命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
「戦争をどう考えるか?」は「聖書をどう読むか?」の問題
 生命が奪われる問題でもあるので、「死刑や戦争をどう考えるか?」は、個人的にも常に問われるし、考え続けている問題でもあります。

 8月4日の朝日新聞が第一面で報じた記事は、日本のクリスチャンにとっては痛い内容。米国カリフォルニア州の空軍基地の従軍牧師が、核ミサイル発射担当将校に対して20年以上聖書を根拠に「聖戦論」を語ってきたのだとか。

 クリスチャン新聞最新号は、オピニオンにおいて、この件を「聖書をどう読むか?」の問題として、とらえあまりに短絡的な解釈と適用に危惧し、また、日本のクリスチャンにとっても他人事でないことを示し、自戒を促しております。大変読み応えがあります。

 不勉強な私は今頃、このオピニオンで知ったのですが、「正義の戦争」なる言葉は、ウエストミンスター信仰告白中の「新約のもとにある今でも、正しい、やむを得ない場合には、合法的に正義の戦争を行うこともあり得る」に由来するのだとか。

 また、こちらのブログでは、さらに詳細に「聖戦論」「正義の戦争」について「聖書をどう読むか?」の視点から分かりやすく、その問題点を指摘していますので、一読をオススメします。また、朝日新聞の該当記事もこちらでお読みいただけます。(被災教会なので、長くお休みだったようですが、再起に感謝)

「羽村の風」より「今、改めて聖戦論を問う」
http://nobsplace.cocolog-nifty.com/hamuranokaze/


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| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:43 | - | - | - | - |
命の商品化:カブト虫→犬・猫→人間
 夏休みと言えば、カブト虫であります。「いや、クワガタだ!」と主張される方の専門性には敬意を払いますが、一般的には、やはりカブト虫であります。最近はカブト虫も商品化され、ビジネスとなっており、天然ではなく養殖モノがあるのだとか。また、以前はテレビでカブト虫の自動販売機を見てビックリでした。何百円かを投入すると、かごに入ったカブトムシが出てくるのです。

 この自動販売機には、一定年齢の以上の方々はかなり違和感や反感を持つのでは?それは、いのちを商品化しすぎていることへの違和感と反発でありましょう。ペットですから金銭で交換されるのはOK。でも、いのちなのですから、人から人へ手渡しをされ、「大切に育てるのだよ」の気持ちを伝えながら、子どもが受け止めるということの大切さを思うのです。やはり、いのちは単なる商品にはなりえないというのが多くの人々のいのちに対しての感性でありましょう。

 たとえば、これが、犬・猫であったとしましょう。あのペットショップのショーウインドウに、お札の投入口があり、値札に書かれただけ、万札と千円札を入れると、受け取り口から、ケースに入った犬や猫が出てくるとしましょう。まさに犬猫のいのちは徹底的に商品化されています。ケースに入っている「血統証」という「品質保証書」であり、「育て方」は「商品マニュアル」であります。もしかしたら、こうした試みはあるのかもしれません。でも、きっと、犬猫を愛する方々からは厳しい批判を受け、結果的には売り上げ減少となることでしょう。

 さらにはこれが、人間であったとしましょう。さすがに金銭を投入すると、ケースに入った人間が出てくるという機械はないでしょう。しかし、同様のシステムは今も世界中にあります。奴隷制度や売春制度はある意味、人命の商品化でありましょう。

 また、人命そのものでなくても、いのちの元となる男性の精子を、人種、学歴、地位、外見などを特定して、金銭と交換して、入手できる「精子バンク」などは、私はいのちの商品化を、人間にまで及ぼした冒涜的な行為だと考えます。また、私は人工授精の全てを否定する考えではありませんが、もし、妊娠を望む女性が、精子提供者が、有名大学の医学生ならOKで、服役中の犯罪者ならNGだとするなら、それも、人命の商品化に準ずるのでは?と思います。女性の心情は理解できますが、許容されてはならないことだと考えるのです。

 出生前診断で胎児に異常が判明しての中絶も、同様の発想でありましょう。「想定外」、「規格外」の商品を廃棄、返却するかのような発想がそこには潜んでないでしょうか?この産業化された社会の中、いのちの大切さを願うお互いの心の奥底にも、いのちを商品化しかねない罪深さが、潜んでいることは残念な事実ではないかと思うのです。それを克服するのが福音であり、その光によって根底から価値転換していただく必要が、私たち現代人には大なり小なりあるのでしょう。

