命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
演歌の女?ロックの女?(2)
性的罪と言えば、男性が加害者で女性が被害者と考えるのはあまりに一面的。聖書に登場する姦淫の罪や売買行為は男女の共犯だし、ポティファルの妻などは、女性が加害者で男性が被害者

 「人は罪を犯すから罪人なのではない、罪人だから罪を犯すのだ」とはどこかで聞いた言葉。女性も人であるなら、性的罪を犯す可能性はあるはず。現代でも多くの性犯罪は確かに男性が加害者で女性が被害者、しかし今も姦淫の罪や売買行為は男女の共犯だし、ポティファルの妻のように男性を誘惑する加害者女性、誘惑される被害者男性というパターンもありますね。

 「愛し合っているなら当然だろう?」を愛の言葉ではないと知りながら、あるいは疑いながら応じてしまう女性たち。やはり、自己責任が問われますね。こうした場合は女性は被害者ではなく、共犯者

 コメントなどでご指摘の通り、女性にも性欲はあるのは事実。(その強さやあらわれには個人差があるようですが)。ある女性にとっては男性から囁かれる「愛し合っているなら当然だろう?」は男性が女性から囁かれる「今晩は帰りたくないの」と同じくらいの抗しがたい誘惑なのかもしれません。

 応えてしまう女性は、男性の誘惑に負けているのではなく、自らの欲望に負けているのでは?自らの欲望を神様の御心に優先していると言えるのかも。神様を悲しませてでも性的欲求の実現を優先させる罪、それは男性特有のものではないと思います。男女に共通の弱さでは。
 
 演歌の女は性においては受身で、主体性がありません。男性に求められると弱いもの。しかし、ロックの女は自らの性欲に自覚的で、実現に積極的。そうした女性は「愛し合っているなら当然だろう?」にはっきりNO!が言えないのはなく言わない選択をしているのでしょう。拒絶しないのは「相手の愛に答えられないと悪い」からではなく、自分も性的欲求の満足と達成を願うからと考えるのは厳しすぎるでしょうか?

 以上、女性の性欲についてはまだまだ勉強不足の私なりの見解でした。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 17:18 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
演歌の女?ロックの女?(1)
「愛し合っているなら当然だろう」検証委員会は男性の側の罪深さにフォーカスを当てました。しかし、何だかんだ言っても最終的に鍵を握るのは女性。
 「愛し合っているなら当然だろう」を真に受けて、愛の応答と信じて身を任せる女性をターゲットに検証委員会は連載しました。しかし、「愛し合っているなら当然だろう」を愛からの言葉でないと知りながら、これ幸いと性関係を結ぶ女性も多いことも事実。

 この二種類の女性をどう表現しようかと思案。そこで音楽ジャンルに当てはめてみました。前者を「演歌の女」、後者を「ロックの女」と名づけました。

 女性演歌歌手も女性ロックシンガーも共に性的要素やアピールを持ちます。しかし、その表現は全く正反対。そのことはコスチュームを一見しただけで明らか。

 多くの女性演歌歌手は未だに着物が主流。洋装でもロングドレス。つまり隠す美学、内に秘めた性的アピールです。一方、女性ロックシンガーは言うまでもなく、肉体をさらけ出してのストレートな性的アピール。

 演歌の女は待つ女。「愛している」を真に受けてすべてをささげて捨てられて、最後は波止場で待つか、酒場で泣くかのパターン。男は加害者、女は被害者。男は奪い女は失うという構図。

 ロックの女は誘う女。「愛しているか当然だろう」を待つというよりは誘導し、女性も欲望達成というパターン。ここでは男と女は共犯者。男女共に欲しいものをゲット。最後は男に捨てられても強がるか、逆に男を捨てたり、手玉に取るというパターン。

「愛し合っているなら当然だろう」検討委員会は演歌の女たちへの啓蒙と警告。今回から始まる「演歌の女?ロックの女?」は増加しつつあるロックの女たちの分析、批評そしてその性行動への警鐘。

 日本の大衆音楽における演歌の衰退とロックの隆盛は、もしかしたら、女性の性意識の変化とリンクしているのかも。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
演歌八つ当たり村(2)
 これまた、日本レコード大賞受賞曲、細川たかしさんの歌う「北酒場」
「北酒場」
北の酒場通りには 長い髪の女が似合う
(誰がきめたー?)

ちょっとお人よしがいい
(そんな女いねーよ!)

くどかれ上手の方がいい
(いい加減にしろー!)

 これほど独りよがりの恋愛願望があるでしょうか?「北の酒場通りには長い髪の女が似合う」という個人的な好みを普遍化してしまう横暴さ。酒場の女はしたたかに決まっているのに、お人よしの女性を求めるというあまりに非現実的な願望。「くどかれ上手」をさらに要求するあたりは、その横暴なまでの独りよがりと現実性の欠如も聞き手の我慢の限界を超えています。

 この歌、男性のあまりに独りよがりで現実性のない願望を歌い上げている演歌版「そうだったらいいのにな」だと思います。そうでなければ酒場におけるオタク的ラブソング、あるいはストーカー的妄想ソングと言えるでしょう。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 09:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
演歌八つ当たり村(1)
 新たなシリーズ、演歌八つ当たり村。演歌独特の恋愛観や美学に突っ込みを入れて、一方深く恋愛や性愛を考察しようという無謀な試み。

 第一回目は私のオリジナルではなく、歌謡界の大御所にして故人である淡谷のり子先生の作品。淡谷先生は都はるみさんが熱唱し、日本レコード対象に輝いたあの名曲「北の宿から」が大嫌いだといいます。カッコ内が淡谷先生の突っ込みです。淡谷先生の方言交じりの語り口を頭の中で再現しながらお読みください。

 〜北の宿から〜
あなた変わりはないですか?(余計なお世話だって)

日ごと寒さがつのります。(冬は寒いに決まってるでしょうが)

着てはもらえぬセーターを (着てもらえないなら編むなってーの)

寒さこらえて編んでます (あんた風邪ひくよー!)

最後に淡谷先生が一刀両断
「ワタス、こういうウジウジした女だーい嫌い!」


 先生、演歌に登場する女性はウジウジに決まっていると思うのですが。そこに演歌の美学があると思うのですが。それを否定してしまっては演歌の存在意義自体が成り立たないと思うのですが。
 でも、私もすべての女性に、脱「演歌の女」、「ワタス、こういうウジウジした女だーい嫌い!」と言える女性になって欲しいと切望する一人です。


 
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 13:25 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ポップミュージックが描く性の世界(11)
 今回取り上げるのは黒夢のCD。アルバムタイトルは「生きていた中絶児」メジャーデビュー前の音源をCD化したものらしく、さらに前作のタイトルはずばり「中絶」。しかし、このバンド、「中絶」や「生きていた中絶児」といったタイトルの曲はもっていません。あくまでアルバムタイトル。
 名古屋からデビューしているだけに親近感もありますが、一度聴いてその親近感もどこへやら。暗い!重い!そして怖い!さらにヤバい!音楽のジャンルとしては多分メタルでしょう。何が苦手といってメタル系ロックほど苦手な音楽はありません。ハードロックは許容範囲でもメタルはご勘弁の70年代人間ですからね。ただでさえ怖い音楽なのにそれにのって人間の悪や暗部を描いているのですから、ひたすら怖いです。江戸川乱歩、ヒッチコック的怖さかも。

 とても聴き続けられず、歌詞カードを見ているのですが、中絶も胎児も歌詞には登場しません。さらに歌詞が難解で理解できません。冒頭の曲、彼らのバンド名の由来である「黒夢」なる曲も、私にはその歌詞が理解不能。冒頭はこんな歌詞。

