命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
松本復興担当相辞任、真相の深層
 人権オタクの私ですから、旧社会党の議員のあの言動、マスコミや周囲の不自然な対応などを観ながら「そういうことでは?」と思ってネットで調べたら、予想的中。

 wikiphediaにも記されていますが、著名な松本治一郎氏の養孫さんのようですね。今回初めて知りました。不勉強を反省。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%BE%8D_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

 この分野についての発信は、事実や問題点は提示しても、決して差別助長になってはならないわけです。そこで、この数日「では、どう記事にするか?」と悩んでいたところ、某ブログが記事化してくださったので、紹介しておきます。まさに「真相の深層」との表現はピッタリでしょう。キリスト者たる者、事象の裏側にあるこうした社会悪や人間の罪深さ、マスコミの体質などをしっかりと見抜いた上で、事象を聖書を基準に論じ、判断したいものです。

ブログ「のらくら者の日記」より「エージェント・スミスの辞任をめぐって」
 http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-f4e6.html

 あれこれ考えていたら、復興担当省相に指名ををした方の両者の共通項に思い当たりました。指名を受けて9日間で辞職した方も、日本の歴史に名を残す解放運動家の後継者的?存在でありました。あの方が、市川房枝さんの弟子であることも、かなり残念に思う私ですが、この方が、松本治一郎氏の子孫であることも結構悲しい思いがします。

 (多様な評価はあるでしょうが)偉大なる解放者の世代代を超えての継承はさぞかし困難なことなのでしょうか?それとも解放が一定進展すれば、そこには不純物が混入しやすいということでしょうか?あるいは権力の側に立つ時、変節は免れないのでしょうか?

 また、こうしたマスコミの腰の引けた体質については、以前の記事で実例と共に批判と考察をしておりますので、ご参照ください。
「ここにも差別 芸能編(4)」
http://blog.chiisana.org/?eid=334861



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 「小さないのちを守る会」
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 09:56 | - | - | - | - |
小さなカメラから生じる大きな迷惑〜フライデー死刑囚写真掲載
 昨日の記事を記していろいろ考えました。拘置所の収監者に面談をしてきた知人のお話しをおききしたこともあり、いろいろなことが分かってきました。青木理なるジャーナリスト盗撮行為は、多方面に大きなマイナスをもたらすことが予想されます。小さない隠しカメラの映像は、実に多くの方々に「多大なご迷惑」をおかけすることになりそうです。まさに「小さなカメラで大きな迷惑」であります。迷惑をかけることになりそうな各方面の方々を列記してみましょう。

(1)まず、盗撮装置を見逃してしまった刑務官です。お叱りは当然でしょうし、厳罰が下るかも。でも、ボールペンやメガネやタイピンなどもチェックの際、分かるものなのでしょうか?決まりに違反して盗撮をした側は罰がなく、それを見抜けなかった方に何らかのペナルティーがあるとすれば、納得できないものを感じます。

(2)拘置所所長や責任者も迷惑です。名古屋拘置所としては、大きなエラーを公にされてしまったわけであります。何らかのマイナスを被ると予想されます。
 
(3)全国的の収監者への処遇にも悪影響を与えることでしょう。より面会の規制が厳しくされたり、面会が制限されることになりかねません。「一国の人権意識のレベルは刑務所内の待遇を見れば分かる」と言われます。残念ながら先進国の中では、日本はかなり下らしいです。今回の盗撮行為は、収監者の待遇にマイナスに作用することも予想されます。

(4)ということは面会者にも、迷惑なわけです。名古屋の拘留所は、以前は面会に際して、一筆書かせるなど、かなり厳しいチェックがあったそうですが、近年は緩和されてきたとお聞きしています。これは、節度ある面会者と拘置所側の信頼関係が築いてこられた中でのことでしょう。だとすれば、今回の盗撮は、長年にわたり、面会者たちが、築き上げた信頼関係を一気に崩壊されることにもなりかねません。

(5)他のジャーナリストやメディア関係者も迷惑なのでは?このことによって全国の拘置所や刑務所でのジャーナリストの面会はより厳しく規制されたり、場合によっては許可されなくなるのでは?良心的なジャーナリストたちが積み上げてきた信頼も、今回の盗撮は、積み木崩しにしてしいかねないと危惧します。私が気骨あるジャーナリストなら、今回の件で青木理氏を批判する記事を書くなど発信することでしょう。

(6)国民全体に不利益で迷惑。今回のフライデーの記事は文字だけで十分、意義のある内容として評価されるものでしょう。写真掲載の必然性など、私はないと思います。むしろ、写真のあることで、「少年犯罪の厳罰化」や「死刑制度の是非」など本来向き合うべき課題から、読者や国民の関心がずれてしまいます。どうしても、写真に関心が移るでしょう。むしろ、写真は、今回の死刑確定において国民が考えるべき重大な課題から目をそらせることになりかねないでしょう。

(7)最後には、青木氏自身に迷惑なのかも知れません。今回の件で彼はジャーナリストとしての評価が上がるのでしょうか?上がるとしたら、私は業界に失望します。日本のジャーナリズムが一定の良心があるなら、彼の評価は下げるでしょう。もし、そうであるなら、青木氏自身が不利益を被ることでしょう。