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| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:49 | - | - | - | - |
本日、午後10時より「いのちと少年犯罪と死刑」を問う番組
 本日、午後10時からNHK総合で「死刑〜被害者家族 葛藤の日々」が放映されます。連続少年リンチ殺人事件の被害者家族を描いた番組です。以前BSで放映されたもので、ご覧になった会員の話では、わりと公平な視点での番組とのことなので、ご紹介申しあげます。

 本ブログでは何度か、取り上げましたが、この事件の主犯格の元少年は、クリスチャンたちの訪問を受け、キリストを救い主として受け入れるに至っております。本日のことですので、短い告知のみで失礼します。
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
被災地教会に乳児置き去り
  こちらの記事によれば、いわき市小名浜の教会に乳児が置き去りとか。

「被災地教会に乳児置き去り」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011051801005

 被災地妊婦の支援を願っている者としては、いたたまれない思いです。置き去りにせず、身分を明かして教会に連絡すれば、赤ちゃんの人生はよい方向に変っていたかも知れません。誰かクリスチャンがこの方の隣人になれていたらとも思いました。

 でも、記事をよく読むと、様々な要素が予想されます。まず、へその緒がついていることから、病院でなく自宅等で出産したと思われます。妊娠自体を家族や周囲に隠し通さねばならない事情があったと予想されます。

 また、「乳児院が分からないので」というのを真に受けるなら、育てられないが赤ちゃんを生かしたい気持ちがあったのでしょう。この言葉がその通りでないとしたら、やはり、ご自分の身分を知らせるわけにいかない事情があったとも考えられます。

 クリスチャンや教会が関われたとしたら、本会がステイ先を紹介できたら、この母親は身分を明かした上で、養子縁組をして、赤ちゃんが家庭ですぐに育つこともできたでしょう。しかし、それさえもできないほど追い込まれていたのかも知れません。絶対に妊娠の事実を隠し通し、自らの身分を明かせない大変な事情があったのかも知れません。

 赤ちゃんは児童相談所が措置をして、乳児院に入ることになるでしょう。母親が早めに名乗り出れば、大抵は温情で、犯罪として扱われないケースが多いようです。

 母親にあたる女性が被災者かどうかも分かりませんし、震災を通じて産めない状況に陥ったとも断言もできません。震災時には既に中絶できない時期に入っていたのは間違いなさそうです。とにかく意図的であれ、強いられてであれ、母親が中絶をせずに妊娠を継続してきたことは事実。いのちが守られてきたのですから、このいのちには無限の可能性と未来が与えら得ていることは間違いありません。

 事実が確定しないのですから、様々な感情は起こりますが、それは一旦、横に置きます。まずは、赤ちゃんが幸せに育つことと、できれば母親が名乗り出て育ててくれることの二つを祈りたいです。
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 20:14 | - | - | - | - |
愛は計算しないし、いのちは数量化できない
 土曜日の総会&コンサートは感謝の内に終了。出席者は30名強で、ほとんどが会員の方。会員でない方の出席を期待したのですが、積極的な宣伝をしなかったことや、「総会」ということでご遠慮いただいてしまったのか?これは改善点ですね。それでも、新しい総会のあり方を試みたことと、コンサート自体の素晴らしさは感謝。特に向日さんのパフォーマンスは私個人もビックリする程、素晴らしいものでした。きっと東海地区からの奉仕依頼が激増することでしょう。

 さて、今日は一昨日の記事「命の尊厳を突きつけられる震災時の実話」についてのコメント。
一昨日の記事はこちら。

http://blog.chiisana.org/?eid=1407827

 寝たきりの障がい児という一人のいのちを、残して、その弟と胎児と自分という三つのいのちを救う選択をこの母親はしませんでした。きっと、この母親の愛の世界では、一人の子どもを失うのなら、三人共を失う悲しみの三分の一ではなかったのでしょう。一人を失う事実は二人を生かしたことで、決してつじつまが合うことではないのです。

