命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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みんなで育てよう健全牧師(場外乱闘編)
 たびたび記事に勝るコメントを下さる「コメント大王」の復活です。本日いただいたミーちゃんはーちゃんからのコメントは、私には到底不可能な日本宣教史的な視点からの実に鋭い分析!私も目から鱗で大いに納得です。

 今回特別に、そのコメントを「場外乱闘編」として転載。読者の皆さんはこうした歴史的な視点から、当たり前と思っているあり方を再点検されることをおすすめします。

 日本教会の依存体質が歴史的に形成されてきたとの解説はなるほど納得。信徒の依存体質が牧師を実質上殉教させているという見解は怖いですが、かなり当たっていると思います。「ランボー牧師」「おれおれ牧師」などは記事本体に負けないレベルのもの。私の記事より有益だと思うので、皆様にご紹介。

 あまりに素晴らしいので、以下にコメントをそのまま掲載します。ちなみにこの方、神学教育を受けていない普通の信徒です。



ご無沙汰いたしております。ミーちゃんはーちゃんでございます。

多分、牧師と信徒のあり方の問題には、日本の戦後のキリスト教の歴史の影響が深い影を落としていると思います。

私は私の属した単立教会しか知りませんので、ものの見かたは偏っているとは思いますが、この問題を考えるときに、歴史を押さえることは重要かな、と思います。

■海外からの宣教師の役割
 まず、戦後戦前の国家統制から外れ、海外からの大勢の宣教師の方々がこられたこと。今ではすっかり忘れ去られていますが、戦後すぐの日本は、腸チフス、天然痘、赤痢、肝炎、はしか、破傷風、結核、日本脳炎などの伝染性疾患などでの衛生面の危険がある国でした。伝染病の危険にもかかわらず、神の愛を伝えるためだけに海外から来ておられた宣教師の方々に、かなり依存する形で福音が伝えられ、運営されていた教会は少なくなかった思います。東京オリンピック、大阪万国博覧会のときも多く来られたようです。
 しかし、戦後の普通の日本人の大半には、キリスト教の伝統や、それこそ聖書的な知識の背景は少ないですから、どうしても、これらの宣教師の方々の知識や経験、その聖書理解にかなり依拠する雰囲気が出来上がったのではないかと思います。そして、教会が機能し始めるようになり、宣教師の方が他の地域での伝道のために、他所に移られ、日本人牧師や責任者へのバトンタッチが起こります。

■海外からの日本人牧会者への継承
 この日本人牧会者への継承の段階では、信者の伝道者や牧師への依存的な雰囲気は残ったまま、という状況だったんだろうと思います。多分、この時期は、その教会で育った方が、その教会の牧会者となることも少なくなく、スムーズだったこともあるのかもしれません。しかし、その後、宣教師や牧師への依存がずるずる続いた結果が、牧師依存の信者と、単立教会では特定牧師の長期政権化へとつながり、それがもたらす弊害が生まれたのかなぁ、と思います。ある面で言うと、中小企業の創業者社長や2代目社長さんと小姑ならぬ番頭さん、大番頭さんなど会社を実質的に仕切っている社員のような相互依存関係に類するような牧会者と信徒の関係が出来あがっていったのだろうと思います。また、信徒の中では、信徒同士の過去の人間関係なども含めた複雑な人間関係もあったはずです。

■第2世代の日本人牧会者への継承
 そこに、銀行からの派遣でその中小企業に送り込まれるような形で、新卒いきなり『雇われ』部長ならぬ新卒の牧会者が送り込まれるのですから、ある面で言うと地図のないジャングルの中に防弾チョッキとヘルメットだけで放り込まれるようなもの。ストレスはかかると思います。その上、『パシリ牧師』として使われれば、信徒からの過大なパシリ攻撃によって殉職するのは当たり前と思うのは、私だけ・・・・。この環境で生き残れるのは、映画の中の『ランボー牧師』だけでは?

■世代交代の難しさ
 代替わり、というのは、創業者社長ではない一般の大企業でもお家騒動になることが多く、実はこれが非常に難しいようなんですね。だから、プレジ○○トなどのビジネス誌が、何度か特集しているようです。それが、教会では、これまであまり議論されなかったのは、代替わり自体がこれまで少なかったからではないかと見ています。

■高度経済成長を支えた精神構造
 それと、高度経済成長時代は、いけいけどんどん、オレがやらねば誰がやる、という精神が日本では中心だったですし、それが牧会者にも多少は影響した、と思います。その精神がないと、伝統社会と戦いながらの開拓伝道は厳しいとも思いますし。その困難に直面しつつ伝道する中で、徐々に、ファイアーマン牧師精神なのか、オレオレ牧師(オレが、オレが、といつも教会の中心になろうとする牧師)精神と呼ぶべきかどうかは疑問ですが、そういう雰囲気になってしまわれる牧会者の方もあったのでは、と想像します。
 ちょうど、1960年に25歳で牧師になっていると、その方々は、現在73歳くらい、団塊の世代のちょっと上の年齢層の方々ですよね。これまで、牧師先生、よきに計らってください、とおんぶにだっこしてきた信徒側に十分な準備がないまま、それらの牧師の方の退職時期が一斉に来てしまい、代替わりはしたものの、『よきにはからえ』信者の『パシリ攻撃』によって、事実上殉職された2代目、3代目にあたる『パシリ牧師』の方々が累々、ということになっているのだろうと思います。

 それと、この記事を読みながら、出エジプト18章13-24の記事を思い出しました。

出エジプト18章18-17節(新改訳第2版)
するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。」

■まとめ
 宣教師の方や、牧師への依存構造についての実話にもとづく話を最後にして終わりたいと思います。
 ある英国系の宣教師の方から聞いた話です。70年代、ミニスカートがはやった時代に、当時の女性信徒のスカートの丈を気にするある教会の責任者が、「○○先生、今の女性信徒のスカートの長さをどう思われます。」そのときの素直なその宣教師の感想は、「私は、スカートの長さを議論するために、この国に来たんじゃなんだけど・・・」。

 一人でも、聖書を基礎に、よく祈り考えつつ、自分で判断し、自分で行動できる日本の信徒の方、『よきにはからえ』信者からの脱皮し、成長し成熟した信仰スタンスを持つ信者の方々が増えることを祈っております。そして、実質的に殉職される牧会者の方が減りますように・・・。
| ヤンキー牧師 | 「育てよう健全牧師」シリーズ | 21:27 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
 日本のクリスチャンは歴史的視点が弱いとの指摘をよくお聞きします。現状は過去の歴史の帰結。歴史を学ぶことなき安易な現状肯定は怖いもの。
 このブログは皆様からの大量アクセスと少数精鋭のコメントが売り?です。「ヤンキー牧師のみなさまのおかげです」状態です。
| ヤンキー牧師 | 2008/08/30 4:24 PM |
すばらしいですね。
自分の中で断片的だった日本のキリスト教の歴史的背景を基にした教会の現状確認というか、そのようなものがすっきりしたかんじがしました。さすが、「コメント大王」です。
そしてそんなコメンテーターをひきつけてやまないこのブログのすばらしさも感じました。
| ikapon | 2008/08/30 4:13 PM |









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