命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
ブログ移転のお知らせ(予告)

 6月1日を目処に、新たに契約したドメインとプロバイダーの方に、ブログを移転します。移転後も同じプロバイダーなので、大きな変化はありませんが、URLのみ変更となります。

 新しいURLは以下の通りです。どうか、「お気に入り」等にご登録を!
既に、本ブログと同内容の記事を掲載しております。

http://blog.kiyoshimizutani.com/



 6月1日以降も一定期間は本ブログは残しますが、更新はせず、新ブログの方で、更新をします。お手数をお掛けしますが、今後もご愛読をよろしくお願いします。

| ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 22:30 | - | - | - | - |
クリスチャン夫への手紙第一「夫たちよ。みのさんの後悔に学びなさい」
 クリスチャン夫への手紙第一

1.主にあるテレビワイドショー視聴者から、日本の教会に集う夫たちへ。

2.夫たちよ。みのもんたの後悔に学びなさい。ギネス級の多忙司会者、その活躍も素晴らしい伴侶あってのことではありませんか。

3.昨日の報道されたみのさんの言葉を思い出しなさい。

 「結婚、40年過ぎて家に帰るのが楽しくなった。」

 「 素晴らしい伴侶だったのに気がつくのが遅すぎた。」

 「心の中でいつも思っていた『ありがとう』、生きている間に言えなかった。

 「病気のことは、もう少し早く気がついていれば・・・。」

4.あなた方は、こうした後悔、失敗をしないように、神様に召されているのですから、召しにふさわしく歩もうではありませんか。長時間労働、多忙と疲労の中にあっても、主にある者として、そのように励むべきです。

5.夫たちよ、妻が生きている間、日々の生活の中で、神が与え給た妻を愛し、妻との交わりを喜び、感謝を示し、 弱い器である妻を覚えて配慮しなさい。それこそ、キリストが教会のためにご自身をささげられた愛の実行です。

6.結婚の恵みを与えられた神の助けが、クリスチャン夫たちの上に豊かにありますように。
 
| ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 09:03 | - | - | - | - |
福岡市長と塩谷瞬とヘロデ王

 刺青公務員の次は、酒乱公務員がニュースに。多分、公務員だけでなく、全体として職業人、社会人の倫理観が低下しているのでしょう。今回の禁酒令については、福岡市民は、賛否両論とは言え、支持しない方が多数派のようです。

 福岡市は、飲酒運転についてはかなり厳しく真摯な取り組みをしてきたはず。しかし、運転とは別に飲酒がらみでの市職員の不祥事の続発。市長のお怒りも理解できますし、こうした異例の発令によって、職員に自覚を促そうという意図自体は適切でしょう。

 しかし、多くの方は「そうじゃないでしょー」との感覚をお持ちの様子。検討されているようですが、市職員の不祥事への罰則強化などが、市民が願うところでしょう。私などは、自宅のみでの飲酒では、ストレスが溜まって、別の不祥事が起こるのでは?一ヵ月後の解禁日には、マスコミが取材し、全国的に好ましくない映像が流れるのでは?と心配してしまいます。

 「飲酒がらみの不祥事続発→公務員の自覚を促す→自宅以外での禁酒禁止

 がん細胞を摘出するために、広域切除して、健康な細胞まで取り出すような発想でしょうか?

 塩谷瞬のバッシングの際にも同じようなことがあったように記憶します。まるで、塩谷に「一生恋愛はしません」と言わせたいかのような芸能記者インタビュー。それが、視聴者の思いを代弁しているかのようで、不快に思いました。「結婚詐欺まがいの二股」が問題なのであって、「二股でない誠実な恋愛」ならよいのです。塩谷が「女性を傷つけない誠実な恋愛」を今後すればいいのであって、「恋愛そのものの禁止」の必要はないはず。

