命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
野田聖子議員の妊娠報道、「好き嫌いは本質に先立つ」?
 「実存は本質に先立つ」とは実存主義哲学者サルトルの言葉。私が思うに日本大衆の哲学は「好き嫌いは本質に先立つ」ではないでしょうか?本質に視点を置き、それを考察に是非を断することから逃げているというより、そういう「面倒くさい事」を怠けているように私のようなおじさんは思えるのです。

 「本質を見るより現象を見る」、「本質について考察せず、現象に触れての印象で終わる」「考察の結果の判断でなく、印象、好き嫌いによる判断」というのが現代日本の大衆の「事象に対する反応」であり、それが世論を形成し、一定社会を動かしているように観察するのです。これはかなり危ない大衆社会ではないでしょうか?


 野田聖子議員の第三者卵子提供を受けての妊娠について、あちこちで報道がなされております。「生命に対してどこまで人間の介入は正当か?」といいう本質を問うような報道もある一方で、「女性の生き方・自己実現」という大切ですが表面的一方的な報道もあるようで残念です。

 高田・向井夫妻のように第三者が妊娠して産む姿は、印象として違和感を与えやすいでしょう。逆に、野田議員のように卵子提供を受けて自分が妊娠することは見える現象としては、あまり違和感を与えません。
 でも、高田・向井夫妻は遺伝的には夫婦関係の間の子どもであり、野田議員は異なります。事実婚の夫と別の女性との間の子どもです。日本では夫以外の第三者の精子による不妊治療はかなり一般的ですが、この点では野田議員の方に違和感を覚えるでしょう。

 どう感じるか?は大切ですし、時に理屈抜きの違和感が本質を示すことはあります。ただ、それは不確実極まりなく、本質に迫る前に、安易な答を出してしまうことも少なくありません。それは誤答であることが多いのです。

 他者やその人の行為や人格まで、よく観察し考察もせず、表面だけに触れて安易に「好き嫌い」「好感度・嫌悪感」で判断し、支持したり、バッシングしたり・・・。まさに「好き嫌いは、本質に先立つ」というようなあり方で野田議員の件に反応していては心配です。

 野田議員とその行為より以上に、芽生えた命、その命のへの責任、その命の意味、それが社会にもたらす影響、さらには人間がどこまでいのちの領域に介入することが正当か?女性の産みたい気持ちは、それに優先するか?という本質が問われるような報道、それが常に大衆レベルで、論じられる日本社会であればと願います。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 08:34 | - | - | - | - |
野田聖子議員に学ぶ女性のステージごとの決断と責任
 ジェンダーについてはいろいろな考え方がであるでしょうが、生物学的に女性が産み性である限り、様々な制約はどうしても、生じます。ある場合はその制約を取り除くこと(出産育児休暇・身分保障等)が善でありましょう。しかし、生殖技術については、それを取り除くことが善と言い切れない要素があるように考えています。

 30代に「いい男がいないから」「出会いがないから」「結婚は不住だから」と結婚しない、あるいは願ってもできない。40近くなりやはり一生独身は寂しいからと、恋愛感情はあまりなく結婚。年齢的に卵子が弱り妊娠困難。「でも子どもは欲しいから」と不妊治療を継続。50近くになり、ようやく養子を考えても、断念せざるを得ない状況に・・・。

 野田聖子議員だけではないでしょう。女性の社会進出、晩婚化、男性への要求度の高さ、男性たちの草食化などにより、40近くまで結婚しないで過ごす女性は急増中

 そうした女性たちに考えていただきたいのです。女性が社会で働き、同時に結婚・出産・育児をして家庭を持ちたいと願うのは、何ら悪いことではありません。しかし、そうした決断や実行にはタイミングがあるのです。女性の場合、人生のステージについては決断実行の時期がどうしてもあると思うのです。

