン」が指摘するように、「自称牧師問題」には、「身内の恥」との感情や判断が根っこにあるように私も思います。そこから、「公同の教会への公益」に転ずることが聖書的なのでは?さらにオピニオンの表現を借りるなら「牧師職の普遍性」や「公益性」という発想は、「公同の教会を信ず」との信仰告白から本来は導き出されることではないだろうかと考えました。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ならぬ「知らせるは一時の恥、知らせぬは歴史上の恥」という判断もあるのでは?

 あるいは「恥は我がもの、栄えは主のもの」ならぬ「恥は我が教団のもの、栄えは公同の教会のもの」という選択肢もありなのでは?と思うわけです。

 「身内の恥」か?「公同の教会の公益」か?

 これは、「自称牧師問題」を考える上での大きな分岐点ではないでしょうか?
 

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