命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
夫を変えた妻の決断(2)
はっきりと主張をする女性は嫌われる
 多くの女性たちは、そう考えていたり、現実の社会でそうした体験をしていることも。そもそも日本社会がそうした女性を嫌うのは、日本社会が「男性社会」だからではなく「男性社会という名の子ども社会」だからだと私は思っています。

 日本の男性たちは自己主張をせず、男の子を受け止める「優しい母」のような女性が好きなのでしょう。それで、たとえ正当であっても男性に向かって主張をする女性がお嫌いなのでしょう。母親のような女性と結婚したがり、職場の女性にも母親の影を潜在的に求めている・・・・。

 日本の男性の持つ幼児性は夫婦や家庭の中だけでなく、職場のような社会にもそうした形で現われているのでは?などと私は思っているのですがどうでしょうか?

 かわいそうなのは、そんな幼稚社会の男性たちの発言や反応のおかげで、「自己主張=悪、不利、男に嫌われる」という図式に縛られている女性たち。「唯一彼氏や夫は例外にすべきでしょう」と私などは思うのですが、どうも、そんな簡単なことではなさそうです。

 そこで、結婚後も変らず、夫に対して「これは嫌だ」「これはやめて欲しい」「絶対こうして欲しい」と訴えられない女性たちも。そうなれば、「何も言わずに波風は立てないものの、怒りや憎しみを内に蓄積する妻波風立たぬことをうまくっていると誤解し続ける夫」という夫婦の構造が続いて、大地震発生のエネルギーを溜め込むわけです。言い換えれば、「地中で地震エネルギーを蓄積し続ける妻とその上の地面で地震など予想もせずおめでたく暮す夫」という夫婦に。

 丸屋先生の著書「健全な家庭形成」(46ページ)には、そうした夫婦関係が、妻の勇気ある一つの決断によって、改善されていった事例が登場します。

 妻から夫への一方通行の夫婦関係。妻が夫に何をしても当然の夫。そんな夫婦関係に違和感を覚えながらも、長年、惰性で続けれてきた妻。ところが自分の本音(不公平感と怒り)気がつき、今までしてきたことに立腹。何も言わず何もしないのでは事態は変らぬと判断し、あるとき夫に対して「このことはもうしません」と宣言。夫は妻に「わかった」と素直に返答。

 その後、夫は妻に配慮するようになり、夫婦のコミュニケーションが始まり、一方通行の夫婦ではなくなったそうです

 丸屋先生はその妻のことをこう記しています。
「(その方は)自分が本気になれば、相手も変るのだということに気がつきました」

 怒りを蓄積しつつも、自分の本音を黙殺し、波風立てずに惰性で現状維持か?それとも本気で向かい合える本物の夫婦を目指すか?

 その違いをもたらすのは、日本の夫婦の場合は、妻が本気になるかどうか?かと思います。多くの危機的な状況のクリスチャン夫婦を見てきましたが、妻が本気になって、言うべきこと、為すべき決断をしたことにより、夫が変化したり、悔い改めて、夫婦関係が改善した例は多いです。

 逆に妻が、不満や問題は訴えるのですが、本気になっていない場合は、現状維持か悪い方向に行きます。本気になっていない態度とは、言うべきこと、為すべきことを決断実行する気がないこと。夫の反発や生活面での不安など予想される犠牲を覚悟できないことなど。そして、最も困るのはその決断ができない理由を並べ立てて自分を正当化することです。

 妻には理解できないほど、「妻の本気」は、夫にとってはインパクトがあります。なかなか無視したり、いい加減に扱えるものではありません。多くの女性はそれを知りません。妻が本気にならなくても、自分の問題や未熟さを自覚できるほど、日本の男性は大人ではないと私は実感しています。逆に母親に涙を流され叱れる男の子のように、夫は妻の本気を本気として受け止めるもの。

 紹介した事例と同じことをするように勧めているのではありません。夫婦によってあり方や表現は異なるでしょう。本気をどんな言葉と態度で伝えるかは、また、どのタイミングでそれをし、それに夫が応答し得るかも夫婦次第。

 しかし、夫婦の問題の大半が夫側にあったとしても、多くの場合、夫を変え、夫婦を変えるのは、妻の本気です(夫は本気になれないほど、表面的で危機感を持たないもの)。

 夫婦関係で悩む妻の皆さん!夫に不満を抱き、夫の問題を指摘する前に、ご自分が本気かどうかをチャックなさってみては?本気で本物夫婦になりたいのですか?それとも、実は惰性で波風立てず、問題を先送りにしたいのですか?まずは、ご自分の心の奥底の本音に耳を傾けてみては?