 同じ夢と暗い体 GRAY IN MOTHER・・・NIGHT 黒夢が視界の前にへばりつく。

 もしかして中絶児の歌?それともこのバンドのアプローチが、中絶に代表されるような人間の悪や暗部を暴くからか?ただ、安易なインパクト狙いや様式化されたありきたりの悪のイメージを売り物にしていない、知的な要素と独自の美意識は感じさせます。具体的でなく抽象的な表現なので、かえってインパクトがあるのかも。だとしたらアルバムタイトルの「中絶児」はこの場合は「抽象名詞」と言えるでしょう。

 今日はこの曲の描く性の世界まではたどり着けず、また生命倫理も語ることもできず、煮え切らない音楽評論で挫折。だれか、分かる方、教えてください。トホホ。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ポップミュージックが描く性の世界(10)
 久しぶりのこのシリーズ。つくづくいい時代になったと思います。基本的に洋楽しか聞かない私ですから、このシリーズもネタが尽きかけ。ところがネットの世界では簡単に歌詞が検索できて、場合によっては音源まで視聴できてしまいます。「胎児」で検索したら出てきました!しかも45秒の視聴つき。
 今回取り上げるのはヴィジュアル系ロックバンドBUCKーTICKのヴォーカル、櫻井敦司さんの「胎児」、シングルバージョンはアコースティックアレンジのロックバラードで歌詞を聞かせようとしているよう。抽象的で解釈が分かれそうですが、何とかがんばってみましょう。

 この歌詞は胎児が主人公なのか?それとも、中絶をしてもさせてでも愛し続けていこうとする無思慮な恋愛至上主義の男女が主人公なのか?あるいはその両者が交代で登場しているのか?正直迷いますが、ある部分は胎児の言葉と解釈するのが自然かと思います。以下が歌詞の抜粋、カッコ内は私の注釈です。

 ※抽象的な歌詞ではありますが、中絶を想起される歌詞ですのでここから先はご自分の責任においてお読み下さい。


ねえママ..今夜でサヨナラ その血で目覚める
羊水 波打ち際 はしゃぐ僕がいる
飛び散る星屑彼方へ 腐りゆく 美しい
幾千幾億の死 煌く愛の詩
(胎児が莫大な数の死に行く魂の一人として語っているようです)

水平線にたたずみ その羽濡らしている
完璧な程 孤独だ
(羽は天に飛び立つ天使の羽?中絶胎児は究極の孤独)

誰かを壊してしまおう 最悪の気分だ
跡形も無いくらい 誰も彼もみんな
ねえねえ神様..あなたの真っ赤な葡萄酒
残らず飲み干したら 何か見えるかい
(大人の側の言葉、それとも胎児?悩みます。胎児だとしたら、死を受け入れた後に希望があるかを神様に問いかけているのでしょうか?)

過ち犯すばっかり 帰れる子宮は無い
自尊心たっぷり行こうぜ!
(これも誰の言葉か迷いますが、胎児だとすれば、究極の人格否定を受けながらも自尊心を保つ決意か?大人なら、中絶に対する開き直りか?)

上昇気流に乗って無常へ 遥かな高みまで
羽が溶けてゆく 空に溶けてゆく 眩しすぎる世界
震えてるけど 鼓動は歌う
(中絶された胎児が天に昇り行く描写かな?)

 抽象的で難解ですが、解釈のしがいがありますね。かなり深いものを描いているのではないでしょうか?後は読者の皆さん自身でお考え下さい。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 08:50 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
ポップミュージックが描く性の世界(9)
 爆風スランプというバンドをご存知でしょうか?80年代に活躍したバンド。サンプラザ中野さんのユニークなボーカルスタイルとキャラが前面に出てはいますが、メンバー個々の音楽的な見識の深さと技量の高さを感じさせるバンドでしたね。ポップな中にもプログレやファンクなど多様な音楽スタイルをミックスしているのが分かり、洋楽ファンの私には興味深かったです。初期のベーシスト江川ほーじんさんには、ベーシストの私は教則ビデオでお世話になりましたし。
 今回取り上げる曲は「リゾ・ラバ」これはもう死語かも。「リゾートラバーズ」のこと。リゾート地滞在中の恋愛、つまり地域限定期間限定の遊びの関係ってこと。まあ、恋愛自体がひとつのリゾートなのでしょう。リゾ・ラバの本質を訴えるこの曲はこんな歌詞。

