命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
内田裕也逮捕に見るロックミュージックの限界

 ロックの大御所がストーカー的不法進入で逮捕。薬物、女性、暴力問題はロッカーだけではなく芸能人にはありがちな問題。しかし、メディアは今回の事件については、「こんなのロックじゃない」的な見出し。権威に反抗し、大人の偽善を攻撃してきたロッカーが、弱者を攻撃し、結婚した妻にも日常的に暴力を振るっていたなど、ロックじゃないです。

 ロッカーが殴っても「らしい」のは、男性で力が対等以上の者か、間違った言動をした者だけです。また、女性関係についても潔い別れ方こそ、ロックの美学。復縁を迫ってのストーカー的犯罪行為も、ロッカーの美学に反します。さらには、今回事件化しただけで、これまでも恒常的であったことを樹木稀林が公に。なるほど、内田裕也氏が、自らが主張して、生き様として表現してきたロックスピリットに反する、がっかりな事件だとの評価は私も同意。

 しかし、私は逆に思うのです。これがロックの限界だと。ロックの本質は、権威や規制の価値観への反抗、大人の偽善への怒りなどです。これはいわば、青年期の音楽です。つまり、自分の内なる偽善や弱さなどの闇には目を向けず、他者を批判し攻撃する音楽です。言い換えるなら自分を棚においての大人社会への批判反抗がオールドタイプのロックの本質。

 しかし、ロックも青年から熟年に成長します。自己批判や自己内部の闇や偽善に向き合えば、ピンクフロイドのような内向的プログレになるでしょうし、反抗や怒り以外の要素を多様な音楽的要素を用いて多面的に表現しようとすればクイーンのような美学ロックにもなるわけです。さらには、平和慈善活動、環境問題系ロックにまで、変容します。また、そうしたロックを演奏し、表現しながらも、生き方ライフスタイルは、サラリーマンや経営者という見事な?使い分けも可能なのです。

 内田裕也という大御所は、ロックスピリットとしては、70過ぎても青年期のままだったのだろうと予測します。活動としては、いまどきの社会派慈善活動系ロックであっても、スピリットは60年代後半のままであったように観察します。

 樹木希林さんのコメントによれば、被災地で見た惨状を現実を受け止められずとなり、受け止めてもらえる女性を必要として、逸脱行為に走ったとのだろうとのこと。実際に、震災ボランティア活動と同時期に被害者の女性に暴力を振るっていたわけです。私はこのコメントは今回の事件の本質を表しているだろうなと思います。

 純粋で、不器用なタイプのロッカーは、元祖ロックスピリットを持ち続け、他者批判や現実社会批判をして、若者の共感を得られても、自身は自らの弱さや偽善や闇をもてあましてしまっているのでは?と思うのです。そうした自己矛盾というつらい現実から逃れるために、酒や女性や薬物に依存する面もあるのでは?ロックという特定の思想表現をする音楽は、そもそも他者批判と自己崩壊を表裏一体に持つのだろうと考えます。

 現実社会を批判し、理想を追求しながらの自己矛盾と内部崩壊。それは、人間の成長段階であれば、青年期の限界であり、音楽表現で言えば、元祖ロックスピリットの限界でありましょう。ロックスピリットの本質である既成価値観の否定、その一つはキリスト教の罪の教理の否定であります。だから、ロックとドラッグでラブ&ピースなどという安易なユートピア思想を本気で信じていた時代もあったのでしょう。ロックという音楽表現は、どうも、外敵には強く、我が内なる敵には弱いという傾向があることが多いように観察します。

 ロックには、一面、音楽による優れた思想表現があるでしょう。しかし、オールドファッションなロックスピリットを本気で生き様とするロッカーたちは、内面世界において、青年期以降への成熟拒否をしているのでは?と心配したりします。そうであれば、年齢相当のロッカーにはなれず、自己矛盾をもてあまし、自分の弱さとの折り合いがつけられず、自己崩壊の危機を孕み続けてしまうのでしょう。

 ロックは大衆に思想的影響を与える力もあれば、有名人なら社会貢献する力もあるでしょう。しかし、古典的ロックスピリットは、青年期の未熟さとリンクしており、自己の弱さに対峙し、克服するだけの力はないということでしょうか?強がり音楽、成熟拒否音楽であって、自己成長、自己克服型音楽ではないということでしょうか?