 これらのうちのいくつかはきっと想定した上で、盗撮行為に及んだと思われます。客観的に見れば、これらのマイナスを、埋めてあまりがある程、写真掲載の必然性があるとは到底、考えられません。だとすれば、何を目的に、何を狙っての盗撮と写真掲載かは予想がつくでしょう。それは、恐ろしく残念なことです。

 日本のマスコミは、マスコミ界での不正については、あまり活発に報道をしません。お互いをかばいあう傾向、馴れ合い体質があるとの非難の声をよく聞きます。身内に甘くては、メディアの主体性も独立性もありません。今回の盗撮写真掲載については、しっかりと検証し、考察し、評価をし、メディアの良心を訴える勇気ある媒体が登場することを期待しています。


 参考までに本日の中日新聞には短くこの件の後日談が掲載。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011051390085811.html

 私は元少年が本音を言っているかどうか?あるいは弁護士が元少年の本音を伝えてくれているのかどうか?正直なところ、疑問を持っています。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 21:46 | - | - | - | - |
メディアの使命と良心の売り渡し行為としてのフライデー、死刑囚撮影写真掲載
 写真週刊誌「フライデー」最新号に、連続リンチ殺人事件で死刑が確定した大倉(旧姓小森)敦元少年の写真が掲載されました。

「拘置所内で死刑囚撮影し掲載・・・フライデー」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110512-00000017-yom-soci

 内部事情に詳しい方からのお話しでは、これは、明らかな盗撮行為であり、写真掲載もインパクトを狙ってのことだろうとのこと。拘置所内での面接の際には、カメラや携帯電話など撮影、録音、録画機材はチェックされ、持ち込むことができません。青木理氏は著名ジャーナリストだそうですが、明確な意志をもって盗撮をしたと推測されます。(青木氏の左胸ポケットのボールペンが小型カメラ内臓との推測あり)


 撮影自体は違法にはなりませんし、罰則もありません。拘置所長の権限で禁止されているのです。それを意図的に破っての撮影は、ジャーナリズムの倫理としても逸脱していると私は思います。違法でなければ、罰則がなければ、規則を破って、管理者や当人の許可なく撮影し、公に発信してもよいのか?

 こうした方法が容認されるケースがあるとすれば、盗撮によってしか証拠をつかめないもので、なおかつ知らせることによって公共の福祉に絶大な影響を与える場合のみでしょう。

 私はいつくかの面で、この写真掲載を批判したいです。

(1)こうした不正撮影を伴う報道は、メディアにとっての自殺行為です。こんなことをしておいて、メディアは次のようなことを批判できるでしょうか?飲酒運転で人を撥ねても、救助せず、水を大量に飲んでアルコール値を下げる行為。あるいは、牛の生肉について実質上何の意味もない規制だけで、生肉流通を放置して、悲惨な事件に至らせた厚労省の責任などです。自らの不正を不正として認めないメディアに他者の不正を批判し報道する資格はありません。

(2)言論・報道の自由の乱用であると思います。本ブログでは繰り返し主張していますが、「言論・報道・表現の自由」は歴史過程を通じて勝ち取られてきたもののはず。それは権力からのメディアの自立、独立のためのこと。「報道の自由」とは本来、為政者や権力者などにとって不都合、不利益な報道をする自由のこと。つまり「言論、報道、表現の自由」とは強者の不当介入からの独立のためのことで、弱者について好きなことを書いて伝える自由ではないはず。
 死刑確定となり、いよいよ自由を制限される死刑囚は社会的弱者の一員。その真実の姿を伝えたいと言いながら、当人の承諾もなく写真掲載とは、「正義の振りをした報道の暴力」ではないか?と思うのです。

(3)卑劣で偽善的な行為ではないかとも思います。「真実を伝えたい」とは言葉だけで、インパクト狙いで、注目を集め、販売部数に結び付けようと言う意図が容易に推察されます。事情通の方のお話では、三名の死刑確定の翌日が震災となったため、本件への注目度が下落。注目を集めるためには、倫理的に問題視されてでも、写真掲載に踏み切ったのだろうとのこと。しかも、メディアが震災報道一色でなくなってきたこのタイミングを狙ったとも推測できます。そしてそのインパクトも、「国民の知る権利」とは程遠い「大衆の興味本位」を刺激するための起爆剤に過ぎません。
 つまりジャーナリズムの使命を口にしながら、自己名誉や利潤が一番であろうと予想されるわけです。そうだとしたら、これが卑劣な偽善でなくてなんでしょう。

(4)更生に労してきた人々を愚弄する行為でもあると考えます。元少年のためには多くの方々がその更生を願って労してこられました。今回の写真掲載を伴う報道は、更生にプラスでしょうか?元少年がこのことを知れば、(知る権利もあれば、周囲は知らせる責任もあると思います)、また一人大人に裏切られる経験を重ねることになるでしょう。大人との信頼関係を築けずに来た少年を更生させてきたのに、ジャーナリストとの最後の面接は、これですか?もう今後会わないとなれば、これまでの信頼関係はなんだったのか?と少年に思わせることをしたのでしょうか?更生に向かうものにとって、これは最低の行為ではないでしょうか?