1番は夏のリゾート地。女性の言葉の嘘を暴露します。
 「すてきこんなの初めてよ。もう二度と離れない」なんてことー!
 全部嘘さ、そんなもんさ、夏の恋はまぼろし
 嘘じゃないさ、うぶじゃないさ、夏の女はまやかし
 季節がわりはちょっとね、身悶える

2番は冬のリゾート地。
 「きっと電話するわ。はやく会いに来てね。朝の光に約束」なんてことー!
 全部嘘さ、そんなもんさ、冬の恋はまぼろし
 嘘じゃないさ、うぶじゃないさ、冬の女はまやかし
 季節がわりはちょっとね、身悶える

 「なんてことー!」の前までは、中野さんがソロでムードたっぷりに甘く歌い、「なんてことー!」では一転乱暴な歌い方に。「全部嘘さ」からは乱暴な男声のユニゾンで訴えます。歌詞内容の展開と音楽の展開が一致した鮮やかなアレンジ。

 「リゾ・ラバ」そこには本当の愛などありませんし、責任ある継続的な関係など期待してはいけません。それが前提、それが暗黙の了解です。
 ところが、この歌詞に登場する純情な男性は、大いなる勘違いをして傷ついた経験から、リゾラバの本性を暴露しています。純情な乙女がリゾート地で男性に騙されたら、それは演歌か歌謡曲どまりです。男性が女性に騙されて告発しているところが、現代的でロックなのでしょう。弱く傷ついた男が女性の悪を暴露するというアプローチ自体がユニークで、売りなのかも。季節がわりに身悶えるのは、かつてのトラウマか、それともリゾ・ラバから離れ切れない執着心か?


 リゾラバという割り切れたはずの関係に本当の愛を求め、その結果、女性不信になった主人公は確かに愚か。でも、リゾラバで騙される男女は多いのでは?現実には、リゾート地で片方は遊びのつもりでも一方は本気というケースは少ないはず。特に海外では日本人女性はカモにされているとか。遊びの相手に大切なものを与えたら、一生の後悔になるかもよ。そもそも嘘を前提にしたリゾート恋愛なのですからね。

 夏のビーチ、冬のスキー場で甘い言葉をささやかれたら、心の中で歌いましょう。「・・・・なんてことー!全部嘘さ、そんなもんさ」

 読者の皆さんがリゾ・ラバの嘘に騙されて、季節がわりに身悶えないよう願ってやみません。
 

 
 
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 10:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ポップミュージックが描く性の世界(8)
今回取り上げるのは、THE 虎舞竜の「夏休み」、リーダーでボーカルの高橋ジョージさんをご存知でしょうか?最近は、むしろ三船美佳さんの夫と言ったほうが分かりやすいかも。ご夫妻でよくバラエティーに登場。ちなみに、お二人のご結婚やテレビへの露出の多さの背景には宗教的な要素もあるとか。

 この歌は夏休みの四つの思い出を主人公の成長過程と共に歌っています。四つとも挫折面を描いているのが秀逸です。シンプルでストレートでリアルで、私はこの歌詞、大絶賛ですね。

 1番は幼い頃の夏休み。「秘密のかくれ家を作って遊んでいたのに自転車で走り回ってた原っぱはすぐに無くなってアスファルトにおおわれて 面影もない…」と歌い、結論は「あー待ちどおしい あー幼い日の夏休み」

 二番は中二の夏休み。煙草を吸い始め、「大人になった気がしたけど 咳こんだだけで」「好きな女の子が出来て電話をかけてみたけれどつながった瞬間に切った」などを回顧して「あー切なかった あー幼い日の夏休み」と総括。

