命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
ここにも差別?スポーツ編(2)
 私の父は愛知県一宮市出身。その父が若い頃、近くの高校へ野球の試合を見に行きました。それは一宮高校対享栄高校。試合の結果は1−0で一宮高校の勝利。しかし、何と驚くべきことに勝者の一宮高校はノーヒット。押し出しの一点のみ。アウトはほとんど三振で、バットは空を切るばかりだったとか。私の父はその時の驚きを忘れないそうです。マウンドにいたのは、高校生であった金田正一投手。日本プロ野球最多の400勝投手。

 私は大学時代はロッテアでアルバイト。ちょうどロッテに移籍した張本選手が3000本安打を達成する直前でカウントダウンしながら大セールをしていました。

 日本プロ野球を考えてみると、「どこが日本やねん?」と突っ込みたくなる要素がありますね。最多勝は金田選手、最多安打は張本選手、最多本塁打は王選手、以上三名はすべて外国人です。
 よく考えてみると金やんは実績の割には人気がなさ過ぎます。オーナーが在日であるロッテの監督をされ、日本に帰化したようですが、本人は後悔しているとか。同じく投手として活躍した次男以下は帰化をしてないようですね。
 張本さんは幼いときに手にやけどを負いましたが、民族差別により日本人の医師からは治療拒否。傷害を負っての大記録達成。戦い続けたのはマウンド上の投手だけでなくファンからの差別的な野次でした。そんな立派な選手なのにロッテリアの3000本安打セールは盛り上がらず、マスコミの取り上げ方も小さかったですね。

 王さんも尊敬はされますが、決して人気は高くないですね。テリー伊藤さんが「日本人は王さんに冷たい」と批判をしておられます。

 記録面では三人に劣るといえる長嶋さんが大人気なのはそのキャラクターだけではないと思います。この三名が外国人であるからではないかと私は思います。ひねくれ者の私には長嶋人気の裏には日本独特の「潜在的ナショナリズム」や「無自覚的差別」があるのでは?と疑ってしまいます。

 自分が在日であることを隠したり恥じたりする野球選手が多いことを残念がり、自ら模範を示し差別と戦ってきた張本選手。最近は「アッパレ」と「喝」でようやく日本の大衆に親しまれるようになり、私はうれしいです。
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:16 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?スポーツ編(1)
 さっそく昨日の記事に対しての「さぬき」さんからのコメントに応答しましょう。なぜ、水泳選手とフィギュアに黒人選手が極端に少ないか?これは、私もある時期にいだいた素朴な疑問。

 ある時、水泳についてはこんな理由を聞きました。「黒人は白人といっしょにプールに入らないから」。そういえば一時期、日本でも銭湯で「外国人お断り」との掲示が問題となりましたね。日本でさえ、外国人と同じ風呂に入り、裸の付き合いをするのにかなりの抵抗感があるのですから、アメリカ社会のプールの様子は想像できますね。私自身も確証はないのですがそうかな?と思っています。

 フィギュアスケートの方は多分、黒人の経済的な地位の問題でしょう。フィギュアは大変なお金のかかるスポーツです。マイノリティー研究において私が尊敬する金城学院大学文学部のチャプレン、藤井創先生によれば「アメリカの黒人が全体の12パーセントとするとその中で、アメリカの平均所得に達しているのは1パーセント」とのこと。優れた運動能力を持つ黒人たちがバスケやフットボールや野球、陸上などに向かうのは当然では?さぬきさんの望むブラックビューティーを目撃するのは困難なようです。


 そういえば、ゴルフも金持ち?のスポーツなので、有色人種でトップクラスのタイガーウッズは例外的なのでしょうね。

 反対に、世界的にはサッカーは貧しい人々のスポーツ。イギリス出身のサッカーのスターたちは労働者階級出身者ばかり。フランスに至っては、ワールドカップの代表は、移民出身者がほとんど。

 スポーツに貴賎はないでしょう。しかし、スポーツに貧富はあるのでは?スポーツが平等なのはその試合の中だけ。スポーツも現実社会の中で行われているのだから、貧富とそれを生み出す階級や人種差別と無関係ではいられません。