 人は変えられないが自分は変えられる。自分が本気に変えられて、初めて相手も変えられる可能性があるということでしょうか?
 
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 07:27 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
夫を変えた妻の決断(1)
 多くの夫婦関係は最初の1,2年で大きく決まってしまうもの。よくあるパターンは夫のマイペースやわがままや無理解や未熟さに妻が一方的に合わせてしまって波風の立たない夫婦でスタートしてしまうもの。夫婦が親密になれない、会話が深まらない、人格的な交わりがない、かなりの不満がありながら、妻が夫に対して我慢をすることで、平穏を保ち続けるというパターンです。

 こうなると、夫は「うちの夫婦はそこそこ順調」と現象面だけを見て事実誤認。妻の側は夫婦が一つになっていないと本質を評価して不満を蓄積。本当にこれで生涯にわたり、波風が立たないならいいのですが、この歪みは必ずいつか現われるもの。

 向き合えない夫婦は40代にはかなり危険な状態に、夫婦関係の歪みは子どもに現われ更年期となれば問題は深刻化。定年を迎えれば、妻の怒りは爆発、夫はぬれ落ち葉など。

 結婚1,2年目の過ごし方は結婚のかなり先までを方向付けるもの。クリスチャンたちの中にも「夫婦の力関係」「どちらが主導権?」という発想で、結婚を考える方々がちらほら。それ自体が結婚を失敗に導くと私は考えています。聖書の夫婦は仕えあい、与え合う関係であって、権力関係ではないからです。そうした発想はそもそも夫婦関係を権力関係でやっていこうという悲劇的な試みをしていることを意味するのでは?

 1,2年目にすべきは「力関係のせめぎあい」ではありません。為すべきことの一つは相互理解のための自己開示や自己主張だと私は考えています。特に妻の側が自己開示をして、夫に理解をしてもらう努力が必要。(しかも夫に分かる言葉や表現方法で)日本女性はセルフイメージや自己評価が不当に低いので、それに躊躇を覚えやすいもの。また、クリスチャン女性の中には「夫に対する自己主張はよくない。不従順かも」と考える方も。

 神様は何のために、牛や馬でなく女性を男性の助け手にしたのでしょう。言葉をもって気持ちや自分自身を伝えるためのはずです。ミスチルの歌のように結婚してまでも「傷つかないための予防線」を貼り続ける妻は日本のクリスチャン女性には多いのでは?「あるがままの自分を出したら受け止められないかも」「はっきり主張をすると男に嫌われるはず」と、結婚してまで勝負を避けてどうするんでしょうか?

 一度に全部では夫も受け止められませんから、大きな恐れがなくできるレベルの自己開示から、優先順位の高い主張からはじめてはどうでしょうか?そこから相互理解や本当の意味での夫婦の調整が始まり、本来の夫婦関係に向けて深まっていくでしょう。

 妻が自己開示と自己主張をせず、夫はうまくいってると錯角、妻は怒りと不満を蓄積続ける夫婦。それは時限爆弾、あるいは毒を溜め込むこと。取りあえずの平穏無事を願うことは時に、将来の崩壊や破滅や爆発のためのエネルギーを溜め込むことになりかねません。それはちょうど地盤プレートの歪みがやがての大地震のためのエネルギーを蓄積するようなもの。