 そういうわけで、不祥事があれば、その前提となる飲酒や恋愛そのものを禁止するという発想はどうかと思うわけです。

 聖書の世界でも、ヘロデ王は、自分以外の王の誕生を知って、ベツレヘムの二歳以下の男児を皆殺しにしました。都合の悪い一人を抹殺するために、全員を殺したのです。

 極一部の者のために、全体が不利益や罰を受けることの正当性

 ある不祥事や不都合を防止するために、その前提となる通常の行為を禁止することの正当性

 スポーツや政治の世界では、この二つの正当性が、当然とされたり、疑問視されて論じられたりです。

 福岡市長と塩谷瞬とヘロデ王、それぞれの事例と本質は、大きく異なります。しかし、三つともが、「あることの正当性」を考えさせる点においては、意外な共通項があるのでは?それは、人は強い感情に支配されると、丁寧さや細やかさを欠いた極端な判断や行動を取る傾向があるということ。福岡市長の義憤や責任感、大衆のバッシング感情、王の権力喪失の恐れなど、それぞれの感情はそれぞれの極端な判断と行動を産んでいるように思えてなりません。思索より感情が先行する時、人は過ちを犯しやすいことは、私たちの誰もが経験的に知っていることでしょう。

| ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 17:02 | - | - | - | - |
「はばたく福音派」、その現在は?

 最近、近所の図書館で古屋安雄著「日本のキリスト教」という書物を借りて読みました。福音派や聖霊派の方にはあまり馴染みのない著者からも知れませんが、日本のキリスト教界全体に「福音派」を外の立場から知らしめた方であります。ですから、古屋先生は、福音派の集会にも招かれ奉仕をされることもおありのようです。

 この著書は訳20章の内の一章を「日本の福音派」に割いています。外側から、また、日本のキリスト教会全体の視点から客観的に福音派を観察評価しており、とても有意義に感じました。JEAが1978年に発行した「はばたく日本の福音派」という著書の通り、80年代は文字通り「はばたく」ような成長振りであったことを記しています。しかし、90年代には停滞傾向に入ってしまったことを指摘。世界的には福音派陣営は将来性があると目されているのに、日本の福音派はどうなっているのか?という問い掛けが興味深いです。

 古屋先生のこれに対しての見解(米、韓とは異なる日本独自の宣教史や精神的土壌の指摘)は、外側からの観察、分析として、とても有意義に感じます。ただし、古屋先生は紙面の関係もあるのでしょうが、米・韓福音派の評価はなさっていません。ですから、「米、韓の福音派はどうなの?今もはばたいてるの?多数化はしてはいても、日本の福音派が目指すべきあり方なの」とのツッコミはありそうです。

 この著書を読んで考えました。80年代は「はばたく福音派」でしたが、現状をどう表現すべきだろうと。

 「はばたいた福音派」 
 これは、客観的観察による冷めた表現。

 「翼の折れた福音派
 これは内部からの自虐的表現。でも福音派は中村あゆみではございません。

 口の悪い牧師はこう評するかも。
 「低空飛行に切り替わった福音派

 さらに口が悪く、危機感過剰の牧師はこう評するかも。
 「一部、墜落に向かいつつある福音派

 しかし、私なりの結論はこれです。
 「翼を休めている福音派

 はばたいてきたが、翼に違和感を覚えて、翼を休めている。これまでの飛行を振り返り評価、そして、正しい危機感を抱きつつも、次の飛行を、聖書に立ち返り謙虚に考えている。
 
 古屋先生は、かなり客観的に観察と評価をしながらも、福音派に対する大きな期待を記しています。神学者マクグラスは「世界的に見て将来性のあるキリスト教として、ローマカトリック、東方正教会、福音派、カリスマ派の四教派を上げています。古谷先生はこの見解を支持しているようです。そして、日本社会において、庶民、あるいは大衆への伝道をリードし、実現するのは福音派だとして、高い評価と期待を記しています。

 私は思います。翼を休め次の飛行を模索している限り、福音派には未来があると。次には80年代とは異なるばばたき、あるいは飛翔はせずとも安定した飛行があるだろうと。近年は、単なる新たな方法論や枠組みなどではなく、そうした翼を休めて福音理解等を深める取り組みや交わりが起こっているようですが、それは必然だと思うのです。

