2008.04.10 Thursday
アエラ報道に応答して(1)
なぜ、アエラ報道をこのブログでお知らせしたか?それを今日はお話します。簡単に言ってしまえば、「一連の事実をノンクリスチャンが知っていて、クリスチャンが知らない」という状況にならないためです。
本ブログではアエラ記事に書かれた個々の事例については記しません。読者が積極的に購読されるか、読まないかの選択をされたらいいと思っています。読者の中には、このブログでアエラ記事自体をお伝えすることにも、反対や疑問視される方もおられるでしょう。ノンクリスチャンの読者にも信仰の弱いクリスチャンにも躓きを与えるのは事実です。そのリスクを避けたいのは私も同じです。しかし、そのリスクを避けるなら、さらに本質的な問題が起こります。
その一つはノンクリスチャンが知っていてクリスチャンが知らないという状況です。「えっ!おまえクリスチャンなのに知らないの?キリスト教会って、偽装問題企業みたいに隠蔽体質なの?罪を認めて悔い改めるのが聖書の教えでないの?」といよいよ教会不信は深まるばかり。
一般紙が報じない限りは、このリスクは起こりませんでした。今回の報道があった限りは、隠そうとすること、向かい合わないことは、より一層キリスト教会が社会からの信頼を失うことになりかねません。受け入れがたい事実ですが、まずはクリスチャン個人が向き合うことから、本当に解決が始まるのでは?と思っています。
もう一つの理由は、「牧師の性犯罪はありえない」という誤った前提がこれ以上、継続すると、それがいよいよ温床となり、同様の事件の再発・多発につながることを危惧しているからです。
実際に牧師の性犯罪が起こった場合、訴訟に至らない限りは、一般社会や他の団体の教会にはあまり知られません。せいぜい噂として団体の中や地域の諸教会に伝わることが多いように思います。さらに被害者や信徒の躓きにならぬよう事実を公に伝えない配慮もあります。
私は基本的にこの配慮には賛成ですし、多くのクリスチャン・メディアもこうした配慮の故にある程度沈黙を守ってこられたのだと推測しています。実際にどこまで公にすべきかで苦慮する牧師方を何人か見てきました。決して隠蔽だとは思いません。
しかし、以下のような悪循環も生じているのでは?と考えています。
牧師の性犯罪→配慮による情報非公開→「牧師の性犯罪はありえない」という誤った前提の継続→それが温床となっての再発・多発化→さらなる牧師の性犯罪
今回のアエラ報道によって、様々な配慮以上に、今起こっていると思われる悪循環を断ち切ることの方を優先すべきと判断しました。訴訟に至らないレベルでも牧師の性犯罪が多発すれば、宣教に大きなマイナスとなりますし、何よりもそれ自体が神様と教会の悲しみです。
少なくとも裁判によって性犯罪の認定されたものは、キリスト教界で共有し、課題として受け止め、一般社会から信頼されるキリスト教界でありつづけるためにこそ、為すべきことがあるのは?と思っています。
どうか、牧師不信にならないでください。そうではなくて牧師過信をやめましょう!「極一部あっても性犯罪を犯すなんて牧師など信頼できない」と少数事例を一般普遍化せずに、「牧師は基本的に信頼できる、でも、罪を犯す可能性は常にある」という冷静で客観的な、ある意味聖書的なスタンスをおすすめします。
ですから、クリスチャン読者は、毎日、牧師のために祈りましょう。無力感やストレス、孤立感などから守られるように。それらからパワハラやセクハラに至らないように。牧師夫妻が心から愛し合えるように。牧師に本音で語り合え、祈りあえる友が与えられように。できるなら、牧師の弱音や愚痴も聞かせてもらえるような信徒、信頼される教会員になって助けてさしあげられたら最高でしょう。
牧師自身の意識改革?教団の構造改革ですか?私には、そこまで考える力量はありませんので、ヒントとして資料を引用します。アエラの記事にも登場した櫻井義秀先生(北大大学院宗教社会学教授)の著書で有益なものをネット上で発見しましたので、それを引用します。
「カルトを問い直す」(北海道大学文学部教授桜井義秀著、中公新書2006.1)
の中で聖職者の性犯罪事件について次のように分析している。(要約 P.119〜143)
宗教団体特有の体質が災い
1.教会内では性犯罪は絶対ありえない、あってはならないという先入観。
2.隠蔽意識が強いため上位執行機関のみで解決をあせり判断ミスを犯す。
3.個人では立場上自身の判断で行動できないのが組織の弱さである。
4.人格的な関係が成立する場合は権力に溺れかねない。
5.内心倫理や信仰だけではどうしても解決できない部分が存在する。
今後の対策
1.伝統宗派でもこの種の問題の存在を認め、 防ぐ手立てを構築し、行動を起こす。
2.権力を縛るための工夫の必要性、下からの批判を可能にする組織作り。
3.社会運動の弱体化で自律的な組織作りのノウハウや組織内人間関係のかけひきに欠如した人間の増加傾向を意識し、宗教集団も組織の再編を練る。
4.市民社会の一員たる宗教団体に求められる公共性としての要件。