 「妻は夫に従うべき」「自己主張は肉的」そうした一見信仰的に見える価値観が誤って適応される時、クリスチャン夫婦こそが、逆に危険な場合もあるようにお見受けします。

 特に一二年目が大切かと思います。そして、既に歪みエネルギーを溜め込んだと気がつかれた方は、今からでも、解消の努力を!そうです。妻のその勇気ある決断が夫を、夫婦を、そして家族全体を変えることがあるのです。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 19:00 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
夫を尊敬できる妻の喜び(2)
 昨日の記事、いかがでしたでしょうか?一番のポイントは、「神様から最善の夫を与えられているのに、そのことに覆いがかけられていた」ということでしょう。

 自分が描く理想像を相手に要求すれば、それが偶像となり、神様がお与えになった夫も、尊敬するに値しない存在に・・・・・・。

 私は思います。少なくともクリスチャン同士が神様の導きに従って結婚をしているのであれば、夫を尊敬できないと嘆く妻に与えられる最高の解決は、昨日の牧師夫人と同様なのでは?と。

 自らが描く夫に対する理想像を偶像と認めること。その偶像を捨てること。そして、自分の思いや好き嫌いでなく、神様が与えた最高の夫という事実に立って、夫を見ること。

 「御言葉→現実→感情」という「信仰勝利の方程式」で夫を見ましょう。「感情→現実→御言葉」となれば、夫を尊敬できない妻たちは、「神様は愛する者をよきもので満たそうと願っている」「神様の導きに従えば最善」という聖書の約束を疑わざるをえませんね。聖書信仰自体が、結婚に関しては崩壊してしまいます。

 私は思います。昨日の牧師夫人の証しは、かなり普遍的なものだと。逆に言えば、妻の側の自己変革や自分の成長抜きに「私が尊敬できる夫に変りますように」と祈って、その通りになったという事例を私は一例も知りません

 むしろこう祈るべきでしょう。「夫が尊敬でない私の目に覆いがかけられているなら、そのことを示してください。もし、そうなら、その覆いを取り除いてください!」と。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 08:18 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
夫を尊敬できる妻の喜び(1)
 今日は私の存じ上げる牧師夫人からのメールの一部をご本人の了承を得て、転載します。それは夫が尊敬できるように変えられ、妻として大きな喜びを体験した方の証しです。(編集で太字にしたのと、人物が特定できないようにしてあります)
 私なりの解説やらコメントは明日の記事で。まさにこれこそ、クリスチャンの夫を尊敬できない妻が尊敬できるようになる王道でしょう。これが模範、モデルです!
 

 以前、水谷先生に「主人に理想の牧師像を押し付けてしまう」と言いましたら、水谷先生に「偶像を取り除くように」と勧められましたが、あれから、私は自分の育った教会、自分を育ててくれた牧師に固執している罪により苦しんでいることに気がつきました(水谷先生に言われた通り偶像です)。

 そして、自分の育ってきた教会、自分を育ててくれた牧師という偶像をみことばと悔い改めの祈りにより捨て去り、今は神様が主人を通して主の教会を立て上げようとしている神様のビジョンがあること、神様が主人を通して成そうとしておられる働きがあるのだということに気がついたのです。
そして、それからは不思議なほど、主人に与えられている賜物に対して私の目が開かれ、主人のことを心から尊敬できる者へと変えられたのです。

 罪深く、まだまだ取り扱われなくてはならない者ではありますが、現在は夫である主人を尊敬する(できる)生活がどれほど充実感があり、幸せなことであるかを日々実感しながら、また主人と一緒にいられることを日々喜びながら生活しています。

 こんなにも素晴らしい主人が与えられているにも関わらず、主人を尊敬できなくなるとすれば、それは自分の目に覆いがかかっているからであり、神様の御業によって自分自身の覆いが取り除かれるとき、主人を心から尊敬して、従う者へと変えられるのですね。

 以上です。「夫が尊敬できない!」シリーズを通じてもたらしたかったのは、こうした恵みだったのです。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
旦那?それともドナー?
 もう、めちゃめちゃ充実した奉仕ばかりでした。しかも、結構元気です。読者の皆様のお祈りに感謝するばかり。仙台空港からのアップです。 

 今回の東北ツアーでは、結婚問題や女性の自立を扱う機会が何度かありました。その中で、夫を「主人」と呼ぶか?「旦那」と呼ぶのはどうか?というようなことも話し合いました。

