命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
宮本晴美さんとまたお話しました(2)

 今日も宮本さんのご許可を得てのご報告。宮本さんの今回の一般公開での講演は新たな歩みの第一歩のようです。「10人ほど集まっていただいたなら、日本中、手弁当でお話しに行く」とのこと。フラッッシュバック、不眠症、過呼吸などに悩まされながらのこれまでの歩みでした。こんなにまで辛い経験をされながら、それでも、一人でも多くの方々に知っていただきたいことがあるのです。

 それは「性暴力は犯罪である」ということ。特にキリスト教界の方々に、認識を深めて欲しいと願っておられます。それを通じてキリスト教界で同じことが繰返されないことを切望しておられるのです。それが娘さんの死を無駄にしないことなのでしょう。

 性暴力の問題を扱うクリスチャンの方はもちろんのこと、カルト問題、教会不祥事問題について学ぶセミナー、あるいは教団や教職の研修会での講師にどうかとなと思うのです。私から宮本さんには、ぜひ神学校での特別講師にとご提案申し上げました。

 これから現場に出て行くとりわけ男性神学生には、深い理解やしっかりとした認識をしていただき、将来、所属団体で責任ある立場に就いた際には、性暴力などの不祥事の予防や防止に取り組んでいただけたらと願ったからです。

 5年ほど前までの「宮本の発信」はネット上でもお読みいただけます。現在は、多くの加筆の上で小冊子となっています。
http://www.geocities.jp/asshor15/seikoukai/miyamoto.doc

 また、宮本さんは電子メールをされませんので、講演依頼などの連絡は郵便か電話となります。上のサイトに連絡先が掲載されておりますので、ご参照下さい。

| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 11:29 | - | - | - | - |
宮本晴美さんとまたお話しました(1)

 2002年、牧師から性暴力を受け続けてきた一クリスチャン女性が自死されました。この件は、AERAでも報道されました。そして加害者牧師が以前所属していた教団は、かなり踏み込んだ深い検証をし、昨年、その結果を公表しました。

 その被害者女性の母親にあたる方が、宮本晴美さんです。本ブログでもこの件は何度も扱ってきましたが、今回は新たな展開のお知らせ。

 先日、その宮本さんからお手紙が。開封するとご自身の講演会のお知らせ。これは、新たな展開では?と思い、お電話申し上げると、やはりその通り。穏やかで明るい声で思いを語って下さいました。今回の講演会は、九州以外では初めて教会関係でのオープンなものです。宮本さんがご自身の声で、性暴力について、キリスト教界に問題提起をされる歩みを開始されたようです。

 参加は自由で参加費無料です。関心や使命のある方には絶好の機会でしょう。当日の午後は、私は御茶ノ水でラジオ収録ですが、収録終了後に駆けつけて、少しでも参加できればと願っています。

 主催者 NCC、バプ連性差別問題特別委員会等の共催
 講演者 宮本晴美さん
 タイトル「宮本の発信 それからをどう生きるか」
 日時 2012年2月21日(火) 15:00−17:30
 場所 日本バプテスト連盟事務所

 (さいたま市南区南浦和1-2-4)
 JR京浜東北線「南浦和駅」東口から線路沿いに「浦和駅」方面へ。徒歩役10分
 詳細はこちらを
http://www.bapren.jp/modules/about/index.php?content_id=3

  申し込み不要、参加費無料
  問い合わせ先 日本キリスト教協議会(NCC)
http://ncc-j.org/ 

| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 21:03 | - | - | - | - |
久しぶりに宮本晴美さんと話しました(3)
 宮本さんと電話でお話ししたことの中で、為すべき取り組みとして上げられたのが、神学校教育の中での性暴力ついての学び。宮本さんは地元ではデートDVの問題に関わっておられるとのこと。デートDVの問題を学び、今の若者層の性意識や人権意識に危惧を覚えており、そうした世代から牧師となる者が起こされ、なおかつ何らかのチェックがなければ、牧師性犯罪の温床となるだろうとのご見解。それ故に、神学校教育の中での学びが大切ということらしいです。