 野田聖子議員はそれを願い実現していくための女性独自のタイミングを逸してきたのだと思います。野田議員が30代の内にそうした人生を送る事をはっきりと願い、実行に移していたら、妊娠はできなくても、養子縁組はできたでしょう。子どもために夫が休職するか、ご自身が政治活動休止する選択もあったはずです。

 時々申し上げていますが、自立後であれば女性の結婚適齢期は死ぬまでです。神様の恵みと導きは一生可能性があります。しかし、女性が生物学的に産む性であること、子どもに対して責任を負うことを考慮すると、実子であれ、養子であれ、子どもを育てることを願うなら、人生のステージごとに責任ある決断をしなくてはなりません。

 野田さんのように公人であり、多くの方の期待を担う女性は、どうしてもそうした決断や実行を先延ばしにせざるを得なくなるのでしょう。同じように30代のクリスチャン女性と本音の話をしていると、「為すべき決断と実行」を分かっていながら、先延ばししていることを自覚しているようです。その上で「将来に対して不安を覚えている」か「ありえないようなことを信仰と称して信じているか(失礼!)」のどちらかであることが多いです。

 「ある年齢まで結婚をしないという選択をすること」は、「(実子・養子ともに)生涯子どもを持たずに生きる可能性を覚悟すること」を意味します。

 神様は女性を産む性として造られました。いのちを宿し生み出すことは大きな恵みです。だからこそ、女性は、その「恵みの管理人」であることを覚えて、主にある人生設計をもって頂きたいのです。もちろん男性もそうでしょうが、どうしても女性はその管理責任が厳しく問われてしまいます。

 そして男性とは違い、女性はその刈り取りをリアルに迫られます。
「30代前半で真剣に伴侶を求めなかったから、今・・・・」
「結婚のために具体的な努力をしなかったから、今・・・・」
「あの時、欲を出さずプロポーズを受けておけば、今頃は・・・」
「分かっていながら決断を先延ばしにしてきたから、今・・・・」

 女性だけではないでしょうが、私たちは人生において「あれもこれも」とはいきません。「あれかこれか」の選択をした方がよい場合があります。何かを優先し、何かを諦めなくてはいけないことは多いもの。

 女性はどうしても、独身の快適さを捨てること、社会で思い切り働くこと、教会で積極的に奉仕すること、自分個人の使命に専念すること、そうしたことを捨てないと、結婚や出産育児に歩み出せない立場になりやすいもの。

 それだけに、人生のステージのどこかで何かを捨てる決断をしないと、最終的に不本意な人生を送りかねません。出産育児を神様からの恵み、使命としてお考えなら、人生全体を見通して、「恵みの管理人」としての責任を、年齢にふさわしく考えていただきたいと願うのです。

 クリスチャン男性の少なさ、教会の結婚応援体制の不備など、課題は多々あります。ご批判やご不満はごもっともです。しかし、それを決断先延ばしの言い訳にすることは間違いです。(クリスチャン男性で、牧師のアンタに言われたくないわ!だって?その通りです。ごめんなさい)

 しかし、どのような状況にあっても、年齢相応の主にある決断と責任を自覚し、それを実現させてくださる主への信仰は捨ててはなりません。

 大変、説教がましい記事となりましたが、多くの婚活系クリスチャン女性の皆さんには、野田聖子議員の人生の歩みを実物教材として、学んでいただきたいと願うのです。何も捨てずに全部を実現しようとする「全能者的あり方」は女性として本当に豊かな生き方だろうか?そのために、当人も是非を迷いながら実行した「強行突破的決断」は正しく責任あるものと言えるでしょうか?