 神学校での聴講者から教えていただいたのですが、「旦那」とは仏教用語でスポンサーのことだとか。調べてみれば、確かに「旦那」とは、サンスクリット語(梵語)の「ダーナ」に由来する言葉。「与える者」という意味で日本では僧侶にお布施をする人を旦那と呼ぶようになったとか。

 つまり、「旦那」とはスポンサー。ということは、妻は被扶養者。「食べさせてもらっている人」となります。それなら、妻でなくて愛人でも二号さんでも同じでしょうがと思ってしまいます。

 サンスクリット語はインドヨーロッパ語族です。仏典などが書かれている言語ですが、意外にもキリスト教会になじみの深いラテン語やギリシャ語とは親戚です。

 多分、「ダーナ」という言葉と臓器提供者を意味する「ドナー」は同じ語源(ダー)を持つ親戚のような言葉だろうと思われます。

 そこで問われるのは夫のあり方。つまり「旦那」か「ドナー」かということ。妻の旦那として「食べさせてやっている」という意識で妻を下に見る夫なのか?それとも、キリストが教会を愛したように、臓器どころではなく、全身全霊を妻に与えて愛そうとする「ドナー」であるか?問われてしまいますね。

 妻である皆さんは、夫をどうお考えでしょう。「旦那」でしょうか?「ドナー」でしょうか?

| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 18:00 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
選挙カーで夫の自慢?
 ある教会の方々とお話ししている時、こんなお話をお聞きしました。

「○○さんは、できることなら、選挙カーに乗って、自分の夫は世界一素晴らしいと、町々で訴えたいと言っていました。」

 「選挙カー」とは!そこまで言うか?!ぶっ飛び発言。このご夫妻、個人的によく存じ上げているクリスチャンカップルですが、決して新婚さんではありません。こういう夫婦関係、結婚愛というものが世の中にはあるのだということを知っていただきたいもの。

 そこで思ったことが三つ。

(1)これこそ神様のご栄光!クリスチャン同士が結婚し、聖書の教えに従って愛し合い生活する時、ここまで言える結婚関係構築が可能なのだという当然過ぎる現実に、改めて感激。

(2)大抵のことは他者と比較しない私ですが、よい夫であることについては、どうしようもない負けず嫌い。妻にここまで言われたことはないので、悔しいこと悔しいこと。「いつか妻に、選挙カーと言わせるような夫になるぞ!」と新たな目標を見出し、闘志がメラメラ湧いてきました。

(3)よく考えてみれば、このご夫妻は、守る会を通じて養子を受け入れられたご夫妻。子どもにとって最高の生育環境は、両親である夫婦が強く愛し合っていること。最高のご夫妻に大切ないのちを託すことができたこと!もう、最高ですね。

 ところで、読者の皆さん(ただし結婚5年以上経過)は、「選挙カー発言」できますか?あるいはしてもらえそうですか?私個人としては、目指せ「選挙カー発言」です。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 07:29 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
妻たちよ、夫に話を聞いてもらおう(6)
 今回が最後のアピールです。最後は「妻たちよ、一定時間の範囲で話してみよう」ということ。

 スポーツには時間が制限があり、定時で終わる競技と、所要時間が不確定なものがあります。サッカー、バスケット、バレーボールなどは引き分け園長にならない限りは、所要時間が決まっています。それに対して野球や相撲、ゴルフなどは勝負がつくまで戦いますから、時間の予測は困難です。

 実は、夫が妻との会話を避けたがる理由の一つは、「時間が不確定だから」です。「ああ、始まってしまった・・・今晩はいつ眠れるのだろうか?明日の仕事は・・・」となる夫も多いのでは?

