命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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ノンクリ彼氏への愛
 クリスチャン女性とノンクリスチャンの男性の交際について最近、興味深いお話をお聞きしました。ある集会でこの件が話題となり、「ノンクリスチャンン男性と交際するなら、まずは前提として・・・」などと、私なりの意見をお話しておりました。するとそこにいらした一人の牧師先生が、ご自分の実践例を紹介してくださいました。以下のような内容です。

 何でもその教会ではノンクリスチャンの彼氏ができたら、必ず教会へ連れてくるように指導をしており、彼氏が3ヶ月教会に通い続ければ、ほとんど全員クリスチャンになり、結婚後も忠実に教会生活を続けているというのです。

 私は、興味津々でいろいろ尋ねてみました。でも、何か特別な強力な個人伝道をしたり、決心のためのクラスを持っておられるようではなさそう。

 さらにその牧師は「三ヶ月来つづけて、クリスチャンにならなかったのは今までに、たった一人だけ」とおっしゃるのにはビックリ。

 私の「どうしてですか?」との問いに、「結局、彼氏を三ヶ月間教会に連れて来れるのはその姉妹が彼を本気で愛し、真剣に救いを願っている証拠。やってくる彼氏も、義理や付き合いでは続かず、彼女のためにも本気で求道するからだ」とのご返答。

 私としては納得。まずは、クリスチャンとしての彼氏への愛が本物かどうかが問われるのですね。本当に愛しているのは彼なのか?それとも自分なのか?次に、彼は本気でそうした愛に応答する真実さがあるかどうかが問われるのでしょう。でも、一番のポイントはそうしたカップルを受け止めて責任もって導こうとする教会の指導者や交わりかと思います。

 ノンクリスチャン男性との交際について、教会がどう考え、どう対処していくかは、教会にとっての将来を二分しかねない大問題だと思うのですが、どうでしょうか?

 自分がある教会の牧師なら、「彼氏を三ヶ月連れてきなさい、そうしたら大丈夫でしょう」と言えるか?女性信徒から「ノンクリの彼を三ヶ月連れて来るから、その教会のように・・・」と言われたらどうなるでしょう?ちょっと、びびりますが、きっとうれしいチャレンジでしょうね。
| ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 11:30 | comments(11) | trackbacks(0) | - | - |
 鋭いご指摘感謝です。本ブログは、クリティカルな視点で、あまり聖書を持ち出さないコンセプトなので、そうした印象を与えているかと思います。
 ご指摘の点は私自身は結構、心がけているつもりです。禁止抑圧より、本来のあり方を示したいと願っています。拙著や私の講演をお聞きいただければ、むしろよい事例やクリスチャン同士の結婚の豊かさに多少は、触れていただけると思います。以上は、一応の自己弁護。
 否定の否定という論法の問題点はごもっとも。牧師夫妻を含むクリスチャン夫婦は、クリスチャン同士の結婚の祝福の実物教材でなくてはならないと常々思っています。聖書も本来の祝福のあり方を何よりも啓示しているのですから。ただ、悲惨な結婚を見ながら「否定の否定論法」になってしまう指導者方には信徒への愛があることはご理解いただきたいです。
 いずれにせよ、適切なコメントですし、多くのクリスチャン青年たちの声を代弁してくれていると思うので、感謝です。
| ヤンキー牧師 | 2007/12/10 8:40 PM |
この件に関する事で違和感を感じ、
その理由に気づかされたので書きます。
不適切であれば、削除ください。


ノンクリスチャンと結婚した方が教会から離れる率が高い事を理由に、
ノンクリスチャンとの結婚を反対するお話をよく聞きますが、
いつも何か、違和感を感じていました。
今回もそうです。
言わんとする事はわかるのですが、何かひっかかるのですよね。


その違和感の理由がわかったんです。


物事を肯定するために、それを否定した事の否定では、
それ以上のものにはたどりつくのは難しいような気がします。
ましてや、こういった事柄に関しては危機感よりもまず反感を覚えます。


儒教ベースの日本は
「自分が嫌な事は人に対してもしないように」
とよく教えられますが、

聖書の考えがベースの欧米の考え方は逆、
「自分がしてほしい事を、他人にもしなさい」
なんです。

マイナスのマイナスではなくて、
プラスのプラスですなんですよ!!!