 もし、福音に未来がないとすれば、それは翼を休めようとしない教団や教会であろうと。思考停止の前例踏襲主義過去検証のタブー化などは最も残念な結果をもたらす典型かと思います。現状から目を避けて、「主にある時代の産物」?でもある「80年代はばたき幻想」を未だに追求するなら、そこには次のはばたきも、安定飛行もないでしょう。

 「翼を休めた後に飛行する福音派」、
 「翼を十分休めることなく、無理に低空飛行を続ける福音派」
 「翼を休める必要も認めず、墜落に向かう福音派」

 こんなふうに、21世紀、日本の福音派は、大きく三つに分かれるのではないか?それが、私のはちゃめちゃ予測であります。数十年後には「福音派の教勢は、全体として・・・」と一括して語ることのできない将来が来るのではないかと私は考えています。

 福音派外部の優れた先生が書かれた書物から、外側の視点ならではの自己分析と、外からだからこそ見えてくる希望や展望をいただいた気がします。

| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 11:43 | - | - | - | - |
急に思い出した生徒の名前

 急に昔、担任をしていた生徒の名前を思い出しました。その名前は、「寺前」。大人しく真面目な男子生徒でありました。なぜ、思い出したのでしょうか?

 それは「テルマエロマエ」が「寺前、おまえ」に聞こえたからであります。
きっと、今頃、社会に出ているであろう寺前君は、そんな風にいじられているのでしょう。

| ヤンキー牧師 | お笑い・ジョーク | 20:17 | - | - | - | - |
萌えよ!クリボン?

 「燃えよ、ドラゴン」は香港カンフー映画の金字塔。「燃えよ、デブゴン」は、邦題タイトルからして、お笑い系カンフー映画の代表作。そして、「萌えよ、クリボン」であります。

 クリボンとは、クリスチャンのボンボンのこと。別に、持ち家でクルマが外車でなくても、男子ならボンボンなのです。つまり、「クリボン」とはクリスチャン男子のこと。そう、「萌えよ、クリボン」とは「クリスチャン男子たちよ!教会内女子に萌えよ!」との無責任なアピールであります。


 こうした無謀なアピールをするのには理由があります。それは、本ブログにおいて「いいね」を最大獲得したこの記事についてフォローするため。

婚活系クリスチャン男性への「教会内萌え注意報」
http://blog.chiisana.org/?eid=1408342

 この記事が、「教会内萌え」を禁止しているかのように受け取られたら、本意ではないのです。注意を訴えてはおりますが、教会内萌え自体は、自然なこと、むしろ、推奨したいほどです。

 「萌え」とは当世若者男性の多くに見られる「恋愛感情の一表現」「性欲表現のある一面」だと、私は勝手に思っています。愛する女性と心を一つにしたいと願う恋愛感情も、体も一つにしたいと願う性欲も、神様が結婚のために与えられた大切なプレゼント。ですから、「教会萌え」自体の禁止は、教会での恋愛と結婚を禁止するようなもの。こんなことをしたら、教会内の青年のいよいよ晩婚化、非婚化、教会は少子化であります。

 賛美萌え、CS萌え、親切萌え、などがきっかけで、結婚に至った先輩方は教会にたくさんおられるはず。先輩達が、「賛美している姿が素敵だった」と言っているのは、今で言えば「賛美萌え」、「子どもに話す彼女の様子にこんな人と結婚できたらと思った」というのは、「CS萌え」で、「親切にされて、愛を感じて・・・」は「親切萌え」。

 昔から「教会内萌え」で結婚するクリスチャンは少なくなかったはず。いいえ、「萌え」が結婚への起爆剤となってきたのでしょう。ただ、萌えは起爆剤ですが、チェック機能がありません。ですから、「教会内萌え注意報」なのです。萌え一発で結婚に踏み切らず、交際中の冷静な観察と評価を忘れないで欲しいのです。