 極一部の黒人はスポーツで成功者となり、アメリカンドリームを掴みます。しかし、ほとんどの黒人は、最初からある特定のスポーツにはチャレンジできないのです。白人たちが独占する種目があるようです。スポーツも差別を克服し得ない悲しい現実を思います。
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別芸能実例編(7)
 たまには、黒人差別も取り上げましょう。皆さんはジャズという音楽をどう位置づけているでしょうか?私はロックとジャズは天と地ほど異なる音楽だと思っています。ロックは基本的に大衆音楽であり、音楽による思想表現あるいは商業活動のように理解しています。一方、ジャズは芸術音楽としての一面を持っており(同時に芸能、娯楽面もあり)、思想表現というよりはクラッシック同様、純粋な音楽表現であると考えています。

 そこで今回取り上げるのが、マイルス・デイビス。ジャズ界の帝王、しかし、本国アメリカではどう扱われていたか?ほとんど大道芸人扱いであったそうです。いくら帝王であってもそこがジャズ界で本人が黒人なら、それが現実であったのでしょう。

 ところが、そのマイルスが日本に来日した時は、マスコミとジャズファンが殺到して大騒ぎ。一番驚いたのはマイスル本人「日本では王様のように迎えられた」と回想しています。優れた音楽を正当に評価した日本のジャズファンは偉い!
 フランスを訪れた時も同様で、マイルスは、哲学者のサルトルと画家のピカソと芸術を語りあったそうです。つまり現代の超一流文化人として受け入れられたわけです。フランスは本当の意味で芸術の国ですな。

 ジャズを粗野な音楽、アドリブを行き当たりばったりと思ったら大間違い。難曲を譜面を見て初見で弾けるのと同じくらい即興演奏をするためには音楽的なセンスや厳しい修練が必要なのです。ジャズを演奏する黒人たちは、正装をして演奏します。それは黒人にとってジャズはクラッシク同様の誇るべき文化だからです。そうした黒人が生み出した優れた音楽文化を差別によって正当に評価できなかったのがかつてのアメリカ社会はトホホです。

 1980年代のこと、あのポール・サイモンがグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞しました。受賞の理由を尋ねられた彼はこう答えたそうです。「今年はスティービー・ワンダーがアルバムをリリースしなかったからだよ」
 ユダヤ人と黒人がグラミー賞の常連となっていった1980年代。マイノリティーが生み出す音楽がようやく正当に評価され商業的にも成功を収めるようになってきたということでしょう。

 私はブラックゴスペルに関わりながら、時に思います。ブラックゴスペルに対して賛否両論があるのは何ら問題ではありません。ただ、どうも日本の教会には「無自覚的な白人文化至上主義」があるように思えてなりません。

 不思議なことに私はこの日本で黒人の宣教師を見たことがありません。きっと日本宣教は白人によって白人の文化とセットでなされてきたのでしょう。「白人が担ってきたキリスト教文化=正統的なキリスト教」のように文化を福音と同一視して、マイノリティーが築き上げた優れたキリスト教文化を評価しない方に時々出会うのは悲しいもの。もし、ブラックゴスペルに対しての反対や批判が黒人教会や黒人文化への無知や無理解からきているのだとしたら、それは差別に準ずるものかと思います。

 ブラックゴスペルに対しての批判や疑問視は私も一定理解し、同意さえしているつもりです。しかし、そこにかつてアメリカ白人が黒人文化に対して為してきたのと同じものがあるなら、それは自覚的に悔い改めるべきではないかと思うのです。黒人差別は決してアメリカ白人の罪ではなく、日本人クリスチャンも自らの心の奥底に探るべきものなのでは?
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?芸能界実例編(6・後)
 ちょうど今日は統一地方選の投票日。峰さんがアッコさん投票に行きましたか?と尋ねる事がなぜ大エラーなのでしょう?
 それはアッコさんには投票権がないからです。では、なぜアッコさんに投票権がないかと言いますと日本国籍ではないからです。このことは、マスコミを支配する在日タブー。過失とは言え訂正のできない生放送でアッコさんの出自に触れてしまったことは峰さんの大失敗。

私自身、アッコさんが在日であることを知ったのは30年近く前でしょう。アッコさんの親戚に当たる人物が商法違反で逮捕され、日本名と共に本名が報道されました。そのためにアッコさんが在日であること(本名は金現子、キムアキコ)も日本中に知れ渡り、そのことは公然の秘密となっていました。実力派でR&Bという黒人ルーツの音楽を歌うこともあり、在日であると知られても人気が低迷することはありませんでした。