 そう、愛は計算しませんし、いのちは数量化できません。聖書は知性を尽くして愛せよと命じます。愛には思慮や思索は伴いますが、計算、打算はありません。愛は「無思慮」であってはなりませんが、「無慮」であり、計算打算を放棄した世界でしょう。そして、愛の対象であるいのちも、数値の大小で考えることができないわけです。

 この母親の愛は、私たちに聖書が示す神の愛を想起させます。ルカの15章には、神の愛が計算しないこと、そして、いのちを数量化しないものであることを教えているとも言えるでしょう。羊のたとえも銀貨のたとえも、放蕩息子のたとえも、共通しているのは、計算ができないことです。いのちを数量化しないことです。99:1でも9:1でも1:1でも、同じです。失われた後半の1に絶大な価値があるのです。安全な99匹、手元にある9枚、親元で暮す真面目な兄一人が、失われた一匹、一枚、一人より価値があるわけではないのです。

 本会は、あまり養子成立人数、中絶防止件数などを、発信しません。これは辻岡先生のポリシーでもあります。「数字ではない」と仰る意味が、私もようやく実感できてきました。まさに「一人が全て」の世界での働きだと思います。いいえ、そうでなければ、主の働きではないでしょう。

 カップルや夫婦が中絶を決断する時に、「この子の分まで、次に生まれてきた子を大切に育てたい」という理由付けをすることがあります。まさに「この子」を愛し、「この子のいのち」をかけがえのないもの、次の子で穴埋めできない存在として考えていただきたいのです。

 年間受洗者数、礼拝出席者数、求道者数・・・・。それには一定の意味があるでしょうし、ある指標にはなるでしょう。しかし、それが本当の意味での教勢を示す第一の指標ではないでしょう。一人の罪人の悔い改めをその度ごとに喜ぶことが、むしろ失ってはならない教会の本質でしょう。受洗者数が多いことが感謝ではなく、一人ずつがそれぞれ感謝なのです。

 多くの中絶を防止できればそれは意味あることでしょうし、そう願いますが、片方で、たった一人の守られたいのちが、感謝しきれないほどの感謝なのです。

 愛に打算、計算が入り込み、愛の対象であるいのちを数量化する時に、愛のない殺伐とした世界は始まり、人工妊娠中絶は起こり、教会は産業化し、本質を逸脱するのでしょう。そして、私たちは、そうした「愛ならざる愛」を本気でクリスチャンとしての愛だと、大いなる勘違いをしてしまうまでに、絶望的レベルの愚かで惨めな罪人なのでしょう。

 私は思います。残念なのはこうした残念な現実ではなく、それを自覚できないことでしょう。一昨日の記事の実話は、クリスチャンにこそ、忘れがちが愛の本質を教えてくれているように思えてなりません。
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 21:52 | - | - | - | - |
命の尊厳を突きつけられる震災時の実話
 昨日、一人のクリスチャン医療人の方より、貴重なお便りをいただきました。その方の関係するHPに震災にまつわるある実話が書き込まれており、それをご紹介いただきました。ここに登場する父親はこの実話を、多くの方に知っていただきたいと願っておられ、公にしてもよいとのことで、記事とさせていただきました。ご迷惑がかかるといけないので、念のため投稿者である医師が特定されないように編集をして掲載します。

 この実話は、言葉では到底伝えきれないものを、伝えています。私は「全ての人間のいのちの価値は同じ」「生まれてこない方がよいいのちなどない」と本気で語っていますが、聖書の権威がなければ、自分などおよそそれを語る資格のないことを、この書き込みで痛感させられています。また、僭越ながら、胎児の障がいを理由に中絶がなされていることの多い、この日本の社会にこの実話が示す豊かな世界を知っていただきたいのです。このことを記事にすることが、震災で失われた尊いいのちを無駄にしない一つになれば、微力であってもこの父親と医師のお役に立てば、うれしいです。

 「13トリソミー」とは、先天的な染色体異常による障がいの一つです。詳しくは、wikiphediaの以下のページ内の「常染色体トリソミー」を参照下さい。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E7%95%B0%E5%B8%B8#.E5.B8.B8.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.E3.83.88.E3.83.AA.E3.82.BD.E3.83.9F.E3.83.BC