 だからと言って、神様が男性に与えた恋愛感情、性的欲求とその発露の表現である「萌え」を否定したりはしないのです。むしろ、推奨したいほどです。つまり、「熱く萌える心と冷めた頭」のセットで、結婚に向かっていただきたいと願うわけです。

 というわけで、最後にアピール。

萌えよ!クリボン!でも教会内萌え注意報は発令中だからねー
 

| ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 22:01 | - | - | - | - |
総論「共に生きる」、各論「精いっぱい出会う」
 一昨日は3400を超えるアクセス。「いいね」も多くいただいているので、この記事にアクセスが集中したと思われます。

言葉だけの「寄り添う」「共に生きる」よりリアルな「精いっぱい出会う」
http://blog.chiisana.org/?eid=1408361

 キリスト教界でも、「寄り添う」「共に生きる」が、安易に使われていることへの違和感や批判的思い多くの方が持っておられたということでしょう。また、そうした美辞麗句による実質以上のに過剰評価。時にそこに潜む自己満足や自己宣伝。純粋な被災者支援、キリストの愛とは異なる要素の存在。そうしたものを感じてきた方々の問題意識にはまった記事であったのかもしれません。そうした意味でも今回のクリスチャン新聞「オピニオン」は高く評価されるべきだと思うのです。

 このオピニオンを受けて、考えた事、それは、「キリストは、寄り添い共に生きたか?それとも、精いっぱい出合ったか?」という問い。

 「イエスに出会った人々」という書物があります。福音書から説教する時には、参考にすることのある私にとっての愛読書です。日本基督教団の高田栄治牧師が著しておられます。そこにはイエス様に出会った人物25人がピックアップ。東方の博士から始まって、十字架の犯罪人まで、さらには復活後のイエスに出会ったとして、マグダラのマリヤ、エマオの旅人、パウロまでで、合計25名。

 25名の中のほとんどは、イエス様と出会っただけで、生身の主と共に何年かでも歩んだわけではありません。東方の博士や羊飼いは幼子イエスを一度礼拝しただけ。でも、「別の道から」とか「賛美しつつ帰った」とか、その人生が一変したように聖書は暗示しています。サマリヤの女やザーカイ、ゲラサの狂人などは、出会いの前後の変化が分かりやすい例。十字架上の罪人などは、まさに「一度きりの出会いで、パラダイス入り第一号かい!?」とツッコミたいほどの神様の恵み深さ。ポテオピラトなどは一地方政治家に過ぎなかったのに、一度の出会いによって、使徒信条にまで、名前が挙げられ、半永久的かつ国際的悪役扱いであります。

 たしかに神は人となり、国を失った弱小民族国家の労働者階級に生まれ、貧しさを味わい、途中からは母子家庭の苦しみも経験されました。まさに「共に生きてくださった」わけです。でえすから、福音書全体は「神が人となり共に生きてくださった記録」とも言えるでしょう。しかし、福音書に書かれている事例の一つ一つは「精いっぱい出合った記録」が多いわけです。

 そこで、強引にまとめたのが、タイトルのフレーズであります。

 福音書が描くイエス様は、総論共に生きる」、各論精いっぱい出会う」であったのでは?

 今日のキリスト者の多くにとって、心寄り添い共に生きるべき第一の隣人は伴侶でありましょう。特別な使命がない限りは、家庭に大きな犠牲を強いてまで、遠方の苦しむ弱者のために「寄り添う」とか「共に生きる」とかはすべきだとは思いません。あくまで、これは原則論ですが、むしろ、日々の出会いを主の導きとして受け止め、「精いっぱい出会う」ことを心がければよいのでは?