 私もこれにはなるほど納得。デートDVの問題から見えてくるのは、メディアやネット上からの劣悪な性情報によって歪められた若い男性たちの性意識。性を人格と切り離し、愛する女性と心の通い合いなどすることなく、相手の人格を踏みにじるような性暴力に及ぶそのメンタリティー。あるいは衝動性を理性でコントロールできないような性質。

 そうした世代から、牧師となる男性たちも出てくるのですから、危険因子を持つ男性たちは、神学校入学時や在学中にそうした問題が自覚され、課題として向き合い、取り扱われるべきだと思うのです。周囲もそうした心配や危惧を感じたら、力になって差し上げ、健全な牧師として現場に送り出すか、教職とは別の道に歩むようお勧めするかしていただきたいもの。

 多くの場合、三年程度の神学校教育と数年の牧会経験で、牧師として認められます。そこで、委託された権威を、取り違えないことの教育の大切さを思います。性犯罪の根源は、「権力」や「弱さ」だと言われます。委託された牧師という権力からやってくる誘惑。その反対に、権力を委託されたが故に突きつけられる弱さからやってくる誘惑。どちらもが、時に性的罪や性犯罪と結びつきかねません。

 また、自分自身が加害者にならなければよいわけではありません。

女性信徒が牧師からの性犯罪被害を訴えてきたらどう対処すべきか?」
「同じ団体の先輩や後輩の牧師に疑いが生じたら?」
同じ地域の他団体の牧師が加害者との訴えや情報があった場合は?」
「自分が所属する団体の教会論では、どのような再発防止策が可能か?」などなど・・・。

 そうしたモデルケースを想定しての学びなども、大切ではないかと思います。神学校関係者の読者の方はご検討いただければと願います。

 身近なところからできることはあると思うのです。平凡な一信徒であっても、情報発信や注意をしあうなど、できることはあるはず。この日本社会にあって最も命と性の尊厳が守られ、実現されるべき、キリスト教界において、事もあろうに牧師によってその命と性の尊厳が踏みにじられ、奪われたのです!

 宮本さんの娘さんの死を無駄にしてはなりません。少しでも無駄にしない助けになればと願い三回にわたり記事を記してみました。読者それぞれの立場でご活用いただければうれしいです。
| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 11:04 | - | - | - | - |
久しぶりに宮本晴美さんと話しました(2)

 今日、お伝えするのは、ホーリネス教団の検証発表後のプラス面とそれに伴う課題です。宮本さんからのお手紙によれば、この度の検証を機に、宮本さんのもとへ、牧師からの性加害を受けた女性四名から、性被害の報告や相談があったそうです。一件は、K元牧師の件で、それ以外は三件とのこと。これは、検証発表が早くも再発防止へとつながっていることであり、喜ばしい結実と言えるでしょう。

 AERA報道や牧師不祥事続発の報道を受けて、いつくかの団体は牧師の犯罪や性的罪を想定して、牧師への戒めを可能にする規則作成、あるいは団体内に「人権相談所」など対処できる組織を作ってきたようです。まだまだ不十分だとしても、多忙な働きの中、こうした真摯な取り組みをしてこられた方々には心から敬意を表したいです。

 しかし、これまでも、宮本さんに相談される方々の中には、所属教会や加害者牧師の同労者である牧師や団体の責任者などに訴えることができずに宮本さんに伝える方もおられるとか。最も残念な場合は、加害者牧師に指導可能な牧師に相談したのに適切に対処されず、いわゆる「泣き寝入り」に終わるパターンです。

 つまり、所属教会、加害牧師の上司か同労者、団体の責任者などに相談しても、適切かつ誠実に対処してくれるという信頼がない場合も多いようです。逆に言えば、「牧師同士でかばいあうかも」「団体の恥と考えて隠蔽するのでは」という疑いがあるわけです。

 少数ながら、実際に起こっているのは性加害者である牧師が、その事実も知られず、戒めも指導も受けずに、同じ教会や団体で働きを継続しているというケース。さらに恐ろしい事は、その事実を知りながら、同労の牧師や団体の責任者が放置している、あるいは教会論的限界?から放置せざるを得ないということです。