 〇〇(被災地名)の〇〇(医師名)です。

 このメーリングリストの趣旨とは合致しませんが、投稿させてください。私と気持ちを共有してください。

 1年間のNICU入院生活の後に、在宅人工呼吸器で退院された13トリソミーの赤ちゃんがいました。4月から養護学校入学予定でした。3歳の弟がいます。お母さんは妊娠中で、その子の入学式に出席されるために3月28日を帝王切開予定にしていました。

 津波が来て、お子様二人、お母さんが流されました。お母さんは二人のお子さんを抱え妊娠中でもあったため、避難が遅れたようです母親は子供二人を抱きかかえたまま離さず、流されてお亡くなりになりました。本日、その13トリソミーの赤ちゃんが見つかり荼毘に付したとお父さんが報告にいらしてくれました。下のお子さんは、いまだに行方不明です。

 私見ですが、寝たきりの13トリソミーの赤ちゃんを置いて、3歳の子と二人なら逃げられたのかもしれません。そのように考える私は綺麗ごとを言っても、しょせん偏見の塊であることを認めなければなりません。母親の愛は、理屈でしか物事の価値を判断できない私のちっぽけな心をはるかに凌駕しています。

 生まれてきた命にはすべて同じ価値がある、そんなことを言う資格は私にはありません。それを実践された家族にのみ許された言葉だと思います。しかし、その家族の気持ちをたくさんの人に伝えることはできます。それがこれからの私の使命だと思います。

 母親は理屈抜きに全ての子供に同じように命がけで愛情を持つ、この母親の気持ちをすべての周産期関係者に知っていただきたいと思います。

 お父さんが伝えていかれた言葉は、「NICU入院中はかなり厳しい経過もありましたが、助けていただいて、ありがとうございました。生まれた時は、足が震えて、『この子からは、子供を持った喜びは、もらえないのではないか』」と感じたこと。でもこの子を中心に家族がまとまることができて、健常な赤ちゃんを育てただけでは得られない幸せを感じられた。子供に感謝している。この子が生まれたこと、この子を育てることができたこと、に感謝している。母親を尊敬している。障碍者は災害の時は弱者であること。その他たくさん思い出話もしましたが、よく覚えていません。

 本当に子煩悩なお父さんで、お母さん思いのご主人でした。毎日、仕事帰りにNICUにいらっしゃり、遅くまで二人で面会されていました。私が一番印象に残っているのは退院する頃、お母さんに「〇〇先生!この子は笑うようになるんでしょうか?」と尋ねられ

「う〜〜ん。家に帰れば、その可能性はあるけどねえ」とお答えしました。

 退院1か月後に、はじけるような笑顔の写真をNICUに送ってくれました。「退院するときは、また〇〇先生が気休めを言っていると思いましたが本当に笑うようになりました」と手紙に書いてありました。予後不良の赤ちゃんでも、在宅での家族の関わりで飛躍的に発達を遂げることを学びました。

 本当はもっと別なことを学ばせていただいたのですが、言葉に表現できません。家族の愛は素晴らしいという事かもしれません。よくわかりません。ご推量お願いします。

 この赤ちゃんは「口唇修復術を施行した13トリソミーの2例」として、一昨年、未熟児新生児学会に報告させていただいています。笑顔の写真も提示しましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。手術をしたことにより、愛情がより湧いたこと、外出も気楽にできるようになったこと、たくさんの人に赤ちゃんを見てもらえるようになり、より喜びを感じることができたことなどを、自宅を訪問した折に両親にお話を頂きました。

 そう言えば、すぐその先が海でした。まとまりが無くなり、申し訳ありません。家族の了解を得て投稿しています。無力な私ですが、ご主人と二人でお母さんたちの命を無駄にしないための、何かの行動を一緒にしましょうと約束しました。

 今回の震災では2万人以上の犠牲者がいるそうです。同様の物語が2万通りあることを、もう一度銘記したいと思います

〇〇病院 未熟児新生児科 〇〇〇〇(医師名)

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:49 | - | - | - | - |
「母乳チーズ!」が問いかける人間の尊厳
 こちらのニュースによれば、ニューヨーク大の院生が人間の母乳でチーズを作り、提供。バイオ技術における倫理面に関心をもってもらうためだとか・・・・。

産経ニュース「今度は母乳のチーズ?」
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/110503/amr11050314450015-n1.htm

 「今度は」とあるので、「前にも同様のことがあったのか?」と思って、参考記事を見れば、イギリスで母乳アイスを提供する店が登場、商品名は「ベビーガガ」。この商品名をめぐってはレディーガガが提訴するだのしないだのとか。