 キリストに似た歩みとは「寄り添い共に生きる場面一辺倒」ではなく、むしろ、「精いっぱい出会う場面が大多数」の歩みではないかと思うわけです。

 総論共に生きる」、各論精いっぱい出会う」。

 これは、今日のキリスト者がキリストに似た者として歩む際の指針のようにも思えます。「たとえ、寄り添えなくても、共に生きられなくても、精いっぱい出会うキリスト者でありたい!」。優れたオピニオンに触発され、そんなことを考えております。
| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 21:15 | - | - | - | - |
拝啓、橋下徹大阪市長様
 拝啓、橋下徹大阪市長様、このブログをお読みいただいておりますでしょうか?(絶対、読んどらんやろーなー)。大変、ご無沙汰しております。2004年の7月に「たかじんのそこまで言って委員会」で、ご一緒させていただいたキリスト教の牧師でございます。あの時は、中絶問題に対して当時弁護士であった市長からは法律家らしからぬコメントをいただき、本質とは別の面で番組を盛り上げて下さりありがとうございました。

 この度は、大阪市職員の刺青を調査され、110名の職員が刺青をしているとの結果を得られ、市民の目に触れぬよう配置転換を考えおられるとのこと。かつて茶髪の弁護士であられた市長が今や、職員の刺青についてご指導しておられる姿には、隔世の感がございます。確かに民間や一般社会に比して割合が多く感じますし、社会通念上問題視されるべきかもしれません。市長が、公務員としての意識や姿勢の改革を求めておられるも理解できることでございます。

 しかし、「ちゃんと仕事やってくれたら、そんなんかまへんわー」とおっしゃる市民も多く、刺青のデザインによっても市民の受ける印象は異なるように思います。大阪市民の視点からも、配置転換の必要があるかどうかは、意見の分かれるところかと存じます。名古屋の河村市長も、「昔に刺青入れとっても、その後、回心して真面目に勤めてくれたら、ワシはええと思うがや」と「刺青=暴力団」との時代錯誤が混入している心配はあるとは言え、「人生やり直し重視」の趣旨のコメントを出しておられます。全国的には、もっと別の面での組織改革や職員の意識変革の必要性を訴える声、市民の支持を得るためのパフォーマンスとの声も起こっております。

 それはさておき、本件に際し、市長は、「刺青で個性を発揮したければ民間に転職すべき」と発言されたようですが、民間でも一般市民の目に触れるところでは刺青が問題となる職場が多いかと存じます。日本社会においては、刺青を入れた方々は、大阪市役所も民間企業も、銭湯、プールなども、受け入れは、困難なのが現状かと思います。

 そこで、市長にお願いなのですが、刺青を入れた職員には、是非、地域のキリスト教会に集うようお勧めいただきたいのです。大阪には、刺青を入れておられる牧師も何名かおられるようです。刺青牧師が代表役員を務め、一部、刺青信徒が集っているのですから、、刺青公務員が来会され、入信、洗礼の後、教会員となられることは、何ら問題はございません。とりわけそうした教会では、市長が問題視される職員の方々も活かされるかと存じます。

 そうでなくても、多くの教会は、看板やホームページ上で「どなたでもいらして下さい」とすべての方を歓迎しておりますから、刺青をしておられる大阪市職員を近隣キリスト教会にお送りいただいても、きっと受け入れられるはず・・・・でございます。

 お送りいただきました職員は、教会にて信仰教育をさせていただき、立派なキリスト者市民として、大阪市役所に教会より派遣させていただきます。このことは大阪市民にとって多大な益をもたらすことと確信しております。ただ、市長様にとっての益となるかどうかは、神のみぞ知るとなることでしょう。地域を愛する日本のキリスト教会の一員として、拙い内容ではありますが、ご提案申し上げました。ご多忙のこととは存じますが、御一考いただければ幸いでございます。


 ※教会の「どなたでもいらしてください」には、「ホンマかいな?」「建前とちゃうんか?」との心のツッコミは教会内外にあるようです。理想論はそうでも、現実にはそれを可能とする成熟した主にある交わりと受容力を持っているかが問われます。取税人、遊女と食事をされた「キリストの体」、それが教会のはずですから、「刺青公務員受け入れ」は初歩的なチャレンジだと思うのですが、どうなんでしょうね?
| ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 13:44 | - | - | - | - |
マルタ依存体質からマリヤ体質へ
  昨日の記事の続編を少しばかり。マルタは牧師や教会員にとっては、よく言えば、頼もしいのですが、悪く言えば都合がよく、便利であります。教会の奉仕は率先してして下さり、行事や活動は次々と予定通りに進みます。