 当然、このことは、再発の土壌となります。中には、再発が起こり、過去の事実まで発覚する牧師も。発覚となれば、牧師本人が責任を問われるのは当然でしょうが、知りながら隠蔽を試みたり、黙認を続けた牧師が、指導や戒めを受けたというお話しを聞かないのは不思議です。

 極一部とは言え、こうした事実があるので、被害者女性の不信感や本来申し出るべき所へ出られないとの判断が間違いであるとは到底言えないでしょう。

 女性クリスチャン読者の皆さんは、もし、牧師から性犯罪加害を受けたら、教会や同労牧師、団体は、適切に対処してくださるとの信頼をお持ちでしょうか?また、牧師読者の皆様は、被害者信徒から知人牧師の性犯罪を聞いた時、加害者牧師に事実確認をしたり、団体に相談して、適切な対処が取れそうでしょうか?もしかすると、結果的に被害者女性を泣き寝入りに追い込みかねないような構造が、意図せずとも教会や団体にあるのかもしれません。被害者女性が安心して信頼をもって相談できる人や場所がないということは、そういうことを意味するのでは?

 万が一、牧師から性被害を受けたら、信頼できそうな方へまずは相談でしょう。それが所属教会や団体、加害者の同労牧師で大丈夫と思えたら、幸いです。そうでない方は、別団体の人権相談室、あるいはクリスチャンが主催する性犯罪被害者支援団体、カルト問題を扱う団体などになるでしょうか?一人で苦しまずに泣き寝入りせずに、何とかと願います。そう、これ以上の被害者を生み出さないために。

| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 16:52 | - | - | - | - |
久しぶりに宮本晴美さんと話しました(1)

 数週間前に宮本晴美さんからお手紙や冊子が送られてきました。先日、御礼も兼ねて久しぶりに電話でお話し。宮本晴美さんは、牧師による性犯罪被害者家族です。娘さんが「星の子どもたち」で知られるK元牧師からの性加害を受けた被害者であり、そのことが原因で自死をされました。

 よくご存じない方はこちらをご参照ください。
宮本晴美の発信
http://www.geocities.jp/asshor15/seikoukai/miyamoto.doc

 「K元牧師性加害事件検証報告
http://www.jhc.or.jp/kensyou.html

 電話の中では、AERA報道やホーリネス教団の検証などを受けて、大きく前進した部分と、まだまだ、残念な部分の両方をお聞きしました。

 ここでは、非常に残念に感じた事実をお伝えしたいと願います。宮本さんのお話しによれば、旧「星の子どもたち」を支援してきた牧師たちの一部には、今もK元牧師の無実無罪を、主張している方々がおられるそうです。

 これは明らかに事実誤認に基づく間違った主張と言わざるをえないでしょう。牧師としての見識や責任も問われかねないと心配してしまいます。こうした無実無罪説の根拠は、以下のようなものだそうです。

。妨桔匯佞郎も、単立で教会の牧師を務めている。
■妨桔匯佞招聘を考えている教会もあるらしい。
もし、性犯罪が事実であるなら、「星の子どもたち」の働きを神様が長期間にわたり、続けさせるはずがない。
ということは、性加害の事実はなかったに違いない。

 という論理らしいです。これは、本末転倒、原因と結果が逆転しているように私は思えます。


この見解が、事実誤認であるのが明らかな理由は主に三つ。

裁判によってK元牧師の性加害は事実として認定されている。
∋件当時、所属団体であった教団は、事実と認め、責任を認め、謝罪し、検証まで出している。
B膽螢瓮妊アである雑誌AERAも、事実として報道している。

 これは、「間違いない事実である」ということ。その前提に立てば、そうした牧師が明確な悔改めやその結実もなく牧師として働きをしていることや、そうした牧師の招聘を考える教会があることの方が、極めて恐ろしい気がするのですが、どうでしょう?そして、性犯罪を重ねながらの働きの拡大や継続も、決して、神様が見過ごしてこられたわけではないでしょうし、当人は当然のこと関係者などの人間側の責任も一定問われるべきかと思うのです。