 母乳チーズの是非はともかく、額面どおりなら、大学院生たちの意図は理解できます。母乳からの加工食品という身近で、倫理的に深刻な問題にならなそうな題材で、一般市民に、倫理を問うたのは、不謹慎とのそしりもあるでしょうが、意図はわからないわけではありません。

 一般市民がきっと、このチーズに戸惑った理由は、母乳という前例のない原料だからだけれはないでしょう。多分、母乳でチーズを作ることに人間の尊厳に関わる違和感や抵抗感を覚えたという面も大きいと思うのです。もちろん、私自身も問われてしまいました。そこで考えてみたわけです。

 そもそも母乳とは何のために神様より与えられているのか?それは赤ちゃんを育てるためであります。自らが出産した赤ちゃんだけではありません。他の母親の子どもに与えるためでもあると言えるでしょう。子どもは神より社会全体へ授けられし存在。一人の母親が母乳ができないなら、他の母親が提供するのも正しい母乳の使用法。そして、聖書自身も乳母の役割を肯定しているようです。

 では、動物に人間の母親が母乳を与えるのはどうか?うーん、微妙ですね。元来の目的とは多少ずれるでしょうが、赤ちゃんのような幼いいのちを育てるという目的で許容範囲かな?とも思います。

  そして、私自身は「母乳チーズはやっぱり倫理的逸脱だろう?」と思うのです。それは人間の家畜化、あるいはそれに準ずる行為であり、それ故、人間の尊厳に反するのでは?と考えるからです。

 たとえば、人間に肉を食べることや食人文化は、間違っていると思います。それは人間を食肉のための家畜と同一に扱うからです。

 奴隷制度や奴隷労働の強制は、人間の尊厳に反すると考えます。それは人間を家畜同様あるいはそれに準ずる扱いをしているからです。

 ホームレスの方や路上生活者を、襲撃したり、いのちの危険にさらすのは非人道的行為です。それは人間を害虫扱いすることだからです。

 健康のために、すっぽんの血を飲む文化や動物の血の加工食品は赦されても、人間の生き血を飲むこと(輸血ではない)も、どうかと思います。やはり、人間と他の動物を混同していると感じられるからです。

 人間の医療や薬品開発のために必要な動物実験は、許容されると思いますが、逆に、家畜などの生殖技術を安易に人間に応用する一部の生殖技術などは、検討の余地があるように私は思います。人間のために動物を犠牲にするのと、動物のためのものを人間に利用することは、人間の尊厳と言う面からは、似て非なるもの、正反対かもしれませんから。

 というわけで、「そう目くじら立てないで」と言われるかもしれませんが、母乳チーズは、やはり「人間の尊厳を損なっているのでは?」と反対派宣言をするのです。それは、程度は軽いでしょうが、人間を家畜扱いするものと考えるのです。

 創世記1,2章によれば、動物は、神の言葉で造られましたが、人間は神の息、霊を吹き込まれた存在です。動物は神の似姿を持ちませんが、人間はそれを所有します。そこに他の動物とは別格とされる人間の尊厳があるはず。しかも、神が与えた役割は、動物側は支配され、管理され、開発される側、人間は御心に沿って、動物など他のいのちを支配、管理、開発する側。人間と動物のいのちの差異は明らか。

 現代文明、とりわけ医療技術や生殖技術は、人間のいのちと他のいのちとのこうした絶対的差異を見失う危険を常に孕んでいます。本来人間の幸せのための技術が、逆に肥大する人間の欲望に利用され、人間疎外をもたらしかねないのが、現代文明の問題点でありましょう。

 バイオ技術の倫理面を問いかけるこの大学院生の企画。クリスチャンとして、聖書の価値観を土台としてどう考えるか?どう応答するか?と考えると、かなり有意義かと思います。
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 09:42 | - | - | - | - |
カウントダウンの中にあるいのち、永遠に生きるいのち(3)
 小林正人兄弟に13年間仕えてきた姉妹は以下のような文章を記しておられます。当人の許可をいただいて掲載します。 