 主にある「恵みの管理人」として、あるいは「生物学的限界を免れ得ない主の被造物」として、御心をわきまえた責任ある人生を送っていただきたく願います。
 
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 11:51 | - | - | - | - |
野田聖子議員、養子縁組を断念しての、代理母出産
 本日さっそく週刊新潮を購読。もちろん野田聖子議員の代理母出産についての当人からの記事を読むためです。

 週刊新潮最新号のサイトはこちら!
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/

 野田聖子議員はたくましく強い女性政治家であるのは間違いなさそうです。にも負けず風にも負けず、小泉首相からの刺客にも負けず、離党処分にも負けず(復党)、不妊にも流産にも負けず、養子斡旋断念にも負けず、代理母(第三者の卵子提供)により「それでも私は産みたい」と意志を貫いたようです。

(解説:代理母には大きく分けて二種類あります。一つは夫婦間の受精卵を第三者の女性の子宮に移植し出産する方法、これは高田・向井夫妻の場合。もう一つは、第三者の卵子と夫の受精卵を妻の子宮内に移植するもの。これが野田議員の場合、多くの方にとっての代理母のイメージは前者でしょう。)

 実は、私が今回野田聖子議員の代理母による妊娠を知って思った事の一つは「養子縁組は考えなかったのだろうか?」ということ。

 野田議員は少子化対策をライフワークとしています。なおかつ、養子縁組に関心を持ち、その法規制の必要を感じておられたようです。

 以下のサイトはあるクリスチャンからの教えていただいたものです。養子縁組に関する法規制を検討するシンポジウムのものですが、出席した国会議員の中に野田聖子議員の名前が。

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~okuda/symposium_adoption_service_law.html

 どうも、少子化を考える一議員であると共に、不妊に苦しみ養子縁組を検討してきた一女性としての立場での出席であったとも想像できます。

 週刊新潮にもそのことは書かれています。野田議員は「一度目の事実婚→不妊で苦しみ→不妊治療で苦しみ→事実婚解消→二度目の事実婚」という経緯をたどります。その時既に47歳

 そこで一つの転機が訪れます。血のつながりに固執していたこと、自分のDNAを残すのだという思いを自らの「驕り」と悟り、養子縁組を考えます。

 しかし、ここでも壁にぶつかります。特別養子縁組制度の趣旨は「子どもを願う親のため」よりむしろ「親を必要とする子どものため」です。ですから、子どもが自立するまでの安定した養育(経済・体力等)のために一定の年齢基準などがあります。また、養子は実子以上にふれあいを必要とするとされ、両親のどちらかが休職や退職をして育児に専念することが求められます。

 野田議員は年齢や休職できないことで断念せざるを得ませんでした。そうでなくても、事実婚で1,2年の経過では養子縁組はできないでしょう。そうです。特別養子縁組とは、基本的に「子どもを願う親のための法律」ではなく「親を必要とする子どものための法律」なのです。ですから、子を願う親の気持ちを思うと残酷かもしれませんが、親に対して一定の資格や制限は求められるのです。

 そして、今回、養子縁組の道も閉ざされて、第三者の卵子提供を受けての妊娠となりました。なぜ、事実婚なのかどういう経緯で代理母妊娠に至ったのか、不妊女性の痛み、不妊治療の苦労など、是非ともお読みいただきたい内容充実の記事です。何より記者のレポートではなく、本人が政治家として一女性として自分の言葉で書いていることが価値があります。

 記事を貫いているのは野田議員の「それでも私は産みたい」との意志。それを野田議員は理屈でなく「女性としての私の本能」と自己評価しています。また、保守政治家として、その基盤となる家庭の絆を持ちたいとの強い思いも記しています。

 女性の「産みたい」「家庭を持ちたい」との思いは尊いものであり、できる限り尊重され、実現されるべきでしょう。しかし、ほかのすべてに優先されるわけではありません。女性の自己実現が他者のいのちに直結しているなら、それは最優先されるべきではないでしょう。そのいのちとの関連で判断されるべきです。

 どんな尊い思いも「いのちそのもの」には優先すべきではないでしょう。生まれてきたいのちに対する責任を忘れてはなりません。今回の記事で残念なことは、「生まれてきた子どもについての心配」はあっても「生まれてきた子どもにとっての自分たち夫婦」という視点に少し欠けていたことです。