(5)少年犯罪についての報道を犯罪的方法ですることの自己矛盾性。この記事を読んだ、思春期の少年たちはどう思うでしょう。あるいは、犯罪行為を繰返している少年少女たちはどう思うでしょう。「結局、大人は汚い」「大人など誰も信用できない」「人を利用するだけ」。少年少女の健全な育成に必要なのは、大人たちへの基本的信頼感です。
 少年犯罪についての報道なのに、少年少女の信頼を失うような不正盗撮写真を掲載するとは、言語道断です。また、この犯罪手法は「法律違反でなければ、ばれなければ、それでよい」というメッセージを一流ジャーナリストが少年少女たちに送っていることになるのではないでしょうか?その意味において、この報道手法自体が、少年犯罪を助長するような犯罪的行為だとすら私は考えます。これは明白な自己矛盾でしょう。 

 電力会社からは、多額の広告費をいただき、真っ向原発批判もできないマスコミが、こうした弱者に対しては、不正取材をして傷つけるのですね。強者に対しては「報道の自由」を金と引き換えに放棄し、弱者に対しては金と引き換えに「報道の自由」の乱用ですか?これはメディアとしての使命も良心も売り渡した姿です。それを「報道の責任、意義」の名の下に、合理化し、開き直るとすれば、極めて悪質と言わざるを得ません。

 などと、ここまで書き連ねてきて、最後に思います。そもそも「フライデー」なる雑誌にメディアとしての使命や良心を期待した自分が愚かだったのかもしれないと。



過去の関連記事は以下の通り。

「いのちを奪った者に与えられる永遠のいのち」
http://blog.chiisana.org/?eid=972211

「カウントダウンの中にあるいのち、永遠に生きるいのち(1)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407809

「カウントダウンの中にあるいのち、永遠に生きるいのち(2)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407788

「カウントダウンの中にあるいのち、永遠に生きるいのち(3)」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407810
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 21:42 | - | - | - | - |
クリスマスと人権週間の間で
 この記事も二度目の掲載ですが、少しアレンジしてみました。

 私が人権や差別、隣人愛をメッセージするときにしばしば用いる緒論。タレントの赤坂泰彦があるテレビ番組で語っていた子どもの頃の思い出話です。

 「僕が、まだ、小学生の頃のことです。僕が住んでいた隣りの町には、日本国籍でない人たちばかりが集まり住んでいる地域がありました。その方々は主に廃品回収業をして生計を立てていました。僕の近所の人たちは、その人たちを、とてもテレビでは言えないような呼び方で呼んでいました。学校で同じクラスの仲良しの友達が、その地域に住んでいました。僕は、その子の家に時々遊びに行っていました。僕の両親はそのことを特別に問題にしていませんでした。ところが、近所の人たちの間では、僕がその友達に家に遊びに行っていることが問題になっていました。

 そして、近所の人たちが僕のおふくろに言うのです。「お宅の泰彦ちゃん、あんなところに友達がいて時々、家にまで遊びに行っているらしいわよ。止めさせた方がいいんじゃない。」最初は何も言わなかったおふくろも、さすがに近所の人がうるさいので、一言、言わなくてはと思ったのでしょう。
 
 親父、おふくろ、そして僕と一家がそろった時、おふくろが親父に向かって言ったのです。「ねえ、お父さん、泰彦は隣りの町に友達がいて、時々家にまで遊びに行っているらしいのよ。それで、近所の人がいろんなことを言うのよ。あなたから、泰彦にもう、その友達のところに遊びに行かないように言ってやってください。」

 次の瞬間、僕は信じられないような光景を見ました。「お前は何と言うことを言うんだ」親父が、怒鳴って、おふくろを平手で打ったのです。親父がおふくろに手を上げたのを見たのは、僕の人生でこの一度限りでした。親父はおふくろに向かって言いました。

 「その子がどこの国の人だろうが、その子の親ががどんな職業だろうが、そんなことは関係ない。泰彦の友達なのだから仲良くすればいいんだ。泰彦がその子の家に遊びに行きたいなら遊びに行かせればいい。その子がうちに遊びに来たければ、来てもらえばいいんだ

 親父は、おふくろにそう言うと、僕の方を振り向いて一言、こう言いました。「いいか、泰彦、人間の財産は金じゃないぞ、人だ。泰彦、人を大切にするんだぞ」。僕はまだ、子どもだったから、親父の言葉の意味がよく分かりませんでした。

 しかし、大人になるに連れて、その言葉の意味が分かるようになったとき、僕は心から、親父を尊敬しました。僕は、大人になってからも、この芸能界に入ってからも、親父の言う通り、人を財産とし出会った人たちを大切にしてきました。そのおかげで、僕は今、とても幸せな人間関係の中にいます。多くの人に愛されて、支えられて、今の僕があるのです。僕の人生にとって、一番大切なことを教えてくれた親父に、心から感謝しています。」

 赤坂さんはこのお話をバラエティー番組の中、多数の芸能人の中で話されました。それはブラウン管の前の人たち以上に、スタジオ内の人々に大きなインパクトを与えたに違いありません。なぜ、赤坂さんんはこんなヘビーな話をあまり真面目ではないバラエティー番組の中で話したのでしょう?