 サッカーバスケットのように時間が読めれば、安心できるのですが、野球のように延長12回までいくかも?となると、先に会話から逃げることを考えてしまいます。

 もし、15分や30分と時間が決まっていれば、夫は努力しやすく忍耐もしやすいのです。妻の側も時間制限があると、事前に何を伝えるかをまとめたり、優先順位を考えたり。会話の質は高まり効率よくなります。

 私たち夫婦も、夫婦の会話のことでは苦労をしました。結婚してしばらくして、原則として毎日時間を決めて30分だけ、夫婦で他のことは一切しないで、話をすることにしました。

 私は30分で絶対終わるので集中して一生懸命耳を傾ける努力ができましたし、妻の方は伝わる方法で、本当に大切なことを話してくれました。それが、半年くらい続いたでしょうか?その制度は廃止されましたが、それ以降は、制度なしに、会話がある程度できるようになりました。

 決して模範的ではないと思いますが、当時の私たち夫婦にとっては、これが現実的な妥協点でした。もし、こうした努力さえ怠っていたら、私は家庭では妻を避けて書物とPCの前にばかりいる夫となり、妻はそんな心通い合わない夫に愛想を尽かし、子どもや趣味に走っていたでしょう。

 私は夫側には会話の量を確保すること、妻には会話の質を向上させることをいつもおすすめしています。つまり、夫は短時間であっても妻との会話の時間を確保する努力、妻は、夫が苦痛でないよう会話の質を高める努力をする努力をされてはと願うのです。

 さらに、平日は連夜の深夜帰宅で、短い時間さえ取れないというご夫妻には手紙を書くことをおすすめします。そうした実践をしているご夫妻は多いようです。妻はその日の出来事や伝達すべき情報、自分の気持ち、思いなどを手紙に記して渡します。夫はそれを通勤時間や休み時間に読んで、メールや電話で返答をします。

 もちろん、夫婦の会話は言葉だけではありませんから、手紙が面と向かった会話の代理機能を果たしきれるものではないでしょう。しかし、会話がなくなり、気持ちがすれちがったり、様々な思いを共有できない夫婦になってしまうことは避けることができるでしょう。

 長々と続いたシリーズですが、いったんこれで終了とします。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 09:51 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
妻たちよ、夫に話を聞いてもらおう(5)
 第五回目は「妻たちよ、伝えるべきことをちゃんと伝えよう」というアピール。

 どうも、妻たちは長時間話の会話をしても、言いたいことを全部、言えているわけではないようです。ましてや夫に伝え切れているかと言えば、かなり怪しそう。

 妻にしても「受け止めてもらえるだろうか」という不安もあるのでしょう。話したいことの一部しか話せない現実は当然かも。しかし、そのことをストレートに夫に言ってしまうのはどうかと思うのです。

 一部の妻たちは、夫との会話に、かなりの時間を使いながら、「気持ちを伝えて切れていない」「言いたいことの10分の1も言っていない」とおっしゃるのです。

 夫にしてみれば、忍耐して聞いているのですから、これを言われるとショックが大きいわけです。せめて妻の満足感、喜ぶ表情などの達成感がないと正直きついと思います。

 結婚当初、私は妻の話を聞きながら、「1分以内で伝わる情報をなぜ、一時間かけて話すのだろう?」と腹立たしく思い、冗談で「帰宅までに400字詰め原稿用紙一枚にまとめて書いておけ」と言ったこともあります。当時の私の偽らざる思いです。

 女性の場合は会話の中で自分の本当の気持ちや考えに整理がつくのだとよくお聞きします。夫と話す前に、それをしていて、伝えるべき内容をきちんと伝えよというのは正直、酷かなとは思います。

 しかし、長時間労働で疲れて帰ってくる夫に対しては遠慮もあるでしょうし、十分な会話の時間をとることもできないでしょうから、やはり、そうした場合はある程度は、話したいこと、伝えたいことの優先順位の高いものを一つか二つ選んでおくとよいと思います。

 そして、愛は相手本位ですから、夫が理解でき、受け止めれるように、伝達能力向上の努力はしていただきたいと願います。自分の気持ちや思い、考えを、相手に理解できる言葉で伝える努力は、結局、会話を充実させ、夫婦関係も向上すると思うのです。

 愛と甘えを混同してはならないでしょう。夫婦だから努力をしないというのは、甘えの一つかも。特に「クリスチャン同士の夫婦だから」といって夫婦の会話において努力をしないのは、どうかと思うわけです。夫に会話という形の愛を求めるなら、妻の側も夫のために伝達能力の向上という愛の努力が必要かと思うのです。夫婦は相手に愛を求めて自分が愛の努力をしない時に、マイナス方向に向かうものなのでは?

