命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 恋は落ちるもの、愛は育てるもの(2) | main | 麻生内閣にクリスチャン三名 >>
恋は落ちるもの、愛は育てるもの(3)
 昔どこかで読んだ記事によれば、倖田來未がコンサートでステージ上から観客席にあるものをばら撒いて、こう叫んだとか。

 「みんなー!これで愛を育んでー!」

 倖田來未がばらまいた「これ」とは何とコンドーム

 これでは、愛など育めませんよ。恋愛関係では、体を重ね続けても愛は育ちません。むしろ愛は育つどころか、色あせ、冷め行くもの。体を重ねるほど、逆に恋愛は終結に向かうのです。既に、男性は次の恋を思い描いていたり、女性はいつまでつなぎとめられるか不安を覚えていたり。

 今月二つ目の結婚式では、分かりやすく現実的な式辞に感銘を受けました。結婚とは一人で生きてきたのが二人で生きることではなく、二人が一つになって生きることです。と牧師が聖書的な結婚観をご説明。

 では、どうしたら一つになれるかと言えば、具体例として以下の三つを示してくださいました。
 (1)相手の話を聞くこと
 (2)それに心込めて応答すること
 (3)常に自分より相手のことを先に思い、優先すること

 愛を育てるということが教理や観念論でなく、それが体現された現実的なあり方として示されていると思います。私自身も「単純明快!これができたら、自分ももっといい夫婦になれるのに」と悔い改め。

 責任ある契約をしてこそ、恋は愛に脱皮するものなのでは?本当の愛には相手に対しての責任が伴うはず。相手の人生を負い、相手をあるがままで受け止めるという勇気ある決断をすることのはず。
 
 そうした責任ある真剣そのものの契約関係体の中でこそ、体を重ね一つにすることが、愛を育てることになると思うのです。そうです。二人が一つになって共に人生を生きるために、体を一つにするのですから。聖書が、示す性の意味はそこにあるはず。

 ところで、このご夫妻。結婚式直後には、会衆の前で簡単なインタビューを受けていました。司会者に「夫婦の目的は?」と問われ新郎がこう応えました。

 「夫婦が愛し合うことです。これが終わりのない目的だと思っています

 私は聞きながら思いました。「さすが、ブログ読者、100点!」夫婦が愛し合うことそれ自体が目的です。聖書がそう命じているのですから。それが主のご栄光をあらわし、証しとなり、夫婦が様々な使命を果たして行く力となるのでしょう。

 「体を重ねること=愛を育む」と安易に間違いを信じているのが、現代日本社会の決定的悲劇の一つ。

 恋愛関係では、それは愛を育むどころか、恋愛を一気に終結に向かわせるものであることを知っていただきたいもの。一方、結婚関係では、それは愛を育むことのはず。

 「恋愛での性関係が愛を育む」と信じられ、「結婚での性関係はやがて色あせ、やがて惰性やセックスレス」となりやすい日本の性は、やっぱり壊れていると思うのですが・・・・。
| ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 07:37 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2011/09/03 9:12 PM |
ごもっとものナイスフォローに感謝です。
| ヤンキー牧師 | 2008/09/25 8:47 PM |
本末転倒ですね。愛を育んだ後に来るものを、愛を育むプロセスだと思っている。それでは目標が誤っているか、不確かなものになっていて、良い結果は望みようもありません。
| 細木 | 2008/09/25 2:58 PM |









http://blog.chiisana.org/trackback/909027
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
+ RECOMMEND
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE