命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
惚れてまうやろー
 昨日は疲労蓄積のため、J+Passionを途中で失礼して夕方に帰宅。今回のJ+Passion裏の目玉?と言われる女性限定分科会は大変充実したものでした。特に安藤主事が女性の性欲とその受け止め方などを話されたのは、私にとっては圧巻。本ブログでも推薦した「あなたはどこに愛を探していますか」(いのちのことば社)も紹介しながら、語っていただきましたが、男性の私にも理解できる明確なものでした。私は女性の性欲だけは理解をもって、語ることが今ひとつできません。安藤主事のお話は一人でも多くのクリスチャン女性にお聞きいただきたい優れた内容。ひたすら脱帽

 さて、本ブログとして取り上げたいのは、男女の食い違い。男性に「惚れてしまうやろー」と勘違いさせるような悪意なき女性の行動の一つとして、メールのやり取りが取り上げられました。安藤主事から問いかけられて、私が「ハートマークとか勘違いしますよねー」と発言。それに対して安藤主事「勘違いされないように、赤やピンクでなく、わざわざ黄色のハートにしても勘違するようですね」と応答。

 やはり、男は「ハートマーク」には色に関係なく、勘違いの可能性が高いので、ご注意を。

 安藤主事の見解では、女性同士の友情と男性同士の友情はあり方が大きく違うのに、女性の友人に対するような友情を男性とも持とうとすることが、勘違いを引き起こす原因なのだとか。つまり、女性同士の友情は感情交流を通じて感情の共有をするあり方。一方の男性は情報交流や使命の共有などが友情のあり方。ですから、感情共有を男性に求めてしまえば、「恋愛感情あり?」「気があるのかも?」と勘違いされるわけです。

 私もこれには大いに納得、男性にとっては、女性から感情共有を求められたら、友情関係という選択はまずないのでは?ずばり、彼女候補にするか、「そういうことは彼氏に」と思いながらご辞退申し上げるかの選択を迫られてしまいます。

 まあ、これを「異種友情・不適応理論」と名づけましょう。異性間で友情が成立するかどうかはよく議論されるところ。もし、それが可能だとすると、女性が自分が願うような感情共有型の友情でなく、男性的な情報交流・使命共有型の友情を持つよう努力することかと思います。そうでないと「惚れてしまうやろー」現象勃発の可能性は免れないでしょう。

 この「異種友情・不適応理論」は男女とも有力な仮説として、心に留めていただき、よき兄弟姉妹の交わりを形成する参考にしていただければと願うのです。

 女性のどんな行為が「惚れてしまうやろー」を引き起こすかについては以下に有意義なアンケート結果をご紹介申し上げます。

http://trend.gyao.jp/love/entry-2624.html

 今回の記事が男性理解に役立てば感謝。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 07:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
男の恐怖!「私と○○どっちが大事?」
 最近、森岡正博氏の著書二冊を読破。「感じない男」(ちくま新書、680円+税)と「草食系男子の恋愛学」(メディアファクトリー、1000円+税)の二冊は共に面白く役立ち?ますね。前者は現代男性の性のあり方に深い考察を与えてくれます。男女ともお読みいただきたい良書。ただ、ちょっと恥ずかしい内容です。後者は恋愛弱者?向けのものですが、肉食系男子や既婚者男性にも読んでいただきたい内容。

 そして、後者のコラムに書かれていたのが、「私と○○どっちが大事?」の応え方。

「私と○○どっちが大事?」

 怖いです!包丁を突きつけられるような言葉です!○○には当然「仕事、使命、奉仕」あるいは「野球、テレビ、パソコン、ゲーム」などが入るわけです。男性の多くは妻や彼女に尋ねられて、恐怖を覚えたり、戸惑ったり、パニックになったり、取り返しのつかない失敗をしたことがあるのでは?