 残念ながら、極一部の牧師方は、ご自分の感情利害関係さらには仲間意識団体のプライドなどを、客観的事実や聖書の基準よりも優先してしまうようことがあるようにお見受けします。都合が悪い事実に対しては、客観的事実を認めず、ご自分にとっての都合のよい解釈を施し、その解釈によって事実を再構築して、そのストーリーを事実として周囲や信徒に伝える方もおられるようです。伝えられた信徒は「牧師先生がこんなに深刻な問題について、嘘を言うはずがない」と信じてしまうのです。そうしたことが、次なる牧師による性犯罪を生み出す温床となりかねないと危惧します。

 AERA報道から数年が経過し、ホーリネス教団が検証を発表し、クリスチャン新聞などが、しっかりと掲載してきても、まだ、こうしたことがあるのは、本当に残念でなりません。この現状を思えば、まずは、信徒を導き、教会対して責任を持つ牧師やリーダーの方々が事実を事実として受け止めることから始めなくてはならないのでしょう。

〈追記〉
 牧師の性犯罪については、事実として受け入れたくないのか、主観的判断で済ませてしまう人々がいることについては村上密先生もブログで言及しておられます。
http://maranatha.exblog.jp/16417398/

| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 13:27 | - | - | - | - |
窃盗容疑逮捕、不起訴牧師が除名
 クリスチャン新聞最新号には、日本福音教団が所属牧師である宮原勉牧師を除名したとの報告記事と、同教団からの謝罪文が掲載されております。この件については、匿名で記事にしてきましたが、これを謝罪文掲載を受けて実名に切り替えました。

 某団体のカルト対策委員会のメンバーである牧師がブログでいち早く報告しています。こちらで、クリスチャン新聞掲載の記事と謝罪文をお読みいただけます。
http://zios.seesaa.net/article/224789215.html

 ここにも記されているように、不起訴処分になった窃盗容疑が、主たる除名理由ではないことが重要であります。キリスト教メディアがこの件を扱いましたが、私自身も、風評被害も含めた「不適切な言動」の内容を把握し、その内容の深刻性と地域宣教の大きな妨げとなっていることを知り、本ブログでフォローをさせていただきました。

 伊東地区の牧師司祭会が被害を訴える方々の声に耳を傾け、その心に寄り添い、所属団体にアプローチし続けられ、所属団体の誠意ある応答を引き出したというパターンは今後の牧師不祥事対処の一つのモデルになるのではないかと期待をしています。

 所属団体より、地域の諸教会の方が、より早く適切に問題を認識するケースは少なくないでしょう。そうした場合、単なる噂や個人的な情報提供で所属団体が適切な対処を開始するとは限りません。しかし、地域教会の親密な交わりと一致があるなら、それを突き破ることが可能となるのでしょう。団体が問題の深刻さや情報の信憑性を理解し、誠意ある対処をなしえたのにはそうした背景があるからだとお聞きしております。

 今後は地域の牧師司祭会と元所属団体が協力の上で、被害者のフォロー、該当牧師を悔改めに導く継続的努力、地域への信頼回復等がなされていくことを、個人的には期待しております。

 参考までにこれまで、本ブログで本件を扱ってきた記事は以下の通り。九つも書いていたのですね。

http://blog.chiisana.org/?eid=1407465

http://blog.chiisana.org/?eid=1407473

http://blog.chiisana.org/?eid=1407469

http://blog.chiisana.org/?eid=1407485

http://blog.chiisana.org/?eid=1407491

http://blog.chiisana.org/?eid=1407492

http://blog.chiisana.org/?eid=1407502

http://blog.chiisana.org/?eid=1407498

http://blog.chiisana.org/?eid=1407528


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| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 10:47 | - | - | - | - |
「赦す」→「水に流す」、「悔改め」→「みそぎ」の自動変換による「脱福音化」
 KGK山崎総主事がご自身のブログの中で、「許しますが忘れません」との言葉をずっしりと受け止めるきものであり、「水に流す」との異質性を記しておられます。 

ブログ『からしだね』「Singapoleその2
http://blog.livedoor.jp/gcfyamazaki/archives/2011-06.html#20110602