 しかし、長年、アッコさん自身の口から自らの生い立ちや出自についての発言を聞くことはありませんでした。しかし、2005年、週刊文春において自らが在日コリアン2世であることをカミングアウトしました。激しいいじめにあったこと、中学生時代に区役所で日本人でないと知ったこと。母親は父親の第三夫人で、父は、すぐに鉄拳が飛ぶ厳しい人。また、別のマスメディアに対しては「日本を訴えたいほど自分はひどい差別を受けてきた」と激白しています。(具体的な事実は話してはいませんが)

 R&Bを大衆音楽として歌いえた力量やスピリットは、決してその出自や生い立ちと無関係ではないでしょう。黒人と同じマイノリティーとしての痛みや苦しみ疎外感、そこからしか生まれ得ない歌声、それがアッコさんだと思うのです。彼女がレイ・チャールズを尊敬して止まないのも、ただ、音楽的な理由だけとは思えません。レイチャールズの人生とご自身の人生をきっと重ね合わせてきたのだと思います。

 今日は統一地方選です。「投票行った?」そんな何気ない言葉に、硬直したり、答えられず立ち尽くす人たちが読者の皆さんの近くにもいらっしゃるかもしれません。日本で暮らし、日本で働き、日本国家に税金を払いながら、政治参加できない方々がいることをこの選挙の時こそ、覚えたいものです。
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:28 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?芸能界実例編(6・前)
常々思います。和田アキ子さんは、もっと歌手としてアーチストとして評価されるべきだと。キャラクターの強さと毒舌の鋭さのために歌以外で評価されがちなのが残念。洋楽のR&Bを歌謡曲に転じた70年代の作品の数々とソウルフルな歌声は、黒人音楽が大衆化した今でこそ、評価されるべきでしょう。近年は若い世代からも再評価されたのはうれしい限り。m−floがアッコさんをリスペクトして、紅白でコラボしたのは私には感激ものでした。今回はそのアッコさんのお話。


かつての人気番組、日曜午前に放送のTBS「アッコにおまかせ!」でのこと。メインの司会者は和田アキ子さんと峰竜太さん

峰さんがアッコさんに気軽に問いかけ。「今日は衆議院議員選挙ですが、アッコさん行きました?」アッコさんは瞬間フリーズ状態。番組スタッフも固まってしまったことでしょう。アッコさんが怖いからではありません。生放送番組でのこの発言は峰さんの大エラー。テレビ業界のタブーかも。さっぱり、何のことか分からない読者の方は明日のブログを待ちましょう。(次回に続く)

 
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:23 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?芸能界事例編(5)
 昨日、テレビのワイドショーを見ていたら、故植木等さんの回想をしていました。父親である植木徹誠さんをその番組は「破天荒」と評価していました。
 それもそのはず、僧侶なのですが、以前にキリスト教の洗礼も受けていたのです。さらに反戦を貫いたため思想犯として逮捕。その番組中、植木徹誠が所属していた社会運動団体の写真が映し出されました。その団体が掲げている横断幕には「部落」の文字、「これは部落解放運動なのでは?」と思ったので、さっそく検索。

 やはり予想通り、植木徹誠さんは水平社の活動家、戦後は日本共産党にも入党していたようです。水平社は「橋のない川」にも描かれている日本最初の組織的な部落解放団体です。奥様の実家の西光寺で、部落差別の現実に触れ、部落解放に取り組むようになったそうです。三重県の部落解放の歴史の中ではかなり大きな働きをされた方のようです。

 キリスト教の洗礼を受けた後に、僧侶となり、反戦を貫いて、水平社の活動をしていく、支離滅裂なようでも、願っていたのは正義や平等なのでしょう。打算を突き抜けた純粋さや真実さを思わせますね。「自分は部落民ではないと思う事が、すでに相手を差別していることだ」という言葉が残されいますが、徹底して差別される側に自らをおいて戦われたのでしょう。

 マスコミは社会運動、労働運動、平和運動と表現して、決して部落解放運動とは言わず、「水平社」の名前も出しません。一方で、部落解放だと分かるような横断幕を掲げた写真を映し出すのですから、その意図を図りかねますね。善意に取るべきか、逃げ腰と見るべきか?