 私は正人君との出会いを通して神様は「罪は憎むが罪人は愛される」ということを実感しました。
また救いのためには必要な人や出来事を総動員されるお方だとも知りました。 〇〇さん(共に訪問してきたクリスチャン)たちが「洗礼受けるんだってね?」と聞いたとき「うん」とうなずいた時の正人君のあんなに優しく輝いた笑顔を見たのは初めてでした。あの笑顔が目に焼き付いています。

 私は神様の派遣社員になろう神様が導かれる所に行って働こうと思ってパートの仕事を辞めましたが与えられたのは拘置所でそれも人の命を奪った人でした。命を奪った者への伝道は共感されることが少なく孤独なものですが被害者家族の死んでほしいという声も近くで聞くことになるので本当に辛かったです。正人君に関しても信仰を持ってくれるのかどうかも分からない先の見えない状態が何年も続くなかで、自身の信仰が試される日々でした。

  先が見えなくても、たとえ信仰を持たなくても私が行くなというまで支援しますか?私を信じて従いますか?という神様の声が聞こえてくるようでした。

 また私自身、正人君を支援する事を通して多くの人と出会い、幾つかの問題が起きる中で自分も正人君と同じ罪赦された罪人であるということを嫌というほど思い知らされました。

 

本当にきれいごとは何一つないんです


 以上です。ある集会でこの姉妹とお会いして、同様の証を直接伺いました。涙を流して神様の恵みの大きさとご自分の罪深さが教えられたことを伝えてくださいました。最後に「きれい事」ではないことを記しておられますが、まさに13年間を通じて、神様の愛と人間の罪深さを、この「現場経験」なくしてはありえないほど、深く実感、そして実体験されてきたのでしょう。

 聖書が一貫して示しているのは神の愛と義、恵み深い神の姿でしょう。一方、人間について記しているのは、そうした神の恵みに真摯に応答する人間の姿ではないでしょう。それは、むしろ例外的。聖書が人間側について描いていることの多くは、それを黙殺し、それへの応答責任を放棄して歩む神の民の姿でしょう。信仰の父アブラハムでさえ、その家庭人としてのトホホ振りを、信仰の勇者ダビデでさえ、ありえない大失敗を聖書は包み隠さず、記しています。神の真実さと人間の不真実神の恵みと人間の罪深さ。この姉妹は小林兄弟との13年の交わりを通して、まさにそのことを現場教育されたのはないかと思い当たりました。聖書の世界の現実性をきっと実体験されてきたのでしょう。

 そして、現場にはいない、間接的でしか過ぎない私たちも、このことから、また、姉妹の文章から、ほんの一部でもそのことを受け取れるのでは?

| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:38 | - | - | - | - |
カウントダウンの中にあるいのち、永遠に生きるいのち(2)
 小林正人兄弟の受洗予定の知らせを受けて、記事を書くのに、自分なりの葛藤がありました。その一つは、自分の信仰義認が試されたことでした。自分は、少なくとも牧師になってから、信仰義認など微塵も疑ったことなく、確信に満ちてその恵みを伝えてきたつもりでした。

 しかし、今回の件には揺すぶられました。小林兄弟の受洗は、私にとっては最もラディカルな、信仰義認の具現化として迫るものがありました。多くのいのちを殺めた者が、死刑前に悔改めてイエス様を信じたら、救われるというこの明確な事実に、リアリティーをもって、迫られました。観念としての教理なら、イエス様の隣の十字架上で悔改めた犯罪者の例を上げるまでもなく、疑う余地はありません。しかし、それが身近な現実として起こったとき、正直、迫られました。

 遺族にしてみれば、「そんなことはあってはならない」ことでしょう。「人を殺めた者がイエスを信じて天国で、真面目に暮してきた者がイエスを信じなければ永遠の滅び、そんなバカな!」ということでしょう。およそ、受け入れがたい、教理です。いいえ、神による事実です。

 私はある事象について判断する時には、その事象やシステムにおける「最も弱い者」「最も小さき者」の益、という視点を心がけています。中絶問題なら、児の立場、牧師の性犯罪加害なら被害者女性、児童ポルノの問題なら被害を受けた児童自身。この事件における最高の弱者は存命者なら遺族でしょうし、そうでないならいのちを奪われた被害者と考えるのが順当でしょう。その視点から見ると、大変恥ずかしいことでしょうが、ある違和感をほんの一瞬、覚えたのです。逆に神の視点を失っていたのでしょう。