 何かで「赦し」について"forgiven,forgotten,forever"という表現を読んだ気がします。神の人に対する赦しはそうでしょう。しかし、被害者の加害者に対する「赦し」は、”forgotten”でよいのか?それが聖書的か?「赦しているけど忘れていない」のは本当の意味では、赦していないのか?などと考えてしまうわけです。こうした戦争犯罪のような場合は、特に、「赦しても忘れず、語り継がなくてはならない」のではないか?とすら思うわけです。

 この記事に応答して、旧コメント大王が優れたブログ記事を記しています。
「一キリスト者からのメッセージ」より「赦しますが忘れません。を考えて
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=258

 「赦しと義の実現の聖書的統合性」とでも言うべきことを、この記事は問いかけ、考えさせてくれます。まさに義の実現や罪の再発防止のために、「赦しても決して忘れてはならない」ことは必然でありましょう。

 「キリスト教は愛の宗教」「教会は赦しの共同体」という真理の一面が、全体像に置き換えられて、罪や不正の事実に向き合おうとせず、「もういいではないか」「いつまでそのこと」との声に負け、同じ過ちを繰り返しているとしたら、そこには、福音理解の貧しさや偏りがあるのでしょう。私などは、これが牧師や教会による不祥事連続の温床を形成する一要素だろうと考えるわけです。

私はこのことを以下のように表現してみました。

赦す」→「水に流す」、「悔改め」→「みそぎ」の自動変換による「脱福音化

 「赦す」という聖書の言葉を日本語の「水に流す」に自動変換。聖書の「悔改め」を日本文化の「みそぎ」に自動変換。福音の本質を、人間のご都合優先の異教社会の概念に、無意識にも変質させながらの翻訳。その結果、起こるのは・・・。

 「安易な謝罪と悔改めとそれに対しての赦し」、
さらには「赦しに苦悩する者への赦しの強制
「水に流さぬ者への記憶抹消要求」、
加害者側が主張する「神への悔改め=対被害者和解弁償免除説
そして、神の公正や罪の再発防止を願い、具体的行動をする者への抵抗や非難。

 このことは教会やキリスト者個人が、完全に福音に生きることからの逸脱であり、「脱福音化」でありましょう。

 「赦しますが忘れません」との言葉の深さ、重大さを覚えます。そこにある国家間の悲惨な歴史だけでなく一方が他方を深く傷つけた個人間の歴史においても同様でしょう。聖書の「赦す」と日本語の「水に流す」はどこかどうちがうのか?このことは福音の豊かさと健全さに、個人も教会も生きるための大きなヒントの一つではないでしょうか?


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| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 09:50 | - | - | - | - |
国際福音問題、水戸地裁が控訴断念を決定、モルデカイの会声明文

 水戸地検が控訴するかどうか、注目されていました本件ですが、控訴断念となりました。このことは、卞氏の準強姦罪についての刑事で無罪確定を意味します。それを受けてモルデカイの会が声明文を公にしました。ご許可をいただいた上で、転載します。

2011 年6 月3 日
                 声 明 文
刑事裁判(平成22 年(わ)第73 号)第1審判決に対する検察庁の「控訴断念」決定を受けて

モルデカイの会 (宗教法人『小牧者訓練会』による被害の回復を目的とする裁判の支援会)
                                       代表 加藤光一

 水戸地裁土浦支部所管の準強姦被告事件(平成22 年(わ)第73 号)被告人・卞在昌(ビュン・ジ
ェーチャン)への無罪判決に対して、水戸地方検察庁は、デジタル写真証拠を覆すだけの新たな証
拠の出現が期待できず、裏付け捜査にも限界があることを主な理由として、「控訴断念」の決定を
しました。
 この決定に対して、私たちは以下の理由により、強く抗議します。

(理由1)
本件が「準強姦」被害であるのに「強姦」被害同様の判断をし、被害者がまるで被害について嘘を
言っているかのような印象を与える不当な判決の根本的な誤りをただす機会を失ったこと。

(理由2)
訴えても何の利益にもならず、かえって自らのプライバシーを公にさらしてしまいかねない危険を
冒してまで被害を訴える被害者の声に真摯に耳を傾け、真実を探る一段の努力をすべき機会を失っ
たこと。