 たとえば、教会の中心がマルタ多数派で、牧師もマルタモード歓迎なら、きっと活発な教会になることでしょう。人も集まり、礼拝人数も増えるかも。でも、教会が建て上げられているかどうかは疑問な場合も。活動主義の教会が陥り易い落とし穴でもあります。活発な活動は、仮想充実感を与えますが、それは実際の結実とは別のことなのです。「何をもって結実とするか?」「何をもって教会が建てあがっていると判断するか?」の基準を明確にして、立ち止まって評価をする必要は常にあるでしょう。マルタモードの一つの問題は、立ち止まることも、自己検証もせず、活動まっしぐらになってしまう危険性。

 マルタ系教会員にマルタモードを継続させると、その多くは、どこかの時点で目的喪失し、自分の信仰や他者の問題でつまづき、三年で離脱。「期間限定マルタ」で終わるようです。そうです。頼もしいから、都合よいからで、マルタモードを継続させると多くが三年の寿命の「期間限定マルタ」となるのでしょう。

 そうなれば、期間限定マルタを、大量消費材のごとく何人もつなぎなら当面の活動を継続するという状態に陥りかねません。「教会の活動は存続するのだけれど、それってどうよ?」との厳しい声はあちらこちらでお聞きします。「とりあえずのマルタ」に、一旦、教会が依存してしまうと、原発地域や沖縄の基地問題のように、そこからの脱却が困難となるのでは?マルタの持つ即効性、依存性の誘惑に教会がどのような態度を取るか?が教会のあり方を決める一要素なのでは?

 現場無視の理想主義的な正論と言われるのは覚悟の上で記しましょう。長い目で見れば、あるいは本来の教会形成を目指すなら、やはり信徒にマルタをさせず、マリヤに育てていくことでありましょう。いわば、マリヤモードの信仰生活の教育であります。

 神様が最優先に求めておられるのは、熱心な教会奉仕者ではなく、真実の礼拝者、器用な実務係より忠実な祈り手、世の知恵に富んだ実用的な人材より、聖書の基準に立って思索判断ができる霊的成熟者でありましょう。本当の意味で教会を建て上げるのはそうしたマリヤモードの信徒ではないでしょうか?

  ここでは、物事をわかりやすくするため、単純化して、対立的に「マルタモード」「マリヤモード」としておりますが、マリヤモードというのは、みことばに聞き入って奉仕をしないあり方ではありません。むしろ、みことばに聞き入った上で積極的に主の奉仕に参与するキリストの者のあり方です。言い方を替えれば、「みことばに聞き入って、心を騒がすことなく奉仕できるマルタ」のあり方とも言えるでしょう。

 一番深刻な問題は、牧師自身がマルタモードに陥ってしまうこと。これは困難な課題です。祈りとみことばに専念するどころか、それを後回しにしてまで活動を優先せざるを得ない状況は深刻な問題でありましょう。確かにマルタかマリヤかは選択の問題ですが、マリヤの選択をすることの困難さは、牧師も同様のこと。

 こうした課題の克服のため、あるいはリアルに高齢化や人材不足で奉仕の担い手がいなくなり、教会行事や奉仕の「事業仕分け」を断行した教会のこともお聞きします。それによって、礼拝の充実、みことばと祈りへの専心が実現したのなら、マルタ依存体質からマリヤ体質への「体質改善成功」と言えるでしょう。