 カッコよく被災地支援をしながらの弱さに起因する女性への逸脱行為。外への強い光と内側の闇。外側への強さと内面的弱さ。それに健全な折り合いをつけられないが故の破滅的なバランス調整。今回の事件、ロッカーによるロックスピリットの裏切りであるとともに、ロックスピリットの限界を露呈するものであったのではないでしょうか?

| ヤンキー牧師 | 音楽 | 08:38 | - | - | - | - |
「ようやく定まったB’zの評価」が再評価?
 今になってこの過去記事が再評価され、Twitterで猛烈に広がっているようです。まあ、私でなく難波さんが偉いのですが・・・。B’zファンの皆さん、苦情は私でなく、難波さんに・・・・。

「ようやく定まったB’zの評価」
http://blog.chiisana.org/?eid=1185161


〈追記〉5月3日のアクセスは何と、5710でした。きっと2700程度は、この記事へのアクセスと予想されます。まあ、一般の方?が、こうした入り口から本ブログに入っていただけるのはうれしい限りです。一人でも多くの方が、本会の働きやキリスト教会に関心をもっていtだければと願います。
| ヤンキー牧師 | 音楽 | 22:45 | - | - | - | - |
「あきらめないで」の根拠は「一人じゃないから」「私が君を守るから」

 昨夜は、20時からミュージックステーションを最初の15分程視聴。震災支援のため予定変更で、集まったメンバーが持ち歌から支援のふさわしい楽曲を披露。

 印象に残ったのはAIの歌前のインタビュー。ロス生まれの彼女は、震災時にはロスにいたのだとか。その時のことをこう語りました。

 「教会にもいったんですが、何千人もの教会なんですけど、日本のことが話題になり、Prayしようと・・・・」

 AIは10代の時、ロスの教会のクワイヤーに参加し、プロになっていった方。AIが伝えたかったのは、ロスでも日本のために祈っているということでしょう。でも、宗教の話しなので、遠慮して「祈ろう」と日本語で言えなかったと思われます。これは、礼拝の中での出来事であったのでしょう。

 披露してくださった「Story」は被災地への最高の応援歌かと感動。

歌詞はこちら。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B09474

AI自身の作詞のようですが、「一人じゃないから、私が君を守るから」がこの歌の中心メッセージでしょう。どんな人生のSTORYを送る人にも、「ずっとずっと、あきらめないで」と言えるその根拠。それは「一人じゃないから」そして「私が君を守るから」。

 「」とは誰でしょう。男女の愛や友情の歌でもあり、さらにそれを超えた「人生に常に共にてくださり、私たちを守ると約束しておられる方」を想起させる歌詞ですね。

 被災地の方々が予想もしなかった不本意な人生のSTORYを強いられながらも、ずっとずっとあきらめないで歩んで行かれるその根拠は、まさに「一人じゃないから」そして「私が君を守るから」に他ならないでしょう。


 

| ヤンキー牧師 | 音楽 | 09:46 | - | - | - | - |
大衆音楽に見る日本的霊性?〜女性歌手は音程よりもシャーマン性
 私の妻はピアノが弾けて昔は合唱部に所属した経験もあり、音感がよいのしょう。一緒にテレビの歌番組を見ていても、音程の悪い歌手はかなり気になるようです。妻の話を聞きながら、発見したこと!それは女性歌手はある程度音程があやしくても認められるが、男性は認められないということ。つまり、日本の大衆は歌の音程問題については、圧倒的に女性に対して甘いということでう。

 そこで、私が提唱した怪しげな仮説が「女性歌手は音程よりシャーマン性が優先」というもの。つまり、日本の大衆文化では女性芸能者は「霊能者的であること」が「技量」以上に優先され、それが大衆の支持を得るということ。

 たとえば、演歌歌手などは、男性と女性では歌に対する姿勢が違うように思うのです。男性演歌歌手の多くは、いくら歌の主人公に感情移入してもやはり、歌手が歌を対象として、歌っているように観察します。それに対して、女性は歌に埋没し、歌と一体化するかのように歌う方が多いのでは?あるいは、歌自体が女性演歌歌手の肉体を借りて自己表現しているかのような歌い振りです。都はるみや石川さゆりに至っては、もう、歌手と言うより「歌う舞台芸術」、日本的霊性を体現する最高レベルの表現者だと勝手に評価している私であります。

 まさに、シャーマン性であります。もう、歌手が歌の世界に感情移入というよりは、歌のスピリットが歌手に憑依しているかのようです。霊媒行為に近いものを感じるのは私だけでしょうか?