(理由3)
刑事裁判によって被害者の人権が回復される道が閉ざされ、この事件によって受けた心の傷が癒さ
れる機会を失ったばかりではなく、正義と不正義とが逆転したことにより被害者が深刻な二次被害
を受けたこと。

(理由4)
本事件発生の背景にある権威主義的な教会運営、風土の解明に踏み込まなかった検察の立証方針に大きな問題があったこと。

(理由5)
デジタル写真のアリバイ証拠としての評価法則に上級審で一定のルールを設ける機会を失ったこ
と。

 本判決が確定することによって、同種の犯罪被害者が警察に告訴することを躊躇し、結果的に弱者救済の道が閉ざされることをおそれます。今回の事案は、デジタル写真がなければ有罪の可能性が極めて高かった事案であり、今後、同種の事件が警察に相談として寄せられた場合、今回の判決に臆することなく加害者を取り調べ立件するよう、警察に強く求めます。

 モルデカイの会は、もと国際福音キリスト教会員であった、複数の被害者が東京地裁民事部に提訴している民事裁判(「セクハラ民事裁判」および「パワハラ民事裁判」。原告計5 名。)において、今後も被害者を全面的に支援し、勝訴を勝ち取って参ります。
                                         以上

| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 20:00 | - | - | - | - |
「原発牧師」問題を深める記事の紹介
 先日の原発牧師の記事は、「たとえが不謹慎」等のお叱りは一定覚悟の上で、記した記事でもありました。ある意味、不適切さがあってでも、発信すべき重大な問題と認識しての記事でありました。背景にある問題意識をある程度共有できる読者に届けば、益になるだとうと考えてのこと。結構賛同の声、評価をいただいたようです。その反対もあるでしょうが・・・。

「育てよう健全牧師(43)原発牧師」
http://blog.chiisana.org/?eid=1407852

 この記事に応答してさらに考察を深めてくださった記事を紹介します。

「原発牧師と制御装置不足指導者」
 http://voiceofwind.jugem.jp/


 ここでは、某首長の問題を取り上げながら、政治と教会の共通性の中で記しています。私として教えられたのは、以下の三つ。

  原発リーダー」は閉塞状態を打ち破る力ある者として、期待されたり、魅力を持つ人物として登場する場合が多いこと。確かに某首長や、逸脱牧師などは、閉塞状態を打ち破る期待を受けて、これまでにない要素を持っている人物なののでは?近年キリスト教会にあるブームを起こした方、ユニークな働き人に逸脱が見られるのは偶然ではないでしょう。(もちろん、閉塞状態を破るユニークなリーダーに方の多くは健全ですから、偏見を持たないで下さい。)

危険性を助長する「取り巻き」の問題と「制御装置」の必要性。閉塞打破者には、心酔者が伴います。イエスマンや事実さえ見ない追従者、事実を知りながら追従する依存者などは、原発リーダーの次に問題でしょう。教会の場合は、制御装置の必要性というよりは、制御装置が正しく機能しない「制御放棄」「制御不能装置」の問題でありましょう。

4躙韻版悗鮃腓錣擦覆ら、「原発リーダー」の活躍で、働きや組織が大きくなった場合は、長期政権化しないことという具体的示唆。これまでの貢献に感謝して、早めにお辞めいただかないと、「リーダーのための組織」に転ずるとの考察は、なるほどと納得。


 私は上の 櫚などの課題は、先日、JEA青年宣教セミナーで学んだ三人の教師に学べるはずだと思っています。
聖書に学べるはず。こうした事例は聖書中にもあるはず。そして、聖書に警告や回避も記されているのでは?

体験として、学べるはず。多くの団体や地域では既にこうした問題を体験しているはず。高い授業料を支払っているのですから、学びたいものです。

歴史を通じて学べるはず。教会史にはこうした事例があるのでは?いいえ、日本の教会現代史には、今も、学ぶべき事例が続いているのでは?クリスチャン新聞が連載しているホーリネス教団の検証文章などは、まさに学ぶべき貴重な現代史だと私は思っています。

 そろそろ、判別力や対処力をつけたいもの。三人も優秀な教師がいるのですから・・・・・・。



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| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 20:33 | - | - | - | - |
国際福音(卞在昌)事件、第一審無罪判決とモルデカイの会声明文
 速報として、判決結果と声明文を以下にお知らせします。

