命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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演歌の女?ロックの女?(1)
「愛し合っているなら当然だろう」検証委員会は男性の側の罪深さにフォーカスを当てました。しかし、何だかんだ言っても最終的に鍵を握るのは女性。
 「愛し合っているなら当然だろう」を真に受けて、愛の応答と信じて身を任せる女性をターゲットに検証委員会は連載しました。しかし、「愛し合っているなら当然だろう」を愛からの言葉でないと知りながら、これ幸いと性関係を結ぶ女性も多いことも事実。

 この二種類の女性をどう表現しようかと思案。そこで音楽ジャンルに当てはめてみました。前者を「演歌の女」、後者を「ロックの女」と名づけました。

 女性演歌歌手も女性ロックシンガーも共に性的要素やアピールを持ちます。しかし、その表現は全く正反対。そのことはコスチュームを一見しただけで明らか。

 多くの女性演歌歌手は未だに着物が主流。洋装でもロングドレス。つまり隠す美学、内に秘めた性的アピールです。一方、女性ロックシンガーは言うまでもなく、肉体をさらけ出してのストレートな性的アピール。

 演歌の女は待つ女。「愛している」を真に受けてすべてをささげて捨てられて、最後は波止場で待つか、酒場で泣くかのパターン。男は加害者、女は被害者。男は奪い女は失うという構図。

 ロックの女は誘う女。「愛しているか当然だろう」を待つというよりは誘導し、女性も欲望達成というパターン。ここでは男と女は共犯者。男女共に欲しいものをゲット。最後は男に捨てられても強がるか、逆に男を捨てたり、手玉に取るというパターン。

「愛し合っているなら当然だろう」検討委員会は演歌の女たちへの啓蒙と警告。今回から始まる「演歌の女?ロックの女?」は増加しつつあるロックの女たちの分析、批評そしてその性行動への警鐘。

 日本の大衆音楽における演歌の衰退とロックの隆盛は、もしかしたら、女性の性意識の変化とリンクしているのかも。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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