 どうもこれは、ただのよいお話とは思えません。赤坂さんは以前から話したかったのでしょう。あるいは事前に話すことが番組制作側か司会者と打ち合わせ済みだったのかも。赤坂さんのにはきっと「芸能界に生きる者の一人としてこのことを語りたい」との思いが強かったのだろうなと私は察しています。

 日本社会は、ほんの少し前までは歴然とした身分社会、階級社会でした。そして身分や階級はその職業と一体化していました。実は日本の歴史の中では芸能は最下層階級の人々が担ってきたのです。

 私は子どもの頃、芸能は非生産的職業と評価され、江戸幕府は芸能を職業とする者を士農工商のさらに下の身分に置いたように教えられました。今では研究も進みこの説は支持されなくなっているそうです。宗教的な背景などによってかなり以前から芸能は特定の身分と結び付けられていたようです。

 歌舞伎、能、狂言、人形浄瑠璃、浮世絵など、日本を代表する文化は被差別部落の人々が担い発展させてきたのです。明治以来、音楽教育が西洋音楽一辺倒になってしまった理由の一つはどうもここにありそうです。

 四代目市川団十郎は「錦着て 布団の上の 乞食かな」という有名な句を残しています。どんな大スターで贅沢な暮らしをしても、その社会的アイデンティティーは「乞食」なのです。
 山城新伍さんの著書で読んだのですが、歌舞伎で「成駒屋!」「高麗屋!」という掛け声が掛かります。市川、尾上、中村の姓なのに、商人でないのにどうして「〜屋!」と掛け声がかかるでしょう?
 それは士農工商の下に置かれた身分にある役者たちが、「商」として扱われたいとの切実な願いの表れなのです。

 こうして日本の大衆は、優れた芸能人を賞賛しながらも、他方で差別し見下げてきました。こうした芸能史の流れの中、戦後の日本の大衆芸能を担ってきた人々の中にも驚くほどに、被差別部落出身者と在日の方々が多いのです。

 そして、実力や実績の世界である芸能界にも、差別や偏見は根強くあります。芸能界で起こる不自然な出来事や意外な出来事、その背景には民族問題や部落差別の問題が潜んでいる場合が多いのです。大人気の芸能界のスターたちの中には四代目市川団十郎と同じ葛藤や苦悩を持つ方も少なくないでしょう。

 芸能人の出自を明らかにすることは、差別的な日本社会では、芸能人の商品価値を落としますし、芸能プロダクションのマスコミに対しての圧力などもあり、はたまた、様々な利害関係もありで、日本のマスコミ界ではタブーなのです。そうした中で、赤坂さんの発言はきっと彼なりの精一杯の抵抗、一芸能人としてのできる限りの主張だった可能性もあるのではなどと思っています。

 今、話題となっている海老蔵さんの父親は何代目かの市川団十郎です。その屋号である「成田屋」には、山城さんの著書が示すような歴史的経緯があるのでしょう。歌舞伎は被差別階級の方々が壮絶な苦難を経ながら、築き上げてきた文化です。そして、それは今、日本の優れた伝統芸能として評価されています。この歴史的経緯を思う時、なおさら、今回の件が偉大なる伝統を汚し辱めるようなことがないようにと願ってやみません。

 そして、クリスマスの舞台も差別に満ちた社会でした。安息日を守らないからと市民扱いをされず住民登録の必要もない羊飼いたち(今で言えばホームレスか無職住所不定)や神を知らず犬畜生と考えられていた異邦人である東の博士たち。遊女や収税人たちへの職業差別、外国人差別に性差別、奴隷制度など、差別に満ちた社会でクリスマスがあったことを、忘れてはならないでしょう。

 そのような社会であったことは、イエスが聖歌「この人を見よ」の歌詞のように「友なき者の友と」なられたことの意味をいよいよ深くします。こうした面にもクリスマスのリアリティー、神が人となりこの地上で生きられた現実性があるのでしょう。2000年前、家畜小屋のような、悪臭ただようこの罪深く醜い現実社会に、「あなたがたのために」と愛の故に主は来られたのです。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 08:19 | - | - | - | - |
死後まで人権侵害を受ける中絶胎児
 人権週間にちなんでまずは、胎児の人権であります。先日、ホテルのロビーにおいてあった朝日新聞を読みました。何でも神奈川歯大で1700体もの胎児が放置されていたとのこと。

 同内容の記事は、サイトでもお読みいただけます。
http://www.asahi.com/national/update/1206/TKY201012060142.html

 問題視されているのは、明確な目的が不明で胎児が集められたまま長年にわたり放置されてきたこと。1960−70年代は、中絶数が極めて多かった時期です。どうも、この時期には、産んだ母親の許可もなしに、中絶された胎児が、病院からの依頼で資料として提供されていたようです。

 私の推測では、当時は「中絶された胎児には母親の所有権も親権もないので、遺体をどうするかは医療側の自由」という発想が一部の医療者にはあったのではないか?と思われます。現在では中絶後の胎児の遺体については一定の配慮がなされており、そのようなことは極めて困難なようです。