同じ事を説得される時は、
後者のほうが、気持ちよく話をきけるのではと思います。

ノンクリスチャンとの結婚を強く反対するのではなく、
クリスチャンとの結婚を強く賛成するお話が聞きたいですね。
そして語り手の自身の実例だと、説得力があります。


逆に多くの牧師先生の言う、否定の否定の実例で説得しようとしても、はっきり言って説得力ないです。

儒教ベースの考え方以前に、
背景に自身の結婚生活に対して、自信もって肯定できない方が多かったりするのでしょうか。

つらい見本の話はいらないから、
いい見本の話をたくさん聞きたいです。
| momo | 2007/12/10 5:30 PM |
 謙遜で愛と慎みのあるコメントテーターばかりなので、こうしたデリケートな問題でもまずは、安心です。適切なコミュニケーションができてよかったです。
 ご紹介いただいたサイトは、今度は見る事ができました。とても有益な資料です。私自身も勉強になります。ありがとうございます。
| ヤンキー牧師 | 2007/12/10 10:49 AM |
 失礼しました。私の配慮のないコメントを真摯に受け入れてくださる兄弟姉妹の謙遜さには頭が下がるばかりです。
 らら姉の詳細な事情もしらず、結果的には言葉尻を捉えてコメントするような事になってすいませんでした。

 紹介したHPのアドレスです。どうでしょう?
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/first/05.html
| ugoguo | 2007/12/08 5:33 PM |
ららさんへ。他者の意見を冷静に受け止めてくださる謙遜さに感謝します。伴侶の救いも神様のあわれみと実感しておられるのですから、「原則をなしくずしにする例外」ではないと思います。
 そして、反論というよりは、きちんと事実をお伝えくださってうれしいです。コミュニケーションの中で、それぞれの思いや事実が明確化して感謝。
 ららさんのコメントや事例も読者にとっては意味あるものだと思います。ありがとうございました。
| ヤンキー牧師 | 2007/12/08 10:06 AM |
ヤンキー先生、お返事有り難うございます。
そして、ugougoさんもご意見有り難うございます。私の軽率な書き込み失礼いたしました。もちろん、私の夫がクリスチャンにされたのは、身勝手な私の行為にも及ぶ神様のただ哀れみによる事だと実感しております。

きちんとした言葉使いも知らず、また私自身の未熟さもあり誤解を招く表現本当に失礼いたしました。ただ、「既成事実への屈服」この言葉だけは反論させてください。私は彼が救われて欲しいとは心から思っておりましたが、結婚する為に強制的な条件として強要する事は一度としておりません。人から強いられての改宗程無意味なものはないと思っています。

教会ではもちろん彼の決心後にバプテスマを受ける準備のクラスも牧師先生から私と彼、2人共に受けました。決して軽く洗礼を受けたわけでもありません。そんな思いでは決して洗礼まで神様が導いてくれないのではないですし、クリスチャンになってからが続くわけがないと思います。

クリスチャンホームで育った私自身、もし誰か運命の人と出会えば必ず神様がクリスチャンにされるまで待とうと思っておりました。これは私が忍耐を持たず誘惑に負けた事だと思います。でもそんな私をも神様は見捨てず彼を救いに導いてくださった事は感謝しても感謝しきれない事実です。

今回は先生の書いてくださった「3ヶ月来続ければ…」この事だけに焦点をあてて、私の事実と他の兄弟姉妹の例でもそうだったなと思った次第でコメントをしてしまい、言葉に配慮がなく本当に申し訳ありませんでした。この事は心からお詫び申し上げます。