 まあ、演歌歌手の場合は音程が正しいどころかそれを超越した技術や力量を持っているので、理解できるのです。しかし、今回の仮説は、「音程が怪しくても、シャーマン性があればよし」なのです。演歌歌手ではないのです。

 烏賀陽弘道(うがやひろみち)というジャーナリストによる「Jポップの心象風景」という書物を、以前、図書館で借りて読んだことがあります。彼はユーミンを「現代日本の現代のシャーマン」であると論じています。私自身は「ユーミンは恵まれた家庭に育った非常に洗練されたクリエイター」だと思っていたのですが、それを読み、意外にもユーミンには日本の大衆を虜にするシャーマン性があることに気がついたのです。

 女性歌手の音程が悪いという話の中で、ユーミンのことを妻に問いました。妻の見解によれば、ユーミンは音程が悪いのではないそうです。むしろ、安定しているのだとか。つまり、すべての音が芯より均一にわずか下に外れているのだそうす。これはすごいです。芯よりわずか下を叩くと野球ならホームランです。ユーミンは「音楽界のホームラン王」「POP界の王貞治だ」とでは?というのはトンデモ理論であります。むしろ、説得力のあるのは「音程よりシャーマン性」の仮説。やはり、その代表はユーミンでしょうか?中島みゆきがどんなに身を切ってリアリティーのある詩を歌に乗せても、かなわない理由の一つはこのシャーマン性の欠如なのかも知れません。

 また、見るからにシャーマン性があるのが、中島美嘉でしょう。妻の見解ではかなり音程が不安定とのこと。でも、シャーマン性がすごい。黒人音楽が背景にはあるのでしょうが、演歌のごとき要素を感じてしまいます。歌唱力をはるかに超えて、背後にあるイマジネーションを伝えることのできる表現者です。

 さらに妻が例示したのが持田かおり。音程が不安程で、同じ歌を歌っても、その度ごとに音程の外れる箇所が違うのだとか。一見キュートな魅力の持ち主ですが、私個人は、以前からシャーマン性を感じていました。歌唱力や表面上のキャラ以上のものがあるように思えてなりません。

 男性で音程が悪くて、高い評価をされることは、まずありません。なぜ、女性歌手だけが、音程の悪さが問題視されず、絶大な支持を受けるのでしょう。「結局、日本の大衆は、女性芸能人に対して潜在的にシャーマンを求めているのでは?」と思ってしまうのです。

 「Jポップの心象風景」は女性芸能人とシャーマンのつながりを、古事記に登場するアメノウズメに起因すると指摘しています。アメノウズメは天の岩屋戸に隠れてしまった最高神である天照大神を再び外界に取れ戻した功労者。古事記でも最も有名なお話の一つ。では、アメノウズメが何をしたのでしょう?それは、神がかり状態となっての、淫らな踊りでした。

 「神がかり、憑依状態の中で、性や恋愛についての表現をする女性

 これが、日本の大衆が太古から求めてきたことなのかもしれません。アメノウズメから、卑弥呼、そして出雲の阿国などもそうだったのでしょうか?大衆が求めてやまないこの機能を果たすのなら、多少の音程のズレは問題視されないのでしょう。いいえ、それどころか、正しい音程でないことが、むしろ、西洋音楽を呪文や祝詞のごとく変質させ、シャーマン性と魅力を高めているのではないか?とさえ思ってしまうのです。

 「音程の悪くて人気絶大の女性歌手に見る日本の霊性

 どうかと思う仮説ではありますが、キリスト者の視点だからこそ、見えてくることも、少しはあるのではないでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 音楽 | 08:31 | - | - | - | - |
Love&Peace inside? は同性愛者人権運動応援歌か?