 私は聖書の記述から、神との関係において胎児は人権の「権利主体」だと考えています。神から人格として扱われている故に胎児は生存権という最低限の人権を保障されるべきでしょう。その意味で、人工妊娠中絶は、胎児に対しての一種の人権侵害であります。当人である胎児の意志と関係なく生存権を他者が奪うからです。

 日本では、宗教に関係なく、中絶された胎児は、葬られたり、供養されたりしてきました。それは日本文化や日本人の宗教観が胎児を、一定「魂」や「霊」を持つ存在として評価し、それなりの尊厳を与えられてきたことを意味するのでしょう。そうした一般的な日本の生命観からしても、胎児の遺体に尊厳が与えられず、安易に集められ、放置されてきたとすれば、問題視されるのは当然でしょう。
最低でも医学への貢献を願って献体された大人の遺体が尊重されるレベルで、扱われるべきだと感じています。

 私が読んだ朝日新聞12月7日(火)朝刊には島薗進・東京大学教授(宗教学)のコメントが記されておりました。これが素晴らしいのです。

 「国民の倫理観と齟齬(そご)」と題されたコメントの趣旨をまとまると以下のとおり。

(1)医学や生命科学が目的感と節度を失う可能性を示す一例であること。

(2)無残な死を余儀なくされた胎児に社会がどう向き合うかが問われていること。

(3)人命を救う目的の科学が別の倫理的問題を孕むことを強く意識すべき時代であること。

(4)科学が聖域化され社会生活から乖離し、科学者の意識と、国民の倫理観とが齟齬をきたしていること。

 どれもが適切かつ鋭いご指摘ばかり。考えさせられます。とりわけ(2)のコメントにうなづいてしまいます。「死人にくちなし」と言ったり逆に「死体は語る」とも言いますが、標本化された胎児の遺体は、私たちに強烈なメッセージを投げかけ、向き合うことを求めているように思えてなりません。
 
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 06:50 | - | - | - | - |
小六少女を死に追いやったのは日本社会に蔓延する差別か?

 本ブログでこの事件を取り上げるのは、いのちの問題だからだけではありません。別の大きな要素があるからです。昨日の朝は午前8時から、あるテレビのワイドショーの視聴。この事件が報じられており、自らいのちを断った少女の父親が取材に応じて出演。その横には、映像には一切写らぬ少女の母親が同席しており、少しだけ発言しておられました。

 そこから分かった事は、少女の母が外国人であること。そして、そのこともイジメの大きな要因であったと予想されることです。ネットで検索すると、少女の母親がフィリピン人であることが判明。授業参観にその母親が来たことが、イジメの発端となったと指摘する記事もあります。

 昨日のワイドショーでは母親が外国人とすぐ分かる、たどたどしい日本語での以下のように発言。
「私が授業参観に行ったら、子ども達が私を見てひそひそ話をしていた」

 それを受け継いで父親の発言。
「その後から、母親がゴリラみたいだから、オマエもゴリラみたいな顔なんだと娘が言われた」

 これは、イジメであるだけでなく、明確な人種差別です。

 残念ながら、日本人の父とフィリピン人の母を持つ子ども達がいじめをうけるケースは少なくないようです。いいえ、むしろ、そうした家庭が多い農村部の学校ではそのようなイジメが課題となっていたり、その克服の試みが真剣になされていると聞きます。私自身も、働きの中で、日本の父とフィリピン人の母を持つ子どもたちと出会い、そこにある多様で深刻な課題に直面したことが何度もあります。

 このワイドショーの構成や展開はまさに不自然でした。目玉は、この両親のインタビュー映像であったにもかかわらず、司会者もコメンテーター母親がフィリピン人であること、授業参観の件などは、一切触れないのです。そして学校の対応ばかりを取り上げます。教育学者の尾木さんまでそうした面での発言しかしませんでした。(させてもらえなかったのでしょう)

 多分、背後に人種差別問題があることは、現時点では報じないで、インタビュー映像で読者に察してもらおうとしたのでしょう。番組前にそのような規制や取り決めがあったのでしょう。しかし、最後の最後のメインキャスターの小倉さんは言いました。「今は親が外国人であることも珍しくないのに、これでは・・・」というような発言。

 これは小倉さんなりの最低限の反抗か?メディア人としての最低の良心の現われか?

 日本中には多くの日本人の父とフィリピン人の母を持つ子どもたちが暮しています。少なくない子供たちが差別やイジメを受けているのは間違いなさそうです。当然、学校は予防や配慮をしてくれていると思います。しかし、それでもイジメが起こっています。きっと、今日も明日も莫大な数のフィリピン人を母に持つ日本で暮す子どもたちが、自らいのちを断つ事を考えていることでしょう。

 子どもたちが差別的なイジメをするのは、まず、親や大人たちの責任です。学校の対処は不十分でしょうが、親や大人たちの責任放棄は、「不十分」レベルではなく「論外レベル」と言うべきでしょう。地域や学校にそうした子どもがいるのなら、友だちとして普通に受け入れること、差別やいじめが間違っている事を教えるのは当然でしょう。