 私も「もちろん、君に決まっているよ」と引きつった笑顔で答えたり、「そんなこと比較できないよ」と字義通りに応えて、失敗したことも。

 森岡氏の説明では・・・・。
女性がこの言葉を発する動機:女性が「自分を大事に思ってくれていないのでは?」との不安蓄積時に起こるチェック。しかも、女性は無理な言いがかりである事を自覚している。

男性の受け止め方:真面目な男性は困ってしまう。それによって関係が険悪化することも。つまり、言葉どおり受け止めて、女性の真意を損なってしまうということ。

女性の真意:大事にされてないという不安がある。だから、こうした無理難題を突きつけている。ここまで追い詰められた気持ちをわかって欲しい。大事に思うなら言葉と行動であらわして安心させて欲しい。

正しい対処:大事の思う気持ちを言葉ではっきりと伝え、それを裏付ける行動をとる。(その言葉を発するには勇気が必要、どんな行動が適切化の判断は難しいですね。)

 森岡氏の分析はどうでしょうか?正しいでしょうか?人によって異なるでしょうか?いずれにせよ、単なる対処マニュアルではなく、男女の違いが明確に描かれていて、異性理解の勉強にもなりますね。

 「私と○○どっちが大事?」

 この言葉を言ったことのある女性、言われたことのある男性の皆さん、成功例、失敗例いずれでも構いません。できれば「○○」に具体例を入れた上で、コメントとしてご紹介いただけますでしょうか?ピックアップして記事にしたいと願っています。
 少しでも異性理解の助けになり、結婚準備や結婚関係改善のお役に立てばと思っています。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 09:20 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(予告編)
 今日、私がこうしてブログライターとしてやっていられるのも、先人の方々から学ばせていただいたおかげであります。ブログを通じて証しを願っている方々の参考に少しはなればと願い、ネタばらしです。プロや優れた先人に真似たり、学んだりしながら、文章力や記事の質的向上を図ってきたつもりです。

 文体のスタイルは本会の機関紙「ぷろらいふ」の編集者として長く御奉仕くださったプロの編集者を真似て身に着けました。

 個々の事例や社会事象からスタートして聖書の普遍的真理を指し示すアプローチ方法はことば社やクリスチャン新聞の編集者から学び取ったもの。

 社会事象に対して表面的でありきたりの安易論評を避け、サブカルチャー的視点から、より本質に迫り、辛らつに批判をする手法は渋谷陽一氏の著書に触れて身につけたもの。

 オヤジギャグなどであきれさせつつも、社会に対する豊かな知識と深い洞察力と鋭い分析力によって、信頼されるコメントを伝える姿勢はデイブ・スペクターの著書とテレビでのコメントに触れて学びました。

 そして、私が性、恋愛、結婚、生命について語るとき、文明批判的なアプローチをよくするのは森岡正博氏の影響が大きいのです。

 実はその森岡正博氏が興味深い書物を記しているのを最近知りました。

 それは「草食系男子の恋愛学」と「感じない男」 

 前者はタイトル通りです。現在注文をして、到着待ち。ブログネタにふさわしい内容なら、「草食系男子論」を新たなコンセプトで再開したいですね。

 また、後者は、「三次元より二次元」「生身の彼女より、制服それ自体」といった昨今の男性の性を考察する書物。こちらは近所の図書館でゲット。

 女性の性は、オープンになり、自覚化され表現されているように思います。一方、男性の性は、従来は単純で攻撃的であったのが、大きく変化しているように思われます。「感じない男」はそれに対しての鋭く深い考察に満ちています。聖書的で健全な性を考える際に見過ごせないことなので、この著書もブログで取り上げられたらと願っています。

 以上、確実な約束はできませんが、アバウトな予告編でした。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(6)
 これで最終回にしましょう。最後に考えたいこと。それは「男の中の男」「すべての男性の究極のモデル」である「イエス様は、肉食系であるか草食系であるか?」という考察。

 まずは肉食系ではないのは明らかでしょう。魂への激しい愛や神の義を求める強い志も、それらは「欲」ではありませんでした。イエス様は空腹を感じ、居眠りもされましたから、人間としての基本的な欲求はお持ちだったはず。

 しかし、聖書は「ご自分を楽しませることはなさいませんでした」と記しています。宴会に招かれてご馳走を召し上がっても、それは神の恵みを楽しむという正しい欲求の満たし方であり、愛の交わりという他者のためであり、決して「自分を喜ばせるため」「自己充足」ではなかったと思われます。ですから、様々な欲望を肯定的に受け止めその最大限の実現をモチベーションとして忍耐努力を重ねる肉食系のメンタリティーとは大きく異なります。

 では、イエス様は草食系かといえば、およそ、そうとは思えません。他者を傷つけることや自らが傷つけられることを必要以上に恐れてはいません。相手によっては痛烈な皮肉やかなり断罪的拒否的と受け取れる発言もありますし、相手にチャレンジするような厳しい言葉、弟子と群集を選別するための言葉などもあります。イエス様の発言で(浅い意味で)傷ついた人の人数ははかりしれません。

 もちろん、ご自身は誤解され、裏切られ見捨てられという究極の傷つけられ方をされます。愛と義を実現し神に従うためなら、傷つけあうことなど恐れない方だったようですね。

 時代や社会に適応した苦痛の少ない快適なライフスタイルとは正反対の生き方をされたという意味でも、草食系とは異なります。年収三百万で節約して小さな幸せに生きるという自己充足的人生とは、大きく異なる使命優先の神優先的人生であったことも草食系ではないでしょう。

 結局、男性が目指すべき男性、あるべき男性像とは、肉食や草食といった相対的な要素を超えたところにあるのでしょう。時代や社会に流されることなく、欲望をモチベーションと生き方と決別し、かといって自己本位の楽さや快適さに埋没することなく、神と隣人を愛し、神の義の実現を目指し、神に従う生活(具体的に家庭と社会での責任遂行を含む)を送り、神の栄光を現すこと。

 クリスチャンたちが既に繰り返し聞かされているライフスタイル。これが肉食も草食もない、男の中の男の生き様なのでしょう。そして、肉食系男子も草食系男子も、そのメンタリティーやライフスタイルは、聖書の言葉通じて、神様に取り扱われ、イエス様に似たものとされていくべきだという点では全く共通なのだと思います。

 肉でも草でもなく、神の言葉を食べて真の男を目指すという意味では、肉食系男子でも草食系男子でない「言食系男子」で歩みたいと願います。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 08:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(5)
最後の二回は草食系男子の危惧される部分など、少し負の面にも触れてみたいと願っています。あるクリスチャン男子大学から聞いたのですが、ノンクリ男子大学生たちが集まった時、よく話題になることの一つは・・・・。

 「二次元がいいか?三次元がいいか?」なのだとか。

 つまり性的対象として、「画面上、映像の女性がいいか、生身の女性がいいか」(下品で失礼)という論議なのです。思うに、これは草食系男子の間にのみ有効な議論ではないでしょうか?肉食系おじさんたちには、ありえない議論です。結論は決まっているからです。

 「そんなもん、三次元に決まっとるやろ」
 「生身が実現できんから、映像に走るんだろ?」
 「二次元はそもそも三次元の下位にあるもの」
 「現実の代理が映像で、三次元の代理機能が二次元!」
 「二次元の方がよくなったら、それ、男として終わっているやろ?」
 「二次元の方がよくなったら、妻(彼女)に失礼でしょうが!」

 これが肉食おじさんたちのいわば正論なのでしょう。私も、実感としても理論としても、この正論には賛成です。私に言わせれば、二次元の方がいいというのは、「本物の野球よりもコンピューターの野球ゲームの方がいい!」「やっぱりスキーはゲレンデよりパソコンだよね!」と言っているような異常さであります。つまり現実とバーチャルが逆転しているわけです。

 でも、よく考えてみると、野球より野球ゲームの方がいいこともあります。人を集めなくて済む。チーム内の人間関係で悩まない。野球経験も厳しい練習も技術もいらない。グランドを借りなくてよい。現実ではありえない活躍もできる。用具もユニフォームもを買わなくてよい。洗濯をせずに済む。好きな対戦相手と戦える。自分が監督となり指揮することもできる。嫌になったらゲームセットできる。
 スキーについても同様。実際のスキーのように、寒くない、遠くない、金はかからない、怖くない、怪我をしない、現実にはできない演技も可能となれば、いいことづくめ

 何と自分にとって好都合で、インスタントに全能感や達成感を味わえるのでしょう。現実に比べればありえないような小さな犠牲と努力で、プロレベルの野球やスキーができてしまうわけです。

 これは性の世界も同様。二次元の女性は、わがままを言わない、面倒くさい女などいない、簡単に思い通りになる。欲望達成までの長いプロセスが不要。デート代もいらなければ、どこかに連れて行かなくてもよいし、プレゼントなど不要。しかも、男性側が周囲の現実の女性よりはるかに魅力的な女性を選べてしまうわけです。

 何と男性にとって好都合で、インスタントに性欲解消や(仮想で偽物とは言え)性的達成感を味わえるのでしょう。

 現代文明はついに、そのことを、個室内のパソコンの前や、手の平の携帯の上で可能にしてしまいました。これは性情報の飽食の時代が来た事を意味しています。飢えた狼のように、いわゆるエロ本だのAVなどを親に隠れて入手、鑑賞した肉食おじさんとは、もはや別世界なわけです。性情報における飽食の時代に育った世代と飢餓状態で育った世代はハングリー精神が大違い。

 性的にガツガツしないのはスマートで女性に対して紳士的と評価することもできるでしょうが、これは、本来、実存の女性に向けられるべき性的エネルギーが、映像上の女性で浪費されているのは?とも思えるのです。

 神様が男性に強い性的欲求を与えたのは、体を一つにして夫婦の絆を形成してパートナーとして生きるため。そう考えると、草食系男子は、性的エネルギーの弱さから、肉食系以上にセックスレス化しやすく、夫婦の絆も早く弱まりやすいのでは?との危惧もしてしまいます。


 性関係だけではないでしょう。現実の社会や人間関係で試行錯誤しながら、成長していく前にバーチャルな世界で社会性や人間関係を形成してきた世代。当然、現実の社会性や人間関係形成に問題が生じやすいのでは?

 傷つけられることも傷つけることも恐れていたのでは、深く愛し合えません。本当のゆるぎない信頼関係は築きえません。欲望の希薄さはスマートで人を傷つけずに済みますが、同時に、深い人格関係を築く事を困難とするのでしょう。

 ミスチルの歌のように、傷つかない予防線を超えられずに心を通い合わせられないままの恋愛関係。そんな希薄な人格関係にもかかわらず体を一つにしてしまう表面的なインスタントセックス。同時進行するバーチャル空間での二次元女性を対象とした性欲解消

 私は草食系男子増加の背景にはこうした現実とバーチャルの逆転があるのでは?と推察します。そして、性も恋愛も結婚も極めて現実的で深い人間関係ですから、その逆転は、現実の生活や家庭、そして社会や国家にまで重大な問題をもたらしかねないのでは?との危惧を覚える方もいらっしゃるのでは?

 すべての草食系男子に上記のことが該当するわけではないでしょう。しかし、一定そうした時代と社会の背景があるのは?と推察しながら、彼らについて危惧されることを私なりに記してみました。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 10:19 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(4)
 なぜ、「肉食系おじさん」たちは、「草食系男子」に対して、反射的に嫌悪感や不快感を抱いたり、瞬時にして否定的評価を下したり無理解の態度をとるのでしょうか?それは草食系男子の存在自体が自分たちにとっての性的、個人的、社会的アイデンティティーの否定につながるからだろうと考えて示す四つのポイント。今日は後半の二つです。

(3)それは従来の社会秩序に反する。
 これまで日本の資本主義経済は競争原理の上に成立してきました。それを支えるのは人間の物欲、出世欲、勝利と強者への欲求であります。男性たちがそれを原動力に競争を繰り広げてこそ、経済発展と物質的繁栄がもたらされたわけです。それが従来の日本の社会秩序。

 ところが、いまどきの若い連中ときたら「欲はなく決して怒らず」のような欲望喪失、傷つけ合い恐怖症ばかりで・・。とおじさんは思うわけです。

 こうした物欲減退者日本経済の発展を妨げ、資本主義体制を根底から崩壊させかねない危険人物のようにおじさんには思えてしまうのかも。あるいは性的欲望の減退は少子化に拍車をかけ、国家を衰退させる「非国民」、あるいはや種の保存に反する「不自然な奴ら」と評価されてしまうのかも。

 かくして草食男子はあたかも「亡国の徒」と評価され、肉食おじさんたちは「憂国の士」となり、独りよがりの社会評論家状態に入るわけです。

 もしかしたら、肉食おじさんたちは、資本主義体制の深刻な限界を認めようとせず、従来の秩序が永続するかのような幻想を抱き続けているのでしょうか?そして従来の「競争社会」から「共生社会」に移行しつつあるこの時代に、適応障害を起こしているのかもしれません。

 そんな自分のいらだちやストレスが草食系男子に感情転移しているという面があるのでは?とも想像できます。実は社会の変容に器用に適応する草食系に妬ましさを覚えている可能性もなきにしもあらず。などと、少しは草食系男子を擁護したい気持ちも起こります。

(4)それは従来の自己価値を全面否定しかねない。
 草食男子達の存在は、肉食おじさんんにとっては、不可解さや違和感だけでなく、嫌悪感や恐怖を与えているのでは?などと私は深読みしています。

 肉食系おじさんたちが、草食系男子がその存在自体から、受け取ることを恐れているのは次のようなメッセージではないでしょうか?

「欲がないと言われますが、欲があったら何かいいことあるの?」
「物欲に駆られて、忍耐してがんばって、会社に仕えてきて、築き上げてきたものは何?
「そこまでして競争に勝ち残って、獲得したモノは何?」
同じものを獲得し、築き上げるために、そこまでガツガツしようとは思いません。」
そんなものなくても、僕たちは楽しく幸せに暮せます」
「自分の父親のような生き方はしたくないので、肉食系でいきるのだけはお断りです」

 これは肉食系おじさんにとってはアナキストのアジテーションです。反政府革命軍のシュプレヒコールです。21世紀日本におけるの文化大革命です。「それを言っちゃーおしまいよ」的禁句であります。こうなると、草食系男子とは、いわば「歩く下克上」。

 自分たちが自由と健康と家族まで犠牲にして築き上げてきたものを瞬時に全面否定するあまりに残酷なメッセージです。でも、「はずれていない」「痛い」と思えるからこそ、聞かされることが恐怖なのでしょう。

 草食系男子の台頭はそのまま肉食系おじさんの人生と存在を否定するメッセージを放っているが故に、考えもせず、反射的に否定して、自分を守らざるを得ないのではないかと私は想像しています。

一昨日いただいたUGOUGOコメント王子からのコメントには私も賛同です。最後の部分を以下に引用します。

 肉食系おじさんが、「このライフスタイルがすでに機能しない社会だ」と認識しないまま、トシをとり、社会から強制退場させられるとき、「未熟さ・空しさ・自分と向き合う事」から逃げていたツケが一気にくるのではないかと、痴呆・自殺・鬱がこの世代を中心に更に多くなるかもと、ちょっとだけ心配&同情しています。

 以上が引用です。肉食系おじさんたちは、実は謙虚に草食系男子から学ぶべき面もあるはずだと思うのです。それを反射的に全面否定するとは、「未熟さ・空しさ・自分と向き合う事」から逃げていたツケをさらに増やすこと、ツケの減額や返済のチャンスを逸していることにもなるのでは?

 本件に限ったことではないでしょうが、私は思います。若い世代から謙虚に学ぶ姿勢を持つ者こそ、成熟した年配者たりうるのだと。若い世代から反発をうけることは、時に年配者にとっては必然だが、同情を受けることは残念なことだと。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 08:51 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(3)
 私自身もそうした傾向が少しあるのですが、「肉食系おじさん」たちは、新興勢力である「草食系男子」に対して、反射的に嫌悪感や不快感を抱いたり、瞬時にして否定的評価を下したり無理解の態度をとります。なぜでしょう?なぜ、反射的に拒否反応を示し、逆にじっくりと理解や受容に努めようとしないのでしょう?

 私が思うに以下のように、草食系男子を認めてしまうことが、肉食系おじさんの性的、個人的、社会的アイデンティティーの否定につながるからだろうと思うのです。以下の四点を特に想定してみました。


(1)それは従来の「男の美学」に反する。
 「据え膳食わぬは男の恥」というのが伝統的な男性の美学。「男性は性的に活発ではなくてはならない、積極的でなければならない、そうでないのは男らしくない」という従来からの男の美学。肉食おじさんたちはその信奉者。要は保守主義なのです。

 実はおじさんたちもこれが、重荷になっているはず。自らの持つ男の美学が強迫観念になり、縛られて不自由になっているケースも多いのでは?性的機能が衰えれてくれば、あせりながらバイアグラの広告を読み、常に精力絶倫にあこがれるわけです。

 女性を傷つけても、モノにする「欲望至上主義の男性美学」よりは、女性を傷つける事を恐れる「優しさの男性美学」の方が、より美しいのは?

 果たして肉食おじさんたちは、女性に対する優しさや思いやりを男の美学として支持するのか?それとも「単に傷つけ合うのが怖い軟弱男」に過ぎないと断罪するのか?どう評価するかでしょうね。

 もちろん、性機能は男性にとっての本質的なアイデンティティーの一つでしょう。「でも、それだけじゃあ、ないよね」「男らしさが性的活発さっていうのも、何か情けないよなー、男ってその程度のもの?」「ホントの男らしさっていうのは違うんでない?」と思ってしまう私です。

(2)それは従来の男性観に反する。
 肉食おじさんたちは未だに「恋愛や性においては、男性が能動的で女性が受動的であるべし」と心のどこかで幻想を抱いています。能動性、積極性、攻撃性こそ、男のアイデンティティーなわけです。非常にマッチョで体育会系で男性原理主義的な男性観を有しています。

 元農水大臣の太田誠一氏は、何年か前にあのスーパーフリー事件に触れて、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」という主旨の発言をし非難を受け、次の選挙で落選しました。もちろん、これはとんでもない女性人権問題です。この発言において多分太田氏が想定していたのは、「女性に対しての元気のない男達」のことでしょう。当時なら「オタク」であり、現在なら「草食系男子」に相当するのでしょう。

 へたすると、一部の肉食系おじさんたちは「集団レイプする人は、草食系男子よりは、まだ元気があるからいい、男としてまっとう」などという評価をしかねないのでは?「おい!草食系男は、集団レイプ犯以下なのかい?!」との突っ込みが聞こえてきそうですね。でも、それほどまでに「男たるもの性的に攻撃的、積極的であるべし」という男性観は根強いのでは?

 ところが現実の時代と社会はとっくに変遷しており、今は女性から告ること、迫ること、落とすこともありの時代。恋愛や性における従来のジェンダーの枠組みの崩壊。おじさんたちはそれに不安や違和感を覚えるでしょう。いいえ、それに向き合ってしまい、男性としてのアイデンティティーの危機を突きつけられることを回避したいので、一方的に否定したがるという面もあるのでは?

 「もう今までのあり方では、今の時代、男が務まらないでは?」これは怖いです。反射的に新たなジェンダーの枠組みを否定し、自己保身や自己欺瞞に入りたくなる気持ちもあるかのように思えます。肉食おじさんたちは、こうした男性のあり方が、生理的に嫌いなのです。そして、その生理的嫌悪感の裏側や深層にはこうしたことがあるのではないでしょうか?

 本件に限ったことではないのですが、私は思います。時代や社会の変化についていけないこと、通用しなくなった自分の現実を自覚し、次の世代に対して認めること。同時に時代や社会の変化を超えた普遍的な真理や正しさには一切妥協せず次の世代に継承すること。この二つが、本当の意味で成熟した年長者のあり方かと思うのです。

 私の深読みのし過ぎかもしれませんが、参考になれば感謝です。長くなりそうなので、四点のうち、残り二点は明日の記事で記します。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 09:44 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(2)
 番付上位を外国人力士が独占している今の日本の大相撲。多国籍軍の活躍によって「どこか国技やねん?」「土俵上のプロレスやん」などの声も。そうした中、相撲部屋の親方たちや相撲関係者の方々は日本人力士の弱さをなげいているとか。

 貧しさの中、大きく育ち、出世して親に家を買ってあげたいと厳しい稽古に耐える外国人力士と稽古がちょっと厳しければ携帯で実家の親に愚痴る日本人力士、どちらが強くなるかは明らかです。格闘技のような厳しい競技において、上に行くには、貧しさなどを背景にしたハングリー精神はかなりの必須条件。

 ハングリーな外国人力士とそれを持ち得ない豊かな社会に生きてきた日本人の明確な違い。同じような違いが肉食系男子と草食系男子の間にあると私は考えています。

 草食系男子登場の原因は単一ではなく複合的であり、この件については多様な評価や多面的な分析が必要なのでしょうが、今回のシリーズでは基本的に「飽食の時代のセクシャリティー」として「草食系男子」を受け止め論じます。

 私は草食系男子の登場は、飽食の時代が生み出した「性におけるハングリー精神の喪失現象」としてとらえています。

 経済発展の中、次々と開発される電化製品や新車、そしてマイホーム。その所有を目指して、がんばってきた世代。物欲や所有欲をモチベーションとして、忍耐と努力を重ねてきたのが「肉食系おじさん」たち。まさに「物欲・所有欲→獲得と消費→そのための忍耐努力」こそが、肉食系おじさんたちのライフスタイルであったわけです。現在の外国人力士に似たような一定のハングリー精神が、バブル崩壊前に育ってきた男性たちはあるように思うのです。

 それは性や恋愛の世界でも同様。中高生の男女交際など、学校や親が快く認めなかった時代。何とか恋愛はできても、簡単には性関係を持つことができずにいた20年から30年前の若者達。

 隠されるほど見たいのが人情。禁じられるほど燃え上がるのが恋心。規制されうるほど、高まってしまうのが性的欲求。この時代に生きた男子が肉食系になるのはある意味必然。

 それに対して、はじめから与えられてしまえば、獲得や豊かさへの欲望は弱くなるのは当然。生まれた時には既にあった物質的な豊かさは物欲を減退させ、獲得消費にガツガツしないメンタリティーを育てます。

 そのことは恋愛や性の世界も同様。恋愛が自由化され、今や中高生の男女交際は社会的に公認され、高校生時代までに3割以上が性体験を持つ時代。そうでなくても代理機能ともいえる過激な性情報は、ネットを通じて個人的な空間や手の平の上の携帯で見ることができてしまいます。恋愛や性もかつてに比較すれば飽食状態。ハングリー精神の衰退は必然でしょう。

 また、男性の性欲は征服欲、支配欲、獲得欲、所有欲と強く結びついていますから、そうした欲望が減退すれば、「心の性欲」というべきものも減退。草食系のメンタリティーは当然、草食系のセクシャリティーを伴うわけです。

 重い責任に耐え切れず降格願いの増加。自由と健康と家族を犠牲にしてまで地位やお金を獲得しようとは思わない社員達。むしろ本当の意味での豊かさとして、自由な時間や家族との時間を大切にする世代。年収300万円でも、節約しながら地味に人生をエンジョイできる若者達。アメリカ型の豊かな社会から、ヨーロッパ型の格差社会への移行を見越して器用に適応しつつある新世代。

 そう考えますと草食系男子というのは、「飽食の時代の産物」であると同時に「格差社会対応型のセクシャリティー」ではないかと思うのです。草食系男子は肉食系おじさんたちからは批判されるべき面も多々あるでしょうが、来るべき時代に対応した必然的なありかたとしてプラス評価すべき点もあるのではないでしょうか?

 「ハングリー精神」を捨てることは、向上心や進歩思想を捨てることなのかもしれませんが、それは「与えられたもので満足する心の大切さ」の発見なのかもしれませんから。もしかしたら、「男は犠牲を払ってまで向上進歩し続けなければならない」という幻想のような束縛から解放され、自由を得ているのが、草食系男子なのかもしれませんね。

 飽食時代の産物であると共に格差社会への対応形でもあると言えそうな草食系男子。いずれにせよ、時代と社会の背景がそこで育った者たちのメンタリティーをかなり決定付け、それがセクシャリティーにまで及んでいるというのが今回の私なりの仮説です。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 11:29 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
飽食時代のセクシャリティー?草食系男子登場(1)
 最近、一読者から個人的にメールをいただき、そのリクエストにお応えして「草食系男子」を論じることとなりました。草食系男子に関しては多面的な分析をすべきで多様な評価もあるとは思いますが、このシリーズでは、それを「飽食の時代の産物としてのセクシャリティー」と位置づけて、論じてみたいと願っています。

 先に申し上げておきますが、今回を含めて5,6回の連載となりますので、先走りコメントはご遠慮くださいね。本日は第一回目として、基本中の基本、「草食系男子」の定義と紹介


 メールを下さったからご紹介いただいたのが以下のサイト。とても面白く、なおかつ「草食系男子」の定義と紹介がしっかりされています。

http://feature.tv.jp.msn.com/special_soushoku0902/interview_01.htm

 私自身はかなり恋愛には奥手で異性に対してもガツガツしていないタイプと自己評価しています。それでもこのサイトにある「草食系男子チェックシート」を試してみたら、明確な肉食系なのです。いや、私の場合は「肉食系男子」でなく「肉食系おじさん」であります。

 そもそも、女性と二人でお泊りしてもなにもないというのが、肉食系おじさんにとって「そんなのありえんだろー」なのです。でも、そうした男性の急増は紛れもない事実として受け止めなくてはなりません。

 以前、テレビのある報道番組で「草食系男子」の特集を見ました。何と彼女の友人(もちろん女性)と、二人きりで宿泊を伴う旅行に出かける草食系男子もいるのだとか!?そして、同じ部屋で寝ても何も起こらないのです。

 若者理解を常に心がけているつもり私ですが、さすがに肉食おじさんの限界でしょうか。こればかりは、アンビリーバブルですね。

 彼女の女友達と二人で宿泊旅行?これは男の罪深さと性欲が最も深く結びつくパターン。そうしたチャンスが訪れたとしても「選択肢は二つしかありえんだろー?!」と思ってしまいます。

 つまり「やっぱり、彼女を裏切れないから」と旅行自体を断念。あるいは背徳的で淫靡な妄想を燃え上がらせつつ、決断実行。この二者択一でしょう?