社会的必要性・公益性、社会的共同性、情報公開制、普遍的人権、手続きにおける民主制等が特に重要である。(P.143)
参考になれば感謝です。
本ブログではアエラ記事に書かれた個々の事例については記しません。読者が積極的に購読されるか、読まないかの選択をされたらいいと思っています。読者の中には、このブログでアエラ記事自体をお伝えすることにも、反対や疑問視される方もおられるでしょう。ノンクリスチャンの読者にも信仰の弱いクリスチャンにも躓きを与えるのは事実です。そのリスクを避けたいのは私も同じです。しかし、そのリスクを避けるなら、さらに本質的な問題が起こります。
その一つはノンクリスチャンが知っていてクリスチャンが知らないという状況です。「えっ!おまえクリスチャンなのに知らないの?キリスト教会って、偽装問題企業みたいに隠蔽体質なの?罪を認めて悔い改めるのが聖書の教えでないの?」といよいよ教会不信は深まるばかり。
一般紙が報じない限りは、このリスクは起こりませんでした。今回の報道があった限りは、隠そうとすること、向かい合わないことは、より一層キリスト教会が社会からの信頼を失うことになりかねません。受け入れがたい事実ですが、まずはクリスチャン個人が向き合うことから、本当に解決が始まるのでは?と思っています。
もう一つの理由は、「牧師の性犯罪はありえない」という誤った前提がこれ以上、継続すると、それがいよいよ温床となり、同様の事件の再発・多発につながることを危惧しているからです。
実際に牧師の性犯罪が起こった場合、訴訟に至らない限りは、一般社会や他の団体の教会にはあまり知られません。せいぜい噂として団体の中や地域の諸教会に伝わることが多いように思います。さらに被害者や信徒の躓きにならぬよう事実を公に伝えない配慮もあります。
私は基本的にこの配慮には賛成ですし、多くのクリスチャン・メディアもこうした配慮の故にある程度沈黙を守ってこられたのだと推測しています。実際にどこまで公にすべきかで苦慮する牧師方を何人か見てきました。決して隠蔽だとは思いません。
しかし、以下のような悪循環も生じているのでは?と考えています。
牧師の性犯罪→配慮による情報非公開→「牧師の性犯罪はありえない」という誤った前提の継続→それが温床となっての再発・多発化→さらなる牧師の性犯罪
今回のアエラ報道によって、様々な配慮以上に、今起こっていると思われる悪循環を断ち切ることの方を優先すべきと判断しました。訴訟に至らないレベルでも牧師の性犯罪が多発すれば、宣教に大きなマイナスとなりますし、何よりもそれ自体が神様と教会の悲しみです。
少なくとも裁判によって性犯罪の認定されたものは、キリスト教界で共有し、課題として受け止め、一般社会から信頼されるキリスト教界でありつづけるためにこそ、為すべきことがあるのは?と思っています。
どうか、牧師不信にならないでください。そうではなくて牧師過信をやめましょう!「極一部あっても性犯罪を犯すなんて牧師など信頼できない」と少数事例を一般普遍化せずに、「牧師は基本的に信頼できる、でも、罪を犯す可能性は常にある」という冷静で客観的な、ある意味聖書的なスタンスをおすすめします。
ですから、クリスチャン読者は、毎日、牧師のために祈りましょう。無力感やストレス、孤立感などから守られるように。それらからパワハラやセクハラに至らないように。牧師夫妻が心から愛し合えるように。牧師に本音で語り合え、祈りあえる友が与えられように。できるなら、牧師の弱音や愚痴も聞かせてもらえるような信徒、信頼される教会員になって助けてさしあげられたら最高でしょう。
牧師自身の意識改革?教団の構造改革ですか?私には、そこまで考える力量はありませんので、ヒントとして資料を引用します。アエラの記事にも登場した櫻井義秀先生(北大大学院宗教社会学教授)の著書で有益なものをネット上で発見しましたので、それを引用します。
「カルトを問い直す」(北海道大学文学部教授桜井義秀著、中公新書2006.1)
の中で聖職者の性犯罪事件について次のように分析している。(要約 P.119〜143)
宗教団体特有の体質が災い
1.教会内では性犯罪は絶対ありえない、あってはならないという先入観。
2.隠蔽意識が強いため上位執行機関のみで解決をあせり判断ミスを犯す。
3.個人では立場上自身の判断で行動できないのが組織の弱さである。
4.人格的な関係が成立する場合は権力に溺れかねない。
5.内心倫理や信仰だけではどうしても解決できない部分が存在する。
今後の対策
1.伝統宗派でもこの種の問題の存在を認め、 防ぐ手立てを構築し、行動を起こす。
2.権力を縛るための工夫の必要性、下からの批判を可能にする組織作り。
3.社会運動の弱体化で自律的な組織作りのノウハウや組織内人間関係のかけひきに欠如した人間の増加傾向を意識し、宗教集団も組織の再編を練る。
4.市民社会の一員たる宗教団体に求められる公共性としての要件。
社会的必要性・公益性、社会的共同性、情報公開制、普遍的人権、手続きにおける民主制等が特に重要である。(P.143)
参考になれば感謝です。