 「子どもにとって事実婚でよいのか?」「今の二人のライフスタイルで親としての責任を果たしうるのか?」「子どもが思春期になれば、自分はかなりの高齢者、それでよいのか?」など、子どもの立場になれば、自分たちが問われます。

 養子縁組には、親側の情からすれば、ある意味厳しく冷たいとさえ思える制限や条件があります。しかし、それは子どものためなのです。もし、今後、金銭面で裕福な女性たちが、50歳以上の年齢になってから、正式な結婚もしないままで、第三者の卵子で妊娠出産するとしましょう。子どもが思春期になる頃には母親は60代半ばです。父親に相当する男性も多くの場合、定年です。経済的な心配も生ずれば、親との死別の可能性さえ高いはずです。契約責任より本人の意志に依存しやすい事実婚ですと両親が離婚している可能性も高くなります。その子に兄や姉がいなければ、さらに厳しい人生となりかねません。子どもに大きな不安を与えないで済むのはかなり裕福で健康で意志の強い方々だけでしょう。

 不可能を突破して実現することは政治家としても女性としても多く場合賞賛される立派なことでしょう。しかし、ある事柄については、「できない現実を受け止めること」「そこまでしてでも実現してはならないとの判断」「道が閉ざされていることに秘められた深い意味を悟ること」なども、政治家として一女性としてさらに豊かで深い人生に結びつくのではないかと思うのです。少なくとも聖書は「女性の胎を開くか閉じるか」の主権神様にあると受け取れる記述に満ちています。

 今回の週刊新潮の記事、野田議員の誠実な言葉を重く受け止めながらも、問題の本質の所在は違うところにあると思ってしまった私です。

 (追記)WEBRONZAよりお訪ね下さった皆様へ
 本ブログの過去の記事はカテゴリーごとに分類されております。サイトの右下の「カテゴリー」を誤使用いただきますと、不妊治療、中絶問題など、関心と必要に応じての記事をお読みいただけます。

 また、このブログは小さないのちを守る会の代表、水谷が記しております。同会はキリスト教主義に基づいて人工妊娠中絶を防止して胎児のいのちを守る(生存権の擁護)団体です。関心を持たれた方は、本会のサイトをご覧下さい。

「小さないのちを守る会」サイト
http://chiisana.org/

 また、常に入会やご支援をお待ちしております。入会やご支援はこちらにて、受け付けております。
http://chiisana.org/support/


 最近、初めて本ブログをお訪ねいただいた皆様には、続いてご愛読をいただければ感謝です。
拙い記事の数々が少しでも、小さないのちが尊重される社会作りに貢献できればと願っています。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 15:37 | - | - | - | - |
野田聖子さんが代理母出産へ
 また、yahooニュースから。一度目の事実婚と解消、現在の二度目の事実婚相手と第三者の卵子を用いての代理母出産ということらしいです。この方の結婚観や家庭観を反映したあり方でしょう。

 是非は置いて、まずはニュースをお知らせしておきます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000600-san-pol
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 21:28 | - | - | - | - |
不同意堕胎に執行猶予付き判決確定
 本日のyahooニュースによれば、執行猶予付きで確定したのだとか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100824-00000085-san-soci

 現在の日本の法体系ではこうなってしまうのでしょうか?まさか執行猶予が付くとは思いませんでした。個人的には動機や経緯に極度の悪質さがあるので、実刑だろうと予想していました。

 自主的に医師免許を返還したそうですが、そんなの当たり前でしょう。親は病院経営をする金持ちですから、これからの生活には困りません。加害者は社会的地位や家族を失うのでしょうが、それは当然のこと。それでも、裕福な暮らしが保証されていると思われるのは何とも釈然としません。

 何よりも悲しいのでは、胎児は刑法上、人命として扱われないことです。現実に妊婦は胎児が自分の意志に反して、他者の暴力等によって流産させられたら、「殺された」も同然です。

 これは、飲酒運転で人を跳ねたら、その場で救助をせずに、逃げて大量の水を飲んでアルコールが検知されないようにした方が得だとというのに、似ているのではないか?と思うのです。

 つまり医療人は、相手女性が都合の悪い妊娠をしたら、地位を利用して、流産させる薬物を投与したらいいことになりかねません。ばれなければ、それで終わり、完全犯罪です。ばれても、実刑にはならないのです。地位や家庭は失っても、なんとか生きてゆけます。これはいくらなんでもまずいでしょう。これでは同様の犯罪を増やしかねません。もしかすると、「ばれなければ大丈夫、ばれても執行猶予付くから」と今後、不同意堕胎罪に該当するような形で、証拠隠滅を図る男性たちが登場するかも。

 今回の判決は、日本の法体系の中では一定の妥当性があるのかもしれません。しかし、市民感情や一般常識、いのちを宿した女性の立場からすると、「ありえない判決」との感想を持つ方がほとんどでしょう。

 民事でも、多分、被害者女性の心身の苦痛に対しての賠償となるでしょう。しかし、親が加害者である息子を経済的に援助するなら、その賠償額金額は、本人にとっては罪の償いをすることになりません。

 そうです。刑法上で執行猶予。民法上で多額の賠償を命じられても、親が金持ちなら、加害者元医師は、市民感情からすればおよそ「償いの人生」とは思えない安泰で裕福な生活を続けていけるのです。これでは、実質上、法の下の平等など無きに等しいのでは?

 そして何よりも生まれ来る日を迎えられなかったいのちに対しての償いがこの程度でよいのでしょうか?

 私は重罰主義者ではありませんが、さすがにこうした全体像や、今後の社会への影響、加害者の更生等を考えますと、何が何でも実刑判決であって欲しかったというのが正直な思いです。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 17:10 | - | - | - | - |
幼児遺体遺棄事件の副産物?としての「救命目的・幼児遺棄促進システム」?
 先日の幼児遺体遺棄事件の影響かと思われます。こんな情報が届きました。一人の人物が、ミクシィで『棄てたり殺したりする前に、いらない子は私が引き受ける』との趣旨を記述。実際に子ども託し棄てた人物が出現。結果的には待ち合わせ場所に、生後5ヵ月の赤ちゃんを置き去りにし、母親は行方をくらまし、その子は警察に連れて行かれたそうです。ちなみに、このミクシィの主催者の息子は警察官であり、このことの協力をしたというのです。

 さらには、その件をミクシィ公開し、それに対して『子の命が救われた』と多くのメンバー方から賞賛を受け、また同様の募集を始めたそうです。

 もちろん、疑問視する声、非難の意見もあるのですが、「命が助けられること」の一点を根拠に止めようとしないのだとか。もし、この情報が事実で(事実である可能性は高いです)あれば、安易な幼児遺棄を助長しかねません。

 このシステムはいわば「一人赤ちゃんポスト」や「未公認赤ちゃんポスト」ではないか?問題は感じるが本質的に違いはないのでは?との意見もあるでしょう。しかし、本質が全く異なるのです。

 俗称「赤ちゃんポスト」(本名は「こうのとりのゆりかご」)は遺棄にならないとの公的な判断と許可があって、行われていること。そして、その本来の目的は、ゆりかごが用いられないこと。つまり、ゆりかごに託す前に病院に連絡してもらい、母親不明とならず、最終的に赤ちゃんが母親に育てられたり、特別養子として家庭に迎えられること。目標においても将来にわたる子どもに対する責任性においても、社会の認知度についても全く異なります。

 「殺したり、捨てたりするくらいなら、預けて」という発想は、「いのちを守る」という意味では正しいでしょう。しかし、その運用については、合法性が認められ、その後も生命への責任が果たされ、個人的ではないシステムであるべきでしょう。そうでなければ、救命よりも、犯罪行為である遺棄を合法化するという面が、強くなってしまいます。これが事実であるなら、やがて問題視され、犯罪行為とされかねないだろうと思われます。

 情報源の方は、その該当地域の警察に相談すれば「犯罪と特定できないから対処できない」と返答され、同じく該当地域の児童相談所に相談すると「その子どもが特定できないと対処はできない」との返答されたのだとか。どこに訴えればよいか悩んでおられました。(私なりに訴え先はアドバイスはしましたが・・・)

 何度も繰り返すように「事実であれば」という仮定の上でのお話しですが、この件は幼児遺体遺棄事件が生み出した副産物と言えるでしょう。それが主観的には正義の副産物なのでしょうが、客観的、社会的、全体性においては疑問視される副産物でしょう。そしてこのシステムが「救命を名目にした幼児遺棄促進システム」として機能することや「緊急性や主観的正義感が国民の思索や判断を麻痺させる現象」に発展することを危惧してしまいます。

 「今、一人のいのちが失われようとしている」その現実を回避することは、極めて重要。しかし、それが絶対視され最優先されるあまりに、結局、生まれてきた小さないのちが大切にされない社会、親の責任放棄が安易に容認される社会になっては、結局、小さないのちのためにはならないでしょう。

 今のところは、一日も早く、事実が確認され、適正な法的判断や指導がなされることを願ってやみません。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 08:03 | - | - | - | - |
不同意堕胎罪の量刑は?
 昨日の午前はお休みモードでテレビのワイドショーを視聴。「スッキリ」なる番組によれば、今回の不同意堕胎罪について逮捕された医師は容疑を認め供述をしているようです。極めて立証が困難とされるこの罪状で逮捕されたのは、強力な証拠、それも物証があったからとのこと。それを残した女性の執念が実を結んだとの報道でした。トイレで流産した胎児の遺体まで保存していたそうです。

 逆に言えば、今回のように女性が看護士であり、よほどの執念や賢さがなければ、犯罪として立件されることもなかったのでしょう。つまり完全犯罪が可能だったのです。よく考えてみれば恐ろしいことです。実際に事件化しないだけでこうしたことはあるのでは?と感じた視聴者もいることでしょう。

 同番組の中で勝谷誠彦氏がこのような趣旨のコメントを。「胎児に対する法律上の扱いは国によって大きく異なる。妊娠が確認された瞬間から、人間として認める国や法律もある。この加害者医師は殺人罪を犯したくらいの自覚をもって欲しい」

 「胎児を愛の眼差しで見つめ書物に名を記される神」を除外するなら、胎児の人権や法律上の扱いを決めるのは人間社会です。不同意堕胎罪の量刑は法律によれば6ヶ月以上7年以下だそうです。今回の事件については当初、執行猶予が付く可能性があるのでは?との見解もありました。さて、どうなるのでしょう?

 勝谷氏は以前、担任の女性教師を「流産させる会」事件に際してのコメントで胎児の生命を軽視するととられかねない発言が問題視されました。そのフォローでの発言かもしれません。(そうなら残念ですが)今回の発言は、良識あるものだと思います。

 尊い命、いいえ自らの子どもの命を、医師の権威を悪用して葬り去った医療人です。よく考えてみれば、父親が自らの手で、しかも自己都合によって自らの女性関係の証拠隠滅目的で「わが子」の命を奪ったのです。極めて自己中心で卑劣かつ冷酷です。この悪質さは市民感覚からすれば、最大限の7年でも軽いように私は思えるのですがどうでしょう?
 