 マスコミは本来、こうした本質を世に伝えるべきでしょう。そして、莫大な数の同じような両親を持つ子どもたちがイジメにあい、いのちを断つことを考えているであろうことを、国民的課題として、伝えるべきでしょう。現にいじめをうけてきたそうした子どもたちを取材して、差別の克服を視聴者に訴えて欲しいです。もし、人種差別が大きな要因であると判明したら、国内のフィリピン人の人権団体などは、抗議文や質問状を出してもよいのかもしれません。相手は学校ではなく、むしろ、マスコミや文科省です。

 そして、私は考えました。「私たち日本のキリスト者、日本の教会はどうだろうか?」と。在留異国人について言及した聖書の言葉に生きているだろうか?「最も小さい者の一人にしたのは」との主イエスの御言葉を実践してきただろうか?もしかすると、私たちは無意識の内に、フィリピン人を母に持つような子どもたちを隣人愛の対象から排除して、(よきサマリヤ人の話の場面に登場する)パリサイ人のごとき「同質者限定隣人愛」という偽善に歩んではいないかと?

 車の中でこのブログ記事を考えながら、自分に問いかけていると、神様に申し訳なく思えてしまい、涙が流れてきました。そこで、スーパーの駐車場に車を止めて泣いて祈りました。

 「もし、日本社会の差別がこの子を死に追いやったのなら、どうか、主よ、赦してください。日本社会がこの罪を認めて、悔改めますように」と。

 そしてもう一つ祈りました。

「主よ、もし日本の教会やクリスチャンたちの怠惰が、この少女を見殺しにしたのなら、神様、どうか私たちを御赦しください。悔い改めますから、こうした子どもたちの隣人として歩む教会や個々のキリスト者に私たちを変えて下さい。まず、この私から、始めて下さい」と。

 とりわけクリスチャンは、にマスコミに同調して、学校の批判をしてる場合ではないでしょう。この事件は、キリスト者としての自己責任や怠惰の罪の可能性まで考えて、受け止めるべき事件ではないでしょうか?

| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 22:43 | - | - | - | - |
24時間マラソン、来年は村崎太郎さんでお願いしたい!
 24時間テレビについてどう評価するかは大変難しい問題であります。出演者(特に一般市民)は純粋な動機で参加しているわけで、すべてを「偽善」と簡単に切り捨ててはならないでしょう。しかし、毎年のように制作側の偽善性は常に感じてきました。

 実は25年以上前、私は、就職活動の際、よみうりのキー局を受験しました。直接、私たち学生のお世話をして下さった人事担当は当時、始まって間もない24時間テレビについてこう発言しました。

 「24時間テレビなど、究極の偽善だと思う

 制作側の発言だけに、重みがありました。

感動の押し売り番組」「一年に一度だけ国民が自分がいい人になったと思える企画」「普段の罪責観の浄化機能としての番組」などの否定的評価もうなづける部分があるでしょう。

 2億円の募金を集める裏で出演料は7000万円にも達する、番組プロデューサーは「次は○○を出すぞ」「××を探して来い」とまるで商品のように、身体障害者を差別用語で呼んでいるなどの記事が雑誌には掲載されます。

 例年メインパーソナリティーとなるジャニタレには、に薬物疑惑や乱交疑惑が取りざたされたことも。例年出演している芸能人の中で果たして、どれだけの人が継続的にチャリティーに関係したり、弱者のために労しているだろうか?と疑問も感じます。身体障害者ばかりを扱うのは、やはりになりやすくダイレクトに感動を与えやすいからか?共通の要素があると思われる知的障害者や心の病の方、被差別者などはなぜ、扱わないのか?

 もちろん、テレビ番組ですからビジネスとしての成立は大切。慈善事業ではないでしょう。それにしても疑問視される要素は多々あります。出演している一般市民の多くが善意を持っているだけに、余計に悩んでしまいます。それでも、例年盛り上がって高い視聴率をとるのは、日本の大衆のニーズ(そのニーズの正しさは別!)にマッチしているからだと思われます。

 さて、今回の24時間マラソンのランナーは「はるな愛さん」。テレビ的にはいかにも「おいしい人材」です。ご自身には多分、性的マイノリティーとしての思いもあって走ったのだろうとと察していました。きっと、ゴールの時点で一言「性的マイノリティーとしての政治発言」か「性的少数者ならではの人権的発言」があると予想して、テレビを見ていました。予想通りの発言がありました。

 ゴール直後の母親に対しての「ニューハーフに産んでくれてありがとう」「ニューハーフだからこんなチャンスを与えられた」との発言はそれに当たるのだと思います。唐突さや違和感を覚えた視聴者もいたでしょうが、はるな愛さんが完走を目指したモチベーション一つはこれであっただろうと私は予想します。

 私は性的マイノリティーのライフスタイルについては部分的に聖書的に賛同できない要素もありますが、その人権については、尊重されるべきだと思っています。はるな愛さんの完走は、性同一性障害者への理解や人権尊重に大きく貢献したのは間違いなさそう。(ただし人権尊重と性行為や性のあり方の是認は別でしょう。そこを混同しないことは肝心)。