 元?クリスチャンで部落解放活動家となれば本ブログで紹介しないわけにはいきません。今回は直接ではありませんが、芸能界と部落差別の意外な接点が発見できました。

 それは植木等という名前。平等を願って「等」と名づけたその思いは半端なものではなかったと改めてその重みを実感。「等」の名前の背後にあったのは部落差別だったようです。創造主の前での、あるいは仏の前での「平等」という理想を追求し続けた人物、植木徹誠さん、さらに関心のある方はネットで検索を。かなり興味深いですよ。
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?芸能界実例編(4)
昨日のアクセスは本人もビックリの489、人権差別問題については、直接的な知り合いからは、コメント欄でなく、個人メールでいくつか応答をいただいています。反響が大きいので、もう一つだけ芸能界での実例を。

 名優、三國連太郎さんは自分の育ての父が被差別部落出身者であることを公にしています。「部落出身者」の定義は難しいのですが、片方の親がそうなら、あるいは三國さんのように血縁関係はなくても部落出身者とみなされるようです。実際、三國さん自身もそのようなアイデンティティーを持っておられます。ですから、三國さんは自ら被差別部落出身者であることを公にしたことになります。

 押しも押されもしない大俳優、「釣りバカ日誌」の社長、スーさんとしても親しまれている国民的俳優である三國さんが自らの出自を明かしたのは1995年のこと。月間誌「Views」8月号での田原総一郎さんとの対談の中。養父が被差別部落出身者であること、自らのこととして部落差別問題をとらえてきたことを明かします。そして、その後に三國さんが論じた差別問題や歴史認識に立った芸能論を語るのです。私はこれを初めて読んだ時は戦慄が走りましたね。以下に引用します。

 「もともと芸能という文化は差別されていた賤民の手によって確立されてきたものです。そこには差別する側を批判していく”けれん”というものがあった。(ところが今の芸能界は)体制批判に繋がる差別の問題であるとか天皇制であるとか、そういうある種のタブーには一切触れられていない。それどころか芸能が体制側から押し付けられたものになっていく中、いつの間にか、自分自身も役者としてある意味で権威付けられた文化という名の体制に取り込まれかけていた。」

 この発言の重みと深さ、そして鋭さはまさに戦慄もの。少なくと私はこれ以上に優れた芸能論を読んだことがありません。

 しかし、残念なことにこの重鎮が決死の思いで語ってであろうこの発言は何と、マスコミに黙殺されてしまうのです。これだけの問題提起を日本社会に問わないことは、マスコミとして自殺行為に等しいと私は思うのですが。

 マスコミがきちんと取り上げれば、どれだけ多くの差別に苦しむ人々の励ましになったことか?潜行する差別問題に大きな風穴をあけるきっかけになったかもしれません。部落差別問題を知らない多くの方々への啓蒙ともなったでしょうし、芸能界のあり方を見直す最高のきっかけにもなりえたでしょう。

 しかし、それさえ黙殺されてしまうのが日本の現状。日本のマスコミには同和タブーが支配的です。同和関係に不利なことは、たとえ事実でも報道しない傾向があります。場合によってはこのように有益なことであっても報道しません。過剰な自己規制をしてしまうのです。

 それには理由があります。過去にマスコミは部落解放同盟などから、差別的な発言や記述について糾弾を受けてきました。その中には、不適切と思われる糾弾の内容や方法もあったようです。そうしたトラウマのため日本のマスコミは、とにかく部落問題はニュースバリューに関係なく取り上げない方が無難という判断をしやすいようです。その結果、過剰な自己規制に縛られて、本来なら伝えるべき事件もきちんと報道しないことが多いのです。

 きちんとした判断も適正な報道もできない日本のマスコミは批判されるべきでしょう。そうした過剰な自己規制を生み出した責任の一部は部落解放同盟にあると指摘する人たちもいるようです。
 しかし、そうした問題を放置してきたり、あたかもないように隠蔽してきた側の責任、あるのに自分の関係ないからと無視してきた側のはさらに問われるべきだと私は思います。それは全国民的責任です。日本の人口の約2%は被差別部落出身者に相当するのですから。日本は肌や目の色が変わらない同民族を差別しながら、平等な社会だ、階級社会ではない、格差社会反対と言っている不思議な国なのです。