今日でこのシリーズも最終回であります。タイトル通り、この歌詞はダブルミーニングだと思われます。表向きは愛と平和を新たな切り口で訴える意味を持ちます。裏には、同性愛者の人権を擁護と啓発という意味を持つと私は考えます。

 表向きは普通の歌詞、裏の意味は同性愛者の人権擁護や啓発。そうしたタイプの歌はこれまでもありました。その一つはあの西条秀樹がカバーしたヴィレッジピープルの「YMCA」です。この件は以前の記事にも記しました。参照して下さい。

ポップミュージックが描く性の世界(6)
http://blog.chiisana.org/?eid=239413

 表はYMCAを賞賛し、裏では同性愛擁護と啓発というダブルミーニングです。というよりは、ここまでいくと表と裏が逆転していますね。そういえば、有名なロックバンドの「クイーン」もその名前は男性の同性愛者を意味する隠語であると読んだことがあります。

 そして、私が日本でも同じ手法で作詞されているだろうと考えているのがスマップがうたった「世界に一つだけの花」です。クリスチャンカウンセリングの定番フレーズをメインテーマにしたようなこの歌詞、一体誰が発信しているのでしょう?

 そうです「誰が」このメッセージを発信しているかで、歌詞の意味は大きく異なるはずです。
この曲の発信源、つまり作詞作曲者は槇原敬之さんです。槇原さんは以前薬物不法所持で逮捕された際、同性愛者であることが公になっています。

 また、作詞作曲を依頼したとされるスマップ属するジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏も、東京高裁から所属タレント(同性)への度重なるセクハラ行為があったと認定されています。元所属タレントが週刊誌に社長からの性的犯罪加害を暴露。それを不当と訴えたジャニース側が逆にそうした性加害の事実を裁判所から認定されたのです。これによって、元ジャニーズタレントの何人もが暴露本で書いている所属タレントへの性加害の信憑性は高まりました。

 さらにこの曲のリリースに際して初めてスマップ担当となった振付師の椛島永次さんも、この曲のヒットを機に同性愛者であることを公にして、今や「カバちゃん」として人気のマルチタレントに。


 つまり同性愛者が自らの事務所のタレントに同性愛者の作品を歌わせて、同性愛者に振り付けを担当させているわけです。これらの情報を総合的に考えると、やはり私としては「この曲、実は日本版YMCA?」と疑わざるを得ません。実際に同性愛者の人権運動の集会などではこの曲は応援歌として歌われているそうです。つまり、一種の応援歌なのです。「ナンバーワンよりオンリーワン」という名フレーズや、「人はそれぞれ違うを持ち、その花を咲かせることに一生懸命になればよい」という結論は、まさにそうした人権運動にピッタリでしょう。

 断っておきますと、私自身は同性愛者への差別を心から憎む一人であって、同性愛者の方々を侮辱する意図は全くありません。しかし人権を尊重する一方、聖書的な基準からは同性愛を正しい性の一形態として認めるわけにはいきません。

私が危惧しているのは、この「ナンバーワンよりオンリーワン」という魅力的なフレーズが性の世界に適用されることです。多様性が尊重されることは大切ですが、それが「多様性という名の逸脱」に変質してはならないと考えるからです。性の世界には多様性という名目であっても決して越えてはならない「祝福の垣根」があるのではないでしょうか?命への責任を伴い、愛に基づき、結婚の秩序の中で、そして異性間のものであること、これらは聖書が示す祝福の範囲ではないかと私は思うのですが、いかがでしょうか?