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 10:35 | - | - | - | - |
不同意堕胎罪容疑、「産ませたら不幸」と供述
 報道によれば不同意堕胎容疑の医師は、犯行動機について「産ませたら母子共に不幸になると思ったので」と供述しているようです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100528-00000507-san-soci

 報道によれば捜査一課はこれを犯行動機と見ているのだとか。私などは「無責任な女性関係の清算、証拠隠滅」という動機では今後、裁判上不利なので、こうした供述をしていると考えるのが自然ではないかと思います。

 結婚をしないなら認知をして子どもが自立するまで養育費を払い続けるのが男としての最低限の責任、結婚した女性にもこうした事実を告げるしかないでしょう。その結果、どうなろうと自分のしたことの責任ですから逃げるべきではありません。

 しかし「医師として仕事も家庭も願い通り」にしたいがためにすべてをリセットすることを狙ったのでしょうか?

 罪をリセットすることは出来ません。罪をリセットしようとしたら、そのためにさらなる罪を重ねなくてはなりません。

 罪はリセットは出来ませんが、リカバーはできるはず。神の前には悔改めてその実を結ぶ歩みをすること。人に対しては誠実な謝罪と出来る限りの償いでありましょう。

 今回の容疑が事実であるなら、「自らの責任で作リ出した状況」にあって、「犠牲と苦痛が予想されるリカバー」を逃げて、「自己都合最優先で無責任なリセット」を選び実行したということでしょう。

 よく考えてみれば、多くの人工妊娠中絶自体がリセットの発想によるものだと言えるでしょう。本来は特に男性側がリカバーすべきことなのでしょう。男性のリカバー責任放棄から、もうリセットしかないという状況に追い込まれ中絶せざるを得ないというケースもよくあります。男性側のリカバー逃避で、選択したリセット、しかし、そのリセットがリセットにならず継続的に女性自身を傷つけ苦しめていく・・・あまりに不条理です。これが罪の恐ろしさ残酷性だと思うのです。

 「責任」「リカバーか?リセットか?」。そんなフレーズから、人工妊娠中絶問題は考えることもできるのではないでしょうか?

 性的自由にはいのちに対する責任が伴うもの。それは時に一生涯をかけて償ったり担うべき責任。そうした責任能力がない者、あるいは、責任を果たしえない状況での性は、「愛しているから」と言いながらその愛する相手に不幸をもたらしかねない行為、それは最も愛に反する行為ではないでしょうか。

 それはもはや思想信条以前の問題でありましょう。こうした「あたり前の理屈」が通用しないのが日本社会の悲劇なのでしょう。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 10:55 | - | - | - | - |
不同意堕胎事件は「現代版バテ・シェバ事件」では?
 不同意堕胎罪容疑のこの事件、交際女性の妊娠判明の翌日に薬物入手、別の女性との結婚直前に薬を飲ませたようです。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201005/2010052100284&rel=y&g=soc

 この事件、事実であるとするなら、ダビデによるあのバテ・シェバ事件に様々な面で似ているのでは?

 
 両者には、二股交際や姦淫の罪という「赦されぬ女性関係」が前提にあります。

 両者には悔改めがありませんでした。医師は自分の非を認め、二人の女性に謝り罪を償う選択もできたはず。ダビデも悔改めのチャンスはいくらでもありました。

 両者とも悔い改めを拒んだ結果、罪の上塗りをせざるを得ませんでした。そして、罪の事実やその動かぬ証拠は両者とも「女性の妊娠」であります。

 両者とも、権力が隠蔽を可能にしています。医師も王も共にある権力を有しています。医師はその権力で薬剤を処方させ、注射しました。ダビデは王の権力でウリヤを死に追いやりました。

 両者とも、いのちを奪うことによって、罪の隠蔽、証拠隠滅を図っています。医師は交際女性に宿る胎児を抹殺し、ダビデはウリヤを戦死させました。「罪がはらんで死を産む」と聖書は言います。もちろんこの場合は「神のいのちなき霊的死」を意味するのでしょうが、二つの事件では一男性の罪と悔改めの拒否が他者の死を生んでいます。そうです!悔改めなき性的罪は、時にいのちを奪うのです。「死」を産み出すのです。