 一方で「事業仕分け」を提案しただけで、各方面から抵抗勢力の攻撃に合い、頓挫したというケースもお聞きします。マルタ依存体質克服の困難さを思います。

 マルタモードの持つ即効性の誘惑、その依存性、一旦依存体質となれば、その克服の困難さ、クリスチャン個人の内にも、教会全体の中にも、根強くはびこるこの課題。まずは自覚したいもの、個人レベルで克服したいもの、さらには教会で共有の課題としたいものではないでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 13:41 | - | - | - | - |
言葉だけの「寄り添う」、「共に生きる」よりリアルな「精いっぱい出会うこと」
 クリスチャン新聞5月20日号のオピニオン松田牧人師が執筆。タイトルは「寄り沿うことはできなくても」。被災地現場からの真実な声であり、教会が陥りがちな課題を指摘しつつ、それを超える現実的で聖書的なあり方を示しています。私の問題意識と共感する内容なのですが、ありそうでなかった論点であることが素晴らしいと思いました。

 私が持っていた問題意識。それは「寄りそう」「共に生きる」という言葉が世間だけでなく、キリスト教界でも、軽くなっていること。オピニオンはそのことを冒頭で指摘。師自身がその言葉の重みを理解せず安易に口にしていたことを記しています。

 「寄り沿う」「共に生きる」とは何と美しい言葉でしょう。しかし、その言葉の実行は生易しいものではありません。事実として、寄り添い共に生きることのない「思い込み寄り添い」や「なんちゃって共生」が、実質90%以上を締めているのではないかと私は思います。

 それは、残念ながらキリスト教界も同様のようです。オピニオンは、「言いにくいことと」断りながらも、「被災地の教会に寄り添う」と言いながら、被災地教会を利用しているとしか見えない支援活動に傷つくこともあったことを記しています。

 被災者支援のグループを立ち上げ活動している松田牧師自身も他者は「寄り添う働き」と評価してくださっても、自己評価はそうではありません。私自身も「小さないのちに寄り添う」とか「予期せぬ妊娠に悩む女性の寄り添う」などの言葉をいただいたことがありますが、「そんな実質はない」というのが、私の自己評価。教会に支えられ、教会と共にできる限りの支援をさせていただいたのであって、決して、「寄り添ったり、共に生きたり」などしてはきませんでした。

 どうして、私たちは、、こうも、事実と異なる言葉で、主にある働きを、事実以上に美化してしまうのでしょう?そこには自己満足や自己宣伝さえ混入していることもあるのでは?「寄り添う」「共に生きる」が言葉の重みや責任を失い、「思い込み寄り添い」や「なんちゃって共生」に変質しがちな中、松田師は、実態に沿った別の言葉を示します。

 それは「精いっぱい出会う」との表現。

 私が思うに、「寄り添う」、「共に生きる」は、多くの場合、自分の生活を捨てたり、ライフスタイルを大きく変えて継続的な関係のなかでこそ、可能なこと。しかし、「精いっぱい出会う」は、出会いの場と出合った期間のなかで、できること。私自身も、教会の手足となり、小さないのちや苦悩する女性たちと「精いっぱい出会うこと」なら、少しはさせていただけたかな?と自己評価しています。

 オピニオンは、イエス様の実例や被災支援の具体例を提示しながら、そのことの聖書的根拠と現実性を私たちに教えてくれています。

 「寄り添う」「共に生きる」・・・。その言葉の重みも責任も失った「思い込み寄り添い」や「なんちゃって共生」は神様にも隣人にも本当の意味において喜んではいただけないでしょう。

 結論部分では、その「精いっぱいの出会い」について聖書的事例と被災地での具体的実践を提示し、最後に希望を与えます。「キリストが弱者、疎外者に寄り添い、共に生きようとされたのに、教会やクリスチャンがその程度でいいのか?」との自問や反論も起こるでしょう。そんな方こそ、このオピニオンを一読されることをお勧めします。

 最後の二文には、被災者でありながら、被災者を支援する経験から、導き出された正直で、聖書的な結論が記されています。それは聖書的な希望に満ちたもの。

 誇張表現であり、自己満足や自己宣伝の匂いさえただよう多くの「寄り添う」や「共に生きる」より、「精いっぱい出会うこと」!3・11以来、個人的に抱いてきた違和感や胡散臭さに、聖書的解決を与えられたようで、感謝するばかりの「オピニオン」であります。是非、ご一読を。
 
 
| ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 21:29 | - | - | - | - |
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