 そこで、考え付きました!24時間テレビから偽善的要素を大きく減らし、真の日本社会への人権尊重啓蒙のため、来年の24時間マラソンは、是非ともこの方に走っていただきたいのです。

 それは村崎太郎さんです。

 明るく楽しい猿芸の奥に隠されていた被差別の痛み、少年時代からの被差別の事実、それを容認し続けている私たち日本の社会、今も継続している被差別の現状、そして、それを超えるすべての人の生命の尊厳

 どうせ24時間マラソンという瞬間最大風速的で安易な方法で訴えるなら、歴史的に重く有意義なものを伝えていただきたいもの。

 村崎さんご夫妻の著書「橋は架かる」によれば、村崎さんのカミングアウト以来、テレビ出演依頼は激減したそうです。つまり局側は「被差別部落出身者を明らかにした人物を出演させ、不適切な発言をされて、運動団体から講義を受けるのが怖い」との思いがあるのです。そこには過去の理不尽で行き過ぎと思われる糾弾へのトラウマがあることは明らかですし、村崎さん自身ものことは冷静に認めておられます。しかし、それは基本的に過去のことであります。「たかじんのそこまで言って委員会」で村崎さんが出演した時、辛坊アナはカメラ前に堂々と四本指を立てました。もう、メディア側もそうしたトラウマを克服して、部落問題についても、本来の報道義務、啓蒙責任を果たすべきだろうと考える私は現状認識がまだ甘いのでしょうか?

 その件ついての記事はこちらの二つ。
http://blog.chiisana.org/?eid=1020306

http://blog.chiisana.org/?eid=1019767


 そうです。性的少数者が、ランナーをつとめたのですから、次は別のマイノリティー、被差別者がふさわしいのです。残念ながら、東京のよみうりには期待などできません。

 制作は東京ではなく、村崎さんを出演させ部落問題を正面から論じた大阪よみうり。アナは徳光さんでなく辛坊アナ。ジャニタレをメインパーソナリティーにしなくてはならないから関ジャニ。進行役は言うまでもなくやしきたかじんであります。

 大阪よみうりさん、村崎太郎さん、読んでますか?(きっと読んでないだろうが・・・)この企画、検討してみませんか?

 さらに妄想は続きます。もし、この企画が実現したら、画期的であるが故に視聴率は上昇するでしょうか?それとも日本社会の暗部から目を背けたいが故に視聴率は低下するでしょうか?この企画実現によって、他の芸能人やスポーツ選手も被差別部落出身を公にし、差別解消が前進するでしょうか?

 それとも、かつて部落差別論を強力に展開し、同様のフェスティバル開催を主張しながら、身を引いてしまった「小林よしのり」のごとき、こうした発想自体、安易で非現実的なものなのでしょうか?同じキリスト者として、被差別部落での宣教や人権運動に関わる伝道者やクリスチャンたちにとってもこうした「一発屋的発想」は軽薄で失礼なものと映るのでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 10:55 | - | - | - | - |
斜め目線で考える労働者の人権
 先週は札幌からの帰路、新千歳空港で昼食。その時、空港内のある弁当屋さんの屋号にビックリ。蟹弁当などが売りのお弁当屋さんのその屋号がスゴイ。なんと・・・。

 「蟹工船

 格差社会化に伴う貧困層の増大を受けて同名のプロレタリア文学は近年大ブーム。この屋号はあんまりです。マイナスイメージ強すぎです。弁当屋の裏側で店員さんがオーナーから虐待を受けているのではないか心配させるようなこの屋号。幸い弁当屋さんの店員さんは、抑圧や疎外をうかがわせることなく、笑顔で接客しておられました。

 労働問題と言えば、中国経済の発展は目覚しいものがあります。札幌にも中国人観光客は目立ちました。日本の観光収入の多くは今や中国人からのものだとか。都市部の家電量販店には、中国語の話せる店員が必ずいるとお聞きしました。

 そうした光の面と共に報じられているのがの部分。貧富の差の増大、地域間格差、男性のいない農村部問題、とりわけ深刻なのは労働争議の多発。随分劣悪な労働条件などの実態が伝えられております。多発する労働争議も国家権力で抑圧しているもよう。思わず心配をしてしまいました。

 「中国政府がこんなこと続けていたら、共産革命が起こるかも
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 21:09 | - | - | - | - |
人権週間特別メニュー(5)
 昨日のアクセスは、最近では最大の2934。どこかで人権教育や道徳教育に用いられたのでしょうか?キリスト教会の一団体の発信が、広く人権教育に貢献できることは感謝です。

 以前、ある公の施設に宿泊して奉仕。休憩室の書棚に目をやると教育関係のいかにもという雑誌といっしょにおいてあったのが「解放」なる雑誌。これは部落解放同盟が出版している機関紙。

 初めて拝読。多面的に人権差別問題を考えることができました。被差別部落問題に限らず、広く日本と世界にある差別問題を扱うことでより問題の本質に迫る紙面でした。その中に「ぶどうの木」の著者として知られ、多くの里子を育てておられる坂本ご夫妻の記事が!私自身も八王子の教会での奉仕の際に、お宅を訪問し、お交わりをいただきました。

