命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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恋は落ちるもの、愛は育てるもの(2)
 今月は二週続けて土曜日に結婚式に出席。二件とも新郎が守る会の会員で、本ブログの熱心な読者。また、近隣教会ということもあり、ご招待をいただきました。

 一件目の結婚式では、まさに「愛は育てるもの」と思わせる言葉が式辞の中で語られました。不正確ながら、再現するとこんな表現だったかと思います。

 「愛するとは相手を神様に与えられたかけがえのない存在として、尊敬し、仕えるように自分の心をコントロールしていくことです。」

 特に、結婚愛を「神様が願うように相手に対しての自分の心をコントロールする」と定義したことに大きな感銘を受けました。そうです。結婚愛とはお互いが自分の心を神様の御心に合わせるようにコントロールすることで成長するのです。

 ある意味で、恋は発展はしても、成長しないもの。恋に落ちてしまうと自分の心がコントロールできません。むしろ、感情や衝動や雰囲気に自分の心が支配されコントロールされることに。ですから、努力のしようがありません。恋は発展し、やがて色あせ、消滅するしかありません。恋は育ちようがないのです。(愛に発展し結婚に至れば話は別ですが)

 しかし、愛は違います。特に結婚愛はそれが顕著です。自分が選択可能なのです。愛を育てるために、神様が願うように相手に対して心をコントロールするのか?それとも、相手の好き嫌いや感情を優先して、自分の心を御言葉に従わせる努力をせずに愛を冷ましていくのか?それを選ぶのは夫婦それぞれの当人。そして、その結果は基本的に自己責任です。

 私は結婚ほど、努力のしがいのある世界も他にはあまりないだろうと思っています。愛は育てるもの。いいえ、結婚したら育てる責任があるはず。育児責任の放棄がネグレクトと呼ばれ、虐待の一形態なら、結婚関係で愛を育てる責任を放棄したら、それは結婚ネグレクト。結婚における虐待の一形態になってしまうのかも?

 子育ても、結婚も愛する責任の放棄は、暴力的ですらあるのでは?と思ってしまう私です。
| ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 07:37 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
真実なニーズに応答できたようでうれしいです。
| ヤンキー牧師 | 2008/09/25 8:49 PM |
人間って自分の為にも、相手の為にもならない様な組み合わせの相手との恋に落ちてしまうことがあるけど、「神様が願うように相手に対しての自分の心をコントロールする」と言うことを考えたいなぁと思いました。
別に不倫とかをしている訳ではありませんが、結構悩んでいるので心にずしんときました。
| 桂 | 2008/09/25 7:44 PM |
 それは、そうでしょう。夫婦は仕え合い、与え合う関係ですから。妻の夫を支配したがる心が結婚をだめにします。だから、神様は、妻に対して夫に従うように勧めているのでしょうね。
 奥様には、間違った努力を止めるようにお伝えください。支配権を獲得できなければ、葛藤や苦痛、獲得できれば夫を尊敬できず不満な結婚生活となるでしょう。つまり達成できてもできなくても、よい夫婦にはなれませんから。悪友より聖書の言葉に従いましょうよ。
| ヤンキー牧師 | 2008/09/25 9:34 AM |
うちの妻は、
友人(悪友?)から、
「結婚は最初のうちに、相手から支配権を奪うもの」と教えられていたようで
本当にシャカリキになっていました。

最近はそれにも疲れてきたようですが。。。。。
| しばた | 2008/09/24 2:10 PM |









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