 クラスのいじめを放置する同じクラスの生徒、自分に関係ないからと見て見ない振りをする生徒、自分のクラスにいじめがあること自体気がついていない生徒、私たちの多くは自らをそうした生徒の立場に置き換えて、この問題についての自らの責任を覚えるべきではないでしょうか?
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 10:55 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
ここにも差別?芸能界実例編(3)
普段は見えてこない差別が露骨にあらわれるのが結婚に際して。差別問題がネックになっての結婚の破談や結婚についてのスキャンダルは芸能界でもいくつかあるようです。

 今回も有名な事件は避けて山城信伍さんが著書で公にしている事例を紹介します。山城さんは医者の息子。彼の父は朝鮮部落と被差部落の間に開業、貧しい人たちからは治療費も取らずに地域医療に生涯をささげた現代版赤ひげ先生。差別を憎む父に育てられ、差別の現場に触れてきた山城さんは人権講演を依頼されたり、著書の中でも芸能界の差別問題に触れたりしています。

 誠実で優しそうな人気俳優のAさん、彼が山城さんに連れられていった食堂で美しい母と娘の二人連れに会います。そこでAさんは娘さんに一目ぼれ。彼女はあるミスコンの入賞者で有名私立大学を卒業した女優の卵。
 実はこの母と娘は山城さんの知人。山城の紹介で二人の交際はスタート。しばらくしマスコミにも婚約を発表。好感度の高い人気俳優の婚約発表にマスコミは大騒ぎ、日本中も祝福しているかのようでした。

 しかし一人の芸能関係者がAさんに「身元調査をしたほうがいい」とアドバイス。やがて予想外の事件が起こります。結婚を間近に控えながら突然の婚約破棄。その記者会見の席ではAさんは「お答えできません」と繰り返すばかりで、何ら具体的な理由を述べません。私も当時はテレビを見てショックを受けながら、「きっとAが浮気をしていたのがばれたのだ」と勝手な推測をしていました。

 婚約破棄の本当の理由、それは彼女が被差別部落出身者だと判明したため。誠実なAさんは、そんなことで結婚をやめようとはしませんでした。家族の反対にあいましたが、彼は愛を貫き通そうとしたそうです。しかし、最終的には婚約破棄になったのです。なぜでしょう。山城さんの著書によればAさんの母親は最後には「どうしてもお前が部落の女と結婚するというなら、私は死ぬ」と訴えたとのこと。Aさんは親子の縁を切られても結婚する覚悟まであったのかもしれません。しかし、まさか母親に本気で死ぬと訴えられるとは思わなかったでしょう。

 その後二人は別の人と結婚し、順調な家庭生活を送っています。少なくとも事後には芸能記者をはじめマスコミはこの真相を知ったはずです。しかし、この差別的な事件の真相は大手のマスコミでは一切伝えられませんでした。私自身も20年以上経過して山城さんの著書で初めて真相を知りました。それが日本の芸能界とマスコミの現実なのです。

 私は小さないのちを守る会やブラックゴスペルにかかわり差別問題を扱うようになり、一つのことを心がけています。それは差別問題については自分を安全地帯に置かないことです。他者の差別を指摘し、差別的な日本社会を批判する前に自らを検証することです。なぜなら、普段は差別反対を表明しながら、いざ、自分のこととなると手のひらを返しかねないのが罪人である私たちですから。

 自分は結婚する相手の身元調査をするかどうか?部落出身者だと判明しても愛に変わりはないか?そのことを理由に家族に反対されても愛を貫くのか?差別を理由に母親が死ぬと言っても結婚するのか?
 自分の子どもが結婚する時、親として相手の身元調査をするか?相手が部落出身者だと判明しても結婚に反対しないのか?義理の息子や娘となるその人を心から愛することができるのか?