 

そこで Love&Peace inside? のこの歌詞。
 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND97176/index.html



 「互いの大事なものを認め合う」、これは裏の意味では、個々のセクシャリティーの尊重と言う意味でしょう。特別、性的マイノリティーとしての同性愛を認めようとの意図を持つ歌詞でしょう。「同性愛のような他者の違いを認めない私たちの心が、結局、争いの絶えない世界を作っているのではないか?」というアピールでしょう。

 つまり、この歌は「世界に一つだけの・・・」の第二弾であり、同性愛者の人権集会などで歌われる事を意識した詩であるのは間違いないだろうと、私は推測しています。

 確かに他者との違いを認めない心が、争いを生み世界に戦争をもたらします。同性愛者へのものも含めてすべての差別は罪です。そして、神の似姿を持つがゆえにすべての人の人権は尊重されるべきです。

 しかし、それと同性愛行為を正しい性のあり方として認めるかどうかはなのです。私は聖書は少なくとも同性愛行為についてはそれを肯定的に描いているとは思いません。単純に読むなら、むしろ、性的罪の筆頭、神の創造に最も反する行為として記しているように受け止めています。

 「人権を認めて、行為を認めず」といった見解の私ですが、この歌の持つ、裏の意味(もしかするとこちらが本当の意味?)を考えながら、この歌詞の本当に優れているのは、こうした巧みなダブルミーニングを潜ませていることであろうと評価しています。

 四回にもわたったこの歌詞の評論ですが、より深く歌詞が理解と読者それぞれの判断の十分な材料になれば感謝です。

| ヤンキー牧師 | 音楽 | 15:06 | - | - | - | - |
聖書的愛と平和とは「似て非なるもの」としての「ヘタレ系ラブ&ピース」
 連日のようにこの歌詞を評論しております。実に的確に時代の流れを読んだ思想表現だと思います。その意味で傑作と呼ばれるべきで、共感性があり、商業的成功も期待される優れた歌詞です。

 

 Love&Peace inside? の歌詞は以下の通り。
 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND97176/index.html


 自分の価値観を絶対視して、相手の価値観を安易に否定することが、どんなに愛に反することであり、不要な争いを起こしているか分かりません。対話をすることを通じた相互理解を欠くために、愛し合えなくなってしまうのは、私たちの罪深さ。

 

 それはクリスチャンも例外ではありません。自分の価値観に確信を持つのはよいのでしょうが、それを絶対視するあまり、独りよがりになり、一方通行のコミュニケーションに陥り、対話拒否姿勢になることも。それは、どんなに愛に反することでしょう。まるで「あなたの話など、絶対真理を持つ私には聞くだけの価値がない」というメッセージです。相手への侮辱、軽視ともとられかねません。特にそのクリスチャンが自分の主張する真理に生きていないのが丸わかりの場合、周囲からは単なる「ひとりよがりの困ったちゃん」扱いされてしまいかねません。

 

 相手が大切していることを尊重しようという姿勢は大切。しかし、この歌詞から見えてくるこの主人公のあり方は、「Noの言えない男」「Noの聞けない男」ではないでしょうか?相手の大切なものを認める姿勢で、対話をした結果、それを認めるのでなく、最初から対話もせず無思慮に認めている姿が私には見えてきます。つまり、そういう無思慮な前提がどうかと思うのです。相手の主張を退けてまで自分を通してしまうことを自分の罪深さと認めて悲しんでいるのでなく、「それって、相手にNoを言って相手を傷つけた自分が傷ついている自己憐憫に過ぎないんじゃないの?」と穿った観察をするわけです。

 

 つまり、これは「他者理解を目指した対話によるラブ&ピース」ではなく、相手へのNoも言えず、自分へのNoも聞けない、自分が傷つくことを避けるのを最優先とする「へたれ系ラブ&ピース」ではないかと突っ込みたくなります。

 

 たとえば、この歌詞の主人公が、「結婚後も恋愛が自分にとって大切」と主張する男性と出会ったとしましょう。「結婚後も恋愛は大切、不倫は文化、妻以外との関係が自分の元気のもと」という男性に対して、彼は、「相手の大切なもの」を認めるのでしょうか?そうすれば、自分も相手も傷つきません。しかし、この相手男性の妻や子どもたち、不倫相手の女性とその家族は傷つくことでしょう。そこに起こるのは「その場限りお互いが傷つかないだけの愛と平和」であり「その場にいないより多くの人たちの愛と平和の否定」に過ぎません。

 本当のラブ&ピースは、妻の愛を裏切り、自分と不倫相手の家庭の平和を破壊するこの男性の価値観にはっきりNoを言えることです。自分の価値観を馬鹿にされても、否定されて傷ついても、Noが言えることが本当のラブ&ピースであるはず。「それは間違っていると思います。愛と平和に反します」と言わなければ、ラブ&ピースにはならにないでしょう。