 ところが、「第三の選択があり」なのです。お泊り旅行をして何もしないのです!彼女を裏切ることがないわけです。これは「善良な青年」と評価すべきなのか?それとも「どこか壊れている」と評価すべきなのか?いいえ、そもそも肉食おじさんの辞書には、そうした恋愛形態や性行動はないのです

 恋愛だけではありません。競争心、物欲、消費欲、出世欲、所有欲、支配欲、性欲などが希薄化している若い世代の登場に、今後はいよいよ肉食おじさんは戸惑うことでしょう。「欲がない」という言葉は、「向上心がない」という叱責の言葉なのか?それとも「純粋で素晴らしい」という褒め言葉なのか?

 こうした草食系男子が多数派を占めると言われる若い世代。何が起こるのでしょうか?いろいろ想像をしてみました。

(1)既に起こっていることですが、肉食系女子の登場。 男子が女子を狩猟するという男女関係から移り変わり、草食系男子を狩猟する肉食系女子が登場。

 やはり動物的な主の保存の本能が、社会的性行動の変容となって現われるのか?動物の生態に詳しい専門家や学者たちはきっとそんな説明を試みていることでしょう。

(2)続いて想像したのは、「オレ草食系だから大丈夫、何もしないから泊まらせて」と女友達の家に宿泊。やがて肉食系の本性を現しての性行動を開始するという性犯罪的なパターン。

 名づけて「オレオレ、草食系詐欺」。今後女性たちは偽装草食系男子に要注意となるのかも。

(3)この流れは当然キリスト教会にも。牧師の前で二人きりでお泊りしたと平然と言い放つクリスチャン青年男女。当然、性的罪があったはずという前提で、指導し始める牧師。あくまで二人に恋愛関係はなく、ただの主にある兄弟姉妹であり、何もなかったと主張しつづける二人。「そんなことありえない」とどこまでも疑う牧師についには「そう思う先生のほうが汚らわしい!」と逆切れする青年男女。牧師にとっては、そんな未体験ゾーンの牧会事例も登場するのかも?

 今回は草食系男子急増という現実を受け止めていただければ、感謝。明日は、飽食の時代が草食系男子を生み出したのでは?という仮説を記してみたいと思います。
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 07:18 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
女性側の善意がもたらす男性側の勘違い
 一昨日から昨日までは、某学生団体で奉仕。主講師のT牧師は大変ユニークかつ真実な方で、メッセージとお交わりを通じて、大いに啓発をいただきました。一つだけ、ご本人も公けにしておられるエピソードを許可を得てブログ掲載。

 ミッション系の大学入学を果たしたクリスチャン青年Tくんは、寮暮らし、そして、お弁当が自分で作れないわけです。そんな彼を助けようと友人のクリスチャン女性が、「自分のを作るついでに」ということで、彼のお弁当を作ると申し出をします。そして、その言葉に甘えたTくん。

 それから学校のある日はほぼ毎日、自分とおそろのお弁当を作ってくる彼女。それが何ヶ月も続きます。やがて「惚れてしまうやろー」状態に陥るTくん。6ヶ月にわたりお弁当を作っていただいたTくんは、遂に彼女に告白。そして、あっさり振られてしまったのでありました。

 彼女は中高は女子校で過ごし、共学は大学で初めて。毎日のお弁当は、どこまでも兄弟愛であったのです。T牧師はこのお話をして、クリスチャン若い女性たちには「あまり男性に優しくしてはならない」と男性理解の啓発をされているとか。

 ここまで極端でなくても、兄弟愛でしたことが誤解されることは珍しくありません。特に男性には「やさしくされてしまうとすぐ惚れてしまう」タイプは少なくないようです。女性にしてみれば、与えた兄弟愛が違う形の愛で帰ってくることも。純粋な善意が、結果としては、逆に関係を破壊してしまうことになりかねません。

 こうした「善意がもたらす勘違い」「悪意なき勘違い誘発」については、勘違いする男性だけが悪いとは言いきれないでしょう。悪意はないとはいえ、勘違いを誘発してしまう女性側の男性理解不足もやはり克服すべき課題。そして、このことは多くのクリスチャンが実体験しているはず。あるいは実体験の中で学んだことがあるのでは?

 特に独身女性の場合は、男性に大きな兄弟愛を注ぐ必要がある場合は、クリスチャン男性に委託するのが賢明かと思いますよ。若きクリスチャン女性の皆さん。「兄弟愛の実践は基本問題、しかし実際に男性に兄弟愛を注ぐことは、勘違いをさせぬという点において応用問題」だと言えるのでは?
| ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 09:07 | comments(5) | trackbacks(1) | - | - |
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