 まず自らを検証することから、差別の解決は始まるのだと思います。
 
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:11 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?芸能界実例編(2)
 ミーハーな私は、顔見知りの在日のクリスチャン青年にこんなことを尋ねたことがことがあります。「○○と××の結婚って在日どうしだって聞いたけど本当?」「そうだってうちの親が言ってましたよ」との回答。

 読者の中にはこんな素朴が疑問を持つ方も多いでしょう。「どうしてトップレベルの芸能人なのに、そのことを公にできないの?」「業界では公然の秘密のはずなのになぜマスコミはそのことを伝えないの?」あれだけ芸能人の私生活やスキャンダルを暴くマスコミが、出自についてだけは沈黙しているのは不思議ですね。

 数年前、一人のグラビアアイドル兼女優が、大手週刊誌の取材に応じて、自らの意志で自分が在日であることを明かしました。しかし、その記事が公になる前に事務所から圧力がかかり、その部分はカットされたとか。

 人気抜群のグラビアアイドルは、グラビアを卒業し女優として活躍しようという時期に、きっと本当の自分を公にしていこうと願ったのでしょう。しかし、事務所がそれを阻んだのです

 このケースでは理由は簡単、事務所は所属タレントの商品価値の下落、彼女の人気急落を恐れたのでしょう。裏を返せば、在日と知って写真集を買わなくなる男性たち、ファンをやめる男性たちが多いということです。「在日と分かると売れない」というのは日本の芸能界の定説だそうです。これも裏を返せば「在日と分かると消費者は買わない」ということ。つまり、日本社会の差別性は人気商売である芸能には露骨に反映してしまうということ。

 残念ながら、それまで応援していたアーチストやタレントが在日だと分かると応援しなくなる人たち、ファンをやめてしまう人たちが少なくないのが日本の現状。表向きは差別などないように見えていても、いざとなると露骨に表れるのが差別。

 読者の皆さん、あなたが応援するアーチストやタレントが在日、被差別部落出身者だと分かったとき、あなたの応援はトーンダウンしませんか?
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:52 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ここにも差別?芸能界実例編(1)
 あまり有名な事例を出してしまうと、「あの事件そういうことだったの?」「あの歌手、在日だったの?」「あのタレント部落出身だったの?」となってしまいます。それはこのブログの意図に最も反することなので、このシリーズでは人物が特定できないような事例を取り上げます。

 一人のロックミュージシャンのケース。彼はある楽器の教則DVDを出しているほどの一流ロックミュージシャン。在日である彼は、「もうそんな時代ではないだろう」と思い、在日であることを公にしました。その結果は予想外でした。
 やがて仕事は半減。あまりのショックに彼は自殺を図りますが、未遂に終わり一命を取り留めます。

 間違いなく日本ロック界トップレベルのミュージシャンであるにもかかわらず、在日であると分かると仕事が半減してしまったのです。今まで自分を評価し信頼し共に音楽やライブを作り上げて来た仲間たちが次々と彼を離れていったようです。裏切られた痛み、深い人間不信、どうすることもできない自らの出自、差別を受けるその苦しみは自らの命を絶つほどのものだったのでしょう。

 こうした差別体質は日本のロック界がいかにロックスピリットに欠けているかを表しています。不条理に満ちた現実に反抗し怒りをぶつけることが本来はロックミュージックの一つの原動力であったはずです。ところがこうした不条理に同調するのだから日本のロック業界は情けないです。音楽はロックでもスピリットはロックからは程遠いと言えるでしょう。ロックも所詮日本では音楽産業の一部門、芸能の一つに過ぎないということでしょうか。

 また、彼とは別の日本を代表するロックシンガーと言われている某在日ミュージシャンは日本に帰化しているとか。在日の人々はこのことをどう評価しているのでしょう?単細胞の私は帰化などは最もロックスピリットに反すると思うのですが、きっとロックスピリットを貫けるほど日本の音楽業界も日本の社会も甘くはないのでしょう

 自分をさらけ出しているかのように歌い叫んでいるロックシンガーが実は自分を隠しているとしたら、それは音楽表現ではなくある意味で演技かも。彼にとっての「日本社会での音楽活動」は「日本を代表するロックシンガーを演じ続けること」を意味するのでしょう。ロックミュージックも音楽産業の上に成り立っているからには、在日であることを公にして、商業上のプラスなど望み得ないのが日本の現状。マイノリティーたちにロックをさせてくれないそんな日本社会がひたすら悲しいです。
| ヤンキー牧師 | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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