 

 どうもこの歌詞は、私は愛と平和実現のために時には論争するラブ&ピースや、相手の価値観を変えたり退けたりすることなしには実現しないラブ&ピースという面から逃げていると思うのです。へたをするとこれは、愛でも平和ではなく「お互いを傷つけないだけの事なかれ主義」に終始するだけではないかと危惧するわけです。

 

 この歌詞に深い共感を抱くリスナーたちの本音は、「君の価値観を否定しないから、自分の価値観も否定しないでね」という相互不可侵条約を結びたいと願っている人ではないかと心配です。自己変革によって愛と平和を世界に発信し実現するよりは、結局、個人的な心の平安の世界に安住してしまうのではないでしょうか?対話を通じて本当の愛や平和を作り出すことも、時に傷つけあうような論争を通じてお互いが成長しあうことも避け、傷つかぬこと、無痛を最優先した今の世代と今の時代の病理を、この歌は美化し、肯定しかねないと思うわけです。

 

 表向きは正論といえる歌詞です。一見、クリスチャンたちが賛同したくなる価値観を内包しているようにさえ見えます。しかし、その背景にある時代のメンタリティーは傷つくことも傷つけることも極端にさけたがり、傷つき戦ってまで愛と平和を実現することから逃げる「へたれ系のメンタリティー」ではないかと思うのですが、どうでしょうね。

 聖書が示す愛や平和とは、もっと力強いものだと思うのですけどね。「共通項があるようで実は似て非なるものかな?」と感じているのですが、これって、ほとんど因縁でしょうか?さらにもう一言付け加えるなら、聖書が示す本来の愛と平和が、この似て非なるへたれ系ラブ&ピースに置き換えられてしまっていること。その偽物が、クリスチャンの心と生活、さらには教会の交わりにまで持ち込まれてしまっている事のでは?とも危惧するのです。「義を求めることなき愛」、「対決逃避型の平和」、そうした非聖書的なものが、本物を押しのけている事は深刻な問題であり、現代の教会やクリスチャンたちの信仰理解と実践を逸脱させているのではないかとすら思うのです。

 この歌詞を評価し、賞賛するクリスチャン読者の皆様には特別、お考えいただけたらと願います。

| ヤンキー牧師 | 音楽 | 08:32 | - | - | - | - |
Love&Peace inside? は、内省化による「ラブ&ピース思想」の復権か?
 昨日に続いてこの歌の評論であります。本ブログでは、二年程前には、ラブ&ピースの非現実性や甘さを論じ、その破綻を宣言し、幻想に生きる一部の人々の姿勢を批判しました。ジョン・レノンの「イマジン」にもかなり辛辣な批判をしたことがあります。本件に関しての私の基本的見解は以下の通りです。

「ラブ&ピースにお葬式を(1)」
http://blog.chiisana.org/?eid=293377

「ラブ&ピースにお葬式を(2)」
http://blog.chiisana.org/?eid=293381

「ラブ&ピースにお葬式を(3)」
http://blog.chiisana.org/?eid=293592

「イマジンは平和の聖歌か?」
http://blog.chiisana.org/?eid=267710

「イマジンは歌う踏み絵か?」
http://blog.chiisana.org/?eid=854998

 まあ、ラブ&ピースなどは、完全に実質上の破綻をしており、ただ、幻想やその亡霊が機能をして、おめでたい平和祈願全共闘時代の回顧だのナツメロロック気分などを生み出しているだけのこと。

 そこで、この曲であります。 歌詞は以下の通り。

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND97176/index.html

 世界を人間の内側の心の投影と考え、それぞれ自分自身の内なる変革を願い、自らにラブ&ピースを問いかけようと歌うこの歌詞。これは思うに、ラブ&ピースの内面化と評価すべきでありましょう。かつてのラブ&ピース思想の破綻は、自らの内に問いかけもしない安易さや未熟さにあったわけです。自分を棚に上げてラブ&ピースを願えば、破綻は当然。そう考えるとある意味、これは成熟したラブ&ピース。内省できるだけ大人に成長した者としてラブ&ピースでありましょう。

