命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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臓器は部品、医療は修理、だったら人間は車か?
そもそも移植医療には大きな落とし穴があるように思います。機能しなくなった臓器を、他者の機能する臓器と交換することによって患者の健康を実現する、それが臓器移植なわけです。
 この発想は何かに似てませんか?そうです。自動車の部品交換です。故障した部品を正常なものに交換することで、修理するという発想です。車は物です。人格も命もありません。部品はいくらでも製造できてカーショップで並んでいます。
 でも、臓器は物ではないと私は思います。すくなくとも人体という車体の部品、パーツではないでしょう。移植元の患者、移植先の患者には当然、書面で十分な説明の上承諾を得るべきです。
 病気に犯され切除した腎臓を移植したとのこと。中古部品を用いて車を修理するような発想でしょう。私は医療行為自体よりもそうした発想、突き詰めれば人間観に危険を感じます。臓器は部品、医療は修理、だとしたら、人間は車です。まさにボディーでしょう。それは人格や命のないひとつの機械。様々な部品の集合体としての人間です。
 現代の医療は、臓器ごとに専門化し、そのために飛躍的発展を遂げました。私たちはその恩恵にあずかっています。しかし、一方でそのような傾向の中、現代医療は臓器医療と言われるようになりました。臓器に対しての治療であり、患者という生命体を見なくなったという批判もあるのです。
 私は移植医療には反対ではありませんが、慎重派です。様々なリスクや問題点を自覚した上でのルール作りと実施を願っています。
 大阪のおっちゃんが患者さんだったこういうだろう。「オレの体は車やないぞ。オレの臓器は部品とちゃうぞ。勝手にリサイクルして使うなよ。オレの臓器をごみ扱いしよってからに。ただじゃすまさんぞ!」
 私は思う。人間の体は、統合的な生命体、臓器はいのちの一部、いや、人格の一部ではないかと。
 
| ヤンキー牧師 | 脳死問題・臓器移植 | 09:04 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
わたしも人間の体は統合的な生命体であって、臓器も「その人の」いのち、人格の一部というご意見に共感します。拒絶反応ということからしても、臓器にはその人、個人のアイデンテティーがあるように思います。ただ、そう考えると、血液はどうなるのでしょうね。血液はその人の「いのち」の一部と考えると、同じ理屈で、輸血についても慎重論となり、たとえば、エホバの証人のような輸血拒否の考え方と似てくるような気もするのですが、むつかしい問題ですね。
| しゅういち | 2006/11/09 9:13 PM |
最近は生命倫理というものが、崩れていっていますよね。
神様が与えてくださった身体についてもう一度
考えることが必要ですね。
| jubilee | 2006/11/09 11:32 AM |









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