 「夫が心を閉ざしているのもわかっていながら、つい感情をぶつけてばかりになってしまう」そんな妻たちのうめきや叫びを耳にすることも。しかし、そうした自己矛盾や課題を克服することも妻の側のチャレンジだと思うのです。

 伝わる言葉、伝わるようにということで、もう一つおせっかいなアドバイス。妻はかなりストレートで短い言葉で伝えるのが効果的です。自分の心情をつらつらと時間をかけて話すと、多くの夫は理解と受容が困難。話す側はスッキリ、聞く側はモヤモヤ

 はっきりと「こんなことがあって悲しい」とか「あなたにこうして欲しい」と一文で結論、アピール、お願い、報告をしないと、夫の多くは何が中心で何が枝葉なのか、分りません。人にもよるのでしょうが、「ハッキリ言わなくても夫が察してくれる」との期待は裏切られることが多いようですね。ご自分は女性で夫は男ですから、ご自分ほどには夫は観察力もなく、察する感性も鈍いのが一般的でしょう。

 いいえ、はっきりとストレートに訴えても、多くの夫には、その半分も伝わっていないのが現実でしょう。少なくとも昔の私はそうでしたし、今でもかなりそうですね。
 
 ビックリするくらい伝わっていないという現実。結婚初期は特に、それに気がつき、それを認め、向き合うことから会話の充実が始まるのかな?と思っています。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 08:12 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
妻たちよ、夫に話を聞いてもらおう(4)
 夫の話は観察日記、妻の話は感想文、これでは会話はすれ違い!そこで・・・

 第四回目のおすすめは「妻たちよ、対象を正しく語ろう」というもの。「対象を正しく語る」とは、言い換えるなら「テーマについて話すこと」であり、「それについての自分の感情を話すこと」ではないということです。

 夫の話は時に観察日記のようです。事実を客観的に観察し、正確にレポートします。時には職場の愚痴でさえ、感情伝達より事実情報の伝達だったりします。

 それに対して、女性の話は感想文になりがちです。「それについて」語るのでなく、自然と「それについて自分がどう感じたか?」という主観的な話になりがちなのでは?

 自分の感性や会話スタイルに固執し続ければ、夫と妻は観察日記と感想文で、会話がかみ合うはずがありません。夫は会話の中で、妻の感情を受け止めるべきことは既にお伝えしましたので、このシリーズでは、妻の側に一歩譲っていただく提案を。

 それは「対象を正しく語る」ということ。出来事でなく、それについての妻の感情ばかりを聞かされるのは、多くの夫にとってかなりの苦痛。特に私のような情緒と共感力の乏しい夫には超苦痛です。

 たとえば、子どもが学校で嫌な思いをしたとしましょう。妻はそれを夫に伝えます。その時の伝え方によって、夫の対応は大きく異なります。「子どもがこんな目にあったことを知って欲しい」という情報伝達や「だから一緒に考えて欲しい、あなたに相談したい」という要求なら、多くの夫は受け止めるでしょう。

 しかし、それ以上に「こんなに悩んでいる私の気持ちを受け止めて欲しい」という感情の理解を優先したり、「あなたは誠実に受け止めない」という非難を訴えると夫は心を閉ざしがちなのでは

 夫にとっては「子どもの大切な問題を話しているのに、大切なのは自分の気持ち?」となるかも。子どものことを語りながら自分を語っているというのは夫によっては、かなり不愉快だったり、不誠実だったり。ある心理学者は「対象を正しく語れないのは幼児性の現れ」と著書に記しています。夫婦の会話が大人の話になっていないという場合もあるかも。

 妻の中では問題提起と感情伝達が渾然一体となっているのでしょうか?あるいは相談したいのか、感情を受け止めて欲しいのかの区別が自分の中でもはっきりしていないのでしょうか?男性はこれに戸惑うのです。正体不明のものをぶつけられたように当惑するのです。男性は二つの事柄を同時に処理できず、脳みそクラッシュ。