 モルデカイの会の代表からの報告では、 「被告人は無罪」との一審判決とのこと。公判は10時開始、12時10分終了。午後3時からの記者会見には、メディア関係者20名以上が来て、質疑応答。詳細は追って報告とのこと。

 東京新聞の記事はこちら。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011052002000185.html?ref=rank

テレビ報道はこちら。FNNニュースの動画です。(卞被告のインタビュー発言も一部あり)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00199780.html

 以下に関係者の許可のもと、モルデカイの会からの声明文を転載します。
 
2011520
 
声 明 文
モルデカイの会 (宗教法人『小牧者訓練会』
による被害の回復を目的とする裁判の支援会)
代表 加藤光一
 
2011520日、水戸地裁土浦支部(神田大助裁判長)は、準強姦事件(平静22年(わ)第73号)被告人の宗教法人「小牧者訓練会」代表者・卞在昌(ビュン・ジェーチャン)に対して、無罪判決を言い渡しました。
 
私たちは、この判決をきわめて残念な結果だと考えています。特に、この判決では「被害者証言が確たる信用性を備えているとは言い難い。」として被害の認定に至らず、有罪の実刑判決が得られなかったことで、被害者の人権が守られなかったことが残念です。この事件によって受けた被害者の心の傷も癒されることがありません。
 
今回のような、密室内で起き、物的証拠に乏しく当事者の一方である容疑者が容疑事実を認めない事件では、弱者である被害者の受ける圧迫感は想像以上に大きく、特に法廷の場で正しく自分を主張してゆくことは大きな負担を伴います。訴えても何の利益にもならず、かえって自らのプライバシーを公にさらしてしまいかねない危険を冒してまで被害を訴える被害者の声に真摯に耳を傾け、真実を探る一段の努力がなされてしかるべきではないでしょうか?
 
また、卞被告人の当日のアリバイが成立するという被告人側の主張に沿った今回の判決には納得できません。そのアリバイを裏付けるとして被告側から提出された証拠の持つ不自然さについて、徹底的かつ十分な審査がなされなかったことを残念に思います。
 
本事件発生の背景には、国際福音キリスト教会の主任牧師である卞在昌宣教師が自らを霊的指導者であるとしてその絶対的権威を説く権威主義的な教会管理・運営があります。その絶対的権威を利用して主任牧師が「準強姦」を含む多くの不法行為を繰り返し、被害を被害と思わせず、逆に、訴えること自体が罪であると被害者に信じ込ませて、これらの被害事実を隠蔽してきたことが、本事件の発覚を遅らせ、被害を拡大しました。
 
本判決では被害者が主任牧師に逆らうことで神に見放されると信じ込むに至り、抗拒不能状態に追い込まれたうえ、反復継続的に被害を受けるに至った心理的な過程や心の葛藤などの解明に踏み込まなかったことに対して、残念に思います。
 
第一審では有罪の実刑判決を勝ち取ることは出来ませんでしたが、本事件を起訴に持ち込み、公判維持に全力を挙げられた検察庁・つくば警察署はじめ関係各位のみなさまのご努力に感謝し、心から御礼申しあげます。検察庁には、被害者の人権回復のために、そして真実の解明のために、ぜひとも控訴することを望みます。
 
本刑事裁判の結果如何に拘わらず、同時に進行している民事裁判(「セクハラ民事裁判」(2009 7 29 日セクハラ訴訟提訴)および「パワハラ民事裁判」(2009 12 15 日パワハラ訴訟提訴)。いずれも、東京地裁民事部。原告5名。)において、卞在昌被告および教団は民事上の責任をすみやかに認め、贖罪の義務を果たすべきであると考えています。
 
モルデカイの会は、これからも本事件の被害者を全面的に支援し、民事裁判での勝訴を勝ち取ってゆき、主任牧師の権威を強調するあまり同種の悲劇を招いている日本の一部の教会に対して警鐘を鳴らし続けて参ります。

 みなみな方の、ますますのご支援をお願い申し上げます。

以上
| ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 20:14 | - | - | - | - |
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