 ラブ&ピースにお葬式を!と主張した理由の一つは、ラブ&ピースを願いつつも、自らの内にそれがない、あるいは実現する力のない、罪と無力の自覚のなさであります。今回のこの曲の歌詞も、そこをつっこみたいと思ったのですが、それもちゃんと自覚されているという大人の歌詞。そのことが以下の部分では対比的に見事に描かれています。

「互いの大事に思うものを ちゃんと認め合えた時 君と一緒に見た夕焼け空は 本当に美しく見えたんだ」

自分を通すその為なら 君の笑顔さえ奪えるような 僕だと気付いた帰り道は 月が凍り付いて見えた」

 他者を認めず自分を通す罪深さの自覚です。突っ込めないほどの成熟した完成度であります。

 この歌の最も強い主張はここでしょう。

「床に脱ぎ捨てたT-Shirtに Love & Peaceの文字 どんな時でも愛と平和は 気分で脱いだり着たりしちゃだめなんだ」

 過去のラブ&ピース思想が、憎しみと争いを生み出す大人の現実への自分を棚に上げた未熟なアンチテーゼや反抗だったのに対し、この歌詞における過去のラブ&ピース思想はその基本を「他者の価値観の尊重」や「異なる考えの理解」と位置づけて、大人への反抗ではなく、自らへの問いかけとしたのです。まさに成熟した内省化されたラブ&ピースであり、大衆の共感を呼び、なおかつ、完成度の高い歌詞であります。

 優れた歌詞、共感される歌詞、売れる歌詞という意味では、絶賛ものでしょう。しかし、それで終わるような音楽評論なら、最初からしません。この歌詞にはどうも重大な落とし穴もあるように思うのです。そのことは次回で。
| ヤンキー牧師 | 音楽 | 22:26 | - | - | - | - |
Love &Peace inside? はクリスチャン的か?
 先日、教会で一人の兄弟から、いい歌としてSMAPの同曲を紹介され、拝聴した。うーん、紹介者はクリスチャンも同意できる歌詞内容だという評価。

 ツッコミどころがありそうで、なかなかない、理論武装された詩であります。作詞者は聞きませんでしたが、「もしかしたら」と思ってネット検索したら、やはり、あの槇原敬之さん。「世界に一つだけの花」の二番煎じと切り捨てるには完成度の高い詩です。多分、inside? とは intel inside? のパロディーでしょう。

 そして、もしかすると、このタイトル自体が、intel inside? のパロディーである Jesus inside? (クリスチャンのTシャツなどにプリント)のさ二重パロディーでは?との深読みです。

 歌詞は以下の通り。

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND97176/index.html

 「世界に一つだけの花」の歌詞は、クリスチャンカウンセリングの定番フレーズを引用しているのでは?と言われ、槇原敬之クリスチャン説を何度も聞きました。実際、彼のインタビューなどを聞くと大変クリスチャン的な意見であります。

 「世界に一つだけの花」の作詞は、彼が薬物問題を起こした後に、郷里の高槻で過ごし、そこで回心してクリスチャンになったという「キリスト教会の噂」あるいは「教会都市伝説?」があったような。セブンスデー・アドベンティストの教会員という具体的な情報もあり、知り合いの関西在住セブンスデー牧師に訪ねたら、そうした事実は聞いていないとのこと

 この詩の意図は何か?クリスチャン的で表面的には「平和を作り出すものは幸い」「まず、自分に問いかけよう」という感じで、クリスチャンが同意できそうに思いますが、屈折した音楽評論家の私はそうはいきません。

 この歌詞は多分、「世界にひとつだけの花」の時と同様、複数の意味を内包して、聴き手に適用させる意図があると私は推測しています。

何度かに分けて、論じたいと願います。

 
| ヤンキー牧師 | 音楽 | 08:31 | - | - | - | - |
60,70年代、日本のロックとフォーク・アルバムベスト100に小坂忠さんを再評価
 「レコード・コレクターズ」なる雑誌の8月号が「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100」なる特集を。読者ではなく、いわゆる評論家など、専門家の投票によるものです。これは、面白かったです。