 三番は高校時代「使いもしないコンドームをポケットに入れて」いた主人公、花火大会の夜 酔ったいきおいだけで「好きでもない女の子と愛もないまま…」そのことの評価は「あー虚しかった あー青い時代の夏休み」
 愛のない性の空しさ、愛してもいない相手との初体験の空しさを簡潔にリアルに描いています。そうした性で傷つくのは女性だけではない、男性も同様。空しさ、後悔、罪悪感、自己憐憫などを引きずる男性は少なくないはず。好奇心と性衝動だけの初体験がもたらす結果はそんなもの。それを描いた高橋ジョージ、アッパレ!
 女性の皆さん、夜、祭りやコンパという状況で、酒が入れば、多くの男は好きでもないのに求めてしまうものです。くれぐれも「愛」だと勘違いしないように

四番はクライマックス。こんな歌詞です。

 二年も片想いしてた あの娘と過ごす夏休み…
「前から好きだった…。」と言われ 胸が痛んだ…
「どこか遠くに連れてって…。」と 俺のバイクに先に乗って
またがる俺に呟いた「私をあげる…。」…と。二人は街のはずれにある安いホテルの部屋に入り
言葉も交わさないうちに口唇重ねた…。
あー夢のような あー愛を知った夏休み

ある日あの娘は何も言わず 連絡もない日が続いて
電話をかけても取り次いで もらえないまま……
俺はあの娘の家の家の前で
何日も待ち伏せていたやっとあの娘が出て来た瞬間 声もかけられず…
目には涙を浮かべていた
まるで犯罪者みたいに両脇を抱えられたままタクシーに乗る
母親と周りを気にして病院に入って行った
そして「中絶」という名の判決を受けた
次の日速達が届く もうすぐ終る夏休み
どう見てもあの娘の字じゃない「もう会えない…。」…と。
あー愛も夢も あー引き裂かれた夏休み
あー愛も夢も あー引き裂かれた夏休み…。

 初めての愛する相手との性、その結果は無残なものに。「引き裂かれた夏休み」と被害者ぶっている主人公。彼はやがて気がつくでしょう。「愛している」と言いながら最も愛に反することをしてしまった自分の過ちに。女性の皆さんは、そんな性の犠牲者にならないでくださいね

 愛のない性は空しく、愛だけの性は残酷、そこに責任がなくては、愛と性は両立し得ないのです。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 07:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ポップミュージックが描く性の世界(7)
 今回取り上げるのは「アメイジング・グレイス」。もちろん、賛美なのですが、日本では今やポップミュージックの分野でもスタンダードとなっている感があります。1987年、元・トワエモワの白鳥英美子さんがアカペラで歌ったものがCM曲に起用され火がつきました。その後、綾戸智絵さん、中島美嘉さんも歌い、ドラマ「白い巨塔」でもテーマに採用。さらに故・本田美奈子さんが歌い、話題となりました。

 この曲の作詞者であるジョン・ニュートンは1725年、イギリス生まれ。敬虔なクリスチャンである母に育てられましたが、彼が7歳の時、母は死去。やがて父同様に船乗りとなり、黒人奴隷を輸送することに。当時の黒人奴隷の待遇は筆舌に尽くせないほど、残酷で悲惨。彼も同様の悪行を続けていたのですが、22歳のとき、船長として任された船が嵐に遭う中、彼は必死に神に祈り、船は奇跡的に嵐を脱します。これ転機となり、それから16年後には、ジョンは船を降り、牧師となり、晩年は奴隷解放に労するようになります。
 
 そんな彼の罪深い過去を見る時、この歌の歌詞はますます真実なものとなります。

Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!

 では、この歌詞のどこが性に関係あるのでしょうか?実はジョンは匿名で自伝を記しており、それは当時、大変な話題となったようです。匿名ではありましたが、元奴隷船長ということもあり、誰が著者かは明らかでした。その中には、日本の教会ではあまり語られない彼の重大な罪が隠さず記されています。それは彼の犯し続けた性的虐待の数々です。
 当時の奴隷船の船員たちは、女性の黒人奴隷たちを性欲処理の道具としていました。船がアメリカ大陸に着く頃には誰の子かわからない子を妊娠し、出産する女性奴隷が山ほどいたそうです。ジョン・ニュートンは婚約者には清らかな愛を誓いながら、一方では他の船員たち同様、黒人奴隷たちを陵辱し続けていたのです