| らら | 2007/12/08 7:51 AM |
UGOUGOさんへ
ご紹介いただいたサイトを観る事ができません。もし、表記に間違いがあるなら、ご訂正のコメントをお願いします。期待している読者も多いかと思いますので。
| ヤンキー牧師 | 2007/12/07 10:33 PM |
しっかりとした見解をいただき感謝します。この件で悩む方々には大切な一つの指針となると思います。真正面からの立派な見解ですので、いただいたコメントのまま掲載しました。感謝します。
 このUGOUGOさんのコメントへのご意見は原則として掲載しますが、コメント欄での論争はご遠慮下さい。この件については多面的な見解はあると思いますので、そうしたコメントについては歓迎です。
| ヤンキー牧師 | 2007/12/07 10:09 PM |
毎日楽しくブログを読ませていただいております。
今回のコメントは掲示板が荒れそうな配慮の足りないコメントなので、「公開」されなくてもまったく問題ありません。もし配慮ある言葉に書き換えていただければそれはそれでうれしいですが・・・

「テレビがない家庭、理想ですが」「教会が普通に指導される『クリスチャンになるまで待って』が理想なのでしょうかね…」 ここ最近の兄弟姉妹のコメントで、「理想」という言葉が出てきて、非常に気になりました。文脈は「(クリスチャンとして)理想はそうだけど、現実は・・・」というニュアンスに捉えられますが、非常に違和感を感じています。
 この論理が通ってしまうと、聖書はいらなくなってしまうのでは・・・?「聖書は全て理想論で、現実は・・・」という事になってしまうのでは・・・?いわゆる「現実的」なご意見かもしれませんが、それは、あらためるべき現実に敗北している「既成事実への屈服」に過ぎないのでは・・・?そんな違和感です。
「らら」姉妹のコメントは、「例外的な例」を「現実的」と言い換えて、さらには大原則をもゆがめてしまいかねないコメントだと思いました。それにどう先生がコメントされるか、はらはらどきどきしていましたが・・・
以下は私の大学の恩師のHPです。非常にすばらしい内容のHPですので、オススメです。彼は丸山真男研究もされていますが、その中で「既成事実への屈服」について論述しております。参考になると思います。http://www.ne.jp/asahi/nd4masi/jiwen/maruyama/first/05.html
 神が与えた御言葉(理想)に、現実生活を近づけていくのが、信仰生活だと思います。「神の御言葉はそうだけど、実際は・・・」と言って敗北していった例は、聖書の中に数え切れません。「何か特別な強力な個人伝道をしたり、決心のためのクラスを持っておられるようではなさそう」との事ですが、「クリスチャンと結婚した」「好きな人がクリスチャンだった」「クリスチャンとはクリスチャンでなければ結婚できない(と彼女が言っている)」という既成事実への敗北からバプテスマを受けたので無い事を願うばかりです。
 
| ugougo | 2007/12/07 8:33 PM |
 私は個人的には「原則、クリスチャンになるまで待って派」です。神学的な理由もあるのですが、多くの教会では、結婚後にノンクリスチャンの伴侶が救われるより、結婚したクリスチャンが教会生活を離れる方が、はるかに多いのが事実。
 「すんなりとクリスチャンになる」とは例外的な教会だと思います。もちろん、いい意味で例外的ですね。「クリスチャンになるまで待って」は、理想というより原則だと思っています。あくまで、私個人の一般的な見解としてです。
| ヤンキー牧師 | 2007/12/07 6:00 PM |
クリスチャン女性です。
いつも興味深く読ませていただいております。
私もノンクリと結婚しましたが、普通教会が指導される「クリスチャンになるまで待って」は実行しませんでした。待つ間の様々な誘惑の方が恐かったからです。
でも、遠距離恋愛で、教会を彼に紹介してから、1人でも彼のいる地で教会に通い出し、彼は絶対にクリスチャンになると確信しました。そして、結婚、その後2年後に何の反抗(?)もなく洗礼を受けました。


先生の本日の記事を読みながら、なるほど、そうだったなと思った次第です。私の結婚後も、教会で立て続けにノンクリと結婚する方がおりましたがやはり、ノンクリが教会にこられ続けて結婚後、すんなりとクリスチャンになられました。でもこういう例じゃない場合もやはりあり、教会が普通に指導されるクリスチャンまで待ってが理想なのでしょうかね…
| らら | 2007/12/06 11:12 PM |









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