 血縁関係がないだけで、社会からの差別や偏見にさらされる里子たち。それでなくても大きな課題を抱えているのに、そうした差別と偏見がさらに子どもたちを追い込んでしまう悪循環。それらと戦い、子ども達を守る坂本夫妻。その愛の根底にあるのはクリスチャンとしての信仰。「解放」に掲載された坂本さん自筆の文章は、日本社会の持つ問題を鋭く指摘して考察を深めてくださるものでした。

 養子家族にも同様の戦いがないわけではありません。里子に比べれば保護もされ、法的にも通常の親子と違いはありません。しかし、血縁を重視する日本の社会の中では偏見と差別を受ける可能性もなきにしもあらず。「幼稚園や学校において誰にどこまで知らせるか?」を考えなくてはならない現実があります。背景には、日本社会に養子に対する無理解や偏見があるからです。

 養子や里子の課題が人権差別問題として扱われることは、あまりないように思います。しかし、問題の根底にある要素のは、他の人権差別問題と大きく共通しているようです。

 「生まれてよい命」と「そうでない命」を人間が判別するという意味において人工妊娠中絶は差別問題です。人間にとって最低限の権利である生存権を胎児から奪うという面では、人工妊娠中絶は人権問題です。さらに、そこから守られ養子として愛に満ちた家庭に受け止められながらも、養子であるが故に社会から不利益を受けるなら、それもまた、人権差別問題に他なりません。

 改めて聖書のいのちの尊厳と人権に立って、本会はキリスト教会と共に胎児の人権を生まれてからも擁護し、訴えていく使命があることを思わされます。またまたの手前味噌ですが、クリスマスの前、人権週間の中本会の働きを覚えていただければ感謝です。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 10:26 | - | - | - | - |
人権週間特別メニュー(4)
 食品から人権差別問題を紹介する企画は既に2007年の三月にしております。
3月3日は、「ホルモン」から考える人権差別問題。
http://blog.chiisana.org/?day=20070303
4日は食肉産業と差別問題について
http://blog.chiisana.org/?day=20070304

 総論、概論については、上の記事をご参照ください。今回は各論であります。何を論じたいかと申しますと「かすうどん」であります。人権オタクの私としては以前から「かすうどん」を食べたかったのですが、ようやく食することのできたのは昨年のこと。

 油かすとうどんのだしが抜群のハーモニーです。その時から私にとってうどんに乗せる具の一番はてんぷらですが、二番は油かすになりました。

 そうです。「かすうどん」こそは日本のソウルフードであります。かすうどんとは「油かす」の入ったうどんのこと。天かすというか、揚げ玉入りのたぬきうどんとは別物です。詳しくはwikipedhiaの以下のページをご参照あれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E3%81%8B%E3%81%99_(%E9%A3%9F%E5%93%81)

 ここにあるように牛馬の腸から油を抽出した食品で従来は被差別部落の中で生産消費されていた食品。一般には流通しなかったようです。歴史的に見れば、日本の食文化は極めて異例でした。フランシスコザビエルも家畜を食べないことに驚いていました。仏教の不殺生のためでしょうが、牛も豚も食べない食文化は世界的にも稀です。

 家畜を殺したり死んだ牛馬を処理することは、穢れと結びつくわけです。そこでそうしたことは被差別部落の職業となり、動物の死体を扱う食肉産業や皮革産業などは職業差別の対象とされてきました。ですから「あぶらかす」などは、そうした食肉解体をされる被差別部落内で流通していたのでしょう。それが、今は広く一般に普及してきました。

 先週の日曜はJR京都駅構内のうどん屋に大きく「今、話題のかすうどん」と看板が。驚きました。時代は変ったものです。数十年前にはありえないことだったでしょう。「油かす」もネットでお取り寄せできる時代になりました。JR京都駅には「人権週間」という広告と「かすうどん」という広告が両方とも大きく掲げられています。

 差別意識が弱くなったので、かすうどんが正当な評価を受けてメジャーになったのか?それとも、かすうどんが被差別部落が生み出した食文化という認識が単になくなっただけなのか?考えさせられます。

 あと何十年もすれば、日本人の4人や5人に一人は被差別部落民や在日の血を持つようになり、差別自体が無意味になるという主張を時々目にします。当人もそうしたアイデンティティーを持たなかったり、そうとも知らぬまま生きていくようになるとも言われます。そこから、差別は自然に解消するという考え方があります。(女性差別や人種差別と異なり外見で明らかではないので、そうした発想も可能なのでしょう)

 しかし、一方で(特定の地域や職業などについては特に)差別が固定化され、解消に向かっておらず、強い啓蒙や運動の必要を訴える立場もあるようです。村崎太郎さんのようにカミングアウトを通じて、社会に問題を訴えて、積極的に差別をなくす努力をすべきという考え方もあります。

 かすうどんが、どんどんメジャーになっている状況を見ながら、大いに考えさせられます。これをただ「おいしいうどんの一つ」として食するか?「ソウルフード」として食するか?胃袋には大差はないでしょうが、日本社会に生きる者の意識としては天地ほどの差があることでしょう。
| ヤンキー牧師 | 人権問題 | 14:16 | - | - | - | - |
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