 全部書くと営業妨害でしょうから、曖昧に一部を紹介。

 1位は予想通り あの「日本語歌詞による洋楽」を歌ったパイオニアと言われる「英語をひらがな表記した」あのグループ。歴史的な意味でも、これは、評論家なら当然でしょう。

 私が洋楽と対等なレベルでロックミュージックを創造したという意味において評価するサディスティックミカバンドの「黒船」は5位でした。この時のプロデューサーはクイーンの依頼を断って、この「黒船」を制作したのだとか・・・。

 私の予想に反して、日本発の女性ロックシンガーと評されるカルメン・マキはベストテン外。個人的趣味でいえば、プログレ勢といえる四人囃子が二枚、マジカルパワーマコが一枚、100位以内にランクイン。

 いつか、同様の80年代ランキングの折には、私が第一位にしたい「新月」や久保木牧師が支持するKENSOは、ランクインするのか?楽しみです。

 しかし、何と言っても、注目は何と8位にランクされた小坂忠さんの「ほうろう」であります。記事によれば「9曲すべてが名唱名演」との評価。そしてリミックス&リマスターの「HORO 2010」も推薦されています。

 30名の専門家・批評家によれば小坂忠さんのこの作品は、初期の荒井由美、矢野顕子らや人気のあったキャロル、そして頭脳警察、村八分などの過激なロックより上位にランクされているのです。

 何年も前から、クリスチャンになる前の小坂忠さんの音楽は再評価されてきました。ようやく時代やリスナーが作品についてこられるようになったのだと思います。私が時々訪ねるCDショップにはちゃんと「小坂忠」なる見出しがあり、何種類もCDが置いてあります。

 ヒット曲を放つより難しいのは、時代を超えて評価されるスタンダード曲や名盤を作ることでしょう。音楽としての本来の価値も後者のほうが上でありましょう。今回のレコ・コレランキングを拝読し、私自身は、音楽面での再評価より、こうしたミュージシャンがキリスト者となり牧師として歩んでおられることの意味を、再評価したのでありました。
 
| ヤンキー牧師 | 音楽 | 21:54 | - | - | - | - |
昨日はロックの日だったらしいぞ
 6月9日なので「ロックの日であったとか」。南国のブログ王子、久保木牧師がこの件でブログ記事を書いておられます。

http://blogs.yahoo.co.jp/sjy0323jp/61367027.html

それによればオリコン主催の「後世に残したい日本のロックバンド」アンケートによれば・・・・
1位 B'z
2位 BOΦWY
3位 X JAPAN
4位 Mr.Children
5位 サザン・オール・スターズ

 なのだとか。以前にも記したようにB'zは「ロックの皮をかぶった演歌」で、X JAPANは「ヘビメタの皮をかぶった歌謡曲」というのがその本質であろうと思います。これは、悪口ではなく、日本社会においてロックが大衆の支持を受け、商業的にも成功するには、必要な要素なのであります。この二つのバンドの貢献度は絶大で、「ロックを世に広めたで賞」を差し上げたいわけです。
 この二つのバンドが様式としてのロックであったのに反して他の三つのバンドは、非常に洋楽的な旋律で、新しい感覚で日本語歌詞を乗せており、個性的で優れたヴォーカリストを擁しており、実は本質面ではこちらの方がロックではないかとすら思うのです。まあ、これも「ロック原理主義者的見解」でしょうが。

 この記事にある久保木牧師の好きなロックバンドの1位は何とit bitesで3位はKENSOなのです。本ブログの読者でこの二つのバンドをご存知の方はたぶん一桁でしょう。

 前者は80年代のイギリスのプログレリバイバルの中で活躍したいわゆるポンプロックバンドで、非常に洗練されたネオプログレバンド。後者は、世界的に評価されている日本のプログレバンド。これは極めてマニアック

 私は久保木牧師より一回り年上なので、it bite の代わりには 前期Genesis、日本のプログレならKENSOの代わりに「新月」となります。久保木牧師同様マニアック、かつ美意識が屈折していると自己評価しています。

 好きなロックの楽曲は、その人の美意識や音楽的感性以上に、世代の感性や時代の耳を示すのかもしれないと思ったロックの日でありました。
| ヤンキー牧師 | 音楽 | 16:00 | - | - | - | - |
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