 その違和感とは何だったのでしょうか?マタイの20章には、「ブドウ畑のたとえ」が登場します。日雇い労働者が雇われ、ブドウ畑で働きます。朝早くから働いた者も、午後の5時から短時間働いた者も、約束どおり、契約の通り、賃金は全員1デナリでした。当然、朝から働いてきた労働者は不平を訴えます。それに対してブドウ畑の主人は15節で言います。

自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。私が気前がいいので、あなたの目には妬ましく思われるのですか。」

 きっと、私がほんの一瞬感じた違和感、それは、神の気前よさに対しての妬みであり、自分のものを自分の思うようにして当然の神の主権に対しての反逆心であったのだと気がつきました。ほんの一瞬、微塵ほどでも、そうした思いを持ったことを悔改めざるを得ませんでした。

 母の胎にいた時から祈られ、教会学校皆勤で、生涯優等生の模範的クリスチャンも、多くのいのちを殺めた後に、キリストを信じた死刑囚も、同じ一デナリなのです。これが神の気前のよさであり、主権なのです。

 そして、この気前のよさと主権が神の不義でも、不合理でもないのは、ひとえに、キリストの十字架の御業の故。落とし前はついているのです。観念や教理の世界ではなく、聖書が示す現実を間近にした時、ラディカルなまでに信仰義認を、神の主権と気前よさを突きつけられ、チャレンジと同時に言葉にならぬほどの感動を受けました。

 今回は私が受けた恵みをお分かちしてみました。読者の皆さんはこのラディカルな聖書的事実をどう受け止められるのでしょう。




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| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 20:06 | - | - | - | - |
カウントダウンの中にあるいのち、永遠に生きるいのち(1)
 先日、一人の会員から、小林正人という青年が,まもなくバプテスマを受ける予定とのご報告をいただきました。大きな感銘を受けると共に単純に喜んではならない厳粛な思いも持ちました。なぜなら、この小林正人という青年は、連続リンチ殺人事件の主犯格であり、3月に少年犯罪として前例のない死刑が確定したからです。

 この件については以前の記事を参照ください。
http://blog.chiisana.org/?day=20081112

 すでに新聞報道されているので、仮名でなく本名としました。この記事は、死刑の是非や少年犯罪を論ずる意図や減刑を求める意図ではありません。また、小林正人兄弟に13年間仕えて来たクリスチャン女性の許可と要請をいただいての記事でもあります。

wikiphediaによる同事件の概要はこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%BB%E6%84%9B%E7%9F%A5%E3%83%BB%E5%B2%90%E9%98%9C%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 13年間以前から仕えて来たクリスチャン女性は、以前から少し面識のある姉妹でした。改めて、「この姉妹がそうだったのか!」と思いました。連絡をいただいた本会会員も、この方と共に近年は訪問しておられました。小林元少年は何年も前に既に信仰決心をしていましたが、バプテスマを受ることなく過ごしてきました。それはバプテスマが裁判を有利にする材料と思われることを避けたかったからと聞いています。そして、死刑確定を期に受けることにしたのだそうです。

 その姉妹の話によれば、小林元少年は、極度の虐待を受けて育ち、他者の痛みを感じられない人間であったそうです。心の痛みだけでなく、自分の腕を傷つけられても、肉体の痛みを感じない程になっていたそうです。そんなことがあるのだと、これには私も衝撃を受けました。

 簡単に考えてはいけないのでしょうが、少なくともクリスチャン女性が一人の殺人者を13年間愛をもって仕えつづけ、人間らしい心を回復させ、罪の悔改めに導き、永遠のいのちに至る助けをしてきたことだけは、事実であります。

 「だからどうこう」ではありません。まず、この事実だけはお伝えしたいのです。

 「小林正人兄弟」とあえて記載します。兄弟は既に死刑処遇に入っており、面会や手紙なども厳しく制限されているようです。兄弟は私も存じ上げている名古屋の某教会の会員として、ちゃんと教会籍も与えられます。所属団体も承認済みです。

 彼のいのちは、死刑執行までのカウントダウンの中のいのちです。しかし、そのいのちは死を超えて永遠に生きるいのち。そして、やがて天において同じ信仰を持つ者たちと再会するいのちなのです。
| ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 17:52 | - | - | - | - |
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