命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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(村崎)太郎物語(3)
 芸能と身分差別問題の問題については、2007年3月16日の記事で、一度記しています。再度、その一部を以下に転載します。


 日本社会は、ほんの少し前までは歴然とした身分社会、階級社会でした。そして身分や階級はその職業と一体化していました。実は日本の歴史の中では芸能は最下層階級の人々が担ってきたのです。

 私は子どもの頃、芸能は非生産的職業と評価され、江戸幕府は芸能を職業とする者を士農工商のさらに下の身分に置いたように教えられました。今では研究も進みこの説は支持されなくなっているそうです。宗教的な背景などによってかなり以前から芸能は特定の身分と結び付けられていたようです。

 歌舞伎、能、狂言、人形浄瑠璃、浮世絵など、日本を代表する文化は被差別部落の人々が担い発展させてきたのです。明治以来、音楽教育が西洋音楽一辺倒になってしまった理由の一つはどうもここにありそうですね。

 四代目市川団十郎は「錦着て 布団の上の 乞食かな」という有名な句を残しています。どんな大スターで贅沢な暮らしをしても、その社会的アイデンティティーは「乞食」なのです。
 山城新伍さんの著書で読んだのですが、歌舞伎で「成駒屋!」「高麗屋!」という掛け声が掛かります。市川、尾上、中村の姓なのに、商人でないのにどうして「〜屋!」と掛け声がかかるでしょう?
 それは士農工商の下に置かれた身分にある役者たちが、「商」として扱われたいとの切実な願いの表れなのです。

 こうして日本の大衆は、優れた芸能人を賞賛しながらも、他方で差別し見下げてきました。こうした芸能史の流れの中、戦後の日本の大衆芸能を担ってきた人々の中にも驚くほどに、被差別部落出身者と在日の方々が多いのです。

 そして、実力や実績の世界である芸能界にも、差別や偏見は根強くあります。芸能界で起こる不自然な出来事や意外な出来事、その背景には民族問題や部落差別の問題が潜んでいる場合が多いのです。大人気の芸能界のスターたちの中には四代目市川団十郎と同じ葛藤や苦悩を持つ方も少なくないでしょう。

 芸能人の出自を明らかにすることは、差別的な日本社会では、芸能人の商品価値を落としますし、芸能プロダクションのマスコミに対しての圧力などもあり、はたまた、様々な利害関係もありで、日本のマスコミ界ではタブーなのです。

 以上が、以前のブログ記事。

 実は村崎太郎さんも、四代目市川団十郎と同じ葛藤と苦しみの中にいることをAERAの手記の中で告白しています。

 ただ、今でも夫婦喧嘩をすると「オレが部落だからだよな」と言ってします。自分の血がコンプレックスになっているとも感じる。自分ではどうしようもない血の歴史を自覚することもある

 日本中から賞賛され、最高レベルのエンターテナーとなり、出自を受け入れて結婚をした女性がいても、なお、癒されぬもの、回復されぬ傷があります。差別とはそれほどまで罪深いもの、そこまで残酷なものなのでしょう。
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