 a wretch like me! ジョンが自らをそう思うのは当然すぎるほど当然。彼がこの歌詞を書いた時、間違いなく彼の脳裏には数限りない性的虐待とそのことへの悔い改めがあったことでしょう。まさに悪魔の所業、鬼畜にも劣る悪行です。当時の地球上で最も邪悪であった者の一人は黒人奴隷船の船長、ジョン・ニュートンに違いないでしょう。彼の罪の自覚の深さ、そして赦され救われた喜びはどんなだったでしょう。

 今日、日本では多くのクリスチャンの学生と青年が、キリストへの愛を告白しながら、性的罪の中を歩んでいます。異性と性的関係を続けながら、まるでそんなことはないかのように教会の交わりに参加し、熱心に奉仕をする学生や青年たち。しかし、誰にもその葛藤を話せないまま、偽善的な自分や二重生活の苦しみに耐え切れず、教会を去っていく学生、青年たちは少なくないのです。残念ながら牧師先生やクリスチャンホームの親たちがそのことに気がついていないだけのようです

 a wretch like me! (私のように邪悪な者)と自らの罪深さや邪悪さを自覚するなら、ジョン・ニュートンに倣って欲しいのです。彼を赦し救い神の器とした方は今も、性的罪に支配された者を愛し、救い、きよめ、用いてくださいます。神様はどんな性的罪人をも見捨てることなく、悔い改めて立ち返ることを待っておられます。だから、自分の方から神様を見捨てないよう願ってやみません。
 アメイジング・グレイスを歌う時、背景にはそんな生々しい性的暴虐があったことを覚えたいのです。この清らかな賛美を生み出す背後には口に出すのもはばかられるような壮絶な性的暴虐の数々があったのです。性的な罪が教会に入り込み侵食しつつある今こそ、新たな意識でこのアメイジング・グレイスを歌ってはどうでしょうか?
 どんな邪悪な性的罪人にも及ぶ神の恵みの賛美として。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 07:49 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
ポップミュージックが描く性の世界(6)
 6回目は「ヤングマン」かつて西城秀樹がカバーした大ヒット曲。しかし、秀樹カバーは原曲をかけ離れています。実は、原曲は典型的なゲイソングです。フランス人の同性愛者プロデューサーが、同性愛者のユニットヴィレッジピープルに歌わせたのがこのYMCA。アメリカのYMCAは一部同性愛者専用の宿泊施設と化しているらしいです。ですからこの曲は同性愛の宣伝、あるいは歌を用いての人権運動とも言えるでしょう。秀樹が「すばらしいYMCA」と歌う箇所は英語では”It's fun to stay at Y.M.C.A”と歌われます。これが同性愛奨励なのは明らかですね。このユニットが歌ってかなりのヒットとなったIn the navyは軍隊内での同性愛をGo Westはゲイのメッカ、サンフランシスコを歌っています。
 さて、昨年の秋だったでしょうか?あのレイザーラモンHGがCDデビュー。デビュー曲は何とYMCAでした。原曲とおりのゲイソング?と思いきや、むしろギャグソング。いつもの下品なネタをちりばめただけの歌詞で、しかも歌唱力も期待はずれのため評価は低かったようですね。それでも「ヤングマン!すべての道は、ヤングマン(新宿)二丁目に通ず」という歌詞は秀樹バージョンよりは原曲の意図に忠実だと言えるかもしれません。
 私はHGが大嫌いです。ゲイでない人がゲイを笑いものにするのは差別・人権侵害にあたるように思えてなりません。。ましてや彼のファッションや言動は現実の日本の同性愛者から大きくかけ離れています。偏見を煽るばかりでしょう。
 日本ではまだ同性愛はギャグ扱いです。しかし、アメリカでは身近で深刻でそして国家を二分する大問題です。ゲイソングのヒットを通しても日本とアメリカの大きな違いが分かると思います。
| ヤンキー牧師 | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 21:19 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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