 「死を産み出す」とは何と皮肉で逆説的な表現でしょう。きっと現代の医療技術があれば、ダビデはその権力にものを言わせて、医師を用いてバテ・シェバに不同意堕胎罪を犯していたかもしれません。

 時代や社会、そして医療技術は違っても、人間の罪の本質は変りません。「罪がはらんで死を産む」という「悔改めざる罪のお決まりコース」も変ることはありません。

 どうでしょうか?今回の不同意堕胎罪容疑の事件、ある意味、バテシェバ事件の再犯であり、まさに聖書が描く罪の本質の単的な表現ではないでしょうか?そして、ダビデが罪の悔い改めを拒み、他者のいのちを死に追いやったことは、こうした罪についてはキリスト者も決して例外ではないことを意味します。私たちはともすれば、容疑者医師を自分とは異次元の犯罪者のように受け止めがちですが、決して、そうではないでしょう。
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 10:04 | - | - | - | - |
不同意堕胎の疑いで医師逮捕
 悲しいやら、腹立たしいやら・・・・。本件はyahooのヘッドラインのニュースでも取り上げられました。事件の概要はこちらをお読みください。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100518-00000501-san-soci

 容疑が事実だとすればとんでもないこと。医師が地位を利用して、自分に都合の悪いいのちの抹殺を図ったということになります。現在は被害者とは別の女性と結婚していることからも、あるストーリーが想像できてしまいます。(テレビ報道によれば被害者女性には薬物投与で流産させられたと判明した後も、容疑者男性との交際を希望。しかし、男性が結婚したことを知り、訴えたようです)

 容疑とされる罪名は「不同意堕胎」。患者である妊婦自身の同意なしに、中絶に相当する医療行為をしたということ。日本の法律の根本には「堕胎罪」があります。法の基本理念としては人口妊娠中絶は違法なのです。母体保護法はその例外規定に過ぎません。母体保護の観点から例外的に中絶が合法とされているだけです。当然のことですが、妊婦の同意がなければ、医療倫理上の問題であるだけでなく、違法行為なのです。

 女性の悲痛な訴えに応答して捜査し、こうした闇に葬られかねない事件を明るみに出してくれた警察関係者の努力は賞賛するばかり。

 医療本来の目的は、いのちを救い、よりよく生かすこと。しかし、人工妊娠中絶という医療行為は、患者がよりよく生きる?ために、芽生えたいのちを絶つ事を意味します。人工妊娠中絶は医療の本質を考えますと、重大な自己矛盾を孕んだ医療行為と考えざるを得ません。中絶にかかわりながらも、良心ある医療人たちはきっと葛藤し苦悩しているはず。

 今回の件が事実であるとするなら、その悪質性は、患者の利益のためではなく、自己利益のために芽生えたいのちの抹殺を図ったことでしょう。すなわち動機における極度の自己中心性

 25年前、一人の医師は、中絶をしたくないという女性の意志を尊重し、自らの医師生命を犠牲にしてでも、いのちを生かし育てる決断をしました。それが菊田昇医師です。このことは国会まで動かし、特別養子縁組を法制化させました。

 そして今、もしこの容疑が事実であれば、一人の医師がその地位を利用して、中絶をしたくないという女性の意志に反して、自己保身のために、命を絶つという犯罪行為をしたことを意味します。

 産みたいとの女性の尊い思いの尊重と裏切り、いのちを生かすための自己犠牲といのちを絶つまでの自己保身。医師としてのいのちへの献身と、無責任な一男性としての自己保身。25年の時を隔てて、二人の医師、二つの事件の極端なまでの違いに考えさせられてしまいます。

 本ブログでは何度か菊田医師を紹介(映像もあり)しています。関心のある方は是非、ご一読を。

http://blog.chiisana.org/?day=20090228

http://blog.chiisana.org/?day=20090303
| ヤンキー牧師 | 妊娠・出産・不妊治療 | 11:47 | - | - | - | - |
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