 自分の感情中心の会話の中、感情を投げつけられると男性は黙ってしまいます心にシャッターを降ろします。もう、心は通じ合いません。聞いている振りをしているか、ただ、嵐が過ぎ去るのを待つ心境でいるだけ。決して妻の気持ちは届きませんし、夫婦の心は通じ合いません。それでは、何のために会話をしているかわかりません。

 妻の皆さんはもし、夫が自分の話を聞いてくれない、心情を受け止めてもらえないと不満をお持ちでしたら、夫に改善を要求するのは当然の権利でしょうが、同時にご自分も会話の内容や提示方法を改善されてはいかがでしょうか?多くの夫はその改善の提案を口に出せずに、飲み込んでいるのでは?と私は推察しています。

 そんな夫の気持ちも理解し受け止めてやってくださいよ。
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 08:23 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
妻たちよ、夫に話を聞いてもらおう(3)
私は思うのです。自分ではなく相手のニーズを満たすことや相手の喜びを優先する時に夫婦のコミュニケーションは、実りあるものとなるのだと。愛はいつも相手が優先、愛を壊すのはいつも自己中心。ある意味、結婚生活は自己中心克服の戦いなのかも。

 そして、夫婦のコミュニケーションの代表は、言語による会話と言語を超えた全身全霊交流である性生活だと思います。

 どちらのコミュニケーションについても、どうも日本の夫婦は、片方が自分のニーズを満たし、喜びを追及し、相手をその道具や手段にしかねない傾向があるように感じています。つまり男性側のニーズを満たすだけの性生活、妻のニーズを満たすための会話となるのです。その結果、夫婦が共に喜び、心通ずるのでなく、片方のみが満たしを得て、もう片方が深く傷ついたり、屈辱を感じたり、孤立感を覚えたりという残念なケースもしばしば。

 そこで今日のアピールは「妻たちよ、夫のニーズを満たす会話もしよう!」ということ。

夫が妻の話を敬遠してしまう理由の一つは、妻が自分のニーズを満たす話ばかりするから。特に会話の始めから否定的な感情を訴えられると参ってしまいます。これが続くとやがて夫の会話からの逃避が顕著に。

 そこで、一工夫として、夫婦の会話は、夫のニーズを満たす話題からスタートさせてみては?夫の関心のある話題、夫を慰め励まし、気遣う話からから始めるのです。私の妻は、結婚二年目あたりは「今日は落合がホームラン打ってドラゴンズ快勝よ」とか「タレントの○○が女優の××と付き合ってるんだって」など、私の好きなスポーツ・芸能の話題から会話に引き込みました

 これで、私も憂鬱にならず負担に感じないでスンナリ会話に入る込めたわけです。その上で妻からマイナス感情を訴えられても、心は準備OK,受止める余裕ができているのです。

 つまり、夫のニーズを先、妻の本当のニーズを後にした方が、夫は妻の感情をしっかり受止めやすいと思うのです。その方が最終的に妻も夫に気持ちをしっかりと受止められて充実感を得るのでは。あくまで私の個人的体験からのアドバイスですがどうでしょうか?

 銀座の一流クラブのホステスさんは、政治経済をはじめとして社会の様々な話題を、学び続けています。あくまで、相手中心の会話をするためです。男性たちはただ、若くて綺麗な女性が接待してくれるから、ホステスさんのいる店に通うのではなさそうです。自分の関心に合致した話題を持ち出し、益になる情報を提供してくれ、男性側からすると話が通じる女性だからという要素も強いようにお聞きします。

 妻の皆さんに「目指せ!銀座のホステスさん」などと失礼なことは申し上げません。夫婦の会話は接待でも、職業でもありませんから。しかし、夫婦の会話をより意味あるものにするために、自分ではなく夫のためにすべき努力はあるのではないでしょうか?

 今思えば、私の妻はきっと私の帰宅を待ちながら、テレビニュースでスポーツと芸能ネタをチェックしていたに違いない・・・・・
| ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 09:22 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
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